2009/10/17(土) ミステリの書き出し

「夜は若く、彼も若かった。 が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。」というのはウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)「幻の女」の書き出し。アイリッシュは書き出しに凝る作家だった。サンシャイン牧場のメッセージに映画のセリフを書いてきたのだけど、それにも飽きたので、ミステリの書き出しはどうかと探してみた。といっても古い本は倉庫の段ボールの中なので、部屋の中にあるやつだけ。

■マリアが死を決意した時から、彼女の猫は自分で自分の身を守らなければならなくなった。(トム・ロブ・スミス「チャイルド44」)

■その川は思い出せるかぎりもっとも古い記憶だ。(ジョン・ハート「川は静かに流れ」)

■そこはセントラル・アヴェニューの混合ブロックのひとつだった。(レイモンド・チャンドラー「さよなら、愛しい人」)

■テリー・レノックスとの最初の出会いは、<ダンサーズ>のテラスの外だった。(レイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」)

■二人は毎晩8時に会った、雨の降る日も雪の日も、月の照る夜も照らぬ夜も。(コーネル・ウールリッチ「喪服のランデブー」)

■一九七七年の春、わたしは三十を迎えたばかりで、殺伐とした都会に無為の日々を送っていた。(ロバート・ゴダード「千尋の闇」)

■目の前に広がる町を見渡し、石炭の煙で黒く煤けたかつての高層ビルの姿を思い浮かべながら、彼は考えていた。(トマス・H・クック「夜の記憶」)

■「やつら、死ぬのにどのくらいかかった?」(ジェフリー・ディーヴァー「ウォッチ・メイカー」)

■オクトーバー伯爵が初めて私の前に現れたときは、うすいブルーの古びたホールデンに乗っていた。危険と死がひそかに便乗していた。(ディック・フランシス「興奮」)

■はじめてマックス・キャッスルの映画を目にしたのは、ウェスト・ロサンジェルスにある薄汚れた地下室の中だった。(T・ローザック「フリッカー、あるいは映画の魔」)

■テキサスの丘陵地帯の裾野、季節は十一月の下旬だが、このあたりでは見かけどおりのものは何もないことを私はとうの昔に学んでいた。(ジェイムズ・クラムリー「ファイナル・カントリー」)

■ロック-オーバー・レストランはウィンター・プレイスにある。そのウィンター・プレイスは、コモン公園から少し南へ下ってウィンター通りから脇にそれた横町である。(ロバート・B・パーカー「レイチェル・ウォレスを探せ」)

ワンセンテンスでぐっと引きつけるのはやはり詩的なアイリッシュぐらいか。個人的には「興奮」の書き出しも、初めて読んだディック・フランシスだったので印象深い。これ、最初に出たポケミス版と文庫版はちょっと違う。文庫にする際に手を入れたのだろう。

チャンドラーの2作は村上春樹訳のもの。清水俊二訳は少し違うかもしれない。いや、違ってたと思う。チャンドラーの書き出しはそこそこだけど、中身は警句の宝庫という感じ。「警官にさよならを言う方法はまだ発明されていない」とか「ギムレットにはまだ早すぎるね」とか有名すぎる。

清水俊二といえば、映画の字幕翻訳家としても有名だった。昨日、講演を聴いた戸田奈津子さんは清水俊二に師事していたはず。話の中に全然出てこなかったのはなぜだろう。

2009/10/12(月) サンシャイン牧場計算表

 mixiアプリのサンシャイン牧場はいつごろ収穫できるのか、収入や経験値はどれぐらいになるのか計算するのが面倒。そこで収穫日時と増産率に応じた取得経験値、収入を計算する表をエクセルで作ってみた。だいたいの目安になるので、計画的な生産をしたい人には有用かもしれない。ダウンロードは以下。

 ●SunshineCalc.zip(16KB) 

 ●スクリーンショット

 解凍すると、Excel2007用とExcel97-2003用のファイルが入ってます。自分のExcelのバージョンに合わせて使ってください。

 収穫当日のセルは赤く表示しますが、Excel2007で作りましたので、Excel2003以下では条件付き書式などがうまく動かないかもしれません。所要時間などのデータはサンシャイン牧場 @ ウィキを参考にさせていただきました。

 注意事項はファイルにも書いてますが、(1)増産率と植栽日時以外は書き換えない(2)すべて半角数字で記入する(3)植栽日時の書き方は日付(2009/10/12)の後に半角スペースを入れて時刻(10:12とか6:25とか)を書く-など。

 日時を2009/10/12 13:15:00などと入力するのが面倒な場合はCtrl+;(セミコロン)、半角スペース、Ctrl+:(コロン)で現在日時が入力できます。

