2025/10/12(日)「ホウセンカ」ほか(10月第2週のレビュー)

 公開中の「ハウス・オブ・ダイナマイト」(キャスリン・ビグロー監督)と24日公開の「フランケンシュタイン」(ギレルモ・デル・トロ監督)はいずれもNetflixの映画でそれぞれ24日、11月7日から配信されます。とはいっても、ともに高名な監督の作品なので映画館で見ておきたいところ。「ハウス・オブ・ダイナマイト」はIMDb7.4、メタスコア80点、ロッテントマト85%。「フランケンシュタイン」はIMDb7.3、メタスコア74点、ロッテントマト80%となっています。

「ホウセンカ」

「ホウセンカ」パンフレット
「ホウセンカ」パンフレット
 「パパじゃないんだ…」。主人公の阿久津実(声:戸塚純貴)が同居している永田那奈(声:満島ひかり)の子ども・健介にとって、自分は「パパじゃないだろ」という言葉に、那奈がふっとつぶやきます。長く一緒に暮らしているから阿久津が健介の父親のような存在になったと思っていたけれど、そうではなかったんだと分かった瞬間。阿久津はヤクザの兄貴分の堤(声:安元洋貴)に連れられて行った定食屋で那奈と知り合い、身重だったのにもかかわらず、同居するようになり、自分の子どもではない健介もかわいがりました。それなのに、と思ったであろう那菜の口調が悲しいです。

 傑作テレビアニメ「オッドタクシー」の木下麦監督・此元和津也脚本のコンビによる大人向けのオリジナルアニメ。ヤクザを主人公にしたアニメは初めてらしいですが、題材とアイデアにそれほど新しいものはありません。それでもきっちりと仕上げた佳作になっています。

 阿久津はある理由で堤の殺人の罪を被って刑務所に入り、身元引受人がいないことから30年間、出所できないでいます。死期が迫った阿久津(声:小林薫)には鉢植えのホウセンカ(声:ピエール瀧)の声が聞こえるようになり、「ろくでもない人生だったな」というホウセンカの言葉で那菜と暮らした頃を回想するわけです。

 阿久津がたびたび口にする“最後の大逆転”がそれほどの逆転には思えないのが少し残念なところ。無実なのに30年間も刑務所に入り、死の床にある阿久津に十分報いるものにはなっていないと思います。心臓移植手術を受けられずに死んだと思っていた健介が実は生きていた、みたいな展開にしても良かったんじゃないでしょうか。

 主人公が幸せを感じたのは庭にホウセンカが咲くアパートで親子3人の慎ましい生活を送っていた時であり、バブルに浮かれてお金を儲けただけ夜の街で使い切っていたころではないというのが泣かせます。幸せの絶頂であることをその時は分からず、過ぎ去ってから初めて知るのが世の常なのでしょう。

 同じ趣旨の一節が「めぐりあう時間たち」(2002年、スティーブン・ダルドリー監督)の原作(マイケル・カニンガム)にあったのを思い出しました。

 「まだまだ幸せの序の口だと思っていた。でも、あれから30年以上の時が流れ、クラリッサはときに愕然とすることがある。あれが幸せだったのだ。……今ならわかる。あれこそまさに至福の時だった。あのとき以外に幸せはなかった」
入場者プレゼント
入場者プレゼント
 パンフレットは通常版とデジタルメイキング特典付きの2種類。価格を聞かずに特典付きを買ったら2400円でした(今年買ったパンフの中では「JUNK WORLD」の2500円に次ぐ高さ)。特典の中身は数秒のメイキングが12個見られるサイトですが、解説が欲しいところです。

 入場者プレゼントには映画に関連するショートストーリー「空白」が掲載されてました。僕のは「空白その③」でした。いくつまであるんでしょう?
▼観客2人(公開初日の午前)1時間30分。

「ひゃくえむ。」

「ひゃくえむ。」パンフレット
「ひゃくえむ。」パンフレット
 「音楽」(2019年)の岩井澤健治監督が「チ。 地球の運動について」の魚豊(うおと)のデビュー作をアニメ化。「たいていのことは100メートルを誰よりも速く走れば全部解決する」と言うトガシ(声:松坂桃李)を中心に100メートル走に懸ける選手たちを熱く描いています。主人公のトガシの小学時代から高校時代まではとても面白く見たんですが、社会人になってからの終盤はやや失速していると思えました。これはトガシの記録が上がらなくなる高校時代と同じような展開になることも影響しているでしょう。またか、と思ってしまうわけです。

 映画を見た後に原作を読みました。原作の方が明確に面白いです。アニメ化にあたって、全5巻40話の原作のエピソードを省略したり、改変したりの脚色が行われていますが、その過程でこぼれ落ちたものの中に重要なものが含まれていて、それが原作の沸騰する熱量をやや下げることにつながったようです。

 「音楽」と同じようにロトスコープを使ったアニメの技術は水準を軽く超えていると思います(岩井澤監督は今のところ、ロトスコープを使わずにアニメを作るつもりはないそうです)。脚色だけの問題なんですが、主に上映時間の短さが要因なので前後編に分けるか、テレビアニメ化の方が向いていたのでしょう。
入場者プレゼントのシール
入場者プレゼントのシール
 僕はあいまいなまま終わる物語があまり好きではありません。この映画のラストもそうなっています。これは原作も同じ。この点について魚豊(このペンネームは鱧が好きだからとのこと)は原作新装版下巻のインタビューでこう語っています。
「ラストはトガシと小宮のどっちが勝ったのか分からない描写になっていますが、そこに到達するための作品でもあります。勝ち負けにこだわった2人が勝ち負けを忘れ、走るのが好きだという感情に到達する。100mという勝負の世界から解放されるというクライマックスを書きたかったんです」

