2014/06/14(土)2段階認証の機種変更

2段階認証の移動設定

 auオンラインショップで購入したAQUOS SERIE SHL25が今日あたり自宅近くのauショップに届く予定(auショップ受け取りにすると、au WALLETポイントが1500ポイントもらえる)。おサイフケータイ関連のSuica、nanaco、楽天Edyは機種変更に伴う設定があるので既にすませた。スマホにGoogleの2段階認証アプリをインストールしている場合はどうするんだろう。Googleアカウントのセキュリティページを見てみたら、ちゃんと「別の携帯端末に移動」という項目があった。

 なーんだ、これを実行すればいいのかと思ったが、考えてみると、移動もなにもスマホにGoogleのアカウントを設定できなければ、移動しようがないのだった。こういう場合に予備の確認コード10個があるわけだが、これを使うより、機種変更の前に一時的に2段階認証をオフにしておいた方が良さそうだ。新しいスマホにGoogleアカウントを設定した後、認証アプリをインストールした上で2段階認証をオンにすればいい。

 このほか、マイクロソフトアカウントとDrop Boxのアカウントにも2段階認証を設定していて同じ認証アプリを利用している。これはこのままで大丈夫かなとも思うが、念のために事前にオフにしておいた方が良いかもしれない。

 というわけで、auショップに行って、SHL25を受け取ってきた。2段階認証は結局、マイクロソフトもDrop Boxもいったん設定を削除しないと、新しい携帯の認証アプリに登録できなかった。削除した後、新たに設定するにはそれぞれの設定ページにあるQRコードを読み取る必要がある。これで無事、認証コードを生成できるようになった。

 認証アプリを新しくすると、タブレットのGoogleアカウントも再設定しなくてはいけない。スマホに入れたOneドライブとかOutlook.comとかも、いちいち設定。うーん、2段階認証を設定すると、スマホの機種変更には手間がかかるなあ。

2014/06/08(日)「ある過去の行方」

 過去といってもそんなに過去じゃない。過去と銘打つからには10年、20年は過去であってほしい。脚本の作りとして面白いのは主人公が誰だか判然としないことで、最初に出てくるアーマド(アリ・モッサファ)とマリー=アンヌ(ベレニス・ベジョ)がメインの話かと思ったら、エンディングではサミール(タハール・ラヒム)とその妻の場面に落ち着く。アーマドはこの物語においてはほぼ部外者の域を出ない。

 話の中心にあるのはサミールの妻が起こした自殺未遂の謎だ。妻はこれによって植物状態になった。なぜ妻は自殺を図ったのか。これがマリー=アンヌの家族にさまざまな軋みを生むことになっている。アスガー・ファルハディの映画の特徴はミステリーを絡めていることだが、見ながら思い浮かべたのはアンドリュー・ガーヴ「ヒルダよ眠れ」で、この小説のように妻がどんな人間だったかに迫っていく場面があっても良かったと思う。

 と、ここまで書いてよくよく考えたら、この映画で描かれる家族と男女関係の不幸の原因はすべてマリー=アンヌにあると思えてきた。最初の夫とは2人の娘がいるのに別れ、次の夫(つまりアーマド)とも別れる(別れの原因は明らかにされない)。再々婚を予定しているサミールの妻は夫の浮気に気づいて自殺未遂する。ここでファルハディは皮肉な設定を用意していて、二転三転する真相がいかにもミステリーっぽい。マリー=アンヌはヒステリックに叫んだり喚いたり、被害者のような振る舞いをするが、過去から連なる不幸の原因の多くは自分自身にあることを少しも分かっていないのだ。

 だから、この物語はマリー=アンヌの人間性を鋭く浮き彫りにする方向で組み立てるべきだった。この映画でヒルダに相当するのは自殺未遂の妻ではなく、マリー=アンヌにほかならない。それなのに、こういう構成になったのはきっと、ファルハディが女性に優しいためだろう。

 「さむけ」や「ウィチャリー家の女」のロス・マクドナルドだったら、もっと厳しい展開にしてこう書いたに違いない。「マリー=アンヌ、おまえにはもう何も残されていないんだよ」。

2014/06/05(木)テレビ修理

テレビの内部

 プラズマテレビが壊れた(パナソニックのTH-P46VT2)。電源を入れると、2、3秒で消え、赤い電源ランプが11回点滅する。検索してみると、こういう症状はけっこう多い。ホコリがたまったことによってファンが止まり、安全装置が働いているらしい。買ったのは2010年11月。3年半でつかなくなったテレビは初めてだ。ヤマダ電機の長期無料保証(5年)に入っていたのでサポートセンターに連絡した。

 翌日、サービスマンが来た。持ち帰って修理するのかと思ったら、テレビの裏を開けて清掃を始めた。ファンを取り外し、全体にたまったホコリをきれいにした。それで無事復旧。所要時間30分ほど。修理費用が高いようであれば買い換えも考えていたのだが、部品交換がなかったので無料。延長保証に入っていて良かった。

