2024/06/23(日)「あんのこと」ほか(6月第3週のレビュー)
「あんのこと」
母親に売春を強要され、覚醒剤中毒となり、辛すぎる人生を生きた実在の女性を描く入江悠監督作品。入江監督のベストという声が多く、僕もラストを除けばそう思いました。主人公の香川杏(河合優実)は21歳。ホステスの母親(河井青葉)、足の悪い祖母(広岡由里子)と3人でゴミ屋敷のような団地の一室に暮らしている。杏は子どものころから母親に殴られて育ち、困窮のため万引を繰り返して小学4年生で学校に行かなくなった。12歳の頃、母親の強制で初めて体を売った。覚醒剤はヤクザのような男に打たれて中毒になった。覚醒剤を買う金のために体を売る生活を送っていたが、刑事の多々羅(佐藤二朗)に補導され、覚醒剤中毒のグループ療法に参加して更生を目指すようになる。多々羅の友人でジャーナリストの桐野(稲垣吾郎)も協力し、杏は少しずつ生き方を変えていく。しかし、コロナ禍がやって来る。
前半、どん底の暮らしから立ち上がっていく主人公の姿がとても良いです。売春をやめ、介護施設で働き、覚醒剤を断ち、夜間中学で学び始める姿は希望を持たせます。一方でそんなにうまく事が運ぶはずがないと思えるのも事実で、予想通りというか、それ以上にひどい事態が出来します。
昨年公開された「遠いところ」(工藤将亮監督)は沖縄の17歳のシングルマザーの苦境を描いていましたが、あの主人公は父親や同棲相手など周囲のクズ男が苦境の原因でした。杏の場合は毒親と言うべき母親の存在がそれに当たります。この母親から逃げることが唯一の解決方法であり、これはDV男から逃げるのと同じことでしょう。
キネ旬レビューでは星5個、2個、1個と賛否が分かれていますが、見終わってどんよりした表情で映画館を後にする観客もいるようです。実際の事件を基にしたからといって、映画も同じラストにする必要はないと、僕も思いました。
経済的に困窮し、切実に助けを求める人がいること、そうした人たちを助けなくてはいけないこと、行政の支援はもっと充実させ、相談に来た人を追い返すような対応を改めるべきこと、などなどは悲しいラストにしなくても観客には伝わるでしょう。
平日午後の映画館は女性客が多かったです。河合優実は女性にも人気なのでしょうが、しっかりこういう役柄も演じられるのが役者としての可能性を感じさせます。佐藤二朗は前半の型破りな刑事を見ていると、ソン・ガンホのような存在になれるのでは、と思いました。稲垣吾郎も良いです。
▼観客多数(公開13日目の午後)1時間54分。
「ディア・ファミリー」
心臓疾患で余命10年を宣告された娘のために、医療には素人の町工場の社長が人工心臓の開発に着手し、その経験を生かして日本人向けのバルーンカテーテルを開発した実話。監督は「君の膵臓をたべたい」(2017年)の月川翔。このカテーテルで17万人の命が救えたそうです。何度も何度も飽きるほど予告編を見せられて、すっかり本編を見た気になっていましたが、このカテーテルの話は予告編にはありませんでした。月川監督は安易なお涙頂戴に流れず、多くの困難を乗り越えながら開発に打ち込む主人公の姿と家族の絆を手堅くまとめた感動作に仕上げています。
原作は清武英利のノンフィクション「アトムの心臓 『ディア・ファミリー』23年間の記録」。生まれつきの心臓疾患の次女・佳美に福本莉子、父親で町工場の社長・宣政に大泉洋、その妻に菅野美穂。ほぼ出ずっぱりの大泉洋は過不足のない演技を見せて良いです。
公開初週の週末3日間興行成績ランキングで1位。平日でも観客が多かったのは大泉洋の人気の高さも要因なのでしょう。
▼観客多数(公開4日目の午後)1時間57分。
「ありふれた教室」
中学校内での盗難事件の犯人探しをした女性教師が逆に窮地に追い詰められていくドイツ映画。学校は社会の縮図と、パンフレットでイルケル・チャタク監督も語っていますし、一般的にも指摘されることですが、ドイツの場合、移民も多いので、学級運営は一段と難しさを伴うでしょう。監督自身、両親はトルコからの移民。この脚本には自身の体験も含まれているそうです。盗難が頻発する学校が舞台。主人公の女性教師カーラ(レオニー・ベネシュ)は同僚の教師が小銭をくすねるのを見て、職員室で財布を入れた上着を椅子に掛け、それをパソコンのカメラで動画撮影する。後で確認すると、財布からはお金が抜き取られており、記録された動画にはある人物が上着を触る様子が映っていた。顔は写っていなかったが、星模様のブラウスから、どうやら事務員のクーン(エーファ・レーバウ)らしい。カーラは校長とともにクーンを問い詰めるが、クーンは怒って全面的に否定する。
