2021/08/12(木)「海辺の彼女たち」が示す移民の苦境
困ったフォン(ホアン・フォン)は身分証と保険証を偽造してもらい(5万5000円もかかる)、病院に行く。体調不良の原因は妊娠の影響で逆流性食道炎になったことだった。超音波で胎児を見たフォンは日本語で「小さい」とつぶやく。
彼女たちはベトナムのブローカーに大金を払って来日している。職場を変わる際にも大金を払った。技能実習という国の制度を利用しているにもかかわらず、こうした余計で不透明な金がかかる現状はおかしいだろう。実習生の期間は3年に限られており、低い賃金の中から支払った金を取り戻すのも大変な現状なのだ。だから実習生の脱走が相次ぐことになる。制度不良と言って良いと思う。
パンフレットによると、日本は世界4位の移民大国で、来日する実習生の6割はベトナムからだそうだ。彼らは風俗産業に就いているわけではないが、境遇は1980年代に問題になった「じゃぱゆきさん」とあまり変わらないだろう。いや、当時の日本は裕福な国だったが、現在は違う。東京の最低賃金はタイのバンコクより低いそうだし、平均年収は韓国より低い。
タイやフィリピンからの労働者が減っているのはそうした日本の経済力低下が関係しているだろう。超高齢社会の日本は将来的に移民労働者をあてにしているが、自国より低い賃金の国に誰が働きに来ますか。ベトナムの実習生も待遇を改善しないと、いずれ来てくれなくなるだろう。実習生の待遇改善には日本の労働者の待遇を改善しないと、どうしようもない。アベノミクス以降、円安誘導の経済政策を続けてきた結果、円の価値が下落し、日本の労働条件は諸外国に比べて大きく低下してしまった。80年代から90年代にかけてのバブル期を知る中高年層にはまだ日本が裕福と思っている人がいるが、そうした幻想はとっとと捨て去った方がいい。
この映画は音楽もなく、自主映画に近い体裁だが、現状を知らしめる意味で作った意義は大きい。撮影は青森県外ヶ浜町で行われ、町も撮影に協力してくれたそうだ。彼女たちを演じたのはホアン・フォンのほか、アン役にフィン・トゥエ・アン、ニュー役にクイン・ニュー。パンフレットには彼女たち3人が美しく着飾った写真が掲載してある。粗末な小屋での寝起きを演じた彼女たちは、日本の現状をどう思っただろう。
2021/08/10(火)7月に見た映画
7月に見た映画は28本。内訳は映画館12本、Netflix6本、WOWOW3本、Hulu3本、amazonプライムビデオ3本、ディズニープラス1本。
「猿楽町で会いましょう」
完成映画の方の予告編を見ると、渋谷区猿楽町を舞台にした若い男女の単純なラブストーリーのように思える。映画は3章構成で、フリーカメラマンの男(金子大地)が仕事で出会った読者モデルの田中ユカ(石川瑠華)に惹かれ、付き合い始めるというのが第1章。
第2章からは映画とユカの第一印象を裏切るような展開を見せる。未完成映画の予告編(これにも石川瑠華が出ている)にはそうした部分も描かれている。YouTubeで完成映画の予告編を見ると、自動再生で次に未完成映画の予告編が再生されてしまうが、これはキャンセルして何も知らずに本編を見ることを勧めたい。
石川瑠華、監督の児山隆ともこれが長編映画デビュー。どちらも頑張っていて、敢闘賞に値すると思った。
「ブラック・ウィドウ」
序盤を見て「007のようなスパイアクションだな」と思ったら、劇中で「007ムーンレイカー」を流す場面があり、ロジャー・ムーア時代の007を思わせる空中アクションがメインになっていた。世界的な悪の組織という敵の設定も含めて、製作者たちは明らかに007を意識して作っている。
当時の007はアクションは素晴らしかったものの、エモーションには欠けていた。「ブラック・ウィドウ」にもそんなところがある。いくらでもエモーショナルに作れる題材なのに、それほどドラマティックな演出にはなっていない。しかし大きなスクリーンで見た方が良い作品であり、ディズニーが劇場公開にこだわったのも理解できる。
「茜色に焼かれる」
主人公の田中良子(尾野真千子)は7年前に夫(オダギリジョー)を元高級官僚の老人が運転する車の事故で亡くし、加害者側が謝罪しなかったために賠償金の受け取りを拒否。中学生の息子純平(和田庵)を1人で育てるシングルマザーとなってスーパーの花屋コーナーと風俗店の掛け持ちで働いている。
