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「キングメーカー 大統領を作った男」は韓国大統領となった金大中と選挙参謀を務めた厳昌録(オム・チャンノク)の実話を基にしたサスペンス。映画の中で実名は使われず、金大中はキム・ウンボム(ソル・ギョング)、厳昌録はソ・チャンデ(イ・ソンギュン)となっています。韓国ではそれでも分かるのでしょうが、日本では実名の方が通りが良かったと思います。もっとも、若い世代の中には金大中自体を知らない人もいるでしょうから、あまり関係ないですかね。
そういう事情もあって前半は少し退屈しましたが、後半は良い出来。キム・ウンボムが野党の中で徐々に力を付け、野党候補として大統領選に出るところがクライマックスになります。ソ・チャンデの選挙戦は1票増やすよりも対立候補の票を10票減らすことを目的とした汚いやり方で、ネガティブキャンペーンや詐欺まがいの贈賄工作まで手段を選びません。しかしある事件を引き起こしたことで、キム・ウンボムと決別することになります。
映画が描くのは1961年から1971年までが中心。日本で金大中が有名になったのは1973年、日本での拉致事件(阪本順治監督が「KT」で描きました)からですが、それ以後の時代についてはエピローグで触れられる程度です。この映画では金大中ではなく、選挙参謀が主人公なので当然こうなるわけです。
監督・脚本は「名もなき野良犬の輪舞(ロンド)」のビョン・ソンヒョン。映画化を意図した理由について「正しいと考える目的を成し得るために、正しくない手段を使うことも正当か?」という疑問を映画にしてみたかったから、と語っています。
パンフレットには「『選挙の鬼才』厳昌録」と題する秋月望明治学院大名誉教授のコラムが掲載されてます。これを読んで、実名が使えなかったのも無理はないと納得しました。映画にはかなりのフィクションが含まれていて、あくまで政治エンタメとして見るべき作品ということになります。アメリカでは未公開のためIMDbの投稿は376件と少なく採点は6.7。
東野圭吾原作「ガリレオ」シリーズの1本で、監督はテレビドラマから同シリーズを演出し、シリーズの劇場版「容疑者Xの献身」(2008年)「真夏の方程式」(2013年)も監督した西谷弘。映画の出来はともかく、ファンとしては柴咲コウが内海薫刑事役で復活したのがうれしく、物理学者のガリレオこと湯川学(福山雅治)とのバディぶりがおかしくて良かったです。
週刊文春ミステリーベストテンで1位、「このミステリーがすごい!」で4位となった原作は殺人方法の物理トリックの解明が中心となる後半が個人的には好みではありませんでした。映画は原作に忠実なのでやはり後半が今一つと思えました。
キャストは湯川の親友である草薙刑事役におなじみの北村一輝が扮するほか、飯尾和樹、戸田菜穂、田口浩正、酒向芳、岡山天音、吉田羊、檀れい、椎名桔平とオールスターキャスト。「オリエント急行殺人事件」のような展開なのかと原作を読んでいる時も思いましたが、映画もそうミスリードするような作りになっています。
「哭声 コクソン」(2016年)のナ・ホンジンが原案・プロデュースし、「愛しのゴースト」(2013年)のバンジョン・ピサンタナクーンが監督した韓国・タイ合作のホラー。タイのドキュメンタリーチームが東北部イサーン地方を訪れ、地元の神バ・ヤンの精霊に取り憑かれた霊媒ニムの日常生活を記録するという設定で語られます。つまり、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」や「クローバーフィールド」のような、いわゆるモキュメンタリーの形式を取っています。
