2021/03/08(月)「午前十時の映画祭11」上映作品ランキング

 4月2日から始まる「午前十時の映画祭11」で上映される27作品の評価ランキングを作ってみた。KINENOTE、Yahoo!映画、Filmarksのレビューの点数を平均して順位を付けたもの。KINENOTEは100点満点での評価なので5点満点の他サイトと合わせるため20分の1にして平均した。
「午前十時の映画祭11」上映作品評価ランキング
「午前十時の映画祭11」上映作品評価ランキング(画像)


 順位は次の通り。
(1)赤ひげ(1965年)
(2)ターミネーター2(1991年)
(3)天使にラブ・ソングを…(1992年)
(4)スタンド・バイ・ミー(1986年)
(4)アンタッチャブル(1987年)
(6)座頭市物語 4Kデジタル修復版(1962年)
(7)隠し砦の三悪人 4Kデジタルリマスター版(1958年)
(8)ターミネーター(1984年)
(9)ユージュアル・サスペクツ(1995年)
(9)ファイト・クラブ(1999年)
(11)シャイニング 北米公開版(1980年)
(12)グラディエーター(2000年)
(13)2001年宇宙の旅(1968年)
(14)ザ・ロック(1996年)
(15)ノッティングヒルの恋人(1999年)
(16)グッドフェローズ(1990年)
(17)ナイトメアー・ビフォア・クリスマス(1993年)
(18)シカゴ(2002年)
(19)未来世紀ブラジル(1985年)
(20)真昼の決闘(1952年)
(21)ファーゴ(1996年)
(22)マディソン郡の橋(1995年)
(23)ロミオ+ジュリエット(1996年)
(24)イージー・ライダー(1969年)
(25)モスラ 4Kデジタルリマスター版(1961年)
(26)ティファニーで朝食を(1961年)
(27)イングリッシュ・ペイシェント(1996年)
 1位の黒澤明監督の「赤ひげ」は山本周五郎の原作を映画化した3時間5分の大作。僕は「羅生門」のラストの取って付けたようなヒューマニズムが嫌いだったが、この作品は黒澤監督のヒューマニズムが最も良い形で出た傑作だと思う。1965年度のキネマ旬報ベストテンでも1位を獲得した。

 2位の「ターミネーター2」は1991年キネ旬ベストテン8位。公開当時、「VFXはすごいが、映画のまとまりは1作目の方が上」と思った。殺人を禁じられたターミネーター、T-800(アーノルド・シュワルツェネッガー)の魅力は1作目に比べて半減してると思ったんですけどね。今の観客の目から見れば、VFXのレベルの違いがそのまま作品の面白さの違いになるのかもしれない。

 上の表のPDFは以下にあります。
「午前十時の映画祭11」上映作品ランキング(PDF)


2021/03/06(土)雑すぎる「太陽は動かない」

 WOWOWが放送したドラマ版全6話のうち第1話だけ見た後に映画を見た。映画版しか見ない観客の方が多いだろうから、ドラマを見ていないと分からないような作りにはしないだろう(ドラマの方はオリジナルストーリーだそうだ)。ブルガリアでのカーチェイスを交えた冒頭のアクションにはとても見応えがあり、期待を持たせたが、その後の展開が雑すぎた。場面だけを取り上げれば悪くはないのに、なぜこんなに話のつなぎ方が雑になるのか。ドラマ6話と映画1本を作っていくうちに、作り手も飽きてきたんじゃないかと邪推したくなる。

 吉田修一原作のAN通信シリーズ三部作「太陽は動かない」「森は知っている」「ウォーターゲーム」のうち、前2作を元に映画化。ブルガリアで敵対する組織に拉致されたAN通信のエージェント山下(市原隼人)の救出作戦を描く冒頭のアクションはブルガリアの大通りで派手なカーチェイスが行われ、スピード感があって良い場面だ。主人公・鷹野一彦(藤原竜也)と相棒の田岡亮一(竹内涼真)の奮闘にもかかわらず、山下は爆死する。AN通信のエージェントの心臓には爆弾が埋め込まれ、24時間ごとに本部に連絡しないと爆発してしまうのだ。これは原作にある設定なのだろうが、まるでリアリティーがない。敵につかまったら、一巻の終わり、何でもベラベラ話してしまいそうだ。こういう酷薄な仕打ちをする組織は徹底的にビジネスライクで冷たい人間が運営しないと整合性がない。ところが上司の風間武(佐藤浩市)はそれとは正反対のキャラなのである。