盗みの証拠が完全ではないのが敗因で、ここから、こっそり撮影したカーラへの非難とカーラ自身のミスと周囲の誤解が重なり合って、カーラは追い詰められていきます。さらに学校新聞のインタビューがたたり、学級崩壊どころか学校崩壊の様相まで呈する始末。不条理とも思える展開ですが、この脚本の構成は緊密で見事でした。最後はカタストロフかカタルシスがあるのかと予想していたら、そうはなりません。安いスリラーになることを避け、心理的サスペンスに徹したのがうまくいっていると思います。
チャタク監督は1983年生まれ。長編映画はこれが4作目のようです。
IMDb7.5、メタスコア82点、ロッテントマト96%。アカデミー国際長編映画賞ノミネート。
▼観客3人(公開7日目の午後)1時間39分。
「関心領域」
「ありふれた教室」の主人公はポーランド系でしたが、これはポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所の隣で優雅に暮らすドイツ人家族の日常を描いた作品。マーティン・エイミスの原作を「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」(2013年)のジョナサン・グレイザー監督が映画化しました。収容所の隣で暮らしているのは所長のルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)とその家族たち。家の中には収容所からの悲鳴や銃声がかすかに聞こえてきますが、そんな中、妻(ザンドラ・ヒュラー)や親族たちは殺されたユダヤ人の下着や服の中から欲しいものをあさります。収容所の煙突からは黒い煙が上がり、川で水遊びしていると、人骨が混じった灰が流れてきます。そうしたことは一家にとっては深刻な問題ではありません。というか、まったく気にしていません(灰で体が汚れることは気にしてます)。塀の向こうのユダヤ人の運命には想像が及ばず、一家にとって収容所は無関心領域なわけです。無関心でなくては、とてもこんな所には住めないでしょう。
そうした描写が淡々と続き、ユダヤ人の姿はほとんど描かれません。それをもっと描けば、映画はもっと天国と地獄の対照を際立たせたのではないかと思います。だから、と言うべきか、アウシュヴィッツの未来を一瞬見てしまうヘスのシーンは秀逸です。日常を超えた描写であり、ヘスがあれをどう見たのか気になるところ。極めて映画的なシーンだと思いました。
IMDb7.4、メタスコア92点、ロッテントマト93%。アカデミー国際長編映画賞、音響賞受賞。カンヌ国際映画祭グランプリ。
▼観客7人(公開8日目の午前)1時間45分。
2024/06/16(日)「人間の境界」ほか(6月第2週のレビュー)
「人間の境界」
ベラルーシとポーランドの国境でどちらからも受け入れられず、森の中に見捨てられる難民の現状を描いたアグニエシュカ・ホランド監督作品。中東やアフリカから飛行機で迎え入れた難民をベラルーシ政府はポーランドに送り込みますが、ポーランドの国境警備隊はこの難民をベラルーシに送り返します。ピンポン球のようにこれが繰り返されるため、死亡する難民が出ている現状をホランド監督は難民と警備隊、ボランティアの活動家たちの姿を通して描き、痛烈に批判しています。エピローグでウクライナ国境から多数のウクライナ人を受け入れるポーランドの姿を描いているのが強い皮肉になっていて、要するにこのダブルスタンダードはアフリカや中東に対する人種・民族差別が根底にあることが分かります。
ホランド監督はこう書いています。