 ちなみにこのインタビューには魚豊自身の漫画家になるまでの苦闘が語られていて、まるで「ひゃくえむ。」の登場人物たちのようだと思えました。
▼観客10人ぐらい(公開4日目の午後)1時間46分。

「ブラックドッグ」

「ブラックドッグ」パンフレット
「ブラックドッグ」パンフレット
 ゴビ砂漠の端にある寂れた街を舞台にした物語。舞台設定は抜群に良く、ほとんどしゃべらない主人公も痩せた黒い犬も雰囲気があります。これで「マッドマックス」のようなアクションを志向してくれれば、言うことはなかったんですが、そういう面は控えめでした。惜しい。

 2008年の北京オリンピック間近の中国。人を殺めて服役した青年ラン(エディ・ポン)は刑期を終え、寂れた故郷に帰ってくる。人口流出が続き、廃墟が目立つ街には捨てられた犬たちが野犬化し、群れとなっていた。ランを気に掛ける警官から誘われ、地元のパトロール隊で働き始めたランは一匹で行動する黒い犬と出合う。頭が良く、決して人に捕まらないその犬とランの間にいつしか奇妙な絆が育まれてゆく。

 監督のグァン・フーは若い頃、ピンク・フロイドが好きだったそうで、エンディングに流れるのもピンク・フロイドの「ヘイ・ユー」。舞台はそのまま西部劇に使えそうですし、中国映画に収まらない普遍的なものを備えています。世界で活躍できる監督じゃないかと思いました。

 雑技団のダンサーを演じるトン・リーヤーは雰囲気のある良い女優ですね。新疆ウイグル自治区出身で少数民族シベ族だそうです。Wikipediaによると、夫は中国共産党の幹部とのこと。なるほど。「長江哀歌」(2006年)などの監督ジャ・ジャンクーが野犬捕獲グループのボス役で出ています。
IMDb7.2、メタスコア78点、ロッテントマト98%。カンヌ映画祭ある視点部門グランプリ&パルムドッグ賞審査員特別賞受賞。
▼観客10人ぐらい(公開2日目の午後)1時間50分。

「レッド・ツェッペリン:ビカミング」

入場者プレゼントのうちわ
入場者プレゼントのうちわ
 イギリスのロックバンド、レッド・ツェッペリンが2枚目のアルバムを出すまでを描いた音楽ドキュメンタリー。終わった後、拍手している人がいました(“レッドゼップ”のファンなのでしょう)。僕はファンでも何でもなく、興味も関心もないので見終わってふーんと思っただけでした。馬の耳に念仏状態。それでも特別入場料2300円。
IMDb7.5、メタスコア64点、ロッテントマト85%。
▼観客10人ぐらい(公開7日目の午前)2時間2分。

「秒速5センチメートル」

 新海誠監督の同名アニメ(2007年)の実写リメイク。オリジナル部分が多い現代パートを除けば、大筋、同じ話ですが、語り方の構成は異なります。残念ながら、アマチュア監督かと思えるほど間延びした拙い演出のオンパレードで、感傷過多の描写と今どき珍しくアホらしいピアノポロロンの音(それも呆れるぐらい何度も)が加わって、個人的には見続けるのが苦痛でした。

 奥山由之監督の前作「アット・ザ・ベンチ」(2024年)は悪くありませんでしたが、あれは短編集だったからボロが出なかったのだろうと、意地悪な見方をしたくなります。監督自身が感傷に溺れるような演出は好ましくありません。

 新海誠のアニメ版の第2話までを僕はその年のベストと思い、「One more time, One more chance」のMVみたいな作りで終わった第3話を見てワーストだと思い直しました。実写版はその第3話をどう描くかに興味があったんですが、あーあ。すれ違いのドラマに終始していて、こんなことなら実写化なんてやらない方が良かったです。

 子役2人(上田悠人、白山乃愛)と主人公(松村北斗)の現在の恋人役を演じる木竜麻生は良かったです。ヒロインを演じる高畑充希はキャスティングを聞いた時にアニメ版のイメージと違うと思いました。本編でも演技のし甲斐のない役柄でした。

 ここまで書いたところで、アニメ版がWOWOWオンデマンドのランキングに入っていたので、久しぶりに見しました。結果、小中学生時代を描く第1話「桜花抄」に尽きる作品だなと思いました。種子島を舞台にした第2話「コスモナウト」はこれには及ばず、第3話「秒速5センチメートル」は記憶よりもMV部分が短かったですが、この終わり方ではダメだと改めて思いました。
▼観客多数(公開初日の午後)2時間1分。

「ブラックバッグ」

「ブラックバッグ」パンフレット
「ブラックバッグ」パンフレット
 スティーブン・ソダーバーグ監督によるサスペンス。英国の諜報員が組織にいる裏切り者を見つける任務を受け、自分の妻を含む5人を調べるという展開で、タイトルは“極秘任務”の意味です。

 プロの高評価に対して一般の評価が高くないのは演出にメリハリが欠ける部分があるからでしょう。ストーリーがのみ込みにくい結果になっています。主演はマイケル・ファスビンダー、その妻にケイト・ブランシェット。脚本は前作「プレゼンス 存在」(2024年)に続いてソダーバーグと3度目のタッグとなるデヴィッド・コープ。
IMDb6.7、メタスコア85点、ロッテントマト96%。
▼観客2人(公開12日目の午後)1時間34分。

2025/10/05(日)「ワン・バトル・アフター・アナザー」ほか(10月第1週のレビュー)