 パソコンのガワを開けると、ホコリがたくさんたまっているが、テレビの内部もそれと同じ状態だった。パソコンなら自分でガワを開けて掃除することもできるが、テレビの場合はネジが多いので面倒だ。それでもできないことはないかな、という感じはした。ただ、自分でやってテレビがつかなくなる例もあるそうだ。延長保証に入っているなら、頼んだ方がいい。ホコリ対策はテレビのそばに空気清浄機を置くか、裏側にこまめに掃除機をかけるしかないらしい。

2014/05/25(日)「アクト・オブ・キリング」

 映画の中盤、インドネシア国営放送の対談番組に、かつて1000人を殺した主人公アンワル・コンゴと民兵組織パンチャシラ青年団のメンバーが登場する場面がある。現在の政権は共産主義者や華僑など100万人が犠牲になったといわれる1960年代の虐殺の上に築かれているので、虐殺者が国内で非難されることはない。しかも共産党は現在、非合法なのでインタビュアーの女性は嬉々として虐殺の様子を尋ね、アンワルらは自慢げにそれに答える。

 信じられないようなシュールな場面だ。思わず、「ロボコップ」に出てきたシュールなニュースを思い浮かべた。あれは現実をデフォルメしたフィクションだが、これはありのままの現実。だからかなりショッキング(というか、あまりに現実離れしていてあきれる)。監督のジョシュア・オッペンハイマーは「ホロコーストから40年後のドイツに足を運んだら、そこではまだナチスが権力をふるっていた、というような感覚」と語っているが、的確な比喩と言うべきで、インドネシアという国は一般的な正義が実行されないまま現在に至っているのだ。

 シュールと言えば、アンワルの相棒であるヘルマン・コトが選挙に出馬する場面もそうだ。映画の中で女装するのでマツコ・デラックスと評している人がいたが、僕は西田敏行をもっと太らせて色黒にして知性を抜き、がさつにした男のように思えた。そういう男が選挙に出るというのもシュールだが、名刺を配るヘルマンに対して有権者のおばちゃんたちが「名刺だけかい? ボーナスはないの?」と(カメラの前で)平気でお金を要求するのもシュール。「集会に数千人集まれば、その数千人はみんな金をもらっている」というセリフもあり、票を金で買うのが普通の社会らしい。だいたい、ヘルマンが選挙に出ようと思ったのも議員になって賄賂で儲けるためだ。民兵の幹部が華僑の商店主に金を要求する場面もあり、要するに金がすべてを動かす社会なのだろう。映画はスマトラ島で撮影されたそうなので、これがインドネシア全体に言えることなのかどうかは分からないが、インドネシア大丈夫か、と思えてくる。

 主人公のアンワルはかつて行った虐殺の際、鉈で切断した首の目を閉じなかったことを悔やんでいる。未だに悪夢を見ることがあるのはこれが原因だったと考えている。虐殺が始まった当初は殴り殺していたが、周囲が血だらけになり、その臭いと片付けに手間がかかったため、アンワルは針金で絞め殺すようになる。そのヒントになったのがアメリカのギャング映画だというのが恐ろしい。映画は現実を取り込むが、逆に現実に影響を与えることもある。アンワルは映画中映画で虐殺者の役を演じ、その後、被虐殺者の役も演じる。そして嘔吐してしまう。これをアンワルが過去の行いを反省したからと受け止めるのは早計で、「es[エス]」(2001年)で描かれた実験を持ち出すまでもなく、人間は演じる状況に影響を受けるのだろう。

 残酷な場面ばかりだったら苦手だなと思いながら見たが、全然そんなことはなく、さまざまに刺激的な映画だった。これは人間の暗黒を描いた映画ではなく、普通の人間が状況に流される姿を浮き彫りにした映画だと思う。すこぶる面白い。傑作。

2014/05/17(土)「エンド・オブ・ホワイトハウス」

 ホワイトハウスが陥落するまでの描写は迫力たっぷりの傑作。しかし、その後は「ダイ・ハード」的展開そのままなのが大いにマイナス。1人のタフガイがテロリストを撃退するという設定を真似るのはけっこうだが、それにしてももっとオリジナルな工夫がほしい。

 中盤で敵に寝返ったかつての仲間と主人公が対峙する場面などは「ダイ・ハード」でブルース・ウィリスとアラン・リックマンが遭遇する場面の劣化コピーで、相手が裏切ったことを簡単に後悔するところなど、観客をなめているとしか思えない展開だ。アントン・フークワの演出自体に弱い部分はないので、これは単純に脚本の出来が悪かった結果だろう。志が低すぎるのだ。

 テロリストを今はやりのイスラム教徒ではなく、北朝鮮にしたところだけが新味だった。