タイトルには女神とありますが、実際には女神に使える巫女(霊媒)能力の継承を指します。霊媒のニム(サワニー・ウトーンマ)は姉のノイ(シラニ・ヤンキッティカン)が霊媒になることを嫌がってキリスト教信者になったため、霊媒能力を継承しました。ノイの娘ミン(ナリルヤ・グルモンコルペチ)の周囲に最近、不思議なことが次々と起こり、本人の奇行もあることからミンが次の霊媒になるのかと思われますが、実はミンに取り憑いたのは女神ではなく、悪霊だったことが分かります。ニムは悪霊払いをしようとしますが、という展開。
モキュメンタリーは撮影クルーも犠牲になるのが常で、この映画もそうなっていきますが、この形式は不要だったと思います。「哭声 コクソン」に及ばなかったのはこの形式も影響しているでしょう。映画はR18+指定になっていますが、性描写も暴力描写もそれほどではありません。IMDb6.5、ロッテントマト78%。
「ペンギン・ハイウェイ」(2018年)の石田祐康監督のアニメで、劇場公開と同時にNetflixでの配信が始まりました。廃墟となった団地で遊んでいた小学生たちが不思議な現象に巻き込まれ、気づくと団地の周囲は海だった。子供たちは元の世界に戻ろうとするが、という話。
評判が良くないのは団地がなぜ海に浮かぶのかという疑問を含めて、物語の作り込みが浅いためでしょう。
映画草創期に史上初の女性映画監督として多数の作品を残しながら、ほとんど知られていないアリス・ギイ=ブラシェに迫るドキュメンタリー。アリスは世界初の劇映画「キャベツ畑の妖精」や超大作「キリストの誕生」などを監督しましたが、男性優位社会の弊害から作品にクレジットされず、映画史でも無視されてきました。パメラ・B・グリーン監督は記録フィルムや関係者のインタビューを通してアリスの功績を詳しく紹介しています。
高い評価を受けている作品で確かにアリスの功績はよく分かりますが、映画としてはちょっと構成が単調でポイントを絞り切れていない印象があります。IMDb7.7、メタスコア76点、ロッテントマト96%。
「川っぺりムコリッタ」は荻上直子監督の「彼らが本気で編むときは、」以来5年ぶりの作品。荻上監督は同じ物語の小説版も出していますが、元々、映画にするつもりで脚本を書き、それを小説化したそうですから、西川美和監督がやってる方式と同じですね。
主人公の山田たけし(松山ケンイチ)は北陸にあるイカの塩辛工場で働き始め、社長(緒形直人)から紹介された「ハイツムコリッタ」という川の近くに立つ平屋の古い安アパートで暮らし始める。無一文に近い状態でやってきた山田のささやかな楽しみは風呂上がりの良く冷えた牛乳。ある日、隣の部屋の島田幸三(ムロツヨシ)が風呂を貸してほしいと上がり込んできた。これまで孤独に生きてきた山田は人と関わらず、ひっそり暮らしたいと思っていたが、夫を亡くした大家の南詩織(満島ひかり)、息子と二人暮らしで墓石を販売する溝口健一(吉岡秀隆)らムコリッタの住人たちと関わりを持つようになる。そして、山田の前歴が明らかになる。
塩辛と味噌汁でご飯を食べていた山田の部屋に、「ご飯ってさあ、一人で食べるより誰かと食べた方が美味しいよね」と言いながら自分で作ったキュウリとトマトを持って島田が押しかけ、一緒に食べるシーンなど荻上映画に重要な食事のシーンがこの映画でも大きな部分を占めます。
「かもめ食堂」(2005年)など初期の荻上映画に僕はあまり興味を持てませんでしたが、この映画はしみじみと良かったです。出てくる人たちは皆裕福ではありません。不遇な育ちをしてきた山田は白米と少しのおかずでご飯が食べられて、孤独ではないことに小さな幸せを感じるようになります。そうした小さな幸せの大切さが今回も綴られていきます。
松山ケンイチもムロツヨシもピッタリの役柄と思わせる好演でした。ムコリッタ(牟呼栗多)は仏教における時間の単位のひとつで、1日の30分の1(約48分)の意味だそうです。