こんなことしてたら、コロナ禍じゃなくても苦しいと思えるのは良子が、夫と愛人との間に生まれた子どもへの養育費の仕送りと、義父が入っている施設への支払いも行っていること。希望は純平が全国でもトップクラスの優秀な成績であることが分かったほか、いじめを受けているにもかかわらず、素直に育っていること。風俗店の同僚のケイちゃん(片山友希)が「純平くんって、いい男だねえ」としみじみ言うほどで、純平には人間関係の希望、次代への希望みたいなものを感じさせる。
一方で良子を解雇する花屋の店長とか、セックス目当ての同級生とか、ケイちゃんが同棲しているDV男とか、女性の不幸の原因の多くがコロナ禍よりもクズみたいな男にあることがよく分かる映画だ。
「東京リベンジャーズ」
クズみたいな人生を送っている主人公・花垣武道(北村匠海)がその発端となった10年前に戻り、人生を、そしてヤクザと半グレの抗争に巻き込まれて死んだ橘日向(今田美桜)を取り戻そうとする物語。主人公は過去に戻って殴られ蹴られてばかりだが、かつてそれに屈したことが今の情けない生活につながっているわけなので絶対に諦めない。それが映画の熱さにつながっている。
「いつも急に来るんだね、君は」と言い、タケミチを信じ抜くヒナタを演じる今田美桜の最強のかわいさも必見。タイムリープを絡めた物語としては明らかに「夏への扉 キミのいる未来へ」よりよく出来ている。
「映画大好きポンポさん」
「泣かせ映画で感動させるより、おバカ映画で感動させる方がかっこいいでしょ」とか「人間の集中力はそんなに持たない。90分が限界」とか、プロデューサーのポンポさんが言ってることは極めてまとも(でも目新しくはない)。映画全体も好感の持てる作りになっているが、それ以上のものはなく、中高生向けと思えた。
入場者プレゼントで映画の前日譚にあたる書き下ろしコミック(非売品、24ページ)がもらえた(僕がもらったのは前編)。
「シドニアの騎士 あいつむぐほし」
2期にわたって放送されたテレビシリーズの完結編となる新作。「未知の生命体ガウナに地球を破壊され、かろうじて生き残った人類は巨大宇宙船シドニアで旅を続けていたが、100年ぶりにガウナが出現、再び滅亡の危機に襲われる」というストーリー。クライマックスの出撃シーンでテレビシリーズ第1期のオープニングテーマ「シドニア」が流れた時には「おおおおおおーっ」とテンションが爆上がりだった。
これはテレビシリーズを見ていた人には共通するようで、YouTubeのこのMVのコメント欄には「鳥肌立った」「震えた」というコメントが並んでいる。
メインのストーリーに絡めて逆「美女と野獣」のようなラブコメ設定があり、そこもきちんと完結している。CGをふんだんに使い、制作のポリゴン・ピクチュアズが技術の高さを示した1作になった。テレビシリーズは全話Netflixにある。
「イン・ザ・ハイツ」
移民の生活には経済的貧困や差別が影を落としていて、それらの問題をヒップホップで歌い上げる、いかにも現代のミュージカルになっている。フレッド・アステア「恋愛準決勝戦」(1951年、スタンリー・ドーネン監督)の有名なシーンをアップデートしたシーンがあったり、ミュージカルとしては水準を超えている。
群舞も素晴らしいが、欲を言えば、圧倒的なソング&ダンスマン(ウーマン)のパフォーマンスが欲しかったところ。ヒスパニック系移民を描いたミュージカルは「ウエスト・サイド物語」(1961年)以来とのこと。
「ジャングル・クルーズ」
ディズニーランドのアトラクションをモチーフにした作品。「不老不死の力を秘めた奇跡の花を追って、並外れた行動力を持つ博士リリーと船長フランクは、アマゾンの上流奥深くの“クリスタルの涙”へ向かう」というストーリーでエミリー・ブラントとドウェイン・ジョンソンが主演している。「レイダース」や「ロマンシング・ストーン」を思わせる展開だが、そうした傑作に比べて新鮮さは皆無で、映画のタッチとしては同じくアトラクションを映画化した「パイレーツ・オブ・カリビアン」に近い。ブラントもジョンソンも好きな俳優だが、溌剌さには欠けており、もっと若い俳優の方が良かったのでは、と思えた。監督は「トレイン・ミッション」のジャウム・コレット=セラ。
2021/08/07(土)「1秒先の彼女」ほか(8月合評会コメント)
「ゴジラvsコング」
小栗旬は序盤はセリフがありましたが、後半は白目むいてただけの印象でした。かなりカットされたようで、本人としては不本意でしょうね。
