2013/03/19(火)ショッピング感覚の寄付
インデックス投資についての名著「敗者のゲーム」の中で著者のチャールズ・エリスはこう書いている。
愛する家族などに適切な額の遺産を残し、なお余裕の残る人々は、社会のために貢献できるという、素晴らしい機会を見過ごすべきではない。「慈善のためにお金を寄付する」という表現は、事の本質をまったくとらえていない。そうではなくて、想像力を働かせて、積極的に自分のお金を使うというように考えてはどうか? あなたが自分の力で長年にわたり作り上げてきた価値を使って、あなたにとってかけがえのない人々や組織を通じ、社会に貢献するのだ。人々の人生向上のために、積極的に何らかの支援ができるということは、このうえない喜びであり、精神的な充足感をもたらすものである。
昨年、この本を読んだ時、この部分は「自分には関係ない話」と思った。遺産なんて残せるかどうかも分からないし、もし残せたにしても、それは数十年先の話だ。しかし、と最近思うようになった。エリスが言っているのは、人生の晩年にまとまった金額の資産がある場合、それを社会貢献に使えということだが、これは日常的に社会貢献することを否定しているわけではない。むしろ、それが当然の前提としてあるのに違いない。アメリカの一般家庭では家計の3%を寄付しているのだから。
「投資家が『お金』よりも大切にしていること」もそうだったが、投資と社会貢献をセットで語ることに違和感がないのは、どちらもお金を有効に使うという点で共通しているからだろう。銀行にお金を預けっぱなしにしていても、わずかな利子が付くだけで社会の役にはまったく立っていない。投資でお金を働かせ、社会貢献でお金を有効に使う。それがお金を生かすことになるのだろう。エリスが言っている「寄付は慈善ではない」ということの意味がようやく分かってきた。
で、寄付をしようと思った。寄付の対象として何となく頭に浮かんだのは「国境なき医師団」(MSF)。ホームページを見てみると、「四の五の言わずに、さっさと寄付しろ」と言われているような気になってくる。3000円あれば170人の命が救えるという。居酒屋で2時間飲んだぐらいの代金で170人が救えるのなら、居酒屋に行くのを1回やめれば、自分も協力することができる。というか、昨年4月から職場が夜勤に代わって、飲みに行く機会は激減しているのだった。居酒屋3回分ぐらいの寄付は十分にできる。自分のお金を有効に使うという「素晴らしい機会を見過ごすべきではない」のだ。はい、します、すぐに寄付します。
MSFに限らず、NPOやNGOなどボランティア(に近い体制)で組織を運営している団体のホームページにはクレジットカードや口座振り込みで寄付する仕組みが備わっている。クレジットカードの使用は財布からお金を出す場合に比べて、お金を使う実感があまり伴わない(実感するのは請求書を見た時だ)。だから、カード破産も起きるのだろうが、寄付する場合にこれは心理的障壁を軽減する有効な手段になっているなと思う。口座振り込みもネットバンキングをやっている人なら、金融機関に行く手間が省けて、自宅のパソコンやスマートフォンでいつでもどこでもできる簡便さがある(半面、金融機関以外の場所で振り込むのが普通になると、振り込め詐欺の歯止めがなくなる恐れもある)。
これに加えてMSFのサイトで感心したのはMSF Warehouseというページがあること。これは毛布5000円、コレラ対策セット2500円などの支援物資を自分で選んでカートに入れて注文する仕組みだ。注文しても自宅に商品が届くわけではなく、困っている人に送られる形になるのだが、まるでネットショッピングを思わせる。注意書きには以下のようにある。
このサイトに掲載されている支援物資は寄付を象徴化したものであり、選択された支援物資が活動地に送られるわけではありません。このサイトで選択された支援物資と同額を国境なき医師団(MSF)の医療・人道援助活動に寄付されることになります。皆様からいただいた寄付は、最も援助が必要とされる活動に充てられます。
選んだ支援物資がすぐに送られないのなら、なぜこんな仕組みが必要なのか。それは寄付したお金がどう使われるのかをイメージしやすくするためだろう。まともな団体なら、寄付金全体の使途報告書をホームページに掲載するだろうが、自分が寄付したお金が具体的にどう使われたかを知るすべはない。MSF Warehouseの仕組みはその代わりになるものだ。自分が選んだ支援物資はすぐには送られなくても、MSFの倉庫にある限り、いつかは困っている人に届くだろう。だから、自分がこれを送ったと思ってもかまわないはずだ。
東洋経済新報によれば、MSFの活動資金の9割は個人からの寄付だが、日本での寄付集めには苦労しているという(国境なき医師団、日本での寄付集めに苦戦中)。年間の寄付金額が家計の0.08%という先進国では最もケチな民族の国なのだから、寄付集めの苦労は容易に想像できる。1回限りの寄付ではなく、協力していきたいと思う。