ハードな潜入捜査官もので、深町秋生の原作を原田眞人監督が映画化。関東最大のヤクザ組織・東鞘会への潜入を命じられた兼高(岡田准一)は凶暴なサイコボーイ、室岡(坂口健太郎)と狂犬コンビを組み、組織での存在を大きくしていく。会長十朱(MIYAVI)のボディガードとなるが、兼高が潜入捜査官との疑いがかけられる。
岡田准一は「ザ・ファブル」シリーズで見せたように格闘系とアクロバティック系の両方のアクションができますが、今回は格闘系がメイン。格闘デザイン、殺陣も担当しています。ホステスのルカ(中島亜梨沙)が敵対組織から送られた女殺し屋の正体を現す中盤が最高の展開。それ以降のアクションもファンには満足できる内容でした。組織に恨みを持つ人物たちが一斉にそれぞれに攻撃を仕掛けていくクライマックスは感動もの(そういう人物が多すぎるかな、という気もします)。脇を固める北村一輝、金田哲と大竹しのぶ、松岡茉優、木竜麻生の女優陣も良いです。
英語タイトルは「HELL DOGS IN THE HOUSE OF BAMBOO」。原田監督が影響を受けたサミュエル・フラー「東京暗黒街 竹の家」(1955年、原題House of Bamboo)を参照する形になってます。
ハイローシリーズと高橋ヒロシ原作の人気コミック「クローズ」「WORST」のクロスオーバー作品の第2弾。高校生が縄張り争いで喧嘩ばかりしている映画です。
過去のハイローシリーズ全部を見ているわけではありませんが、劇場版2作目の「HiGH&LOW THE MOVIE 2 END OF SKY」(2017年)はアクションにキレがあって良い出来でした。今回もアクション目当てに見ましたが、特に目立ったところはなし。アクションが普通なら、話に凝れば良いのに、ありきたりの展開でした。
あまり意味があるとは思えませんが、女性を画面に出さない方針なのか、病院の看護師も声だけで姿を見せませんでした。監督は脚本でシリーズに関わってきた平沼紀久。総監督にクレジットされている二宮“NINO”大輔はミュージックビデオやCM制作の映像作家だそうです。
「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」(2017年)のバズ・プーンピリヤ監督作品。ニューヨークでバーを経営するボス(トー・タナポップ)に、バンコクの友人ウード(アイス・ナッタラット)から数年ぶりに電話が入る。ガンで余命宣告を受け、元恋人たちを訪ねる旅の運転手を頼みたい、というのだ。2人は古いBMWで元カノたちを訪ねていく。
予告編では「クライマックスから、もう一つの物語が始まる」と字幕が出ました。その通り、2人の過去に関わる別の話が始まります。このパートが長すぎて、しかも感傷過多で僕はうんざりしました。
字幕ではウードの病気はガンとしか出ませんが、公式サイトによると、白血病となってます。途中で吐血するシーンがあるので胃ガンなど内臓系のガンかと思ったんですけどね。ウードは化学療法を拒否している設定なのに、なぜか毛髪が全部抜けてるというのも疑問でした。そういう細部も含めて脚本に難があり、語り方もうまくありません。
製作はウォン・カーウァイ。元カノの一人を「バッド・ジーニアス」のチュティモン・ジョンジャルーンスックジンが演じてます。IMDb7.3、ロッテントマト67%。
山本直樹の原作コミックを城定秀夫監督が映画化。宗教的な団体「ニコニコ人生センター」に所属する2人の男と1人の女が団体のプロジェクトで無人島での共同生活を送っていたが、女をめぐる性的感情や外界からの侵入者らによって乱され、徐々に本能と欲望をあらわにしていく、という物語。主人公のオペレーターに磯村勇斗、議長を宇野祥平、副議長を北村優衣が演じています。
映画を見た後に原作のKindle版を読んだら、驚くほど忠実でした。原作にはこの団体の成り立ちも説明してありますが、なくても支障はありません。低予算の映画かなと思っていたので、クライマックス、多数の信者が登場するモブシーンは意外でした。ここで団体の先生を演じているのは原作者の山本直樹です。