モンスターバースの作品で一番面白いのは「キングコング 髑髏島の巨神」(2017年)だと思います。監督のジョーダン・ヴォート=ロバーツは現在、ガンダム実写版に関わってるそうです。
「1秒先の彼女」
アホかと思いました。おかしな点がたくさんありすぎて挙げるのが面倒なんですが、いくつか挙げます。1秒遅れが蓄積した結果、時が止まって彼が追いつくという展開なんですが、ずーっと1秒遅れなら全然蓄積してないですよね。1秒遅れが2秒、3秒、4秒と遅れていくのなら話は分かりますが、全然そうはならない。それなら修正する必要もないです。しかも時が止まったという表現ながら、全然止まってないです。なぜ昼だったのが夜になるのかと。つまり、時は止まってなくて、世界の動きが止まったんです。ただ、そうなると、時間の修正もできないです。もうね、妄想レベルの話で、あきれてきます。論理が破綻してますね、この脚本。
彼女だけが「バレンタインデーがなくなった」と騒ぎますが、世界全体が止まったのなら、世界全体からバレンタインデーがなくなったはず。つまり彼女だけが他の人より丸1日余計に止まってたんですね。これは映画で詳しく描いてないですけど、1秒先が蓄積していったので修正したということなら分かります。そこまで考えてないですけどね、この映画。
何よりもダメなのは女性が気を失っている間に、あんなことやこんなことを勝手にやるこの男の気持ち悪さです。ストーカー男の犯罪行為、変態行為にほかなりません。本人の同意も取らずにこんなことをして許されると思ってるんでしょうか。口へのキスじゃなくて、額へのキスだから許されると思ってるのでしょうね。
この映画を肯定することはそうした変態行為を肯定することと同じです。さらにあきれたことに、彼女は男がこうしたことをしたのを知っても、彼を好きになるんですね。この映画、完全に壊れてます。世界が止まってる間に彼女を命を救った、その結果、自分は大けがをした、というような展開にすれば良かったのにと思います。交通事故による大けがじゃ、ダメなんです。
【今月の1本】
「プラットフォーム」各映画祭で受賞しているスペインのSFスリラー。たぶん刑務所なんですけど、各部屋に2人が入れられていて、それが縦に長く並んだ建物が舞台。部屋の真ん中に大きな四角い穴があって、上からテーブルに乗った料理が降りてくる。上の人の食べ残しを下の人は食べるわけです。主人公は最初、47階層で目覚めるので、そこはまずまず料理が残ってるんですが、次に目覚めたのは171階層で、同房の男からベッドに縛られている。なぜかというと、この階層では料理にありつくことなんてできないので、同房の男は食べるために主人公を縛った、という展開。
4月にキネマ館で公開された時には、どういう映画かよく分からなかったのと、それほど評価は高くなかったのでスルーしました。Netflixで配信が始まったので見たら、話の設定がユニークで面白かったです。少し「CUBE」(1997年、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督)を思い起こさせるところがありますが、よくこんな設定を思いつくなと感心しました。人間性をあらわにした残酷なところもあるんですけど、階級社会の風刺になっているし、最後は宗教的だったりします。
2021/07/18(日)「美女と野獣」の先にあるテーマ「竜とそばかすの姫」
主人公は高知県の田舎町に住む女子高校生のすず(中村佳穂)。すずの母親はすずが幼い頃、増水した川の中州に取り残された少女を助けようとして亡くなった。その事故以来、父親と2人暮らしで、成長したすずは父親とまともに会話していない。好きだった歌も歌えなくなった。ある日、すずはパソコンに詳しい親友のヒロちゃん(幾田りら)に誘われ、50億人以上が集うネットの仮想世界<U>に参加する。<U>は現実の人間のキャラクターを元にした分身As(アズ)で別のキャラクターを生きることができる。すずのAsはベルという名の歌がうまい、そばかす美人だった。ベルは歌と美貌で人気を得てコンサートを開くが、そこに竜と呼ばれる謎の存在が現れ、コンサートを無茶苦茶にしてしまう。正義を名乗るAsの集団は執拗に竜を追い詰めていく。