 東京国際映画祭(10月27日~11月5日)の上映作品が発表されました。日本からコンペティション部門に選出されたのは坂下雄一郎監督「金髪」と中川龍太郎監督「恒星の向こう側」の2本。このうち「金髪」は11月21日から公開予定です。

 「恒星の向こう側」は公式サイトがまだありませんし、公開日程は決まっていないようです。福地桃子主演なので、これは映画祭で見たいと思ってます(チケットが買えるかどうか)。同じく福地桃子主演で11月28日公開の「そこに君はいて」(竹馬靖具監督)は中川監督が原案を担当、出演もしています。

「ワン・バトル・アフター・アナザー」

「ワン・バトル・アフター・アナザー」パンフレット
パンフレットの表紙
 ポール・トーマス・アンダーソン監督が初めて撮ったアクション映画で、タイトルは「戦いまた戦い」の意味。前半は革命を目指す左翼組織「フレンチ75」が警察に追われて、主人公ボブが赤ん坊の娘ウィラを連れて逃走するまで。後半はその16年後で、右翼組織に入った警察官が過去の汚点を消すため、ボブたちに迫ってきます。

 主人公のボブを演じるのはレオナルド・ディカプリオ、警察官ロックジョーにショーン・ペン、成長した娘ウィラにチェイス・インフィニティ。ボブは逃亡生活に慣れきって、すっかり自堕落な生活を送るようになっていて、ダメ男・ダメ父とウィラからバカにされてます。そんな父と娘ですが、母親のペルフィディア(テヤナ・テイラー)不在のためもあってお互いに強い愛情に結ばれていて、ロックジョーに拉致されたウィラをボブは必死に探し求めます。組織の合い言葉も忘れるダメな父親と、バカにしながらも父親の教えには従っているしっかりした娘の関係が微笑ましいです。

 父と娘、そして不在の母との家族の絆が後半のメインになっています。極めてハッピーな終盤の展開がとても良く、歓喜のラストには拍手を送りたい気分になりました。近年のアンダーソン監督の映画では最も大衆的なそして好感の持てる作品だと思います。

 チェイス・インフィニティはテレビドラマには出ていますが、映画はこれがデビュー作。映画の魅力の一つが彼女であることは間違いありません。拉致されても決して諦めず、隙あらば逃げようとする逞しさがおかしくて良いです。これから売れる女優だと思います。ショーン・ペンも執拗でサイコ的な警官をさすがの演技で見せています。

 パンフレットのインタビューによると、アンダーソン監督は20年前からカーアクションの映画を撮りたかったそうです。なるほど、前半の街中を猛スピードで走る車も後半、荒野の一本道でのカーチェイスも迫力満点なのはその狙いがあったためでしょう。カーアクション、特に後半の描写に関しては「バニシング・ポイント」(1971年、リチャード・C・サラフィアン監督)などのアメリカン・ニューシネマを思わせました。
IMDb8.4、メタスコア95点、ロッテントマト96%。
▼観客30人ぐらい(公開初日の午前)2時間42分。

「LOVE」

「オスロ、3つの愛の風景」パンフレット
「オスロ、3つの愛の風景」パンフレット
 ノルウェー出身のダーグ・ヨハン・ハウゲルード監督による3部作「オスロ、3つの愛の風景」の1本。本命はベルリン映画祭金熊賞の「DREAMS」ですが、これもなかなかの出来でした。愛に関する会話劇と思いましたが、内容はほとんどディスカッションの様相。そんな中、終盤に情感あふれるシーンがあり、魅了されます。

 泌尿器科に勤める医師マリアンヌ(アンドレア・ブレイン・ホヴィグ)と看護師トール(タヨ・チッタデッラ・ヤコブセン)が主人公。ある晩、マリアンヌは友人から紹介された地質学者のオーレ(トーマス・グルスタッド)と会うが、子どもがいる彼との恋愛に前向きになれなかった。その後、たまたま乗ったフェリーでトールに遭遇。出会い系アプリで始まるカジュアルな恋愛を語るトールに勧められ、興味を持ったマリアンヌは自らの恋愛の可能性を探る。一方、トールはフェリーで知り合った精神科医のビョルン(ラース・ヤコブ・ホルム)を勤務先の病院で見かける。ビョルンは前立腺の病気を患っていた。

 オーレと会った後に出会い系アプリである男と出会い、その夜のうちにセックスをしたマリアンヌはその男に「出会い系アプリは無料の売春宿」という言葉を聞かされます。男の友人の言葉なのですが、男には妻がいることも分かり、「ホントの僕はいいやつなんだ」と話す男にうんざり。この男との会話がほぼディスカッションで面白かったです。

 ゲイのトールはビョルンを気遣い、手術後のビョルンの世話をします。トールの優しさに触れて、ビョルンは愛のない孤独で臆病な身の上とその理由を話し始めます。この描写がとても良いです。映画は異性愛と同性愛の両方について過不足のない描き方をしています。

 ハウゲルード監督は1964年12月生まれ。2012年の長編デビュー作「I Belong」で国内の賞を総なめにしたそうです。2024年から「SEX」「LOVE」「DREAMS」の順番でこの3部作を撮りました。作家でもあり、小説4本を発表しています。
IMDb7.3、メタスコア83点、ロッテントマト96%。
▼観客5人(公開2日目の午後)2時間。

「海辺へ行く道」

「海辺へ行く道」パンフレット
「海辺へ行く道」パンフレット
 三好銀の原作コミック(全3巻)を横浜聡子監督が映画化。横浜監督は原作の帯を書くほど好きな作品だそうですが、端正でクールな原作の雰囲気とは異なり、ユニークな登場人物によるほんわかしたユーモアをまぶして映画化しています。監督は原作をこういう風に読んだのでしょう。ストーリーは原作通りなんですが、タッチの違いで印象はかなり変わりますね。

