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2001年10月16日の記事

2001/10/16(火)「陰陽師」

 夢枕獏の原作を滝田洋二郎が映画化。見ていて、何となく「グリーン・デスティニー」と比較していた。あちらは剣の達人、こちらは陰陽道の達人との違いはあるにせよ、どちらも人間離れした能力を備えており、とりあえず正義の立場にあるという点で一致している。その比較の結論から言うと、「グリーン・デスティニー」にはかなわなかった。

 一番の要因はクライマックスのカタルシスの不足にある。陰陽道の達人同士が対決するのならば、SFXを駆使した場面を期待してしまうのだが、対決場面が地味なのである。ここの演出自体が悪いわけではなく、物語の結末としての重みに欠けるのだ。

 「帝都物語」や「魔界転生」などもなんとなく思い出してしまう映画なのだが、こうした日本製伝奇SFに共通するのは雰囲気が重たくなってしまうことで、根が明るい映画の多い滝田洋二郎監督をもってしてもその呪縛からは逃れられなかった。急いで付け加えておくと、この映画は「帝都物語」よりも「魔界転生」よりも良い出来だし、去年の同じ時期に公開され、一部に同じモチーフを持つ「五条霊戦記」よりも相当良い出来である。

 その良さはひとえに安倍晴明を演じる野村萬斎によるものである。単純な正義の味方ではない複雑なキャラクターと不気味な雰囲気を併せ持ち、立ち居振る舞いや口跡、独特のセリフ回しが実にいい。鬼が跋扈した平安時代にマッチした雰囲気を持っていると思う。惜しむらくは安倍晴明とともに悪に立ち向かう源博雅を演じる伊藤英明に野村萬斎に負けないキャラクターがないところ。明るくてどこか抜けているが、正義感は強いこのキャラクター、超人と常人、陰と陽を際だたせる役回りで狂言回しでもある。重要な役なのだが、伊藤英明は野村萬斎の迫力に大きく負けている。だから、晴明がなぜ博雅を特別視するのか伝わらないし、2人のホモセクシュアル的な友情関係にもいまいち説得力がない。

 これは安倍晴明と対決する道尊を演じる真田広之にも言えることで、いくら熱演していても、野村萬斎とは演技の質が決定的に違うので、対抗できないのである。やはり役者自身が持つ雰囲気は大事なのだなと思う。野村萬斎は映画は黒沢明「乱」以来の出演という。もっと映画に出すべき俳優ではないか。