原作は1999年に連載され、上下2巻にまとまっています。宗教的団体として山本直樹がイメージしたのはオウム真理教のほか、連合赤軍とガイアナで信者900人以上が集団自殺した人民寺院だったそうです。
北村優衣は意図しないサークルクラッシャー的役回りになります。DVの夫から逃げて団体に入った設定なので、撮影時21歳の北村優衣は若すぎる感もありますが、男2人の心を乱す存在として十分に魅力的でした。城定監督得意のエロス表現も演じきっています。
原作には続編「安住の地」があるそうですが、絶版で古書しか手に入りません。これも電子書籍化してほしいところです。
「マルケータ・ラザロヴァー」は1967年、チェコのフランチシェク・ヴラーチル監督作品で今回が日本初公開。公式サイトには「『アンドレイ・ルブリョフ』(’71年/アンドレイ・タルコフスキー監督)、『七人の侍』(‘54年/黒沢明監督)などと並び評され」とあります。
これから見る人にお勧めするのはどういうストーリーかを事前に頭に入れておくことです。チェコでは広く知られた原作らしいですが、登場人物が多く、劇中での説明も十分とは言えないので予備知識がないと理解しにくくなっています。
13世紀のボヘミア王国が舞台。ロハーチェックの領主で残虐な盗賊でもあるコズリークの息子ミコラーシュとアダムは凍てつく冬の日、遠征中の伯爵一行を襲撃、伯爵の息子クリスティアンを捕虜にする。王は捕虜奪還とロハーチェック討伐を試み、元商人のピヴォを指揮官とする精鋭部隊を送る。オボジシュテェの領主ラザルには修道女になる予定の娘マルケータがいた。ミコラーシュは王に対抗するため同盟を組むことをラザルに持ちかけるが、ラザルはそれを拒否。ラザル一門に袋叩きにされたミコラーシュは報復のためマルケータを誘拐し、陵辱する。部族間の争いに巻き込まれ、過酷な状況下におかれたマルケータは次第にミコラーシュを愛し始める。
2章構成の2時間46分。キリスト教と異教、人間と野生、愛と暴力に翻弄される人々を描いた叙事詩と言われますが、その本領は第2章の方です。愛と暴力、特に暴力がたっぷり。ただし、アクション描写で言えば、黒澤明と比較するのは無茶でしょう。矢が刺さるシーンだけ取っても、「蜘蛛巣城」のクライマックスには及ぶべくもありません。
黒澤の「七人の侍」はシンプルな物語をエンタメ方向に突き詰めることで芸術の域にまで昇華しましたが、「マルケータ・ラザロヴァー」はそれに至ってはいません。また、この映画以上に登場人物が多く、愛と暴力、人間と野性の描写も圧倒的に多いドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」のような作品を見てきた今の観客にとって、この映画がアピールする部分は多くはないと思います。あくまでも55年前に絶賛されたクラシック作品として見るのが良いのでしょう。IMDb7.9、ロッテントマト100%。
韓国ソウルに暮らす三姉妹の物語。3人の現在の生活を代わる代わる描いていく構成は単純ですが、3人はいずれも小さくはない問題を抱えています。
長女ヒスク(キム・ソニョン)は別れた夫の借金を返しながら、小さな花屋を営んでいますが、最近、一人娘がバンドに入れあげて反抗期。自身もガンに侵されていることが分かります。次女ミヨン(ムン・ソリ)は熱心に教会に通う信徒ですが、大学教授の夫(チョ・ハンチョル)が若い女と浮気していることを知ります。劇作家の三女ミオク(チャン・ユンジュ)はスランプで脚本が書けず、酒浸りで夫に当たり散らす毎日。