 冒頭に続いて、何の説明もなく、どこかの島の高校生たちの話になるので戸惑うが、これは鷹野の高校時代の話らしい。分かりやすくするためには年代を示す字幕を出した方が良かっただろう。原作の「森は知っている」がこの高校時代の話で、「太陽は動かない」は次世代太陽光発電を巡る機密情報の争奪戦の話。いくら次世代といっても、今さら太陽光発電かと陳腐に感じてしまう。天候によって発電量が一定しない太陽光発電は増えすぎると、電力会社には迷惑で九州ではもう増やさない方針のようだ。映画で描かれるのは宇宙空間に置いたパネルで発電し、それをマイクロ波で地球に送電、蓄えるという方式。ブルガリアの大学教授・小田部(勝野洋)はその発電方式を研究し、画期的な成果を得る。それを中国の巨大エネルギー企業CNOXが狙い、フリーの韓国人エージェント、デイビッド・キム(ピョン・ヨハン)、謎の女AYAKO(ハン・ヒョジュ)らが入り乱れて争奪戦となる。

 AN通信は表向きは小さなニュース配信会社を装うが、「国や企業などあらゆる組織の機密情報を入手し、売買する組織」。たかが産業スパイに007並みの派手なアクションをさせることには無理がある。いくらエンタメでもその設定にリアリティーを持たせることは必要だろう。絵空事が絵空事で終わっていて、これでは観客の心はちっとも動かない。

2021/03/03(水)映画観賞作品リストを作る

 2012年1月から、見た映画をKINENOTEに記録している。年間のベストテンを選ぶ際にはこの記録のTSVファイルをエクスポートして参照しているが、残念なのは劇場公開映画しか記録できないことだ。Netflixのオリジナル映画などは記録できない。Filmarksはどうかというと、Netflixには対応しているが、データのエクスポート機能がなく、そもそも個人の記録保存には向かない作りになっている。パソコンとスマホで同時ログインができないなどKINENOTEは100点満点ではないが、使い続けているのは記録に適した作りになっているからだ。
2月の映画観賞作品リスト

 しかし、劇場公開映画しか記録できないとなると、だんだん未公開映画やNetflixオリジナル映画を見なくなってくる。つまり記録できる映画しか見なくなる、あるいは記録できない映画の優先度が低くなるのだ。これは本末転倒なことなので、なんでも記録できる観賞作品リストを自分で作ることにした。最低限必要な記録項目は映画のタイトル、観賞日時、観賞方法、評価だろう。あとは必要に応じて観賞費用とコメント入力欄があればいいか。Excelで作ってみると、これで十分な感じ。Excelがない場合はGoogleスプレッドシートでもいい。

 表計算ソフトで作るメリットは日付や評価点数でソートできることだ。僕は月ごとに記入シートを分けて記録しているが、1年分のリストをつないで評価点数でソートすれば、簡単に年間ベストテンを選ぶことができる。年間の観賞本数が100本程度までなら1枚のシートに記録した方が一覧性があって良いかもしれない。

 で、2月分を記録した。見た映画は24本。内訳は日本映画18本、外国映画6本。観賞方法は映画館6本、WOWOW9本、amazonプライムビデオ5本、Netflix2本。日本映画専門チャンネルと購入DVD各1本。観賞費用は8,180円。このほかHulu、Netflix、amazonプライムビデオ、ディズニープラス、日本映画専門チャンネルの月額料金を合わせて4,895円(WOWOWの料金は月額2,530円だが、12月から3月までは株主優待で無料)。合計13,075円だった。普段の月は映画館で見る映画は週2本ペースなので、WOWOWの料金を加えても2万円ぐらい。趣味の費用としてはまずまずか。

