2015/08/01(土)「進撃の巨人 Attack on Titan」
諫山創の原作コミックを樋口真嗣監督が映画化。原作とは細かい設定が異なり、登場人物の名前も違う。これは原作者の要望だったそうだ。といっても大筋は同じだ。突然現れた巨人たちに蹂躙され、文明が崩壊してから100年後。人類は高さ50メートルの壁を作り、その中で安寧に暮らしていた。主人公のエレン(三浦春馬)は壁の中の生活に飽き飽きしており、外の世界を夢見ている。幼なじみのアルミン(本郷奏多)、ミカサ(水原希子)とともに壁のそばまで行ったところに超大型巨人が現れ、壁を破って多数の巨人たちが侵入、人間たちをむさぼり食い始める。ミカサも行方不明になってしまう。そして2年後、エレンとアルミンは兵団に入り、壁の穴を塞ぐため巨人に侵入された地区に行く任務に参加する。
身長120メートルの超大型巨人が出てくる場面は怪獣映画、普通の巨人の場面はゾンビ映画という感じの作り。巨人は「ウルトラQ」の大型化した人間の容貌を崩して醜悪にした感じ。こいつらが人間を捕まえて上半身をパクリと食べたり、手足を引きちぎって食べる。悲鳴と絶叫とグチャッグチャッという擬音が交錯し、さながら阿鼻叫喚の地獄絵図だ(日本ではPG-12に収まったが、アメリカではR指定になるのではないか)。巨人を防ぐ壁に囲まれた世界というのは周囲をゾンビで囲まれたスーパーマーケットを容易に思い起こさせる。映画はこの悪夢のような描写に力を入れているが、残念ながらそのほかの部分はどうにもこうにも擁護できない出来に終わっている。
原作と異なるのはかまわないが、ある事件によって強い絆で結ばれたエレンとミカサの関係はそのままにしておいた方が良かったのではないかと思う。これがないと、ドラマティックなものがなくなってしまうのだ。アニメ版にはミカサのこんな感動的なセリフがある。「勝利しか生きることを許されない残酷な世界。でも私にはこの世界に帰る場所がある。エレン、あなたがいれば、私はなんでもできる」
陰々滅々の雰囲気に終始するのにもまいった。確かに絶望的状況ではあるのだが、溌剌としているのがハンジ(石原さとみ)だけでは気が滅入ってくる。これは後編で弾けるための計算なのだろう、と好意的に解釈しておきたい。
軍艦島の廃墟でのロケは立体機動装置を生かす上ではとても良かったが、序盤を除いて、ここ以外の場所が出てこないので、物語に広がりが感じられない。その立体機動装置の描写はうーん、頑張っているけれど、褒めるほどではない。もっとスピード感がほしいところだ。
役者では本郷奏多と水原希子はほぼ原作のイメージ通り。三浦春馬もそんなに悪くはない。石原さとみは原作以上。原作のリヴァイに当たるシキシマの長谷川博己が1人で足を引っ張っている。リヴァイのセリフはアニメでは違和感がないが、実写で聞かされると、単に気障ったらしい男にしか見えない。これが人類最強の男であるはずはなく、真っ先に食い殺されてほしいぐらいだ。
諫山創は「フランケンシュタインの怪物 サンダ対ガイラ」に衝撃を受け、トラウマになったという。実写化された「進撃の巨人」はトラウマの要因となった巨人が人を食う描写を徹底してリアルに描き、パワーアップした。この映画がトラウマになる子どもたちも多いだろう。捕食シーンはアニメでもショッキングだったが、実写版はそれをはるかに上回っている。しかし、上回ったのはそこだけだった。諫山創はアニメを「原作の2億倍面白い」と絶賛した。完成度において実写版がアニメに勝てないのはしょうがないことなのか。そんなことはないだろう。後編での捲土重来を強く期待する。