音楽もなく、3人の日常を綴る中盤までは硬質の手ざわりで、同じく三姉妹の葛藤を描いたウディ・アレンの「インテリア」(1978年)を思わせました。父親の誕生日を祝うため三姉妹は久しぶりに実家で顔を合わせ、そこで現在の不幸の原因となるものが明らかになります。珍しくはない理由ではあるものの、イ・スンウォン監督の演出は的確で、見応えのある傑作となっています。
深刻なだけではなく、三女の人の良い夫を巡る描写などユーモアのある場面もあり、通俗的大衆的な面を備えています。僕が見た時は中高年女性客でいっぱいでした。女性を描いた韓国映画は受けるんでしょうか。
今村夏子の原作を第1回監督作品となる森井勇佑監督が映画化。原作のあみ子は軽い知的障害がある女の子のようですが、オーディションで選ばれた大沢一菜(かな)はまったく自然にあみ子役を演じきっています。
広島に暮らす小学5年生のあみ子は少し風変わり。優しいお父さん(井浦新)、一緒に遊んでくれるお兄ちゃん(奥村天晴)、書道教室の先生で妊娠しているお母さん(尾野真千子)、憧れの同級生のり君(大関悠士)など、たくさんの人に見守られながら元気いっぱいに過ごしていた。しかし、あみ子の悪気のない行動が不幸な事態を引き起こしてしまう。
タイトルはあみ子がおもちゃのトランシーバーで「こちらあみ子、こちらあみ子、応答せよ」と話すシーンに由来します。映画独自のエピソードもありますが、物語の流れは原作に忠実で、これができたのは大沢一菜の存在が大きいでしょう。尾野真千子は「サバカン SABAKAN」とは違ったタイプの母親(継母)を演じ、中盤、深くショッキングな悲しみから崩折れるシーンでさすがの演技を見せています。大沢一菜はその姿を間近で見て「演技って本当に泣くんだ」と思ったそうです。
東宝のプロデューサーで作家の川村元気による初監督作品。自身の小説を自身で脚本化(平瀬謙太朗と共同)しています。認知症にかかった母親(原田美枝子)と息子(菅田将暉)を巡る物語。話自体は良いのだと思いますが、映画としては焦点が定まらず、画面構成にも難があり、平凡な出来に終わっています。
作家として、プロデューサーとしての力に比べると、監督としての力量はまだ不足気味です。だいたい、原田美枝子よりも菅田将暉よりも、物語の中心から少し離れた位置にある役柄の長澤まさみが一番魅力的なのは困ったものです。2作目で捲土重来を果たして欲しいところ。
「破戒」は島崎藤村原作の60年ぶり、恐らく4回目の映画化。なぜ今ごろ「破戒」を映画化するのか疑問でしたが、全国水平社創立100周年記念なのだそうです。
明治後期、信州の被差別部落に生まれた主人公・瀬川丑松(間宮祥太朗)は父親(田中要次)から、「絶対に身分を明かしてはいけない」と戒めを受けた。小学校教員となった丑松は同じく被差別部落に生まれた運動家・猪子蓮太郎(眞島秀和)の著書を読み、影響を受ける。やがて学校で丑松が被差別部落出身であるとの噂が流れる。さらに猪子が政敵の放った凶刃により壮絶な死を遂げた。丑松は追い詰められ、父の戒めを破り、素性を教室の子供たちに打ち明けてしまう。
原作の忠実な映画化と言って良い作品ですが、部落出身と分かっただけで宿を追い出して畳替えをしたり、職を追われたりする当時の差別の激しさを改めて見せられると、主人公が出自を隠さなければならないことも納得できます。差別する側の俗物ぶりは類型的な悪役に近い描き方で、現代に通じるものになっています。古めかしい内容ではありません。
良かったのは終盤、丑松が同僚の土屋銀之助(矢本悠馬)に自分の出自について語る場面。丑松とは師範学校時代からの親友である銀之助は丑松の前で部落出身者への差別的言動もしてきましたが、親友がそうであると知ってそれまでの言動を詫び、丑松を支えようとします。矢本悠馬の軽さと明るさはこの深刻な映画の息抜きであり、温かさになっています。
低予算の映画かと思ったら、出演者は豪華で、丑松が思いを寄せる下宿先の寺の養女・志保に石井杏奈、住職に竹中直人、校長に本田博太郎、部落出身で事業に成功した男に石橋蓮司。このほか高橋和也、大東駿介、小林綾子らが出演。
