2016/01/30(土)「女子ーズ」

 戦隊もののパロディで2014年の作品。女子5人の戦隊「女子ーズ」に扮するのは桐谷美玲(レッド)、藤井美菜(ブルー)、高畑充希(イエロー)、有村架純(グリーン)、山本美月(ネイビー)。よくこういうコメディに出たなという面々だ。

 女子ーズに指令を出すのが佐藤二朗で、相変わらずあたふたしたセリフ回しが微妙におかしい。監督・脚本は「HK 変態仮面」「アオイホノオ」「勇者ヨシヒコと悪霊の鍵」の福田雄一。怪人退治と仕事(建設会社)の板挟みになる桐谷を中心に描き、脱力感あふれる描写が良いです。

 女子ーズのコスチュームデザインはなんと「アオイホノオ」、「逆境ナイン」(2005年)原作の島本和彦。福田監督は「逆境ナイン」の脚本も書いていたのだった。島本和彦とはその頃からの付き合いなのだろう。ゲラゲラ笑いながら毎週見ていた傑作「アオイホノオ」の原点は「逆境ナイン」にあったのか。

2016/01/24(日)「恋人たち」

「恋人たち」パンフレット

 昨年12月に橋口亮輔監督が担当した日経の「こころの玉手箱」を読んで、心にしみる文章を書く人だなと思った。一節を引いておく。

 「最後にこの人ならわかってくれると思い『助けてほしい』と電話した。『おれ、橋口さんのこと大好きだよ。橋口さんのためなら何でもするよ』と彼。1カ月後、彼には何もする気がないことがわかった。ずーっと風呂に入っていて、湯に浮かんだアヒルのおもちゃを見ていた。斜めになったままで、沈みかけているのに沈まない。『頑張れよ、お前。沈むなよ』。そう語りかけていた」

 アヒルのおもちゃは映画の中心となるアツシ(篠原篤)のアパートの風呂にも浮かんでおり、「沈むなよ」というセリフも出てくる。「恋人たち」に登場するのは普通の人たちだ。いや、アツシだけは妻を通り魔に殺されたという特殊な境遇にあるが、勤め先(橋梁検査の会社)も生活も普通だ。このアツシと主婦の瞳子(成嶋瞳子)と弁護士でゲイの四ノ宮(池田良)に共通するのは周囲に理解者がいず、孤独であること。橋口監督はアツシたちの鬱屈した孤独を描くことで、今の日本の現状と重ねている。

 アツシの妻など3人を殺した被告は心神耗弱で無罪になりそうだ。3年たっても妻の突然の死のショックから立ち直れないアツシは損害賠償訴訟を起こそうとしているが、手続きはなかなか進まない。病院に通っているが、金がないので国民健康保険料も払えない。瞳子は雅子さまの結婚のビデオを繰り返し見ている。そこには若い頃の自分の姿も映っている。ふとしたことから、パート先で納入業者の男(光石研)と知り合い、心をときめかす。四ノ宮は高校の同級生だった男に思いを寄せているが、あらぬ疑いをかけられてしまう。3人はそれぞれに今にも沈みそうなアヒルのような存在なのである。

 しかし、3人とも沈みそうで沈まない。リアルなシチュエーションと描写に笑いを交えて、3人の日常のドラマが語られた後、映画はささやかな希望を用意している。アツシの職場の先輩黒田(黒田大輔)が言う。「笑うのはいいんだよ。腹いっぱい食べて笑ってたら、人間なんとかなるからさ」。大げさな再生ではなく、人が少しずつ立ち直っていくのに必要なのは人とのつながりだ。映画は静かにそう語りかけているように思える。

 映画は元々、時代を映す鏡のような側面を持っているが、最近はそういう作品が少なくなった。今を真摯に見つめ、今を生きる人のドラマを作ることでこの映画はそれを兼ね備えた。無名の俳優たちを起用したことも時代に密着できた理由の一つだろう。登場人物たちの姿に深く共感し、愛おしくなってくる傑作だ。

2016/01/18(月)「ブリッジ・オブ・スパイ」

 終盤、東ベルリンで再会を果たした弁護士ジェームズ・ドノバン(トム・ハンクス)にソ連のスパイ、ルドルフ・アベル(マーク・ライランス)が言う。「君への贈り物を預けておいた。あとで受け取ってくれ」。「僕には贈れるものが何もない」と答えるドノバンに対してアベルは「This is Your Gift(これが君の贈り物だ)」と繰り返す。ここから物語が終わった後のだめ押しの電車のシーンまで感動に打ち震えながら、感心しまくっていた。スティーブン・スピルバーグ、うますぎる。サスペンスとユーモアと、何よりもヒューマニズムの太い幹に貫かれた作劇と演出は見事と言うほかない。中盤にあるスパイ機U2撃墜のスペクタクルな描写も含めて、もう自由自在にスピルバーグは物語を語っていくのだ。

 ドノバンがスパイの弁護を引き受ける序盤、本人ばかりか家族まで「ソ連の味方をする裏切り者」として民衆から非難を受ける描写は「アラバマ物語」のコピーかと思って眺めていたのだが、ソ連とアメリカが拘束した互いのスパイ交換の話になってぐいぐい面白くなってくる。アメリカ政府からの依頼で交渉役を引き受けたドノバンは東ベルリンへと向かう。そこで東ドイツに拘束された大学生フレデリック・プライヤー(ウィル・ロジャース)の存在を知り、予定の1対1から1対2に変えて捕虜交換を実現するために奔走する。アメリカが東ドイツを国として認めていないためドノバンは国の代表ではなく、民間の立場で交渉に当たる。国境を越えて東ベルリンに入るのも独力で行わなければならない。そうした困難を乗り越えて、人道的見地からドノバンは交渉を進めていくことになる。

 脚本を書いたのはコーエン兄弟だが、この物語展開はスピルバーグがかなり関わったのではないかと思う。コーエン兄弟が監督していたら、まったく違ったタッチの映画になっていただろう。スピルバーグのヒューマニズムがとても好ましい。ドノバンは確かに政府の依頼で交渉に当たるが、政府の意向に反してプライヤーを助けようとする。ドノバンの行動規範は国と国の関係や国家の利益のためではなく、人としてどうあるべきかに依っている。欲を言えば、ドノバンがなぜこうした考え方を持つに至ったかを描いておけば、交渉役をすぐに引き受ける場面の説得力も増しただろうが、無い物ねだりと言うべきか。

 ベルリンの壁が建設される風景や壁を乗り越えようとして射殺される人たち、冷戦下の厳しい現実を織り交ぜていながら、映画の印象はとても温かい。それは誠実さを備えた人間が苦労の末に勝利する物語だからだ。体型は少し違うけれども、トム・ハンクスはフランク・キャプラ映画のジェームズ・スチュアートを思わせる理想的なキャラクターを演じきっている。