2026/01/11(日)「Black Box Diaries」ほか(1月第2週のレビュー)
「Black Box Diaries」

ジャーナリストの伊藤詩織さんが監督を務め、自らの性被害を告発、追及する過程を描いたドキュメンタリー。理不尽な誹謗中傷と脅しにさらされる苦しい日々が続いた後、クライマックスにまるでドラマのような場面が訪れます。それは事件があったホテルのドアマンの証言。事件から4年たった頃、ドアマンの男性は事件の夜に自分が見たことを伊藤さんにメールで連絡してきます。これまでに明らかになっていなかった新たな重要証言であり、伊藤さんは民事訴訟の裁判でこの証言を出したいと、男性に電話で許可を請います。そして男性の「裁判で私の名前を出してもらってかまいません」という返事を聞いて泣き崩れます。
意識がもうろうとした状態でTBSの元記者に無理矢理ホテルに連れ込まれ、レイプされた事件。それから裁判までの大まかな流れは知っていましたが、映画で描かれる伊藤さんへの謂れ無い誹謗中傷の多さに胸が痛むと同時に怒りがふつふつと沸騰してきます。伊藤さんは強い女性だから事件を追及し、民事裁判を闘えたわけではなく、性被害のPTSDから逃れるために打ち込んできたのではないかと思えます。
ドアマンの男性の証言を裁判に使うことで彼は職場を追われるかもしれない、と伊藤さんの弁護士は忠告しますが、「名前を出してかまわない」と言った男性はそれを承知の上でした。伊藤さんの苦闘をさんざん見せられた後だったので、男性の言葉に救われる思いがしました。事件を握りつぶそうとする警察上層部の腐った幹部やネットのデマに踊らされて被害者を誹謗中傷する浅薄な人たちもいますが、もちろん、そんな人間ばかりではないわけです。幸い、男性が職を失うことはなかったそうです。
両親への遺書のようなビデオレターの自撮り撮影直後に病院の描写があり、伊藤さんが自殺未遂していたことを示唆する場面があります。性被害は深刻な心の傷を残し、それが完全に癒えることはないのでしょう。被害を受けて11年。#MeToo運動(2017年、ニューヨーク・タイムズがハーヴェイ・ワインスタインの性加害を告発した記事がきっかけ)の前に起きた事件であり、伊藤さんの行動はその先駆けになったものと言えます。心の傷が少しでも和らぐことを願うばかりです。
IMDb7.5、メタスコア82点、ロッテントマト99%。アカデミー長編ドキュメンタリー賞候補。
▼観客5人(公開初日の午前)1時間42分。
「五十年目の俺たちの旅」

今回は50周年だからということで作ったのでしょうが、残念ながらドラマの中身に見るべきものはほとんどありません。初めて監督を務めた中村雅俊が歌う主題歌と昔の映像には懐かしさを感じましたが、それだけ。かつての登場人物たちの現在のドラマに語るべきことがない(思いつかない)のなら、作る必要はなかったと思います。
原作・脚本は50年前のドラマも担当した鎌田敏夫。70代になった津村浩介(カースケ=中村雅俊)と大学時代の同級生・神崎隆夫(オメダ=田中健)、カースケの小学校の先輩・熊沢伸六(グズ六=秋野太作)の現在の状況が描かれます。僕は知りませんでしたが、山下洋子(金沢碧)は「三十年目の運命」の中で死んでいたことが分かったという設定だったそうです。
洋子はカースケに思いを寄せる重要な役柄でしたから、しばしば挿入される過去の映像にも頻繁に登場します。しかし、映画のエンドクレジットに金沢碧の名前はありませんでした。僕の見落としかと思い、パンフレットを確認しましたが、やはりありません。金沢碧は女優を引退しているらしいですが、映像を使っているのにクレジットに入れなくて良いのでしょうかね。
映画を見る前にドラマの第1話をHuluで見たんですが、映像が意外にきれいなことに少し驚きました。地デジが始まる前にビデオ撮影されたテレビドラマは例外なく画質が悪いです。このドラマがきれいなのはフィルム撮影だったからでしょう。といっても16ミリフィルムのはずですから、スクリーンでは画質の粗さは出てしまいます。映画は現在と過去の映像をスムーズにつなげるため、画面比率4:3のスタンダードサイズで撮られています。今のテレビだと、この画面比率でドラマを作るのは民放では難しいでしょうから、映画にしたのはそれが理由の一つかもしれません。
映画を見た後に「十年目の再会」をTVerで見ました。オメダは妻子を残して家を出てシングルマザー(永島暎子)と暮らし、洋子の夫は不倫しており、オメダの妹真弓(岡田奈々)は離婚という状況。鎌田敏夫はこの前に「金曜日の妻たちへ」の脚本を書いており、それに引きずられたような内容と言えますが、ドラマ全体の出来は悪くないと思いました。「五十年目」もこれぐらいの水準は保って欲しかったところです。
▼観客20人ぐらい(公開初日の午後)1時間49分。
「手に魂を込め、歩いてみれば」