KINENOTEで「破戒」を検索すると、7本の映画が出てきますが、このうち1929年版はアメリカ映画、1974年版は韓国映画で藤村とは無関係。1913年版はスタッフ、キャスト等不明で、日活製作ということしか分かりません。もうフィルムは残っていないでしょうし、確認しようがありません。
1946年版は阿部豊監督、池部良主演。1948年版(キネ旬ベストテン6位)は木下恵介監督で、これも池部良主演。1962年版(キネ旬ベストテン4位)は市川崑監督、市川雷蔵主演。KINENOTEの採点は順番に70点、71.2点、73.8点となっています。今回の映画は最も高い78.7点。といっても映画は時代によって評価が異なるものですから、点数評価で過去の映画と単純な比較はできません。監督は前田和男。
自伝的エッセイ「さかなクンの一魚一会 まいにち夢中な人生!」を基に「子供はわかってあげない」「おらおらでひとりいぐも」の沖田修一監督が映画化。主人公のミー坊はさかなクンそのままではありませんが、モデルにはしていて、なぜ男役をのんが演じるのかが最初の疑問でしょう。映画の冒頭には「男か女かはどっちでもいい」とその疑問に答えるような字幕が出ます。
監督はパンフレットに「かなり早い段階で、主役のミー坊を、のんさんにやってもらおうと考えていた。さかなクンを描くのに、性別はそれほど重要ではないと思っていたからだ。むしろ、他の人で、このミー坊役ができそうな人を探すほうが、難しかった」と書いています。なぜかという答にはなっていませんが、シネマトゥデイのインタビューでは「(二人は)不思議と似ている」と答えており、透明感があることと、どこか浮世離れしたところが共通しているからなのではないかと思います。
映画は沖田監督らしいほんわかした雰囲気で、のんにもまったく違和感がありません。監督が言うように、のん以外の誰がこの役をできるか、思いつきません(のん自身も、そう言ってます)。
純粋・一途を絵に描いたような主人公のキャラは「横道世之介」(2012年)に似ているという指摘があり、僕もそう思いました。魚以外に興味を持たず、成績も良くないミー坊を「この子はこのままでいいんです」とかばう母親役の井川遥も最高でした。ただ、上映時間2時間19分はもう少しコンパクトにした方が良かったかなと思います。
「ミッドナイトスワン」の内田英治監督によるオリジナル脚本の作品。タイトル通りの内容で意外性はありませんが、随所に描写のうまさが光る作品になっています。
ただ、説得力が足りないと思える部分もあるのが残念なところ。30年間刑事を務めてきた主人公(阿部寛)が異動先に不満たらたらだったのに、いつの間にか音楽隊の中心的存在になるのは何か決定的なエピソードを用意したいところでした。
もう一つ、警察音楽隊は存在意義が薄いとして廃止されそうになりますが、一転して存続が決まる理由が音楽隊の意義とは関係がなく、こういう理由だと、将来的に廃止の話が再燃してくる可能性大です。
阿部寛は安定した演技を見せているほか、子持ちでバツイチ間近のトランペット奏者役・清野菜名が良いです。
伊坂幸太郎「マリアビートル」の映画化。仕事に復帰した殺し屋レディバグ(ブラッド・ピット)は超高速列車でブリーフケースを奪うという指令を受けるが、列車に乗り込んだ彼に殺し屋たちが次々と襲い掛かってくる、という話。
監督は「ワイルド・スピード スーパーコンボ」「デッドプール2」などユーモラスな作品が得意なデヴィッド・リーチで、今回の映画もコメディタッチのアクション、というよりほとんどスラップスティックになっています。「大陸横断超特急」(1976年、アーサー・ヒラー監督)を思い起こさせる作品ですね。
それにしてもいくらなんでもこの列車、人が乗ってなさすぎだろ、と思ったら、終盤、ある人物が「全席買い取った」と話します。いや、自由席は事前には買えないでしょ。全席指定席の列車なのか。
