2004/02/19(木)「この世の外へ クラブ進駐軍」
主人公の父親役で楽器店を営む大杉漣がリヤカーにオルガンを積んでいる。「ああ、ちょっと上げて。もういいですよ、下げて」と言ってオルガンを積み終えた大杉漣は「どうもすいません。通りすがりの人に」と礼を言うのだった。この場面、もう一度繰り返され、おかしさを煽る。あるいは、新宿のバーでジャズバンド「ラッキーストライカーズ」の面々に客の復員兵がいちゃもんを付け、険悪な雰囲気になる場面。カットが切り替わると、彼らは一緒に肩を組んで演歌を歌っている。この場面も2度繰り返される。こういう場面を見ると、阪本順治の細部の描写のうまさが際だっていることが良く分かる。「この世の外へ クラブ進駐軍」はそうした描写の積み重ねで戦後の日本の一断面を切り取った映画だ。
実際、この映画に出てくる戦後の焼け跡や闇市の様子はここしばらく日本映画では描かれなかったことで、非常に新鮮さとリアルさを感じる(かなり力を入れた造型である)。そこに住み、生きる人々の顔つきもいかにも戦後の日本人という感じであり(オーディションでそういう古風な顔つきの人を選んだそうだ)、当時の様子が詳しく再現されている。
主人公の広岡健太郎(萩原聖人)はフィリピンのジャングルで終戦を知らせるビラと飛行機から流れるジャズ(「A列車で行こう」)を聞く。健太郎は復員後、ジャズバンドを組んで進駐軍の基地で演奏することになる。広岡は一応の主人公ではあるけれど、阪本順治の狙いは主人公の生き方などではなく、ジャズバンドの仲間(オダギリジョー、松岡俊介、村上淳、MITCH)や米兵たちのそれぞれの生き方を描いて、群像劇のような趣を出し、戦後そのものを描くことにあったのだろう。歌手を演じる前田亜季やパンパンの高橋かおり、ストリッパーの長曽我部蓉子などの女優にもそれぞれにいいエピソードが与えられている。その意味では非常に充実した描写のある映画である。
そうした描写のうまさに比べると、話の展開はそれほどうまくない。ラッキーストライカーズは禁じられた「ダニーボーイ」を演奏したことで、基地への出入りを禁じられ、他の事情も重なってバラバラになっていく。「ダニーボーイ」の演奏が禁止なのは軍曹ジム(ピーター・ムラン)が事故で亡くした息子ダニーを思い出してしまうからだ。バンドは仲間の死をきっかけに再び結集し、基地で演奏することになる。そこで歌うのは朝鮮戦争で死んだ米兵ラッセル(シェー・ウィガム)が作った「Out of This World(この世の外へ)」であり、「ダニーボーイ」である。この部分があまりうまくない。バラバラになっていく過程が簡単すぎるし、ジムが「ダニーボーイ」をリクエストする心情もよく伝わってこない。いやもちろん、朝鮮戦争への出征を命じられ、ピストル自殺をしようとした米兵をなだめる意味があるのは分かるのだが、あまり説得力がないのである。ここは物語のポイントになる部分なので、もっと緻密に描く必要があっただろう。
阪本順治は米同時テロをきっかけにこの映画の製作を決めたそうだ。エキストラとして出てくる米兵の中には映画撮影の後、イラク戦争に行った者もいるという。暗い世相がジャズや歌謡曲によって癒されるように、戦後の日本は復興の道を歩んだ。それとは裏腹に米兵たちはまた別の戦争に行かなければならない。ジャズを楽しめるのが「この世」であり、「その外へ」行くとは戦争へ行くことなのだと思う。