「ポーランド当局は、難民は生きている人間であるということを都合よく忘れてハイブリッド・ミサイルとみなし、嫌悪や恐怖を呼び起こすプロパガンダを作り上げました。彼らはわが国に避難を求める人々ではなく、わが国の神聖な国境を攻撃するプーチンのミサイルであり、テロリスト、小児性愛者、動物虐待者なのだと。(中略)しかし、地元住民の大半や若い活動家たちは、罪のない人々の苦しみと恐怖を目の当たりにして、『この人たちを助けなければならない』という当然の反応を示しました」意図的に大量に送り込まれる難民たちは人間兵器と言われますが、ホランド監督はその言い方にも異議を唱えているわけです。目の前で苦しむ人がいれば助けるのが普通の感覚。日本も移民や難民の受け入れを厳しく制限していますから、ポーランド政府の対応を他人事で批判することなどできません。人道主義に立って、苦しむ人たちを助けることが必要なのだと思います。
IMDb6.4、メタスコア83点、ロッテントマト89%。ヴェネチア国際映画祭審査員特別賞。
▼観客8人(公開6日目の午後)2時間32分。
「映画 ◯月◯日、区長になる女。」
人口47万人の杉並区の2022年区長選挙に住民グループの要請で立候補し、187票差で現職を破って当選したNGO職員・岸本聡子の選挙運動を描くドキュメンタリー。投票日のわずか2カ月前に立候補を決め、女性パワーが中心になって当選を果たすまでの過程はとても面白いのですが(基本的に選挙は面白いんです)、傑作「なぜ君は総理大臣になれないのか」(2020年、大島新監督)などと比べると、相手候補がほとんど描かれないこともあって選挙映画としてそれほど優れているとは思えませんでした。監督は同区在住の劇作家ペヤンヌマキ。政治経験のない候補が接戦を制することができたのは、区が進める道路拡張計画によって児童館や高齢者向け施設が廃止になるほか、住宅・病院の移転や樹齢の長い木の伐採などが伴い、住民の間に反対運動が起こっていたことが大きいようです。3期12年務めた現職への反対派も少なくなかったのでしょう。
前回2018年の選挙に比べて、投票率が約5ポイント高くなったのは反対運動の成果で選挙に関心を持つ区民が増えたためだと思います。この映画が痛快なのは現状に反対した住民が立ち上がり、勝利を収める過程を描いているからで、行動が結実する過程、努力が報われる結果は人を惹きつけるものです。
翌年行われた区議会議員選挙では定数48のうち、女性が24人と過半数を占めました(男性23人、性別非公表1人)。女性パワーの躍進を感じさせますが、僕が見た時の観客は高齢男性ばかり。女性こそ見た方が良い映画だと思います。
▼観客10人(公開2日目の午後)1時間50分。
「違国日記」
交通事故で死んだ両親の葬儀で田汲朝(早瀬憩)に叔母の高代槙生(新垣結衣)が言うセリフがとてもハードボイルドです。「朝、わたしはあなたの母親が心底嫌いだった。死んでなお憎む気持ちが消えないことにもうんざりしている。わたしはだいたい不機嫌だし、あなたを愛せるかどうかはわからない。でも、わたしは決してあなたを踏みにじらない。もし、帰るところがないなら、うちに来たらいい。それでよければ、明日も明後日もずっとうちに帰ってきなさい。たらいまわしはなしだ」
槙生と姉は仲が悪く、朝とは赤ん坊の頃から会っていませんでした。それでも朝を引き取ろうと親戚の前で(勢いで)言ってしまったのは、親戚の面々が言い訳をするばかりで誰も朝を引き取ろうとせず、朝が盥回しのような状態にあったからです。
このセリフは原作(ヤマシタトモコのコミック)では葬儀の場面と槙生のマンションに帰ってきてからの場面で槙生が言うもので、映画は2つのセリフを組み合わせて葬儀の場面で槙生に言わせています。このセリフを聞いて、映画の出来には期待できると思い、それはほぼ間違っていませんでした。
氷の女が純粋な少女との出会いで氷を溶かしていくというようなありきたりの展開にならないのは原作の力なのでしょうが、それを新垣結衣、早瀬憩、夏帆、瀬戸康史らの出演者が的確に演じています。新垣結衣は昨年の「正欲」(岸義幸監督)に続いてほとんど笑顔を見せない役柄。2作続けたということは、こういう役をやりたいのでしょう。