 11月29日追記:けっこう検索してくる人がいるので、今自分が使っているものにバージョンを上げました。作物と仔動物が増えてます。

 12月20日追記:作物を追加したほか、仔動物の表の仕様を変更しました。

2009/10/05(月)「グッド・バッド・ウィアード」

 大平原でのバイクと馬と車が入り乱れての四つどもえの大追跡と爆発に次ぐ爆発のクライマックスに流れるのはサンタ・エスメラルダの「悲しき願い」(Don't Let Me Be Misunderstood)。フルコーラスは10分30秒もある長い曲だが、イントロ部分がマカロニ・ウエスタンならぬオリエンタル・ウエスタンにはぴったりだ。ただし、メロディだけで歌は流れない。これは歌もぜひ欲しかった。

 「悲しき願い」は何度聞いても名曲で、ファンが多いらしく、クエンティン・タランティーノも「キル・ビル vol.1」で使っていた。

 このクライマックスも凄いが、映画は冒頭の列車上でのアクションで一気に観客を乗せてしまう。「グッド・バッド・ウィアード」というタイトルは言うまでもなく、セルジオ・レオーネ「続・夕陽のガンマン」(The Good, The Bad, and The Ugly)を意識したものだろうけれど、マカロニ・ウエスタンの単なるモノマネではない。オープニングの空撮とCGを交えたシーンをはじめ、長いコートを羽織ったチョン・ウソンが闇市の空中を軽やかに飛び回るアクションなど、どのシーンも監督の演出に力がこもっているし、しっかりしている。マカロニ・ウエスタンを超えていると言ってよい。キム・ジウン監督がマカロニ・ウエスタンから引き継いでいるのはその外見ではなく、血が流れるスタイルと精神なのだろう。この映画の一番の美点は映画のスケールの大きさだ。話が大きいのではない。画面作りが大きく、雄大な風景とマッチしており、横長の大きなスクリーンで見るにふさわしい映画なのである。

 1930年代の満州を舞台にしたのはウエスタンの舞台としても違和感がないからだろう(実際の撮影地はゴビ砂漠や敦煌という)。このアイデアがまず良かった。画面に流れる空気は西部劇でもマカロニ・ウエスタンでもないのだが、無法者たちや日本軍が銃撃戦を演じてもおかしくない状況にある。ストーリーは宝の地図を巡る争奪戦。バッドが馬賊のパク・チャンイ(イ・ビョンホン)、グッドが賞金稼ぎのパク・ドウォン(チョン・ウソン)、ウィアードがコソ泥のユン・テグ(ソン・ガンホ)で、この3人がそれぞれに良い。映画を支えているのはソン・ガンホで、いつもの人間味あふれるユーモアが映画をいっそう楽しいものにしている。

 監督のキム・ジウンの作品は過去にイ・ビョンホン主演の「甘い人生」(2005年)を見ている。当時の感想を見直してみたら、僕はこう書いていた。

 キム・ジウン監督は撮影中、ビョンホンにアラン・ドロンのイメージを重ね合わせていたそうだ。僕も映画を見ながらアラン・ドロンの映画をなんとなく思い浮かべていた。外見がハンサムとかそんなことではなく、アラン・ドロンの映画は暗黒街の組織に刃向かった男を描いたものが多かったイメージがあるのだ。フィルム・ノワールといわれるフランスの暗黒街を描いた映画に通じる臭いがこの映画にはあり、だからこそ韓国ノワールという言い方も的を射ていると思う。

 キム・ジウンは描写力、演出力では完成された技術を持っている。脚本に磨きをかければ、さらに面白い映画を作る監督になるのではないか。この監督、職人ではなく、作家的な資質を持っていると思う。

 「甘い人生」はイ・ビョンホンにアクションができるのにまず驚き、監督のしっかりした演出に感心した。「甘い人生」がフランスのフィルム・ノワールを意識したもので、今回がマカロニ・ウエスタンということになると、キム・ジウンの映画ファンぶりが分かってくる。素晴らしいのは先に書いたようにモノマネで終わっていないことだ。スケールの大きなアクション、ソン・ガンホの絶妙のユーモアを交えて進む語り口など演出には少しも狂いがない。

 過去の映画へのオマージュと遊び心の中に本物志向が漂い、パロディでもモノマネでもない本物のアクション映画。ただし、やっぱりオリジナルな題材ではあった方が良く、次の作品では100%オリジナルのキム・ジウン映画を見たいと思う。

2009/10/03(土)「子供の情景」

 19歳でこの映画を監督したハナ・マフマルバフによれば、いろいろな人物から破られる主人公のノートはアフガニスタンの文化を象徴しているのだという。タリバンによる仏像の爆破シーンに始まり、同じく仏像の爆破シーンで終わるこの映画の原題は「BUDDHA COLLAPSED OUT OF SHAME」。ハナの父親で映画監督・作家のモフセン・マフマルバフの著書「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」から取っている。

