2000/08/07(月)「リプリー」
ルネ・クレマン「太陽がいっぱい」のリメイクではなく、パトリシア・ハイスミス“The Talented Mr. Ripley”の映画化。「イングリッシュ・ペイシェント」のアンソニー・ミンゲラ監督だから、見応えのある映画にはなっているけれど、失敗作と思う。
主人公のトム・リプリーの内面描写がないので、感情移入しにくいのだ。これはリプリーがだれにも本心を明かさないからで、観客はリプリーの行動からその気持ちを推し量るしかないのである。唯一、本心を明かす場面がディッキーを船の上で殺す場面。しかし、その後の行動は大金を手に入れたいのか、犯罪を隠したいのか、分かりにくくなっている。冒頭に「過去を消してしまいたい」とのモノローグが入るけれど、これだけではリプリーがどういう人物なのか説明するには十分ではないだろう。
「太陽がいっぱい」のアラン・ドロンのイメージをきっぱり捨てて見るべき映画。映画に漂うある種の不快さはハイスミスの作品に通じるものではある。
2000/08/05(土)「デジモン・アドベンチャー02」
アメリカ人の少年が飼っていたデジモンのチョコモンがなぜか姿を消し、数年後、なぜか巨大化した姿で少年の前に現れる。チョコモンはなぜか、人間たちをデジタルワールドに幽閉。前シリーズの主人公太一たちが幽閉されたのを知った今シリーズの主人公大輔たちはアメリカに渡り、チョコモンとの闘いを始める。この“なぜか”の部分を映画はほとんど説明しない。途中で列車の多数の乗客が消える場面があるのだが、それがどうなったのかも分からない。説明不足、描写不足が多すぎて、もう最低の脚本である。パンフレットを読むと、チョコモンはデジタルワールドに吸い込まれ、そこで孤独のために心を失って凶暴化したらしい。そのあたりをもっとしっかり描く必要がある。
デジモンはテレビでまったく見たことがなく、今放送されているのが第2シリーズに当たる「02」であることも初めて知った。映画の内容はテレビシリーズとはまったく関係なく、独立した内容なのだが、作画のレベルはまあまあであるものの、この脚本ではどうしようもないだろう。
巨大なチョコモンの造型は「エヴァンゲリオン」の影響がありあり。こういう造型ができるのだから、もっと製作に時間をかけるべきと思う。ま、東映の番組の都合で仕方なかったのだろうが、こんなレベルの作品を公開してはマイナスにしかなりませんね。
2000/07/05(水)「サイダーハウス・ルール」
ジョン・アーヴィングの原作をアーヴィング自身が脚色し、「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」「ギルバート・グレイプ」のラッセ・ハルストレムが監督した。原作を読んでいないが、映画は少年が大人になる上で必要な通過儀礼を描いた趣だ。僕はなんとなく、ケム・ナンの小説「源にふれろ」を思い出した。アメリカの小説にはこうした通過儀礼を描いたものってよくありますね。フレドリック・ブラウン「シカゴ・ブルース」なんかもそう。映画では「おもいでの夏」がこれに入ると思う。
原作はもっと長期間にわたる話らしいが、このテーマに絞って脚色したアーヴィングの姿勢は間違ってはいないと思う。主人公が孤児院に帰ってくるラストで何だか胸が詰まった。アカデミー脚色賞を受賞したのもうなづける。同じく助演男優賞を受賞したマイケル・ケインもいいし、主人公の相手役を務めるシャーリーズ・セロンも魅力的。「ノイズ」「レインディア・ゲーム」と出演作が相次いで公開されており、好調さをうかがわせる。
2000/06/21(水)「グラディエーター」
「インサイダー」のラッセル・クロウは太っていて驚いたが、あれは役作りのためだったらしい。この映画のために17キロ痩せたそうだ。体重をそんな風にコントロールできるとは羨ましい。
ローマ帝国を舞台にした復讐劇でリドリー・スコット監督がいつものように素晴らしい映像を見せてくれる。冒頭の戦闘シーンで弓矢がピュンピュン飛ぶ様子は「プライベート・ライアン」の弾丸の怖さを思い起こさせてくれた。ま、こういう映画でリアルで残虐な戦闘シーンにする意味が今ひとつ理解できないが、とりあえず迫力はたっぷりある。その後のローマ帝国の描写もCGを駆使してかつての「ベン・ハー」などの史劇を思わせるスペクタクル。ただ、どこか本物とは違う感じがする。CGがいくらリアルになっても限界はあるのだろう。あまりスケールの大きさを感じない。
ローマ皇帝に妻子を殺された将軍が奴隷の身からグラディエーター(剣闘士)となり、復讐を誓う話。2時間35分にしてはひねりがないので途中で飽きてくる。大作風の描写を削ってでも、2時間以内にまとめた方が良かった。ラストに1対1の対決をするのはこうした映画の定石ではあるが、この映画の設定、工夫が足りないように思う。
何よりも復讐の意識をどこかに忘れたかのようにコロシアムで人を殺し続ける主人公に共感を持たせるのは難しい。もっと心情をきめ細やかに描く必要があったのではないか。復讐を果たしても今ひとつ晴れ晴れしない話なのである。
2000/06/15(木)「マン・オン・ザ・ムーン」
1984年に35歳で亡くなったコメディアン、アンディ・カフマンを描いた映画。監督はミロシュ・フォアマンで手際よい演出を見せるのだが、今ひとつカフマンの真実には迫れなかったような気がする。だいたい、こちらがカフマンに関する知識を持ち合わせていないので、このコメディアンが実際にはどういう位置づけだったのか良く分からないのだ。
カフマンは独特のコメディに関する考え方を持っていたようで仲間さえもひっかけて楽しむ。笑わせることを重視してさえいないように見える。分からないのは途中で女性相手にプロレスを展開するくだり。本気なのか、冗談なのか見分けがつかない。あれを本当にコメディと考えていたのだとしたら、ちょっと違いますね。映画ではテレビでプロレスを見ていたカフマンが不意にヒール(悪役)になることを思いつくのだが、実際にはどうだったのだろう。そのあたりがとても気になる。大学での公演で延々と「華麗なるギャツビー」を読むというのもよく分からない。
映画自体は良くできていて、主演のジム・キャリー(カフマンよりはるかに才能あふれるコメディアンだ)も熱演している。キャリーはこの映画でゴールデングローブ主演男優賞を受賞したが、アカデミー賞にはノミネートさえされなかった。ま、それがコメディアンには冷たいアカデミーの体質というものだろう。カフマンと親しくなるリン役コートニー・ラヴも良かった。
どうでもいいことだけど、カフマンの綴りはKAUFMAN。フィリップ・カウフマンなどと同じなのだ。なぜ、読み方がちがうんでしょうか。