IMDb7.5とまずまずですが、演出の緩さが目立つためか、メタスコア49点、ロッテントマト54%とプロからは厳しい評価となっています。
「アキラとあきら」は池井戸潤原作を三木孝浩監督が映画化。同じ名前を持つ同期の銀行員2人の苦闘を熱いタッチで描く感動作となっています。同じ原作で2017年に傑作ドラマ(斎藤工、向井理主演、水谷俊之・鈴木浩介演出)を作ったWOWOWが製作に加わり、ドラマ同様の成功を収めることになりました。全9話トータル約7時間半のドラマ版と同じ感動を受ける映画であり、上映時間2時間8分とドラマより5時間余り短いにもかかわらず、描写不足は感じられません。
山崎瑛(竹内涼真)の父親の町工場は銀行の支援を受けられず倒産。瑛は銀行に憎しみを持っていたが、ある銀行員の真摯な行動を見て考えを改め、志を持ってメガバンクの産業中央銀行に入る。大企業・東海郵船の社長を父に持つ階堂彬(横浜流星)は次期社長の椅子を蹴って同じく産業中央銀行へ。2人は入行研修で頭角を現し、将来を嘱望される。しかし、山崎は融資を担当した町工場を救おうとして損失をもたらしたことが問題視され、地方の支店に飛ばされる。順調に出世していた階堂はリゾートホテルの運営に失敗した東海グループの危機を救うため東海郵船の社長に就任。支店で実績を上げて本店に戻った山崎は東海グループの担当になり、階堂とともにグループの再建に乗り出す。
池井戸潤はパンフレットのインタビューで脚本の良さを指摘しています。「まず、シナリオがとてもよく練られていましたよね。原作では長く書いている主人公ふたりの子ども時代のエピソードを必要最小限に抑えて、そのエピソードを、青年時代を描く中で上手に使っている。ひとつひとつの台詞が生きていて、かつ有機的に結びついている。ここまで完成度の高い脚本には、めったにお目にかかれません」
脚本の池田奈津子は主にテレビドラマで活躍してきた人で映画は3作目ですが、過去2作(「映画 楼蘭高校ホスト部」「4月の君、スピカ。」)で高い評価は得ていません。今回は監督の助言・協力もあったのだと思いますが、物語のエッセンスを漏れなく盛り込んでかなりうまい脚色となっています。
真っ当に真正直に自分の理想を貫く生き方を「青臭い」などと冷笑せず、全力で肯定した作品であり、地道にコツコツと努力を重ねながらも十分に報われていない人を鼓舞する作品でもあります。フランク・キャプラの昔からたいていの人はそういう物語が好きなのであり、そういう物語が好きな人はこの夏、最も見逃してはいけない作品と言えるでしょう。
主演の2人も良いですが、宇野祥平、塚地武雅、杉本哲太、満島真之介らがそれぞれに胸を打つ演技を見せています。朝ドラ「ちむどんどん」であがり症のためうまく歌えない歌手志望の三女を演じる上白石萌歌は颯爽とした女性銀行員を演じて名誉を大きく挽回しました。
三木孝浩監督のこの夏の3本の映画は「TANG タング」がフツーの仕上がりだったものの、「今夜、世界からこの恋が消えても」と「アキラとあきら」は水準を大きく超える出来で、言わば2勝1分け。3本とも違うジャンルの映画を作ってこの打率の高さは大したものだと思います。
「ゲット・アウト」「アス」のジョーダン・ピール監督によるSFスリラー。牧場経営で生計を立てる一家の長男OJ(ダニエル・カルーヤ)は家業をサボって市街に繰り出す妹エメラルド(キキ・パーマー)にウンザリしていた。ある日、空から異物が落ちてきて、父親が死ぬ。飛行機からの部品落下と思われたが、OJは父の死の直前、雲に覆われた巨大な飛行物体のようなものを目撃していた。兄妹は飛行物体の証拠を収める動画を撮影しようとする。
