2001/12/04(火)「ハリー・ポッターと賢者の石」

 J・K・ローリングの世界的ベストセラーを「ホームアローン」「アンドリューNDR114」などのクリス・コロンバスが監督した。SFXは満載で主役のハリーを演じるダニエル・ラドクリフや、おしゃまな優等生ハーマイオニー役のエマ・ワトソン、ホグワーツ魔法魔術学校のタンブルドア校長役リチャード・ハリス(ほとんど素顔見えず)ら出演者も申し分ない。しかし、映画はいまいち面白さに欠ける。

 ハリーは両親を交通事故でなくし、意地悪な叔父・叔母、従兄弟と一緒に暮らす。部屋は階段下の物置。プレゼントなんかもらったこともない。だが、ハリーには隠された力があった。ということは冒頭から描かれるので観客にはすべて分かっている。隠された力に徐々に目覚めていく過程を描けば、SFにもなりうるが、映画は(原作も)ファンタジーなのでそうした部分はあっさりしている。ハリーの11歳の誕生日にホグワーツ魔法魔術学校から招待状が届き、入学を許される。両親は交通事故ではなく、悪い魔法使いヴォルデモートと戦って死んだのだった。

 この悪い魔法使いとの戦いをメインに描くのならば、それなりに面白くなったのかもしれない。ところが、第1作の哀しさ、魔法学校の授業など背景までも描かなくちゃいけない。別にそれぞれの描写が悪いわけでもないのだが、本筋から離れたこういう描写はどうも面白くないのである。ハリーが授業を通じて能力を高めるわけでもない。中盤が単調に感じられるのはこうした描写が多いからだろう。ストーリーに意外性はなく、悪役がだれかはすぐに分かる。この程度の物語を面白がっていいのかどうか。

 SFXに関して言えば、魔法のほうきの描写は「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」に登場したスピーダー・バイクの発展形だろう。魔法のほうきが多数登場するゲーム・クィディッチのシーンはスピーディーでよくできているが、それだけのこと。トロール(「となりのトトロ」の元ネタ)やチェスのシーンも感心するほどのものではなかった。

 生活保護を受けながら、この原作を書いたというJ・K・ローリングには現実逃避の気持ちが少なからずあっただろう。いや、物語というのは多かれ少なかれそうしたものである。小説や映画は、今の自分はホントの自分じゃないはずだという理想と現実のギャップから逃れる手段として有効なのである。だから「スター・ウォーズ」や「マトリックス」や「ダーク・シティ」などなどSFでは毎度おなじみの、不遇の生活を送る主人公が実は世界を救うヒーロー(選ばれし者)だったという設定は観客(読者)の願望そのものといっていい。

 問題はヒーローが覚醒した後の活躍にあるわけで、この映画の場合、ハリーの活躍が物足りないものに終わっている。個人的な好みの問題だが、魔法ではなく、超能力だったらもう少し楽しめたのかもしれない。

 脚本は「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」のスティーブ・グローブス。原作を過不足なくまとめた感じ。もっとポイントを絞り込む必要があったのだと思う。