 芸術家が多い海辺の町を舞台にした物語。連作短編の原作からエピソードをピックアップして描いています。出演は原田琥之佑、麻生久美子、唐田えりか、高良健吾ら。

 エンドクレジットに松山ケンイチと駒井蓮の名前がありました。横浜監督の「ウルトラミラクルラブストーリー」(2009年)に主演した松山ケンイチが声だけの出演なのは気づきましたが、同じく監督の「いとみち」(2021年)の主演・駒井蓮はどこに出てきたか分かりませんでした。調べたら、予告編の最後のタイトルコールをしてるんだそうです。うーん、それ、本編のクレジットに入れるかなあ。予告編や公式サイトの作成者もクレジットに入れるからおかしくはないですかね。
▼観客4人(公開初日の午後)2時間20分。

「沈黙の艦隊 北極海大海戦」

「沈黙の艦隊 北極海大海戦」パンフレット
「沈黙の艦隊 北極海大海戦」パンフレット
 評判良いようですが、物語の設定も潜水艦の戦い方もリアリティーを欠いているように思えました。原作が連載されたのは1988年から96年まで。かなり話題になったコミックであり、僕も当時読んでいましたが、途中からついて行けなくなるような展開で読了はしませんでした。

 映画は2023年のドラマ再編集の劇場版に続く2作目ですが、時代に合わせたアップデートをする必要があったんじゃないでしょうか。アクティブソナーを打っただけで、敵がひるむ描写にもリアリティーが感じられませんでした。アメリカから見れば、自分の考えを押し通す海江田艦長(大沢たかお)の言動はテロリスト以外の何ものでもないです。
▼観客10人ぐらい(公開7日目の午後)2時間12分。

「ザ・ザ・コルダのフェニキア計画」

「ザ・ザ・コルダのフェニキア計画」パンフレット
パンフレットの表紙
 人工的なセットで繰り広げる人工的なコメディー。ウェス・アンダーソン監督らしくセットは面白いんですが、内容があまり笑えないのが辛いところ。キャラクターも書き割りみたいなもので、感情が乗っていかないのが面白くならない理由でしょう。

 主人公のザ・ザ・コルダ(劇中ではジャー・ジャー・コルダと言ってます)をベニチオ・デル・トロがバスター・キートンのように無表情で演じ、マイケル・セラ、リズ・アーメド、スカーレット・ヨハンソン、ジェフリー・ライト、トム・ハンクス、ベネディクト・カンバーバッチらがそろってキャストは豪華です。IMDb6.7、メタスコア70点、ロッテントマト77%。
▼観客10人ぐらい(公開6日目の午後)1時間42分。

「俺ではない炎上」

「俺ではない炎上」パンフレット
「俺ではない炎上」パンフレット
 浅倉秋成の原作を「AWAKE」(2019年)の山田篤宏監督が映画化。SNSで“殺人事件の犯人”として個人情報を晒されてしまった主人公の困惑と逃走、犯人探しを描いています。

 予告編では身に覚えのない炎上に巻き込まれた主人公を描くコメディーと思えましたが、骨格はしっかりしたミステリー。主演が阿部寛なので確かにコメディータッチの部分は多いんですが、ミステリーとしての基本は外していませんでした。観客に向けたトリックが良いです。

 このトリック自体は特に珍しいものではありません。それをうまく使っていることに好感を持ちました。謎の大学生に芦田愛菜、阿部寛の取引先の社員に長尾謙杜、部下に板倉俊之、浜野謙太ら。脚本は「ディア・ファミリー」「少年と犬」の林民夫。

 これを見て改めて最近のネットでの個人情報暴露と追跡は筒井康隆の傑作「おれに関する噂」(1974年初版)の世界を思わせるなと痛感しました。あの小説は先駆的・預言的だったわけですね。
▼観客8人(公開初日の午前)2時間5分。

「火喰鳥を、喰う」

「火喰鳥を、喰う」パンフレット
「火喰鳥を、喰う」パンフレット
 横溝正史ミステリ&ホラー大賞を受賞した原浩の原作の映画化。終盤の展開を見ると、ミステリーではなく、ホラーファンタジーあるいはSFホラーのように思えました。その終盤の展開に無理があるのは、現実改変の力があの人物にあると思わせる説得力がないからです。ここはもう一つ、超常現象を操れる存在や設定を作った方が良かったのではないかと思いました。

 ホラーなので主人公にとってのバッドエンドでも良かったんですが、映画は「時をかける少女」(1983年、大林宣彦監督)のようなエピローグを用意しています。この部分は原作にはないそうです。主演の水上恒司、山下美月、宮舘涼太はそれぞれ悪くない演技でした。監督は「シャイロックの子供たち」(2023年)などの本木克英、脚本は「俺ではない炎上」の林民夫。
▼観客30人ぐらい(公開初日の午後)1時間48分。

2025/09/21(日)「劇場版チェンソーマン レゼ篇」ほか(9月第3週のレビュー)

 第38回東京国際映画祭(10月27日~11月5日)の予告編が公開されました。まだ全作品が発表されたわけではありませんが、ガラ・セレクション部門とアニメーション部門は決まったそうです。

 アニメ部門は一昨年の「ロボット・ドリームズ」、昨年の「野生の島のロズ」「Flow」など毎年傑作が多いんですが、今年はどうなのでしょう。12本中4本は再公開作品となってます。チケット発売は10月18日。また争奪戦になるのでしょう。去年の経験ではパソコンよりスマホの方が販売サイトにつながりやすかったです。