近年の細田監督作品は家族をテーマにしている。この作品も終盤、「美女と野獣」を離れて家族の問題を描いていくことになる。すずの母親が少女を助けようとして死ぬ設定はなぜ必要だったのか。クライマックス、すずは自分の行動の過程であの時の母親の姿を思い出す。母親は危険を冒してでも少女を見殺しにすることなどできなかった。母親は自分を見捨てて少女を助けようとして、結果的に自分に寂しい思いをさせることになったと、すずは思ってきたのだが、自分が同じような立場になって初めて母親の決断を肯定することができたに違いない。それは母親を深く理解することであり、父親との和解にもつながっていく。そうしたすずの変化が胸を打つ。
3DCGを取り入れた<U>の造型は素晴らしく、アニメーションの表現は細部まで美しく丁寧だ。「美女と野獣」のアラン・メンケンほどではないにせよ、音楽も世界を豊かに彩っている。アニメの表現を突き詰め、テーマを十分に描いて間然とするところがない傑作だと思う。
2021/07/01(木)6月に見た映画
「映画 賭ケグルイ 絶体絶命ロシアンルーレット」
脚本の弱さが致命的。前作もそうだったが、30分のテレビドラマでは成立したものが、2時間の映画では持たない。前半の退屈さに比べれば、後半のロシアンルーレットの場面は悪くないが、いかさまのトリックが穴だらけ。もっと脚本を練ってほしい。浜辺美波、池田エライザ、森川葵などのファンの方はどうぞ。
「明日の食卓」
WOWOWオンデマンドで見た。石橋ユウという同じ名前(ユウの漢字は違う)で同じ小学3年の男子児童を育てる3人の母親の話。裕福な家庭(尾野真千子)、共働きの家庭(菅野美穂)、シングルマザーの家庭(高畑充希)と3つの家庭は異なる環境だが、それぞれに男児を巡る問題が起きてくる。子育てを巡る切実な問題が描かれ、瀬々敬久監督が力作に仕上げている。一つ疑問なのはこれ、原作由来の問題なのだが、児童が同じ名前である必要がないこと。3人の母親に接点がまるでなく、冒頭に描かれる事件との関連を示唆してるにも関わらず、なんだこれはというラストになる。つまり、3つの話を一つの作品にまとめたいがために同じ名前にし、余計な事件を加えたという構成なのだ。
しかも、そっちの事件の方が深刻なので、そっちを詳しく描かないとダメでしょう。ネタバレになりかかってるのでやめるが、子育ての母親の苦悩を描く部分はとても良いので、もったいない構成と思う。
「AWAKE アウェイク」
Netflixオリジナル。SFだったので見たが、激しく後悔した。世界的な大停電の後、人類は眠れなくなってしまい、昏睡状態の患者たちも目を覚ます(だから「アウェイク」というタイトル。目覚めというより不眠症だ)。主人公の娘はなぜか眠れる。その娘を政府機関が狙ってくるという展開で、アイデアの発展が少しもないC級SFだった。
IMDb4.8、メタスコア35点、ロッテントマト31%と酷評されている。
「Mr.ノーバディ」
アメリカではそんなに評価が高くない(IMDb7.4、メタスコア63点、ロッテントマト83%)ので、スルーしようかと思ったが、日本ではなかなか好評のようだ。ヘンリー・フォンダが出た映画で同じタイトルがあったよなと思い、調べたら「ミスター・ノーボディ」(1973年)だった。さらに「ミスター・ノーバディ」(2011)という映画もあった。
ひと言で言うと、「なめてた相手が実は殺人マシンだった」という映画だ。最近ではデンゼル・ワシントン主演の「イコライザー」がこのタイプだった。主人公のハッチ(ボブ・オデンカーク)は自宅と工場を往復するだけの毎日を送っているが、ある夜、自宅に2人組の強盗が押し入り、間一髪のところで撃退する。実はハッチ、過去に国の機関で凄腕の殺し屋として働いていた。強盗との格闘でかつての自分に火が付き、ハッチは強盗が手首にしていた刺青を手がかりに居所をつきとめ、盗まれたものを取り返す。
これで終われば良かったのに、帰りのバスにロシア系のギャングが数人乗り込んできて、ハッチは戦う羽目になる。全員を病院送りにするが、そのうちの1人はロシアンマフィアのボスの弟だった、という展開。序盤の刺されたり、殴られたり、自分も傷を負いながら戦う主人公にリアリティーがあり、これは傑作かと思ったが、クライマックスのアクションがリアリティーを欠き、大きく減点した印象。メタスコアの低い点数はこのあたりが影響したのだろう。