脚本・監督・編集の瀬田なつきは映画「PARTS パークス」(2017年)、「ジオラマボーイ・パノラマガール」(2020年)などの監督で、現在放送中のNHK夜ドラ「柚木さんちの四兄弟。」の演出にも加わっています。
▼観客12人(公開7日目の午前)2時間19分。
「蛇の道」
哀川翔、香川照之主演の同名作品(1998年)を黒沢清監督がフランスに舞台を移してセルフリメイク。前作は85分、今回は113分と28分も長くなっています。エピソードは増えましたが、基本的には同じ話で、長くなった分、面白くなったかというと、むしろ冗長さを感じました。元の脚本(「リング」シリーズなどの高橋洋)に加えた脚色に難があったと言うべきでしょう。8歳の娘を殺されたアルベール・バシュレ(ダミアン・ボナール)は偶然出会った精神科医・新島小夜子(柴咲コウ)の協力を得て犯人への復讐を計画。犯人の1人を突き止めて倉庫に拉致監禁し、実行犯を暴こうとする。やがて背後にはある闇の組織が関わっていることが分かる。
今回は主人公を柴咲コウが演じるのがポイント。フランス在住の日本人として話すフランス語に不自然さはありません。柴咲コウの冷たい持ち味は生かされていますが、魅力を十分に引き出したとは言えず、少しもったいない気がしました。
前作の評価はKINENOTE71.5点、映画.com3.1点、Filmarks3.9点。
▼観客12人(公開初日の午前)1時間53分。
2024/06/09(日)「マリウポリの20日間」ほか(6月第1週のレビュー)
「スター・ウォーズ」のスピンオフドラマは「マンダロリアン」を除いてあまり人気がありません。その「マンダロリアン」はジョン・ファブロー監督による映画化が決まっていて、今年中に製作が始まるそうです。
「マリウポリの20日間」
アカデミー長編ドキュメンタリー賞受賞のウクライナ=アメリカ合作映画。2022年2月24日のロシア軍の侵攻開始からの20日間、ウクライナ東部の港湾都市マリウポリの惨状を現地に残ったAP通信取材班が撮影し、戦闘の実際を詳細に伝えています。民間人は攻撃されないという一般的な考えはロシア軍には通用せず、マンションや一般住宅、店舗、病院などすべてが攻撃対象になり、砲弾と銃弾が浴びせられて多くの死傷者が出ます。犠牲者の中には妊婦や幼い子どもたちも含まれ、映画は全編に悲鳴と慟哭、嗚咽、叫び、怒りが渦巻いています。
マリウポリの周囲はロシア軍に包囲されており、逃げ場のない状態での惨劇。爆撃の音に怯え、地下室で「わたし死にたくないの」と涙を流す女児、サッカーをしている時に砲撃され、両足を吹き飛ばされた少年の遺体のそばで慟哭する父親など胸を抉られるような場面が連続します。
戦闘に巻き込まれた一般市民を描いて、この映画は有無を言わさない真実の力に満ちています。報道されたこうした映像について、ロシア政府高官は「フェイクだ」と愚かな発言を繰り返しますが、この非人道的な殺戮の数々、ひどい攻撃の仕方を公式に認めれば、国内外から非難が高まるのは必至。「嘘だ」と言うしか対抗手段がないのでしょう。
ウクライナ出身のAP通信社記者でこの映画の監督・脚本・制作・撮影を務めたミスティスラフ・チェルノフはアカデミー賞授賞式で「この映画が作られなければ良かった」と話しました。侵攻開始から2年以上たってもウクライナ国民の苦しみは終わる兆しが見えません。どうすれば殺戮を止められるのか、国際社会はどう対応すべきなのか、真剣に考える必要があると、あらためて痛感させる作品になっています。
IMDb8.6、メタスコア83点、ロッテントマト100%。
▼観客7人(公開初日の午後)1時間37分。
「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」
ザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」(1967年)の衝撃から始まって、加藤和彦と北山修の「あの素晴しい愛をもう一度」(1971年)ぐらいまでは当時を知る者にはたまらなく懐かしい展開です。この歌、元々はシモンズのデビュー作として作ったそうですが、あまりに良い出来だったので自分たちで歌った、ということをこの映画で初めて知りました。その後のサディスティック・ミカ・バンドについて僕は「タイムマシンにおねがい」(1974年)ぐらいしか知らないので、あまり興味がなく、映画も中盤から少しダレると感じました。それでも加藤和彦という天才的な音楽家の生涯とその影響力の大きさを俯瞰することができるのがこの映画の価値でしょう。
