2005/11/22(火)うまい脚本
「大停電の夜に」は惜しいところで傑作になり損ねているが、それではどういう脚本がうまい脚本なのか。以前、作家の故・都筑道夫さんがキネ旬連載の「辛味亭事苑」で紹介していたテレビの「ザ・ネーム・オブ・ザ・ゲーム」の話が僕には強く印象に残っている。話はこうである。
あるラジオ局の人気DJのもとに一本の電話がかかってくる。電話をかけてきた女は失恋によって絶望し、これから自殺するという。驚いたDJは必死でラジオから自殺をやめるように呼びかける。ありとあらゆる言葉を駆使し、「死ぬのは無意味だ」と自殺を思いとどまるよう説得する。この放送は聴取者にも大きな反響を呼び、「自殺するな」という声が多数寄せられる。ところが、女が自殺するというのは嘘だった。深夜になって、再び電話を掛けてきた女は自分が女優の卵で演技力を試してみたかったのだと話す。「あなたのお陰で自信がついた」と女は笑って電話を切る。DJは自分が騙されていたことにがっかりして放送局を出るが、局の前で暗がりから出てきた一人の女性が「ありがとう」と言って包みを渡す。包みの中には睡眠薬があった。
もちろん、この女性はDJの呼びかけで自殺を思いとどまったのである。ハリウッドはさすがにエンタテインメントの伝統があるなと思うのはこういう脚本がテレビで出てくるからだ。どこをどうすれば面白くなるのか、それが浸透している。ショウビズの本場の底力はそんな部分に現れるのだと思う。もっとも、今のハリウッド映画の脚本がすべて優れているわけではないんですがね。
鈴木光司原作、中田秀夫監督の「仄暗い水の底から」(2002年)のリメイク。監督は「セントラル・ステーション」「モーターサイクル・ダイアリーズ」のウォルター・サレス。原版を見ていないので比較しようがないが、これはホラーというよりも母娘の絆を描いた映画と言える。ホラーとしては理に落ちた分、怖くなくなっている。物語に納得してしまえるホラーは怖くないのである。不条理の怖さ、理由のない怖さ、問答無用の怖さ、といったものはこの映画にはない。子供の頃に母親から憎まれ、捨てられたヒロインの精神状態の不安定さを利用すれば、そうした怖さが表現できたと思うが、サレスはそういう演出をしていない。睡眠薬で丸一日眠ってしまったヒロインが見る悪夢のシーンなどはもっと怖くできるのに、と思う。黒い水(ダーク・ウォーター)が部屋を浸食するようにヒロインの精神も浸食されていくような演出がもっと欲しいところではある。だから、この映画を見ると、たかが子供の霊だから怖くないんだよなということになってしまう。同じくハリウッド進出監督のホラーということで、見ていて連想したのはアレハンドロ・アメナーバルの「アザーズ」だが、あの映画で怖さ以上に魅力的だった情緒的な悲劇性もまた、この映画には薄い。映画の丁寧な作りとジェニファー・コネリーの好演に感心はしたが、映画としては水準以上のものにはなっていない。
クリスマス・イブ、停電となった東京で語られる6組の男女の物語。もっともクリスマスらしいのは吉川晃司と寺島しのぶのエピソードで、これは終盤に吉川晃司がサンタクロースの格好をするためでもあるが、海外の小説にはよくあるクリスマス・ストーリーっぽい話になっている。寺島しのぶの語らない言葉(視線)で吉川晃司にすべてが分かるという場面も良かった。この2人の出番は少ないが、12人の出演者の中では一歩抜けている演技だと思う。路地裏にある流行らないジャズバーの豊川悦司とロウソク店の田畑智子が絡む話もいい。これにクライマックスに意外な人間関係が明らかになる原田知世の素敵な雰囲気までが、この映画の優れた部分と感じた。
現在の不幸の要因が過去にあるというのはミステリではよくある設定だ。この映画の姉妹は不幸というほどではないが、それぞれに日常生活に問題を抱えている。姉のローズ(トニ・コレット)は弁護士だが、小太りで(とは見えないが)容姿にコンプレックスを持っている。妹のマギー(キャメロン・ディアス)は容姿・スタイルとも抜群だが、難読症で自分は頭が悪いと思っている。母親は2人が子供の時に交通事故死した。その秘密がクライマックスに明らかになる。そして仲違いしていた姉妹はかつてのような姉妹の絆を取り戻す。簡単に言えば、そういう話なのだが、この映画の良さはそうしたプロットにあるのではなく、それぞれの問題を克服していく姉妹の姿にある。マギーがフロリダの老人ホームで盲目の元大学教授の指導を受けて、E・E・カミングスの詩を読み、ゆっくりと難読症を克服していく描写や、あの「ロッキー」にも登場したフィラデルフィア美術館の階段をローズが犬と一緒に駆け上がるシーンなどは感動的だ。
「私は嘘つきの母親だわ」