2012/03/11(日)「老人と海」
もちろん、アニメは絵なのだが、こういう印象派の絵画が動くアニメは珍しい。1999年のアカデミー短編アニメ賞を受賞した「老人と海」はガラスの上に指を使って描いた絵を動かして作ったという。名のみ聞いていて初めてWOWOWで見た。絵がきれいなので詩情があふれる。音楽と三國連太郎のセリフ回しも良かった。ロシアのアレクサンドル・ペトロフと和田敏克の共同監督作。
2012/03/08(木)「エンジェル・ウォーズ」
ザック・スナイダー監督のファンタジー・アクション。終盤の展開は「エグゼクティブ・デシジョン」みたいだが、全体のストーリーラインがダメ。アクションシーンもCGであることが見え見えで迫力に欠ける。5人の女優の中ではジェナ・マローンがダントツに良い。その次にアビー・コーニッシュ。この2人の名前は記憶しておこう。主演のエミリー・ブラウニングはちょっとキャメロン・ディアスに似たタイプ。ディアスよりずいぶん小柄だけど。
2012/03/06(火)「悲しみの青春」
ヴィットリオ・デ・シーカ監督が「ひまわり」の次に撮った作品で1972年の第44回アカデミー外国語映画賞を受賞した。原作はジョルジョ・バッサーニの小説「フィンツィ・コンティーニ家の庭」。前半はどうということはない出来だなと思ったが、終盤に素晴らしいシーンがある。例えば、ドミニク・サンダに失恋した主人公ジョルジュ(リノ・カポリッキオ)の父親がジョルジュを慰めるシーン。「この世の真理を知るには一度死ぬ必要がある。それなら回復できる若いうちに死んだ方がいい」。
「ひまわり」より優れた映画とは思えない。外国語映画賞受賞はユダヤ人迫害を描いているからではないか、なんて思ってしまう。ドミニク・サンダとヘルムート・バーガーがとても若い(当たり前)。WOWOWにしては画質が悪かった。雑音も混じっていた。ブルーレイは出ていないのだろう。
2012/02/26(日)「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」
タイトルはアスペルガー症候群や自閉症の人が感じる感覚なのだという。原作はジャナサン・サフラン・フォアの同名小説。スティーブン・ダルドリー監督は「めぐりあう時間たち」「愛を読むひと」と同じように文学的なアプローチで映像化している。描写の仕方が格調高いのだ。
テーマは喪失と再生。アスペルガーの疑いがある少年オスカーが9.11で死んだ父親が残した鍵の秘密を探っていく。秘密を解く鍵は封筒に書かれていたブラックという文字。オスカーはニューヨークに住むブラックさんを一人一人訪ねて歩く。地下鉄が怖い。人に会うのも苦手。不安を抑えるタンバリンを鳴らしながら、オスカーが苦手なものを少しずつ克服していく様子が情感をこめて描かれる。
父親の死のショックを乗り越える少年の姿はもちろん、アメリカの9.11からの再生も意味しているだろう。現実がとてもそうとは思えないのだが、オスカーを励ますニューヨークの人々の温かさ(何度も何度もハグをするブラックさん!)が胸にしみる。
両親を演じるトム・ハンクスとサンドラ・ブロックも良い。名優マックス・フォン・シドーもさすが。ただ、シドーの役柄は過去のある出来事で話せなくなった男なのだが、この人物の焦点深度が意外に浅い。描写が不足気味なのだ。アカデミー作品賞と助演男優賞にノミネートされたが、無冠に終わったのはそんなところが影響しているのかもしれない。
2012/02/25(土)「エンディングノート」
ドキュメンタリーは対象が魅力的じゃないと、面白くならない。死の直前までユーモアと周囲への気配りを忘れない砂田知昭という人は十分に魅力的だ。パンフレットのプロフィールに特技は「段取り」と「空気を読むこと」とある。末期ガンの宣告を受けた2009年5月からエンディングノートを書き、自分の死に備える。死への段取りが終わらないと、おちおち死んでいられない気持ちになる人なのだろう。父親の段取り好きは長男にも受け継がれていて、死の床に伏せた父親に長男は葬儀の段取りを確認する。「お父さんのね、エンディングノートを見るためにパソコンを調べたんだけど、ファイルがなくなってる」。パソコンのファイルというのは必要な時になかったり、探しにくかったりするものなのだ。準備万端な父親は平然と答える。「そんなこともあるだろうと思って、コピーが取ってある」。
家は仏教なのに、「費用がリーズナブル」という理由で主人公は教会葬を選ぶ。ケチだからではなく、家族に負担をかけさせたくないという気持ちが根底にあるからだろう。葬儀は近親者のみの密葬でという選択も迷惑をかけたくないという気配りから来る理由だと思う。そんな主人公の姿を見ていると、微笑ましい気持ちになり、それが映画の好感度を高める結果となっている。
映画は次女の砂田麻美監督が父親の死ぬまでの7カ月間を記録したものだ。これに若い頃の写真や営業マンとして活躍した時代の映像を挟み込むことで、砂田知昭という人の泣き笑いの人生と人柄を浮き彫りにしている。妻と一男二女の子供とかわいくてたまらない3人の孫。94歳で元気な母親。認知症が進んで、来ない患者のために病院を開ける生前の父親の姿もある。撮りためてきた映像が効果を挙げている。近づきすぎず離れすぎずの対象への距離感も絶妙でプライベートフィルムにとどまらず、普遍性を備えた作品に仕上がった。
映画は事実を記録したものであっても、監督がエピソードを取捨選択して構成する以上、フィクションの要素が必ず入ってくる。ストーリーに合わないエピソードは捨てられ、監督が考えたストーリーで構成されるものだ。だから、砂田知昭という人の人生も別の監督が撮ったら、別のものになっただろう。しかし、娘の愛情を込めた視点で語られる砂田知昭の人生は幸せなものだったなと思う。69歳の死は少し早いけれども、孤独死や悲惨な死が多い中、家族に見守られて死ぬことができたのは幸せだったと思う。