僕は10代の頃、北山修のエッセイ「戦争を知らない子どもたち」「さすらいびとの子守唄」(いずれも1971年発行)に大きな影響を受けていて、映画のインタビューで北山修の現在の姿と加藤和彦への思いを知ることができてうれしかったです。北山修は現在、白鴎大学学長を務めています。
監督は「音響ハウス Melody-Go-Round」(2019年)などの相原裕美。1960年生まれなのでリアルタイムでフォークルや「あの素晴しい愛をもう一度」のヒットを知っていると思います。
▼観客7人(公開5日目の午後)1時間59分。
「あまろっく」
兵庫県尼崎市を舞台にした笑いと涙のドラマ。出演者は悪くはないんですが、話を詰め込みすぎ。細かなエピソードよりも細やかな描写が欲しいところです。あまろっく(尼ロック)は治水・高潮対策の尼崎閘門のこと。会社でも家でも普段は何もしない父親・竜太郎(笑福亭鶴瓶)が自称している。その父親が再婚相手に20歳の美女・早希(中条あやみ)を連れてきた。京都大学を卒業して入った大企業をリストラされてぶらぶらしている娘・優子(江口のりこ)は愕然。しかも父親は再婚して1カ月後に急死し、優子は“赤の他人”の早希と喧嘩しながら暮らすことになる。
早希が45歳も年上の竜太郎と結婚したのは子どもの頃、家族の団らんに恵まれなかったからで、竜太郎が亡くなっても優子とともに暮らすのはせっかくできた家族を手放したくなかったからです。竜太郎の若い頃を演じる松尾諭と妻役の中村ゆりを含めて出演者は総じて良いです。次から次に起きる事件を絞って、語り方をさらに洗練したいところでした。監督は中村和宏、脚本は西井史子。
▼観客11人(公開2日目の午前)1時間59分。
「からかい上手の高木さん」
山本崇一朗原作コミックのドラマ(今泉力哉監督、黒川想矢、月島琉衣主演)の10年後を描く劇場版。父親の仕事の都合で高木さんが島を去って10年。西片(高橋文哉)は母校の中学校の体育教師になっていた。そんな時、高木さん(永野芽郁)が教育実習生として島に帰ってくる。中学時代、高木さんにからかわれ続けた日々が再び戻ってくる。
西片のクラスの生徒役・白鳥玉季と不登校の男子生徒の場面の深刻な長回しがうまくいっていず、ユーモアを絡めた全体との調和が取れていないなと思っていたら、クライマックス、高木さんと西片の長回しも今一つ効果を上げていませんでした。今泉力哉監督の傑作「街の上で」(2019年)におけるアパートでの若葉竜也と中田青渚の恋バナシーンの長回しに比べると、明らかに劣っていて、まだるっこしさばかりが先に立ってしまっています。
高木さんも西片も25歳なのに15歳のような恋心の描写で、それなりに成長した2人になっていても良かったんじゃないでしょうかね。永野芽郁と高橋文哉自体は悪くありません。月島琉衣と白鳥玉季は、伊東蒼と並んで将来性を感じさせる女優だと思います。
▼観客13人(公開7日目の午後)2時間。
2024/05/26(日)「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章」ほか(5月第4週のレビュー)
「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章」
前半1時間はストーリーがやや停滞気味。後半1時間で一気に解決へと向かいます。前章で描かれた過去の場面の意味が明らかになり、後は一気呵成の展開でした。端的に言って、SF的なアイデアに新しいものはないんですが、この展開と語り方、ユニークなキャラクターたちには大きな魅力があり、僕は面白く見ました。上空に巨大な宇宙船(母艦)が居座ったままの東京。駿米大学に入学した小山門出(幾田りら)と“おんたん”こと中川凰蘭(あの)はオカルト研究会に入部する。母艦にいる侵略者はたびたび地上で目撃され、自衛隊は駆除活動を粛々と実行していた。上空の母艦が傾いて煙が立ち上るようになり、地上の人間たちは世界の終わりを意識するようになる。そうした中、凰蘭は不思議な少年・大葉圭太(入野自由)にまた遭遇する。