「劇場版チェンソーマン レゼ篇」

「チェンソーマン レゼ編」パンフレット
パンフレットの表紙
 テレビアニメ(2022年)の後を受けて、藤本タツキ原作コミックの39話から52話までをアニメ化。ストーリーは原作に忠実ですが、ほとんどバトルシーンとなる後半がとにかく見せます。圧倒的なスピード感と迫力ある映像が展開され、製作したMAPPAのアニメ技術の高さを知らしめるすごさでした。そして、その後の切ないエンディング。個人的にはもっと泣かせるエピソードの追加と演出ができるはずと思いましたが、多くの観客の胸を締め付けるにはこれで十分なのかもしれません。

 公安対魔特異4課に所属するデビルハンターのデンジは4課を取り仕切る美女マキマとのデートに有頂天になる。その帰り道、雨宿りの電話ボックスで、レゼと名乗る少女と出会う。働いている喫茶店で笑いかけてくれるレゼをデンジは「もしかしてこの娘、俺のコト好きなんじゃねえ?」と思い、店に通い詰める。夜の学校のプールで一緒に泳いだデンジはますますレゼを好きになる。夏祭りの夜のデートで2人はキスを交わすが……。

 16歳のデンジの思春期男子らしいエピソードが詰まった前半に対して、後半は爆弾の悪魔(ボム)と逃げるデンジ(チェンソーマン)たちとの戦い。ドッカンドッカンのアクションは十分に堪能しましたが、ドラマはやや物足りず、レゼの悲しい生い立ちにもっとフォーカスしてくれると、さらに深みのある映画になったのにと思います。生い立ちについてラストで少し触れられるだけなのは原作通りなんですが、そこから想像できるオリジナル描写でドラマを作れば良かったのにもったいないです。「デンジ君、ホントはね、私も学校いったことなかったの」とつぶやくレゼの悲しさをもっと活かしてほしかったです。
「チェンソーマン レゼ編」入場者プレゼント
入場者プレゼント

 来場者プレゼントの小冊子には藤本タツキのインタビューが掲載されています。これ読むと、藤本タツキ、かなりの映画ファンのようで、マキマとデンジが1日何本も映画を見るデートをするのはそのためなのでしょう。「レゼ篇」の参照作品として「人狼 JINROH」「台風クラブ」「ノーカントリー」「悪の教典」「寄生獣」「トップをねらえ!」「シャークネード」「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ! 夕陽のカスカベボーイズ」などを挙げています。ラスト、デンジが待つ喫茶店に向かうレゼの描写で僕はなんとなく「レオン」(1994年、リュック・ベッソン監督)を連想しました。

 劇場公開されたのはまだ日本だけですが、24日の香港を皮切りに各国で公開が始まります。IMDbで数えたところ53カ国でした。「鬼滅の刃」同様、テレビアニメを各動画サイトで配信しているので世界のアニメファンにも知られているでしょう。これによって海外公開のハードルは格段に下がるわけで、配信の力は大きいなと思います。監督は吉原達矢、脚本は「進撃の巨人」「呪術廻戦」などSF作品ではおなじみの瀬古浩司。IMDbの評価は9.1です(9月21日現在)。

 オープニングの米津玄師「IRIS OUT」も良いですが、エンディングの米津玄師&宇多田ヒカルの「JANE DOE」が切なくて良すぎます。
▼観客多数(公開初日の午後)1時間40分。

「ふつうの子ども」

「ふつうの子ども」パンフレット
「ふつうの子ども」パンフレット
 前半は評判とは裏腹に普通の子ども映画だなと思っていたら、後半がすさまじい面白さでした。呉美保監督、脚本の高田亮のコンビは「そこのみにて光輝く」(2014年)、「きみはいい子」(2015年)に続いて3本目ですが、評価の高かった前2作に劣らず、今回も充実した作品になっています。

 小学4年生の唯士(嶋田鉄太)は思いを寄せる同じクラスの心愛(瑠璃)が環境問題に詳しいのを知って、自分も環境問題の本を読み、心愛の関心を引こうとしたのがことの始まり。そこに少しやんちゃな陽斗(味元耀大)が加わって、3人は大人に環境問題を訴える行動を起こす。最初はチラシを配ったり、貼ったりのささやかないたずらレベルの行動だったが、ある行為が深刻な事態を引き起こしてしまう。

 その行為が3人の仕業と分かり、親たちが学校に呼び出されて始まるのは会議室での校長と担任教師(風間俊介)を交えた悪夢のような場面です。3家族の在り方はそれぞれに違いがあり、その対比が実にリアル。唯士の母親を演じるのは蒼井優。これが最も普通のように思えました。幼い弟2人がいる陽斗は母親から「頼りになるお兄ちゃん」と思われていて、母親はやんちゃな姿を知らないのがいかにもありそうです。しかし、白眉は心愛の母親を演じる瀧内公美でしょう。

 心愛に対する態度が実に怖いです。蒼井優に向かって口パクで言うシーンはなんと言ってるか分からなかったんですが、パンフレットに収録された完成台本によると、「なんなのテメェ」でした。なるほど。その瀧内公美について子役の瑠璃は子役3人のクロストークで「もう朝から役に入られていて、撮影の合間に話しかけてくれるんですけど、それが素っ気ない口調で、すごく怖いんです」と話しています。そして「私たちがちゃんと怖がれるように配慮されたんだと思います」と付け加えているのに感心します。子役3人は実によく分かっていますね。

 普通の子どもたちも彼ら同様に大人をよく見ているのでしょう。大人にも子どもにも面白い作品になっていると思います。
▼観客10人ぐらい(公開2日目の午後)1時間36分。

