2021/06/13(日)「ファーザー」のエンタメ的面白さ
アンソニーには不思議なことが次々に起きる。娘のアン(オリヴィア・コールマン)が見知らぬ女(オリヴィア・ウィリアムズ)に変わる。知らない男(マーク・ゲイティス)が部屋にいて、娘の夫と名乗る。愛する男と出会った娘がパリに行くと言ったかと思えば、結婚して10年になると言う。腕時計がなくなり、娘の夫と名乗る別の男(ルーファス・シーウェル)の腕にそっくりの時計がある。部屋の絵がなくなる。自分の家なのに、娘夫婦の家だと言われる。家に帰ったかと思ったら、病院に来ている。新しい介護人のローラ(イモージェン・プーツ)はアンの妹ルーシーにそっくりだと言えば、アンが悲しい顔をする。極めて唐突に理不尽に顔をたたかれたり、暴言を吐かれたりする。
こうした描写の数々がもう通俗的・エンタメ的に面白い。どれが真実だか、何を信用していいのか観客にも分からなくなってくるのだ。もちろん、ミステリーやサスペンス映画ではこうした事象の背後には悪意のある人物がいるわけだが、この映画においては主人公の認知症がすべての原因になっている。アンソニーは過去と現在の区別がつかなくなり、一瞬、自分が誰だか分からなくなり、娘の顔も忘れてしまう。見ている方もじわりと悲痛な感情が立ち上がってくることになる。
2012年にフランスで初上演した舞台劇を監督のフロリアン・ゼレール自身が英国を舞台にして映画化した。ゼレールにとっては初の長編劇映画だそうだが、並外れてうまくいったのは映画用に書き換えた脚本(ゼレールとクリストファー・ハンプトンの共同)が優れていたからだろう。ゼレールは「迷路のような作品なので、観客は自分自身で出口を探さなければならなくなるはず」と言い、ハンプトンは「私たちはとにかく、ある種の感覚を再現しようとしました。舞台の観客に呼び起こしたような、崩壊と戸惑いの感覚です」と語っている。その狙いは十分すぎるほど精緻に実現できている。通俗的にめっぽう面白く、しかも考えさせる。認知症テーマの映画と聞いて持ってしまう重苦しい先入観を粉々に打ち砕く傑作だ。
類い希な演技力を見せて注目を集めたサスペンス映画「マジック」(1979年、リチャード・アッテンボロー監督)以来、アンソニー・ホプキンスは常に演技派の名に恥じない演技を見せてきた(「マジック」公開まで、アンソニーと言えば、パーキンスだった)。「ファーザー」での演技がホプキンスにとって特に優れているとは思わないが、認知症の主人公を表現するのに過不足のない演技であり、アカデミー主演男優賞に値することは間違いないだろう。ホプキンス自身は受賞できるとは思っていず、新型コロナへの不安もあって授賞式には出席しなかった。前評判の高かったチャドウィック・ボーズマン(「マ・レイニーのブラックボトム」でノミネート)を上回る票を集めたのは映画の出来も大いに関係しているだろう。