非日常の光景の中で友情や恋や出会いなど日常の出来事を描くのがこの作品の持ち味。前章を見た時に予想した通り、物語のキーマンは凰蘭の方で、くそヤバい状況と人類終了の引き金は凰蘭の行動が一因になっています。そして主人公2人が世界を破滅から救うのではなく、凰蘭が好きになった大葉が活躍していくことになります。
劇中に出てくるマンガ「イソベやん」と大葉が飛行に使う道具はタケコプターを思わせるなど「ドラえもん」を意識したものですし、終盤、爆発が地球全体に広がるイメージは「エヴァンゲリオン」を想起させました。空に開いた穴から現れる巨大な赤い指は侵略者の上位にある存在を示しているようですが、完全な説明はありません。すべてに説明がつくわけではないのに、映画の終わり方に不満を感じないのは門出と凰蘭の関係がこの映画のキモだからでしょう。
あのちゃんと幾田りらが歌う前章の過激な「絶絶絶絶対聖域」に代わって、今回はほんわかした「青春謳歌」がエンディングに流れます。このほんわか具合は、かなりの人が死ぬにもかかわらずハッピーエンドを思わせる映画の内容に合っていて良かったです。2人の起用が成功の大きな要因なのは間違いないところです。
▼観客4人(公開初日の午後)2時間
「ゴッドランド GODLAND」
19世紀後半のアイスランドを舞台に描く過酷な自然と人間のドラマ。2時間近く淡々と進んでいた映画が終盤に大きく転調し、驚愕の展開を迎えることになります。まったく予想していなかったので、大きな驚きでしたが、それまでの人間関係と自然の描写が生きてくる見事で厳しいクライマックスと言えるでしょう。デンマーク統治下のアイスランド。デンマーク人でキリスト教ルーテル派の牧師ルーカス(エリオット・クロセット・ホーヴ)はアイスランドでの布教を命じられる。教会を建てるために辺境の村を目指した旅は過酷なものだった。途中で通訳の男が事故死し、ルーカスは言葉が通じない中、デンマーク嫌いのアイスランド人ガイド、ラグナル(イングヴァール・E・シーグルズソン)と対立。落馬して瀕死の状態で村にたどり着く。
統治する国とされる国の国民感情には複雑なものがあり、ルーカスとラグナルの対立はその感情に起因します。ルーカスは聖職にありながら、アイスランドを見下した部分があるようで、ラグナルはそれを感じ取っているのでしょう。
英題の「神の国」に対してアイスランド語の原題は「悲惨な国」という意味。デンマークで学び、家族とともにアイスランドに戻った詩人マッティアス・ヨックムソンの「憎しみの詩」に由来するそうです。恐ろしい冬を経験したことからアイスランドを非難する内容の詩だったため、ヨックムソンは激しい非難を受けたとのこと。監督のフリーヌル・パルマソンはアイスランド人。2年以上かけて撮影したアイスランドの自然が素晴らしい効果を上げています。
IMDb7.2、メタスコア81点、ロッテントマト91%。
▼観客11人(公開2日目の午後)2時間23分。
「マンティコア 怪物」
タイトルの「マンティコア」は人間の顔にライオンのような体を持つ神話上の生物。監督が日本の魔法少女アニメに影響を受けた「マジカル・ガール」(2014年)のカルロス・ベルムトなのでそういう本趣味のSFかと予想したんですが、ここでいう怪物は是枝裕和「怪物」(2023年)のように心に巣くう怪物のことでした。それが分かるのに1時間半ほどかかりました。主人公のフリアン(ナチョ・サンチェス)はゲームに出てくる怪物などをデザインするクリーチャーデザイナー。同僚の誕生パーティーで美術史を学ぶディアナ(ゾーイ・ステイン)に出会い、ショートカットで小柄な彼女に惹かれていく。デートを重ね、親しくなったある夜、ディアナはフリアンのアパートに泊まるが、フリアンはセックスができず、パニック発作を起こしてしまう。
