2012/02/25(土)「エンディングノート」

 ドキュメンタリーは対象が魅力的じゃないと、面白くならない。死の直前までユーモアと周囲への気配りを忘れない砂田知昭という人は十分に魅力的だ。パンフレットのプロフィールに特技は「段取り」と「空気を読むこと」とある。末期ガンの宣告を受けた2009年5月からエンディングノートを書き、自分の死に備える。死への段取りが終わらないと、おちおち死んでいられない気持ちになる人なのだろう。父親の段取り好きは長男にも受け継がれていて、死の床に伏せた父親に長男は葬儀の段取りを確認する。「お父さんのね、エンディングノートを見るためにパソコンを調べたんだけど、ファイルがなくなってる」。パソコンのファイルというのは必要な時になかったり、探しにくかったりするものなのだ。準備万端な父親は平然と答える。「そんなこともあるだろうと思って、コピーが取ってある」。

 家は仏教なのに、「費用がリーズナブル」という理由で主人公は教会葬を選ぶ。ケチだからではなく、家族に負担をかけさせたくないという気持ちが根底にあるからだろう。葬儀は近親者のみの密葬でという選択も迷惑をかけたくないという気配りから来る理由だと思う。そんな主人公の姿を見ていると、微笑ましい気持ちになり、それが映画の好感度を高める結果となっている。

 映画は次女の砂田麻美監督が父親の死ぬまでの7カ月間を記録したものだ。これに若い頃の写真や営業マンとして活躍した時代の映像を挟み込むことで、砂田知昭という人の泣き笑いの人生と人柄を浮き彫りにしている。妻と一男二女の子供とかわいくてたまらない3人の孫。94歳で元気な母親。認知症が進んで、来ない患者のために病院を開ける生前の父親の姿もある。撮りためてきた映像が効果を挙げている。近づきすぎず離れすぎずの対象への距離感も絶妙でプライベートフィルムにとどまらず、普遍性を備えた作品に仕上がった。

 映画は事実を記録したものであっても、監督がエピソードを取捨選択して構成する以上、フィクションの要素が必ず入ってくる。ストーリーに合わないエピソードは捨てられ、監督が考えたストーリーで構成されるものだ。だから、砂田知昭という人の人生も別の監督が撮ったら、別のものになっただろう。しかし、娘の愛情を込めた視点で語られる砂田知昭の人生は幸せなものだったなと思う。69歳の死は少し早いけれども、孤独死や悲惨な死が多い中、家族に見守られて死ぬことができたのは幸せだったと思う。