 Huluでは1本も映画を見ていないが、利用していないわけではなく、ドラマやバラエティーなどは見ている。古い日本映画やサタデー・ナイト・ライブが見られるのはHuluのメリットだ。まあ、それでも映画ファンとして利用の優先度は低くなるなあ。

2021/02/28(日)「あのこは貴族」の各紙誌レビュー

 手に入る範囲で新聞・雑誌の「あのこは貴族」のレビューを集めてみた。こういうのは賛否あった方が面白いが、絶賛評がほとんどだった。
困難な社会を生きる女たちの連帯。ただ、それを声高に叫ぶのでなく、人物の揺れる感情に寄り添って描く。そのことでドラマが膨らみ、それぞれの人生がリアルに浮かぶ。美紀が幸一郎に別れを告げる場面の切なさは映画独自のものだ。
観察眼は冷徹で、タッチは温かい。女たちは前を向く。(日経夕刊2月26日付・古賀重樹)
ストーリー、キャラクター、演技、演出、盛り付けもみごとな頼もしい秀作。日本人には上流階級は描けないと言ったのは確か三島由紀夫だが、そこはほどほどにして、お嬢さま育ちの門脇麦の芯の強さを柔らかに描き出し、一方で地方出身・水原希子の、都会での立ち位置の曖昧さを絶妙に描く。(キネマ旬報3月上旬号・北川れい子)
「グッド・ストライプス」でもそうだったように、あくまで個人のドラマに立脚した岨手由貴子監督の誠実さが光る。自分事として役を生きた門脇麦、水原希子も素晴らしい。(同・佐野亨)
女優陣、それぞれ意地と思考力ありの役にしている健闘ぶり。とくに水原の輝きは、脚本的にもうひと伸びあれば文句なしだった。岨手監督、手堅く「細雪」以来の女性物の系譜に新しいページを加えた。(同・福間健二)
華子の親友役の石橋静河さんもよくて、3人でホテルで対峙するシーンは、緊張感と肩透かしとなごみが混在して必見。美紀の部屋に華子が訪れた時のセリフも沁みる。すべての女子に観てほしい。そして男性は何を思うのだろう。(週刊新潮3月4日号・坂上みき)
華子と美紀は、”女”として絶対的に対立せざるを得ない状況に置かれる。しかし彼女たちは、否、物語は決してふたりを対立させない。この展開に、男どもは目が覚めるだろう。女子同士のやっかみが雑にショーアップされがちな昨今の風潮に対する、当事者たちの強烈な異議申し立てがここにある。(週刊SPA! 2月23日号・稲田豊史)
 1970年代後半に「結婚しない女」や「ジュリア」など女性映画といわれるブームがあった(地方ではこの2本、2本立てで見られた。お得な時代だった)。「あのこは貴族」は女性映画という呼称がふさわしい内容だ。と思ったら、最近の分類ではシスターフッド映画と言うらしい。昨年公開の「スキャンダル」「ハスラーズ」「チャーリーズ・エンジェル」などがそれにあたるのだそうだ(2020年の女性たちに勇気を与えたシスターフッド映画11選 | ハーバー・ビジネス・オンライン)。

 いずれにしても女性をテーマにした映画であり、それならば女性誌ではどう取り上げているのだろうと思って、楽天マガジンで調べてみたが、「あのこは貴族」を取り上げたレビューは見当たらなかった。それ以前の問題として映画情報のコーナーが少なく、あっても短い紹介に終わっている場合が多い。需要がないから映画コーナーが少ないのか? しかし、映画の観客は女性の方が多い。女性は映画の情報をどこで仕入れているのでしょう? テレビやネットで情報得てるんですかね。なんて考えて、さらに探していたら、LEEに水原希子のインタビューがあった。
「(美紀と青木の)そんな二人の関係は本当に切なかったです。そういう目に見えない格差、女性の生きづらさや環境が強く提示されるわけではなく、当たり前のように描かれる。その中で強く生きていく女の子たちの姿を通して、すべてのメッセージがスーッと入ってくる仕上がりは、岨手さんの絶妙な演出の賜!」(LEE3月号)
 さて、貴族と言えば、吉村公三郎「安城家の舞踏会」(1947年)など戦後間もなくの日本映画にはブルジョワ家の没落を描いた映画があった。それは戦争と日本国憲法によってそうした階層構造が壊れたからだ。「安城家の舞踏会」は華族制度の廃止で金に困り、屋敷を売らなければならなくなった名家の人々の苦悩のドラマ。同時に経済的実験を握った層の台頭も描いている。amazonプライムビデオで見ることができるが、例によって画質は相当に悪い。それでもこの映画がどう傑作だったかは分かる。