映画は序盤にフリアンが別の女性とやはりセックスができない場面を描いていて、フリアンは「これまで女性と付き合ったことがない」とディアナに打ち明けます。単にうぶな男なのかと思っていると、実はそうではないことが1時間半近くかかってわかるわけです。それが分かってから、ちょっとハラハラする場面がありますが、主人公の本質をもったいぶって描くほどのことはなく、そこから先が問題なんじゃないかと思います。つまらなくはなかったですが、特に褒めるほどでもなく、僕にとっては普通の出来でした。
IMDb7.1、ロッテントマト100%(アメリカでは映画祭での公開のみ)。
▼観客4人(公開5日目の午後)1時間56分。
「湖の女たち」
吉田修一の原作を大森立嗣監督が映画化。滋賀県の琵琶湖近くの介護施設で100歳の寝たきりの男が殺された事件を巡り、刑事と介護士の女、事件を調べる女性記者などを描くミステリー的な物語です。5章仕立ての原作の第1章だけ読んで映画を見て、その後残りを読みました。週刊新潮のレビューで映画評論家の北川れい子さんは「終盤は原作と異なる」と書いていましたが、全体のプロットはほぼ同じ。記者が女性に代わっているなど細部の違いはありますが、忠実な映画化と言って良いと思います。
まさかこんな変態的サディスティックな刑事はいないだろとか、この女マゾかと思えた場面もすべて原作にありました(冒頭の車の中での女の自慰場面はなし。その代わり、男の自慰場面はあり)。戦争中の731部隊にまで広がる話も同じなら、それが直接的には事件に関わってこないのも同じ。原作は薬害エイズ事件と障害者施設殺傷事件を一部モデルにしていますが、登場人物の1人が戦争中に見たある事件の光景さえあれば、この2つの事件への目配せは不要だと思いました。
原作の評価は吉田修一作品としては高くないようです。映画の評価がさらに低いのは過去現在のさまざまな要素が有機的に結びついていかないからで、刑事(福士蒼汰)と介護士の女(松本まりか)のエロス・タナトス的な支配被支配の関係だけが目立つ結果になっています。松本まりかをはじめ福地桃子、北香那、穂志もえか、呉城久美と個人的に気になる女優が多数出ているのはうれしかったんですけどね。松本まりかは「夜、鳥たちが啼く」(2022年、城定秀夫監督)の方がよほど色っぽくて良かったです。
▼観客4人(公開6日目の午後)2時間21分。
2024/05/19(日)「ミッシング」ほか(5月第3週のレビュー)
「ミッシング」
行方不明となった6歳の娘を必死に探す夫婦と世間のバッシングを描く吉田恵輔監督作品。吉田監督は「空白」(2021年)や「神は見返りを求める」(2022年)でもSNS上のバッシングを描いていました。今回は真正面からそれを取り上げた形です。主人公を演じる石原さとみの熱演が話題で、確かに女優賞に値する迫真の演技ですが、話の展開自体にそれほど目新しいものはないように思いました。娘の美羽がいなくなって3カ月。沙織里(石原さとみ)と豊(青木崇高)の夫婦は街頭でチラシを配り、情報提供を求めている。大手マスコミの関心が薄くなった中、地元テレビ局の砂田(中村倫也)だけは夫婦の活動を取り上げてくれている。そんな中、娘の失踪時に沙織里がアイドルのライブに行っていたことがネットで批判・炎上する。さらに最後まで美羽と一緒だった沙織里の弟・圭吾(森優作)の証言に嘘があることが分かり、いやがらせ、攻撃が強まる。
物語の基になったのは2019年の山梨キャンプ場女児失踪事件でしょうが、吉田監督は当事者への心ない攻撃のほか、些細なことで言い争いをする街の人たちを点景として描き、ギスギスした社会を浮き彫りにしています。同時に視聴率重視のテレビ局の取材・報道の在り方にも批判を向けています。
山梨の事件では女児の遺体の一部が2年7カ月後に発見されましたが、事故か誘拐か明らかになっていません。この映画の失踪は街中で起こっただけに誘拐の可能性が強いでしょう。しかも2年たっても何の手がかりも出てこない状態。娘を思う気持ちと世間からのバッシングで夫婦の苦悩には終わりが見えません。いったいこの話をどう終わらせるのかと思っていたら、もう一つの女児失踪事件を絡めた希望を感じさせるラストが用意されていました。ギスギスした人間ばかりじゃないわけです。
石原さとみともに、大きな攻撃にさらされる森優作、新人記者役の小野花梨も好演しています。
▼観客20人ぐらい(公開初日の午前)1時間58分。