 子供の世界に仮託してアフガニスタンの現状を描くという狙いは悪くないが、僕には比喩が幼すぎるように思えた。タリバンの真似をして戦争ごっこをする男の子たち。ノートが破られる場面で決まって流れる深刻な音楽。そしてラストの「自由になりたかったら死ね」という皮肉なセリフ。映画そのものの技術のレベルから言えば、これは習作の域を出ていないと思う。それにもかかわらず評価すべきなのはアフガンの現状を伝えようとする意志があるからだろう。というか、そこしか評価するところはない。ハナ監督、次は比喩に頼らず、正面からアフガンの現状を取り上げて欲しい。食い足りない気分が残ったので、昨日、amazonに注文したモフセンの著書を読んでみようと思う。

 破壊された石像が瓦礫となって残るバーミヤン。主人公のバクタイ(ニクバクト・ノルーズ)は6歳の女の子で岩場の洞窟が家である。隣に住む少年アッバス(アッバス・アリジョメ)の影響で学校に行きたいと思ったバクタイは学校で必要なノートを買うために家のニワトリが生んだ卵を市場で売ろうとするが、誰も買ってくれない。卵をパンと交換したバクタイはようやくノートを手に入れ、学校に行く。そこは男子校で教師はバクタイに川の向こうにある女子の学校へ行けという。女子校に向かったバクタイは途中で戦争ごっこに興じる少年たちに囲まれ、「女は勉強しちゃダメだ」と言われ、ノートを破られる。石打ちの処刑にされそうになったところへアッバスが通りかかり、バクタイはなんとか難を逃れて学校へたどり着く。

 現実のアフガンを舞台にしながら、ストーリーは寓意に満ちている。バクタイが学校に行きたいと思うのはアッバスが読んでいた教科書のストーリーに引かれたからだ。「ある男が木の下で寝ていたら、頭にクルミが落ちてきた。目をさました男は、クルミで良かった。カボチャだったら死んでいたところだと言った」。この話もソ連、タリバン、アメリカから支配され続けてきた現実のアフガンの寓意にほかならない。しかし、映画全体を比喩で覆ってしまうと、何も知らない人にはメッセージが伝わりにくくなるだろう。現実を伝えるには現実をそのまま描写した方が良かったと思う。

2009/09/30(水)「あの日、欲望の大地で」

 ファーストショットは平原で燃え上がるトレーラーハウス。原題の「Burning Plain」はパンフレットの表紙にもなっているこの場面から取ったものだろう。このトレーラーハウスが悲劇の始まりとなったわけだから当然だ。邦題の「あの日、欲望の大地で」は良くない。登場人物の誰も欲望で動いているわけではないからだ。夫と子どもがありながら妻子ある男と密会を続ける主人公の母親(キム・ベイシンガー)は不実で自堕落な女に見えるが、後で描かれる2つの悲痛なショットでそうではないことが分かってくる。レストランのマネージャーを務めながら、男と行きずりの関係を続ける主人公のシルヴィア(シャーリーズ・セロン)もまた行動の根幹にあるのは欲望ではない。

 「21グラム」「バベル」の脚本家で、これが長編映画監督デビューとなるギジェルモ・アリアガはこれまでの脚本と同じように時系列をバラバラにして断片の描写を積み上げていく。現在のパートは青を基調とした寒々とした色彩で、過去のパートは温かな色彩でと分けてはいるのだけれど、並列的に描かれるため最初は人間関係もエピソードのつながりもまったく分からない。「21グラム」を見た時に僕は「物語をどう語るかに腐心することは大事なことだけれど、それを余計に感じる題材というものもあるのだ」と思った。この映画に関してはこの手法で良かったと思う。ミステリアスな雰囲気が作品に奥行きを与えているからだ。悲劇が横たわる母と娘、その娘とそのまた娘との関係をアリアガは重厚なタッチで描いている。断片を積み重ねる手法にもかかわらず、見ていて映画への興味が薄れないのは映像に力があるからだろう。

 時系列をバラバラにするのは「21グラム」「バベル」の監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの趣味かと思ってきたが、考えてみれば、脚本を書いたアリアガの手法であることは当然なのだった。小説家でもあるアリアガの物語を語る手法は完成されている。語り口が身上とも言える映画なので、時系列に沿ってストーリーを紹介すると、映画の面白みも半減してしまう。何も知らずに見た方が良い映画と言える。

 アリアガの演出・脚本は優れているが、映画を支えているのは何よりもシャーリーズ・セロンだ。美貌とスタイルに恵まれたセロンはアイドル的な映画スターになることも簡単だったが、それを拒否して13キロ体重を増やし、過剰なメイクを施して「モンスター」に出演した。「モンスター」での演技力は評価されてしかるべきものだったけれど、同時に僕はやりすぎではないかとも思った。演技が人工的で主人公の造型にも無理があった。その後の「スタンドアップ」にも僕は無理を感じたが、それに比べてこの映画のセロンは自然体である。虚無感漂う主人公を演じて間然とするところがない。しかも化粧っ気がないにもかかわらず美しい。悲しみに彩られた主人公にしっかりとリアリティを与えている。

 脚本で惜しいと思ったのは過去と決別し、自傷行為を行う主人公の行動がやや説得力を欠くことか。映画の構成に凝る前にここをしっかりと補強した方が良かったと思う。