2011/05/29(日)「無法松の一生」
所々で激しく胸を揺さぶられる。日本人の感性にぴったりの作品と言うほかない。陸軍大尉の未亡人(高峰秀子)とその息子を一途に支え続ける車引きの松五郎(三船敏郎)のあまりにも有名な話。松五郎は献身的に尽くすが、身分の違いをわきまえて、未亡人への慕情を表に出すことはない。それがついに押さえきれなくなったクライマックス、松五郎は「俺の心は汚い。奥さんにすまん」と絞り出すように言う。
稲垣浩監督は1943年に阪東妻三郎主演で映画化したが、軍の検閲によってカットされ、不完全なまま上映せざるを得なかった。15年後にリメイクしたこの作品はベネチア映画祭金獅子賞を受賞した。日本的な話だが、国境を越えて共感を呼ぶ映画なのだなと思う。キネ旬ベストテン7位。
2011/05/27(金)「フェーズ6」
致死率100%のウィルスが蔓延した世界で4人の男女(兄弟とその恋人、級友)の殺伐としたサバイバルを描く。地味にならざるを得ないような低予算の映画で、ホラーではなく、人間のエゴを描いたドラマ。悪くはないが、アイデアが不足している。監督はスペインのレックス&デヴィッド・パストー兄弟。「スター・トレック」のクリス・パインが粗暴な兄の役で出ている。2009年のアメリカ映画。原題はCarriers。
2011/05/27(金)「ファンタスティック・プラネット」
1973年のアニメ。フランス、チェコスロバキア合作。アニメというよりは動く絵本という感じだが、そこらのアニメよりはずっと面白い。アニメは絵とストーリーが重要であることを再認識させられる。フランスの作家ステファン・ウルの原作「オム族がいっぱい」をルネ・ラルー監督が映画化。ドラーグ族といわれる巨人族が支配する惑星で虫けらのように扱われる人間たちを描く。人間はドラーグによってペットとして飼われたり、駆除されたりしている。主人公のテールがドラーグから盗んだレシーバーによって、人間たちは徐々にドラーグの高度な科学技術を習得し、反撃する。
amazonのレビューで、子供の頃に見てトラウマになったと書いている人がいるが、当然だろう。人間にとっては絶望的な状況で怖さと気味の悪さがある。38年前の作品だが、まったく古びていない。強い個性を備え、時代を超えた普遍的な作品になっている。カンヌ映画祭審査員特別賞。
2011/05/27(金)「フローズン・ドリーム/煽情の殺人」
2009年のアメリカ映画。IMDBの評価は4.7。ジャンクと分かっていながら見たのはソーラ・バーチが出ていたから。「アメリカン・ビューティー」や「ゴースト・ワールド」で注目されたバーチは今、こんな映画に出ているのか。バーチの両親は「ディープ・スロート」にも出演した成人映画の俳優とのこと。それが関係しているわけではないだろうが、もう少し映画の選択をした方がいいと思う。
WOWOWの紹介記事には「アメリカで初めて裁判の模様がテレビ中継された実際の殺人事件を基に描く」とあるが、テレビ中継の部分は描かれない。1977年、売春婦のバーバラ・ホフマンが起こした事件で、男2人が毒殺された。ホフマンはこのうち1件の殺人で終身刑となった。殺人の様子も描かれないのはホフマンが今も取材を断っているからだろう。核心に触れず、その周りをぐるぐる回っているだけの印象がある。ストーリーテリングが下手なのが評価の低い理由か。監督はエリック・マンデルバウム。監督は10年ぶりで、デビュー作の「Roberta」もIMDBで4.9。10年たっても進歩はなかったらしい。DVDは出ていないようだ。まあ、当然か。原題はWinter of Frozen Dreams。
2011/05/22(日)「ブラック・スワン」
エドガー・アラン・ポー「ウィリアム・ウィルソン」を思わせる描写に始まって、「レクイエム・フォー・ドリーム」的な展開になり、「ウィリアム・ウィルソン」で終わる。瀕死の白鳥のパートを瀕死の主人公に踊らせ、それが観客の喝采を集めるというアイデアが残酷だ。煎じ詰めて言えば、これは精神病患者の見る幻想を視覚的に描いた映画で、「レクイエム・フォー・ドリーム」で描かれたドラッグ中毒者の幻覚の変奏曲と言える。
ストーリーそのものよりもそうした描写が際立っており、舞台で黒鳥を踊るシーンで主人公ニナの肌が鳥肌になり、黒い羽根がびっしりと生えていく描写などはその最たるものだ。フォックス・サーチライトの配給なので、元々はインディペンデント系の作品なのだろう。ナタリー・ポートマンが主演女優賞を取ったからといって、このダークな映画を完全なメジャー映画と見るのには少し無理がある。
主人公が精神を病んでいくのは母親との確執、ようやくつかんだ主役の座をライバルのリリー(ミラ・クニス)に奪われるのではないかという不安に加えて性的に未熟なことが影響している。主人公は、白鳥のパートは完璧に踊れても、官能的な黒鳥を表現できず、監督(ヴァンサン・カッセル)から“不感症の白鳥”と罵倒される。黒鳥が意味するものは「キャリー」のパイパー・ローリーを思わせる母親(バーバラ・ハーシー!)が抑圧するセックスにほかならない。
母親は主人公を身ごもったためにバレエをあきらめた経緯があり、自分と同じ道を歩ませたくないという過剰な思いを持っている。主人公はそれによってプレッシャーを受けているわけだ。精神的に弱くて脆い主人公は黒を必要と感じ、それに憧れながらも否定するというアンビヴァレンツな感情と焦りが渦巻く。そして現実と幻想の区別がつかなくなっていく。幻想が日常に侵蝕してきて現実の行動を規定してしまうのである。
白と黒を対比しながら、黒が自分の“ダーク・ハーフ”であることを主人公は知ることになるのだが、映画はスティーブン・キング「ダーク・ハーフ」に出てきたドッペルゲンガーのような超常現象は登場せず、あくまでも精神病患者の幻想として終始する。「レクイエム・フォー・ドリーム」で老醜をさらしたエレン・バースティンのあり方は凄まじく悲惨だったが、この主人公には悲劇はあってもそこまでの悲惨さはない。それがメジャーの配給路線に乗せる限界であり、ダーレン・アロノフスキーが前作「レスラー」で一気にメジャーになったことの影響でもあるのだろう。よく言えば、描写のさじ加減にバランスが取れているのである。
ナタリー・ポートマンは熱演しているが、バレリーナの役柄なのであまりに痩せていて、セクシーさは感じない。それも役作りの一環なのかもしれない。
それにしてもバーバラ・ハーシーがすっかり年を取っていてびっくり。先日、「ウルフマン」を見た時にもジェラルディン・チャップリンの老け込みぶりに驚いたが、考えてみれば、2人が活躍したのは70年代なのだから仕方がない。