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ベトナムから技能実習生として来日した3人の女性たちの苦境を描く。ミャンマー人家族を描いた「僕の帰る場所」(2017年)に続く藤元明緒監督の長編2作目。話の展開は、環境も待遇もひどかった最初の職場から逃げだし、雪国の漁港で働き始めた3人のうち1人が体調不良になり、妊娠が発覚する、というだけなのだが、事態は極めて深刻だ。技能実習生ではなくなった途端、身分証も保険証もなくなり、不法滞在になっているので病院に行くこともできないのだ。不法滞在が発覚すれば、強制送還が待っている。
困ったフォン(ホアン・フォン)は身分証と保険証を偽造してもらい(5万5000円もかかる)、病院に行く。体調不良の原因は妊娠の影響で逆流性食道炎になったことだった。超音波で胎児を見たフォンは日本語で「小さい」とつぶやく。
彼女たちはベトナムのブローカーに大金を払って来日している。職場を変わる際にも大金を払った。技能実習という国の制度を利用しているにもかかわらず、こうした余計で不透明な金がかかる現状はおかしいだろう。実習生の期間は3年に限られており、低い賃金の中から支払った金を取り戻すのも大変な現状なのだ。だから実習生の脱走が相次ぐことになる。制度不良と言って良いと思う。
パンフレットによると、日本は世界4位の移民大国で、来日する実習生の6割はベトナムからだそうだ。彼らは風俗産業に就いているわけではないが、境遇は1980年代に問題になった「じゃぱゆきさん」とあまり変わらないだろう。いや、当時の日本は裕福な国だったが、現在は違う。東京の最低賃金はタイのバンコクより低いそうだし、平均年収は韓国より低い。
タイやフィリピンからの労働者が減っているのはそうした日本の経済力低下が関係しているだろう。超高齢社会の日本は将来的に移民労働者をあてにしているが、自国より低い賃金の国に誰が働きに来ますか。ベトナムの実習生も待遇を改善しないと、いずれ来てくれなくなるだろう。実習生の待遇改善には日本の労働者の待遇を改善しないと、どうしようもない。アベノミクス以降、円安誘導の経済政策を続けてきた結果、円の価値が下落し、日本の労働条件は諸外国に比べて大きく低下してしまった。80年代から90年代にかけてのバブル期を知る中高年層にはまだ日本が裕福と思っている人がいるが、そうした幻想はとっとと捨て去った方がいい。
この映画は音楽もなく、自主映画に近い体裁だが、現状を知らしめる意味で作った意義は大きい。撮影は青森県外ヶ浜町で行われ、町も撮影に協力してくれたそうだ。彼女たちを演じたのはホアン・フォンのほか、アン役にフィン・トゥエ・アン、ニュー役にクイン・ニュー。パンフレットには彼女たち3人が美しく着飾った写真が掲載してある。粗末な小屋での寝起きを演じた彼女たちは、日本の現状をどう思っただろう。
シネマ1987の8月の合評会は「ゴジラvsコング」「竜とそばかすの姫」「1秒先の彼女」の3本について感想を話した。以下は僕のコメントの要約(「竜とそばかすの姫」については既に感想を書いているので省略)。
「ゴジラ」シリーズは僕の映画鑑賞の原点みたいなものなので、作品評価に関して心が広いです。モンスターバースの中ではゴジラもキングコングも地球生態系の守護神として描かれてきたので、戦う理由をどう設定したのか興味がありましたが、それに関しては肩透かしでした。ストーリーはどうでもよくてゴジラとコングを闘わせるだけの映画ですね。その見せ方に関しては迫力があって悪くなかったと思います。
小栗旬は序盤はセリフがありましたが、後半は白目むいてただけの印象でした。かなりカットされたようで、本人としては不本意でしょうね。
モンスターバースの作品で一番面白いのは「キングコング 髑髏島の巨神」(2017年)だと思います。監督のジョーダン・ヴォート=ロバーツは現在、ガンダム実写版に関わってるそうです。
アホかと思いました。おかしな点がたくさんありすぎて挙げるのが面倒なんですが、いくつか挙げます。
1秒遅れが蓄積した結果、時が止まって彼が追いつくという展開なんですが、ずーっと1秒遅れなら全然蓄積してないですよね。1秒遅れが2秒、3秒、4秒と遅れていくのなら話は分かりますが、全然そうはならない。それなら修正する必要もないです。しかも時が止まったという表現ながら、全然止まってないです。なぜ昼だったのが夜になるのかと。つまり、時は止まってなくて、世界の動きが止まったんです。ただ、そうなると、時間の修正もできないです。もうね、妄想レベルの話で、あきれてきます。論理が破綻してますね、この脚本。
彼女だけが「バレンタインデーがなくなった」と騒ぎますが、世界全体が止まったのなら、世界全体からバレンタインデーがなくなったはず。つまり彼女だけが他の人より丸1日余計に止まってたんですね。これは映画で詳しく描いてないですけど、1秒先が蓄積していったので修正したということなら分かります。そこまで考えてないですけどね、この映画。