ただ、B級アクションを好きな人なら、見て損はない映画だと思う。主演のボブ・オデンカークは大傑作ドラマ「ブレイキング・バッド」の悪徳弁護士役でブレイクした俳優。アクションをやるタイプには見えないが、だからこそのキャスティングだろう。ちょい役でマイケル・アイアンサイドが出ている。すっかり太ってて、最初は誰だか分からなかった。強烈な印象があった「スキャナーズ」から既に40年だからなあ。
「キャラクター」
ただ、サイコパスの犯人像というのはヒッチコックの「サイコ」(1960年)のモデルになったエド・ゲインにずーっと、どんな作品でも影響されている。模倣してると言っても良い。「レッド・ドラゴン」や「羊たちの沈黙」などもそうで、サイコパスはこうしたキャラクターが一般的になっている。
まあ、今回もそのパターンを抜けられなかったのは少し残念ではある。犯人のアパートの部屋なんて、一目で異常者と分かってしまう。現実にはあんな風にはならないだろう。アメリカの田舎の方の人口の少ない地域ではエド・ゲインのように死体の皮を剥いだりすることもできたのだろうが、日本のアパートでは近所の人に怪しまれてしまうだろう。
「クワイエット・プレイス 破られた沈黙」
3年ぶりの続編で、音に反応して人間を襲うモンスターが大量に出現し、荒廃した世界を舞台にしたSFホラー。冒頭に1日目の描写があるが、話は前作の終了直後から進む。今回もサスペンスたっぷりに進行し、前作を上回る評価を得ている。ジョン・クラシンスキー監督と主演のエミリー・ブラントは夫婦で良い仕事をしているなと思う。ただ、モンスターの弱点は前作で分かったため、展開の目新しさはなかった。
「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」
腹立たしいことに入場料が1900円均一だった。招待券も使えず。これでつまらなかったら怒るところだが、予想より面白かった。中盤にある市街地上空でのモビルスーツの戦いで下の建物や人たちが被害に遭うという「ガメラ3」みたいなシーンに迫力があったし、徐々に分かってくる人間関係も楽しめた。加えてヒロインのギギ・アンダルシア(10代なのに80歳超の富豪の愛人)にセクシーな魅力があり、中高生男子はイチコロだろう。
「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」(1988年)の12年後の話といわれても、33年も前の「逆襲のシャア」の細部は忘れているが、原作はその翌年1989年から1990年にかけて発表されたそうだ。3部作と言われていて、話はまだまだ導入部。続きを見たい気持ちになった。
「アメリカン・ユートピア」
ただし、スパイク・リーがやったことは舞台を真上から撮影したり、犠牲になった黒人の名前を連呼する歌に合わせて犠牲者の写真を出すなど元のショーを効果的に見せるための補足的な演出にとどまる。
映画にすることでブロードウェイに行けない世界中の観客がこの優れたショーを見ることができるというメリットはあるが、これを映画と言うなら、「キンキーブーツ」はもちろん、堂本光一主演の「Endless Shock」も同列に扱う必要があるだろう。そのあたり、釈然としない気持ちも残った。
「ブータン 山の教室」
アカデミー国際長編映画賞のブータン代表作品。標高4800メートルにあるブータン北部の村ルナナを舞台に、都会から赴任した男性教師と子どもたちや村人との交流を描く。ルナナは人口56人。電気は太陽光発電で不安定、水道もガスもない不便なところで、8日かけてたどり着いた若い教師はすぐに帰りたくなるが、次第に素朴な村人たちに惹かれていくという話。といっても、教師はオーストラリアに行きたいという夢を持っていて、数カ月で村を後にすることになる。
「ブータンは世界一幸福な国と言われるのに、若者は幸せを求めて外国へ行く」という村長の指摘には考えさせられる。
「夏への扉 キミのいる未来へ」
夏菜は意外なことに悪女役が実にぴったりな感じ。この路線で菜々緒に負けない存在になれるのでは、と思えた。
「Arc アーク」
不老不死を巡る話だが、前半に描かれるのは死体の防腐処置(プラスティネーション)。これが無用に長いのが敗因で、単純に脚色(石川慶、澤井香織)の失敗だと思う。
後半の展開を考えれば、前半にはプラスティネーションではなく、主人公(芳根京子)が十代で子どもを産み、捨てた経緯をもう少し詳しく描いた方が良かっただろう。後半はエモーショナルな映画らしくなるだけに前半の無機質な描き方が悔やまれる。
役柄の予想はつくが、小林薫が情感を込めたさすがの演技を見せて良かった。