という表面的なストーリーはよく分かるんですが、映画は同時に子役出身で今はテーマパークを運営するリッキー・“ジュープ”・パク(スティーヴン・ユァン)の姿を描きます。リッキーは子供の頃、本番中におぞましい体験をします。一緒に出ていたチンパンジーが出演者を惨殺するんです。
これがどういう意味なのか、パンフレットの解説読まないと僕には分かりませんでした。チンパンジーはアジア人(イエロー・モンキー)の比喩なのだそう。加えて史上初の映画に出ていた黒人や映画に貢献した多くの人たちを無視してきた映画史への抗議がこの映画にはあるのだそうです。
そのあたりが分かりにくいのがこの映画の弱さで、メタスコアこそ77点の良好な評価ですが、IMDb7.3、ロッテントマト83%という微妙な評価となっている要因と思えます。こっちの知識が乏しいのも悪いんですけど、解説読まなくても分かる映画を目指してほしいものです。
ロンドンの高級レストランを舞台に、95分間ワンショットで撮影したドラマ。長回しは時に有効な撮影手法ですが、全編をワンショットで撮ることに大きな意味はありません。ヒッチコックが「ロープ」(1948年)を撮った時は10分ぐらいで撮影フィルムの交換が必要でしたから全編ワンショットのような撮影に挑戦することは面白い試みでした。
デジタルカメラの今は2時間でも3時間でも連続撮影できますから、全編ワンショットに監督の自己満足以外の意味を見いだすことが難しくなっています。
というわけでこの映画、カットを何とか続けるために出演者の後をカメラがノコノコ着いていくという無駄で無意味な場面を観客は何度も見せられることになります。さっさとカットを割って話をつないだ方が緊張感は持続するでしょう。
レストランの従業員と客のさまざまなドラマを織り込んだ物語自体は面白く見ましたが、無理の目立つ撮影技法に拘泥するような映画を高く評価する気にはなれません。IMDb7.5、メタスコア73点、ロッテントマト99%。
酷評が多いので期待せずに見ました。そんなに貶すほど悪くない、というのが第一感。もちろん、同じような若い女の子の殺し屋が主人公の「ベイビーわるきゅーれ」のアクションに比べると、話にならないレベルですが、「ベイビーわるきゅーれ」で感じた主役2人の演技の稚拙さが少なくともこの映画にはなかったです。
アクション場面は編集でなんとかするという作りで、橋本環奈にアクションができない以上、きちんとその代わりができるスタント、吹き替え役を用意したいところでした。いや、吹き替え役はいるんですが、あまり効果的に使われてないです。撮り方もうまくありません。
監督の瑠東東一郎は「劇場版 おっさんずラブ ~LOVE or DEAD~」などの作品があります。ドラマの演出も多く、昨年のNHKよるドラ「古見さんは、コミュ症です。」(増田貴久、池田エライザ主演。ああ、そう言えば、これにも城田優が出てました)はおかしくて良い出来でした。コメディが得意な監督なんじゃないかと思います。
1歳半から4年半育てた男の子を実の父親に返すことになった家族の物語。見ながらチャップリンの「キッド」(1921年)を思い出しました。パンフレットを読んだらファビアン・ゴルジュアール監督はプロデューサーから「キッド」「クレイマー、クレイマー」「E.T.」の3本を見るように勧められたそうです。やっぱり。
制度を批判する社会派作品ではなく、情緒的タッチで映画化したのがポイントで、泣かせる力では「キッド」にはかないませんが、良い映画でした。日本の特別養子縁組制度だったら、この映画のような問題は起きないでしょう。しかし本当の親をまったく教えない(里親にも知らされない)のが良いことなのかどうか。フランスの制度は柔軟と言えますが、運用面では硬直化したところもあるようです。里子や養子をめぐる問題はどんな制度も完全ではないな、と思わせます。
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