「宝島」

「宝島」パンフレット
「宝島」パンフレット
 真藤順丈の直木賞受賞作を「るろうに剣心」シリーズの大友啓史監督が映画化。3時間11分、沖縄の戦後の怒りが渦巻く力作になっています。クライマックスのコザ暴動のシーンは最近の日本映画には珍しいモブシーンとして成功していて、かなりの見応えがありました。脚本は大友監督と大浦光太、高田亮の共同。

 1952年から約20年間、アメリカ統治下の沖縄を描く骨太のドラマ。米軍基地から物資を盗んで住民に配る“戦果アギヤー”のオン(永山瑛太)が嘉手納基地襲撃の後、行方不明になる。親友のグスク(妻夫木聡)、オンの弟レイ(窪田正孝)、恋人のヤマコ(広瀬すず)はオンの行方を必死に捜すが、見つからない。映画は刑事になったグスクとヤクザになったレイ、教師になったヤマコを描きながら、統治下の沖縄で起きる事件を描いていきます。オンは「予定にない戦果を手に入れた」との言葉を残していて、その戦果の謎が縦糸にもなっています。

 「なんくるないですむかっ、なんくるならんぞー」。米兵による交通事故に端を発した1970年12月のコザ暴動の中でグスクが叫ぶ言葉は米軍絡みの事件事故が多発し、反発が強まっていた住民の怒りの爆発を象徴しています。大友監督はNHK時代に叩き込まれた「声なき声を届ける」ことを念頭に映画を撮ったそうです。スペクタクルなシーンを含めてその思いが詰まった映画になっています。

 共演は中村蒼、瀧内公美、村田秀亮(とろサーモン)、塚本晋也、ピエール瀧ら。時代を反映してオールディーズがたくさん流れます。カスケーズの「悲しき雨音」(Rhythm of the Rain)も懐かしかったですが、個人的にぐっときたのはピンキーとキラーズ「涙の季節」でした。
▼観客9人(公開初日の午前)3時間11分。

「ベートーヴェン捏造」

 かげはら史帆の原作「ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく」をバカリズムが脚色、「かくかくしかじか」の関和亮が監督したコメディタッチのドラマ。終盤に面白くなりましたが、それまではフツーの出来でした。

 「ベートーヴェン捏造」と言うより「ベートーヴェン伝記捏造」と言う方がしっくり来る内容。主人公でベートーヴェンの伝記を書くシンドラーを山田裕貴、ベートーヴェンを古田新太が演じています。原作が面白そうなので、これから読みます。
▼観客30人ぐらい(公開5日目の午後)1時間55分。

2025/09/15(月)「ヒックとドラゴン」ほか(9月第2週のレビュー)

 「鬼滅の刃 無限城編第一章 猗窩座再来」の公開がアメリカを含む世界の多くの国で始まりました。IMDbの評価は8.7と極めて高いです。投票者は現在2万人。このうち1万2000人が10点満点を入れてます。投票がさらに増えてくると、評価は少し下がってくるかもしれません。評論家の評価はロッテントマトを見ると、97%が肯定的。メガヒットしているだけでなく、内容的にも評価されているのは嬉しいですね。

「ヒックとドラゴン」

「ヒックとドラゴン」パンフレット
「ヒックとドラゴン」パンフレット
 2010年の傑作アニメを同じディーン・デュボア監督が実写化。ストーリーは同じですが、上映時間はアニメ版(1時間38分)より27分も長くなっています。新しいエピソードはないようでしたし、主にテンポの問題じゃないかと思います。アニメよりテンポが遅いんですね。

 人間とドラゴンが戦いを続けるバーク島が舞台。バイキングの首長ストイック(ジェラルド・バトラー)を父に持つヒック(メイソン・テムズ)は伝説のドラゴン、ナイト・フューリーと出会う。ヒックはドラゴンにトゥースと名付け、父や友人、仲間たちには内緒で友情を育んでいく。そしてドラゴンと共生する方法がないか模索する。

 敵対する相手と戦うより融和を訴えるテーマは真っ当ですし、多数のドラゴンたちが空を飛ぶシーンのVFXにも不備はありません。というか、映画の大きな見どころの一つです。この物語に初めて触れる人には満足できる作品になっているでしょう。アニメの実写化としては成功した作品と言えます。

 ただし、元のアニメが十分すぎるほどの傑作(アカデミー長編アニメ映画賞ノミネート。この年受賞したのは「トイ・ストーリー3」でした)だったので、実写にする意味があるのか疑問です。ディズニーもアニメの実写化を多くやってますが、こうした動きの根底にはアニメより実写が上等という意識があるんじゃないですかね。同じ話を見せられて簡単に喜ぶほど、こっちは甘ちゃんじゃないですぜ。
IMDb7.8、メタスコア61点、ロッテントマト76%。
▼観客1人(公開5日目の午後)2時間5分。

「ランド・オブ・バッド」

「ランド・オブ・バッド」パンフレット
「ランド・オブ・バッド」パンフレット
 イスラム過激派の温床となっているフィリピンのスールー海近くのジャングルで繰り広げるアクション。ドローンから発射されるミサイル攻撃がものすごい迫力で、アクションシーンに関しては文句のつけようがありません。

 ストーリー上の新機軸は主人公が現場にいる特殊部隊デルタフォースの兵士ではなく、遠隔地でドローンを操作・監視するオペレーターであることですが、物語の基本プロットはかつての「ランボー 怒りの脱出」(1985年、ジョージ・P・コスマトス監督)や「地獄のヒーロー」(1984年、ジョセフ・ジトー監督)などと同様、東南アジアに行って暴れ回るアクション映画と同じ趣向です。いくら相手がテロリストだからといって、こうした乱暴な行為が許されるわけがありません。

