2002/07/12(金)「父よ」
ジョゼ・ジョヴァンニが自分の父親を描いた自伝的作品。ジョヴァンニの映画を劇場で見るのは個人的には「掘った奪った逃げた」(1979年)以来だからなんと23年ぶりである。ジョヴァンニにとっても劇場用映画としては13年ぶりの作品である。
死刑判決を受けた息子を父親が助けようと奔走する。息子がいる刑務所の前にある店に通い詰め、看守から息子の様子を聞き、弁護士を頼み、被害者の家を訪ねて特赦の嘆願書を書いてもらう。父親は息子から嫌われていると思っているので、自分がしていることを隠している。息子は犯罪には加わったが、殺人は犯していなかった。若者の犯罪抑止のために見せしめの意味が反映されて通常より重い刑がくだされたことを映画は示唆する。父親の必死の努力で息子は終身刑に減刑され、11年後に釈放される。その後ジョヴァンニは罪を取り消されて完全な復権を果たすが、その時父親は既に亡くなっていたそうだ。
ジョヴァンニは今年79歳。父親の行動を知ったのは33歳の時というから、映画化するのに40年以上の年月がかかったことになる。そのためか単純な泣かせる映画にはなっていない。父親の愛情を深く描いてはいるが、息子を助けようとする父親を(例えば「父の祈りを」のように)重点的にドラマティックに描くのではなく、父親の人間性を含めて描いてある。父親の努力だけではなく、父親そのものを描いた映画なのである(原題は「私の父」)。父親の賭博師としての生活など本筋とはあまり関係ない不要と思える部分もあるが、ジョヴァンニにとってそれはなくてはならない部分なのだろう。
ジョヴァンニと父親はついに言葉ではお互いの愛情を表現しなかった。それをジョヴァンニは悔いて、この映画を作ったと最後にジョヴァンニ自身によるナレーションが流れる。だからこれは偉大なプライベートフィルムとも言える。それにもかかわらず、この映画が普遍性を持つのは父親と息子の関係が多かれ少なかれこの映画で描かれたようなものであるからだろう。
父親を演じるブリュノ・クレメールが味わい深い演技を見せてうまい。久しぶりにフランス映画らしいフランス映画を見たという感じ。ジョヴァンニはノワールを書く作家だが、冒険小説ファンに支持が高い。この父親像もある意味、ハードボイルドだ。演出的にはやや緩む部分があるのだが、ジョヴァンニにはまだまだ映画を撮ってほしいと思う。