 amazonさん、こういう古い映画を見られるのはありがたいんですけど、もう少し画質の良いのにしてくれませんか。


2021/02/27(土)「あのこは貴族」とヒエラルキー

 最近、女性監督の活躍が目覚ましい。「あのこは貴族」もその1本で、岨手由貴子監督が山内マリコの同名小説を映画化した。都内の開業医の家の箱入り娘で経済的に恵まれた榛原華子(門脇麦)と地方出身の時岡美紀(水原希子)。普段は交流のない世界で暮らしている2人は1人の男を巡って邂逅し、主に華子の方に変化が訪れる。

 貴族や階級は今の日本には存在しないが、階層構造(ヒエラルキー)は厳然とある。タイトルの貴族とは金融資産5億円以上に分類される超富裕層のことだろう。その超富裕層に属する華子は27歳。周囲から早く結婚するように圧力がかかり、婚活に励むが、なかなか好きになれる相手は見つからない。そんな時、義兄の紹介で、代々続く家柄出身の弁護士・青木幸一郎(高良健吾)とお見合いをする。ハンサムな青木に見とれてしまった華子は再び会うことを約束し、帰りのタクシーの中で「こんなことってあるのでしょうか?」とつぶやく。2人は順調に交際を深めて婚約する。ある日、華子は青木のスマホに見知らぬ女から「私の充電器持って帰らなかった?」というSMSが来たのを見てしまう。

 その女、時岡美紀は富山出身。猛勉強の末、慶応大学に入学して、慶応生は幼稚舎からエスカレーター式に進学してきた内部生と、受験で入ってきた外部生に分類されるのを知る。内部生たちは裕福な家庭出身で、お金の使い方も外部生とは違う。美紀は父親の失業で学費を自分で稼ぐことになり、キャバクラで働くが、払いきれずに大学を中退。水商売を経て就職する。青木と出会ったのは大学時代で、水商売時代に偶然再会してそのままずるずると関係を続けていた。

 華子の親友でバイオリニストの相楽逸子(石橋静河)はあるパーティーに青木が美紀と一緒に来ているのを見て華子に連絡。華子と美紀は会うことになる。いわば正妻と愛人の対峙だが、敵対するわけでないのがこの映画の新しいところだ。2人を引き合わせた逸子は言う。「日本って女を分断する価値観が普通にまかり通っているじゃないですか。私、そういうの嫌なんです。本当は女同士で叩き合ったり、自尊心をすり減らす必要ないじゃないですか」。

 穏やかにゆっくりと話し、いかにも超富裕層の雰囲気を漂わせる門脇麦と、強さとたくましさを備えた水原希子。その中間にいるのが超富裕層にいながら旧来の価値観に縛られず、結婚してもいつ離婚しても大丈夫なように音楽家としての自立を目指す石橋静河の役柄だ。実は育ちの良さと素直さを一番感じさせるのは石橋静河本人であったりする。

 「華子と美紀の関係はある種のシスターフッド」と岨手監督は語っている。住む環境の異なる女性たちがヒエラルキーを超えることはなくても、解放のために連帯することはできる。そんな意味だろう。女性作家の原作を女性監督が繊細に演出して女優たちが素晴らしく見事に演じている。その分、高良健吾をはじめとした男性陣の描き方がややステレオタイプになっているのは残念だが、小さな傷と言っていいだろう。