 現場の兵士にリアム・へムズワース、ラスベガス・ネリス空軍基地のオペレーターにでっぷり太ったラッセル・クロウ。監督は「アンダーウォーター」(2020年)のウィリアム・ユーバンク。
IMDb6.6、メタスコア57点、ロッテントマト67%。
▼観客6人(公開4日目の午後)1時間53分。

「シャッフル・フライデー」

 母と娘の体が入れ替わる「フォーチュン・クッキー」(2003年、マーク・ウォーターズ監督)の22年ぶりの続編。今回は祖母と母、孫とその友だちの体がシャッフルします。前日に「フォーチュン・クッキー」を見たので、主要キャストが再び顔をそろえたこの作品は1日で22年が経過したような感覚でした。そうしたことも作用して僕はまずまず楽しめました。

 前作ではジェイミー・リー・カーティスとリンジー・ローハンの体が入れ替わりました。カーティスは「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」(2022年)にも出ていましたので、現在の姿になじみがありましたが、前作でブレイクしたリンジー・ローハンは久しぶりに見ました。22年たっても39歳なのがびっくりです。前作出演時は17歳ぐらいだったんですね、

 物語は前作同様、相手のことを深く理解できれば、元に戻る趣向。2人が4人になっても、基本は同じです。出演者の中ではローハンの娘役ジュリア・バターズに将来性を感じました。まだ16歳。これから売れるんじゃないですかね。監督は「ネクスト・ドリーム ふたりで叶える夢」(2020年)のニーシャ・ガナトラ。NGシーンを集めたエンド・クレジットが楽しいです。

 なお、「フォーチュン・クッキー」の原作“Frieky Friday”は1976年、ゲイリー・ネルソン監督、ジョディ・フォスター主演で映画化されたのが最初で、「フォーチュン・クッキー」はリメイクです。この原作、よほど人気なのか1995年、2007年、2018年にも映像化されてます。ディズニープラスで「フォーチュン・クッキー」を含む3本が配信されています。
IMDb6.9、メタスコア60点、ロッテントマト74%。
▼観客4人(公開7日目の午後)1時間52分。

「ブラック・ショーマン」

「ブラック・ショーマン」パンフレット
パンフレットの表紙
 東野圭吾の原作「ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人」の映画化。マジシャン役の福山雅治と姪の有村架純のコンビは良いのですが、話に新鮮さがありません。田舎町の殺人を扱った平凡なミステリーに終わってます。

 監督は「コンフィデンスマンJP」シリーズ(2019~2022年)や「イチケイのカラス」(2023年)の田中亮。
▼観客多数(公開初日の午前)2時間7分。

2025/09/08(月)「遠い山なみの光」ほか(9月第1週のレビュー)

 ディズニープラスで配信中のドラマ「エイリアン アース」第5話がとても面白かったです。このドラマ、全体的に評判が良いのですが、5話は特に傑作でした。捕獲されていた5種類のエイリアンが逃げ出して宇宙船の中で乗組員を攻撃し、第1話の冒頭で描かれた宇宙船墜落の理由と過程が分かります。映画並みの予算をかけていますね。あと3話で終わるのがもったいない感じ。本当は10話の予定だったんですが、予算の関係で短縮されたそうです。

「遠い山なみの光」

「遠い山なみの光」パンフレット
「遠い山なみの光」パンフレット
 カズオ・イシグロの原作を石川慶監督が映画化。1952年の長崎と1982年のイギリスをつなぐ物語で、絶賛はしませんが、水準を上回る出来だと思います。そしてとても興味深い映画化になっています。

 イギリスの片田舎で暮らす悦子(吉田羊)が娘のニキ(カミラ・アイコ)に頼まれ、長崎に住んでいた頃の自分について話し始める。悦子(広瀬すず)は夫の二郎(松下洸平)と団地に暮らしていた。ある日、男の子たちにいじめられていた小学生の万里子(鈴木碧桜)と出会う。万里子は川のほとりの粗末な家で母親の佐知子(二階堂ふみ)と2人で暮らす。佐知子にはアメリカ人の恋人がいて、近くアメリカに移住する予定だという。お金に困っている佐知子に悦子はうどん屋の仕事を紹介する。そんな時、福岡に住む二郎の父親で、元教師の緒方(三浦友和)が長崎にやってくる。

 映画は長崎原爆の影響と、戦後の大きな転換について言及しながら、悦子と佐知子の対照的な姿を描いていきます。この映画を特異なものにしているのは終盤の2つの要素です。一つは悦子たちが路面電車から見る黒い服の女の正体。もう一つは最後に明かされる大ネタ。この大ネタに関してはミステリーやホラーに少なくない前例がありますが、黒い女の正体に関して前例は少ないでしょうし、かなり文学的なものになっています。

 「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というフリードリヒ・ニーチェ「善悪の彼岸」の有名なフレーズを借りれば、「過去を回想するとき、過去もまたこちらを認識しているのだ」となるでしょう。この解釈が正しいとは限りませんが、不思議で秀逸な場面だと思います。

 この終盤の2つの点について、原作でどう表現されているのか気になったので映画を見た後に文庫本を読みました。驚愕しました。この2つの要素が原作にはないんです。つまり原作を大きく改変しているわけです。

 普通なら、原作者が怒りそうなものですが、心配無用。カズオ・イシグロはこの映画のエグゼクティブ・プロデューサーであり、石川監督はイシグロと相談しながら、脚本を書いたそうです。パンフレットの監督インタビューを引用しておきます。