「碁盤斬り」
古典落語の人情噺「柳田格之進」を基にした時代劇。人情噺だけでは2時間持たないので主人公が浪々の身となったきっかけの事件をめぐる復讐劇を加えてあります。白石和彌監督初の時代劇ですが、ほとんど自然光で撮ったんじゃないかと思える画面づくりは山田洋次監督の傑作「たそがれ清兵衛」(2002年)を思わせるレベル。清廉潔白を貫き、清貧に生きる主人公像も清兵衛に似ていますが、2つの話の融合が今一つなのと、人物描写の深みの点で残念ながら「清兵衛」の域には届いていません。主人公の柳田格之進(草なぎ剛)は娘の絹(清原果耶)と江戸の貧乏長屋に暮らし、篆刻で生計を立てている。囲碁の達人でもある格之進は商人の萬屋源兵衛(國村隼)と知り合い、一緒に囲碁を打つようになるが、ある夜、源兵衛宅で打っていた時、源兵衛が持っていた50両がなくなる。部屋にいたのはほかに格之進だけ。身に覚えのない疑いをかけられた格之進は切腹で疑いを晴らそうとしたところを絹に止められる。絹は吉原の女将お庚に身売りして50両を作った。
というのがオリジナルの落語の部分。この後、格之進の疑いは晴れ、絹も帰ってくることができ、ハッピーエンドを迎えます。映画はこれに格之進がなぜ貧乏長屋暮らしをすることになったのかの背景を描き、復讐の話につないでいきます。格之進は元は彦根藩の武士でしたが、謂れ無い罪を着せられ、妻も亡くしました。それが実は同じ藩士の柴田兵庫(斎藤工)の仕業であることが分かり、格之進は仇討ちの旅に出ることになる、という展開。
脚本は「凪待ち」(2018年)、「Gメン」(2022年)などの加藤正人。絹の身売りにタイムリミットを設定するなど工夫のある真っ当な脚色なんですが、なくなった50両と仇討ちを一緒に解決できるような話にしたいところでした。そこが惜しいと思います。
全国327館に中継された舞台あいさつ付きの回を観賞しましたが、清原果耶はなぜか舞台あいさつには参加していませんでした。残念。
▼観客30人ぐらい(公開2日目の午前)
「鬼平犯科帳 血闘」
松本幸四郎は長谷川平蔵として違和感がありませんし、話もこれ単体では悪くないと思ったんですが、「碁盤斬り」のレベルの高さに比べてしまうと、明るすぎる画面からしていかにもテレビドラマの水準に終わっています。脚本は大森寿美男、監督は山下智彦。これに先行してテレビ放映され、動画配信中の「本所・桜屋敷」(同じ脚本、監督コンビで時代劇専門チャンネルの最高視聴率だったそうです)よりは映画らしさを備えていますが、いずれにしても、6月、7月に放送される連続シリーズと連動する作品という位置づけ。テレビの延長線と言われても仕方ありません。
昨年の「仕掛人・藤枝梅安」2部作(河毛俊作監督)ぐらいの完成度が欲しかったところです。残虐な敵役の北村有起哉と、中村ゆり、志田未来、松本穂香の女優陣はそれぞれに良かったです。
▼観客15人ぐらい(公開4日目の午後)1時間51分。
「バジーノイズ」
むつき潤の同名コミックを「チア男子!!」(2019年)の風間太樹監督が実写映画化。マンションの住み込み管理人をしながら、作曲をしている主人公が音楽の道へ踏み出していくドラマです。元々の設定がそうなんですが、ほとんど無表情で他人との付き合いが苦手な主人公を演じる川西拓実(JO1)よりも相手役の桜田ひより、周囲の井之脇海、柳俊太郎、円井わんらの方が目立つ作品でした。
円井わんの見事なドラムさばきにびっくり。あまりうまくないけど、駒井蓮が歌を歌うシーンもありました。
▼観客7人(公開14日目の午後)1時間59分。
「恋するプリテンダー」
ひどい言い方であることは分かってますが、一流になりきれないスタッフ・キャストで作った下世話なラブコメという感じの作品。主演のシドニー・スウィーニーはスタイル抜群、相手役のグレン・パウエルはムキムキの筋肉質。この映画のエグゼクティブ・プロデューサーも務めたスウィーニーは決して悪くないので、作品に恵まれれば、これから売れていくのかもしれません。監督は「ピーターラビット」シリーズのウィル・グラック。
IMDb6.1、メタスコア52点、ロッテントマト53%。
▼観客6人(公開5日目の午後)1時間43分。