そのファトマと1年近くビデオ通話を続けたイラン人の監督セピデ・ファルシがまとめたドキュメンタリー。イスラエルによる爆撃が続くガザでファトマは死の恐怖と飢えに苦しみながら、ビデオ通話では笑顔を絶やしません。ガザの犠牲者は昨年12月の段階で7万人を超えたそうです。数字だけでは実感しにくい人の命の重さを、この映画は25歳で亡くなった1人の女性の考え方と生き方、人柄を描くことで痛切に伝えています。
観客の多くは映画を見ているうちにファトマに親近感を持つでしょう。元々、途切れがちだったビデオ通話が完全につながらなくなると、ファルシ監督と同じくファトマの身を案じて不安になるはず。イスラエルがやっていることは狂気の沙汰であり、これまでのナチスのホロコーストを糾弾した数々の映画の価値を著しく貶めることにつながっています。イスラエルはナチスと同等の醜悪な存在になるつもりなんでしょうか。
IMDb7.7、メタスコア83点、ロッテントマト98%。
▼観客3人(公開11日目の午前)1時間53分。
「殺し屋のプロット」

きちんと伏線を張っているのが良く(途中でこれは何をやってるんだろうと思うシーンがありましたが、忘れちゃいますね)、ミステリーファンにもアピールする内容だと思います。アメリカでの評判はあまり良くないんですが、日本ではそこそこ良い評価になってます。脚本は「ナショナル・トレジャー2 リンカーン暗殺者の日記」(2007年、ジョン・タートルトーブ監督)などのグレゴリー・ポイリアー。共演はアル・パチーノ、マーシャ・ゲイ・ハーデンら。
IMDb7.0、メタスコア54点、ロッテントマト66%。
▼観客3人(公開5日目の午後)1時間55分。
「プラハの春 不屈のラジオ報道」

「プラハの春 不屈のラジオ報道」でもソ連率いるワルシャワ条約機構軍の戦車は登場しますが、「存在の…」ほど強い印象を残さないのはプラハの春以前の不自由な時代が描かれているからでしょう。「存在の…」はダニエル・デイ・ルイス演じる主人公の脳外科医がプレイボーイであるという軽さが対比の上で効果を上げていました。
チェコスロバキア国営ラジオ局の国際報道部を舞台にしたこの映画は1967年10月の学生デモから始まります。プラハの春は1968年1月始まったとされていますが、映画では同年3月にノヴォトニー大統領が裏金発覚で辞任したことから本格化したように描かれています。そして自由化阻止を狙った8月のソ連による軍事侵攻で“春”は終わります。
脚本・監督のイジー・マードルは当時の記録映像も取り入れて事態の経過を描いています。真正直な映画化ではあるんですが、監督が参照したという「アルゴ」(2012年、ベン・アフレック監督)や「グッドナイト&グッドラック」(2005年、ジョージ・クルーニー監督)には及ばないと思えました。
IMDb7.8(アメリカでは限定公開)
▼観客10人ぐらい(公開7日目の午後)2時間11分。