 「ある程度の曖昧さを残して、いろんな解釈ができるというのが原作のよさでもありますが、新たに自分たちの手で何かを渡そうとしているのなら、そのまま映画化するのは逃げだと思いました。カズオさんと相談しながら、我々の解釈を一つ提示するということが非常に大事でしたし、そうしなければ今のオーディエンスとコミュニケ-ションをとれたとは言えないのではないかということも、大きなモチベーションでした」

 映画のほとんどは原作に忠実なのですが、最後の2点だけが異なっています。こうした改変が可能なのは原作の間口が広く、多様な解釈の余地があるからです。いやあ、面白い。こういうことがあるんですね。僕らが目にしているのは43年前に出版された原作を現代に対応させるためにアップデートした、進化した物語であるわけです。

 二階堂ふみのセリフ回しはなんだか昔の日本映画のように思えました。これについて、石川監督は「50年代の映画俳優を彷彿させるお芝居で、最初の一文から役をすでに掴んでいるのがよく分かりました」と言っています。二階堂ふみ独自の役作りだったのですね。
▼観客多数(公開2日目の午後)2時間3分。

「入国審査」

「入国審査」パンフレット
「入国審査」パンフレット
 アメリカ移住を目指してスペインから来たカップルがニューアーク空港の入国審査で厳しい尋問を受けるサスペンス。尋問を受けているうちにどうやら問題があるのは男の方だと分かってきます。同時に女への不誠実な対応も明らかになります。しかし、男がこの対応を取らざるを得なくなった事情、生死にかかわる事情もよく理解できます。

 アメリカで移民問題が大きくなっている現状でとてもタイムリーな作品と言えるでしょう。皮肉な結末が効いてます。脚本・監督はともにベネズエラ出身のアレハンドロ・ロハスとフアン・セバスチャン・バスケスの共同。出演はアルベルト・アンマン、ブルーナ・クッシほか。
IMDb7.0、ロッテントマト100%(アメリカでは映画祭での上映)。
▼観客多数(公開2日目の午後)1時間17分。

「ベスト・キッド:レジェンズ」

「ベスト・キッド:レジェンズ」パンフレット
パンフレットの表紙
 アメリカでは低評価に終わってますが、日本ではまずまずの評価になってます。1作目と同じパターンの話であり、簡単な描写になっているのがアメリカでの低評価の理由でしょうが、主演のベン・ウォンのアクションがすごくて感心しました。

 空中でクルクル回るシーンがそれ。もしかしてCG使ってるんじゃないかと疑ってしまいますが、スローモーションでも見せるんですよね。

 ラルフ・マッチオ主演の元の「ベスト・キッド」シリーズとスピンオフの「コブラ会」シリーズ、ジャッキー・チェンが出演したリメイクを統合した物語で、「二つの枝 一本の樹」というセリフはそのことも象徴しているのかもしれません。

 主人公の母親役ミンナ・ウェンはマーベルのドラマ「エージェント・オブ・シールド」シリーズ(2013年~2020年)で知りました。あの頃は50代でも若く見えてアクションが凄いと思いましたが、今回はアクションを披露する場面はありません。既に61歳ですが、まだアクションできるんじゃないですかね。
IMDb6.3、メタスコア51点、ロッテントマト58%。
▼観客3人(公開4日目の午後)1時間34分。

「8番出口」

「8番出口」パンフレット
「8番出口」パンフレット
 世界的大ヒットゲームを川村元気監督が映画化。あまり評判がよろしくないようですが、僕は面白く見ました。別れた恋人から妊娠したとの相談電話を受けた男(二宮和也)が直後に地下通路から出られなくなるサスペンス。「迷う男」「歩く男」「少年」の3章構成で、「迷う男」は地下通路で迷ったことと、元恋人の妊娠をどうするかの迷いのダブルミーニングであることは明らかです。

 ホラー演出の気味の悪いシーンもありますが、物語としては真っ当な展開だと思います。監督集団「5月」の平瀬謙太朗が共同脚本と監督補を務めています。
▼観客多数(公開6日目の午後)1時間35分。

「冬冬の夏休み」

 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の1984年の作品。日本での初公開は1990年で、キネマ旬報ベストテン4位にランクされています。この年の1位は同じく侯孝賢の「非情城市」でした。

 小学校を卒業した冬冬(とんとん=ワン・チークァン)が妹のティンティン(リー・ジュジェン)とともに田舎の祖父母の家で夏休みを過ごす物語。兄妹の母親は重い病気で入院していて、祖父母の家に行くのはこのためもあったのでしょう。田舎の村で兄妹は地元の子供たちと一緒に遊んだり、さまざまな体験をすることになります。少年の夏を描いて、これはとてもノスタルジックな作品だと思いました。

 物語の設定は撮影時と同じ1980年代だそうですが、田舎の光景は1960年代の日本を思わせます。主人公の年齢は異なるものの、なんとなく、黒木和雄監督「祭りの準備」(1975年)に近い郷愁があるなと思って見ていたら、知的障害のある女性が流産したことで健常者になったと思われる描写が出てきて、なおさらその感を強くしました。

 「祭りの準備」では出産によって女性が正気に返るというエピソードがあったんです。調べたら、「祭りの準備」の女性(桂木梨江)は薬物中毒の影響で正気を失っていたという設定でした。出産を機に体調が好転するというのはアジアでは一般的なのか、あるいは侯孝賢監督が「祭りの準備」を見ていたのか。いずれにしても、傑作2作品の面白い類似点だと思います。
IMDb7.6、ロッテントマト100%。
▼観客6人(公開5日目の午後)1時間38分。