何よりもダメなのは女性が気を失っている間に、あんなことやこんなことを勝手にやるこの男の気持ち悪さです。ストーカー男の犯罪行為、変態行為にほかなりません。本人の同意も取らずにこんなことをして許されると思ってるんでしょうか。口へのキスじゃなくて、額へのキスだから許されると思ってるのでしょうね。
この映画を肯定することはそうした変態行為を肯定することと同じです。さらにあきれたことに、彼女は男がこうしたことをしたのを知っても、彼を好きになるんですね。この映画、完全に壊れてます。世界が止まってる間に彼女を命を救った、その結果、自分は大けがをした、というような展開にすれば良かったのにと思います。交通事故による大けがじゃ、ダメなんです。
「プラットフォーム」
各映画祭で受賞しているスペインのSFスリラー。たぶん刑務所なんですけど、各部屋に2人が入れられていて、それが縦に長く並んだ建物が舞台。部屋の真ん中に大きな四角い穴があって、上からテーブルに乗った料理が降りてくる。上の人の食べ残しを下の人は食べるわけです。主人公は最初、47階層で目覚めるので、そこはまずまず料理が残ってるんですが、次に目覚めたのは171階層で、同房の男からベッドに縛られている。なぜかというと、この階層では料理にありつくことなんてできないので、同房の男は食べるために主人公を縛った、という展開。
4月にキネマ館で公開された時には、どういう映画かよく分からなかったのと、それほど評価は高くなかったのでスルーしました。Netflixで配信が始まったので見たら、話の設定がユニークで面白かったです。少し「CUBE」(1997年、ヴィンチェンゾ・ナタリ監督)を思い起こさせるところがありますが、よくこんな設定を思いつくなと感心しました。人間性をあらわにした残酷なところもあるんですけど、階級社会の風刺になっているし、最後は宗教的だったりします。
キネマ旬報2021年8月上旬号の細田守監督インタビューによれば、「竜とそばかすの姫」のコンセプトとして監督が考えていたのは「インターネットの世界を舞台に、現代の『美女と野獣』を描きたい」ということだった。細田監督はディズニーの名作アニメ「美女と野獣」(1991年)に大きな影響を受けている。だから「おおかみこどもの雨と雪」(2012年)の母親とオオカミの関係は美女と野獣だし、「バケモノの子」(2015年)の英題は「The Boy and The Beast」なのだそうだ。今回初めて「美女と野獣」によく似たシーンが登場するが、ただのオマージュに留まっていないのは竜=野獣の正体がハンサムな王子様などではなく、そこから本当のテーマが立ち上がってくるからだ。
「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」(2000年)とそれを深化・拡大した「サマーウォーズ」(2009年)と同様の舞台である仮想世界で、傷ついた竜の正体を知った主人公は現実世界で苦しむその正体の人間を助けるために奔走する。仮想世界でも現実世界でも世界を変革するにはちょっとした勇気が必要だ。映画はそんなことを語りかけてくる。
主人公は高知県の田舎町に住む女子高校生のすず(中村佳穂)。すずの母親はすずが幼い頃、増水した川の中州に取り残された少女を助けようとして亡くなった。その事故以来、父親と2人暮らしで、成長したすずは父親とまともに会話していない。好きだった歌も歌えなくなった。ある日、すずはパソコンに詳しい親友のヒロちゃん(幾田りら)に誘われ、50億人以上が集うネットの仮想世界<U>に参加する。<U>は現実の人間のキャラクターを元にした分身As(アズ)で別のキャラクターを生きることができる。すずのAsはベルという名の歌がうまい、そばかす美人だった。ベルは歌と美貌で人気を得てコンサートを開くが、そこに竜と呼ばれる謎の存在が現れ、コンサートを無茶苦茶にしてしまう。正義を名乗るAsの集団は執拗に竜を追い詰めていく。
近年の細田監督作品は家族をテーマにしている。この作品も終盤、「美女と野獣」を離れて家族の問題を描いていくことになる。すずの母親が少女を助けようとして死ぬ設定はなぜ必要だったのか。クライマックス、すずは自分の行動の過程であの時の母親の姿を思い出す。母親は危険を冒してでも少女を見殺しにすることなどできなかった。母親は自分を見捨てて少女を助けようとして、結果的に自分に寂しい思いをさせることになったと、すずは思ってきたのだが、自分が同じような立場になって初めて母親の決断を肯定することができたに違いない。それは母親を深く理解することであり、父親との和解にもつながっていく。そうしたすずの変化が胸を打つ。
3DCGを取り入れた<U>の造型は素晴らしく、アニメーションの表現は細部まで美しく丁寧だ。「美女と野獣」のアラン・メンケンほどではないにせよ、音楽も世界を豊かに彩っている。アニメの表現を突き詰め、テーマを十分に描いて間然とするところがない傑作だと思う。
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