2003/02/23(日)「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」
アクションに次ぐアクションで密度が濃いので、見終わった後、頭がクラクラした(1階席だったので首も痛くなった)。前作の後半を占めた怒濤のアクションが今回は最初から最後まで続く。アクション場面を背負っているのがアラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)で、前作よりも格好良く、ほとんど主人公の風格。エオウィン(ミランダ・オットー)とのほのかなロマンス描写もいい。アラゴルンと同行するレゴラス(オーランド・ブルーム)のほれぼれするような弓の放ち方とギムリ(ジョン=リス・デイヴィス)のユーモアも楽しい。本来の主人公であるフロド(イライジャ・ウッド)とサム(ショーン・アスティン)のコンビの旅も波乱に富んでおり、指輪の元の持ち主であるゴラムのスメアゴルが加わって、ぐっと深みを増した。善と悪に揺れ動くスメアゴルは今回の大きなポイントだ。
ピーター・ジャクソンの演出に狂いがないと思うのはラストをフロドとサムの力強いセリフで締め括っているところ。指輪の力に圧倒されて弱気になったフロドに対してサムは「物語の主人公は決して後には引かない」と話すのだ。この脱映画的とも思える場面がなかなかいい。ジャクソンの演出は決して細かい部分でうまいわけではないのだが、原作への愛と情熱とパワーで押し切った感じがする。「スター・ウォーズ」シリーズよりも物語の背景に深みがあるし、演出が正攻法である。よくぞここまで立派な映画を作ったなと、前回と同じような感想を持つ。
前作で火の鞭を振るう怪物バルログとともに橋から落ちたガンダルフ(イアン・マッケラン)のその後を冒頭で描く場面から画面に力がこもっている。物語の時間軸は前作からそのままつながっており、これぞ正しい続編という感じがする。映画の魅力を補強しているのはニュージーランドの素晴らしい風景で、これまた前作よりも効果的に使われている。大自然の中で繰り広げられる善と悪の戦い。クライマックスの怪物1万対人間300の戦いは延々と続き、圧倒的な迫力がある。CGと分かっていても、このスケールの大きさは感動的である。
この物語から現実を照射するのは簡単だが、これはあくまでも人間対怪物の戦いであり、アメリカ対テロリストのような狭い了見で解釈するのは間違いと思う。
子どもを連れて吹き替え版も見てみたいところ。DVDのエクステンディッド・エディションも買いたくなった。
2003/02/20(木)「戦場のピアニスト」
もちろん、ダビデの星の腕章を着けさせられる差別からゲットー移住、収容所送りへと続くユダヤ人迫害の場面はテレビや映画や書籍で何度も見た(読んだ)ものではあるのだが、それでもやはり胸を締め付けられるような思いがする。気まぐれにユダヤ人を殺すドイツ兵の描写には「シンドラーのリスト」の時と同じように心が冷えてくる。飢えと恐怖と絶望に苦しめられ、人間の本性がむき出しにされるゲットーの生活をロマン・ポランスキーは1人のピアニストの視点から冷徹に描き出す。前半はこういう粛然とせざるを得ないような描写が続く。
映画は後半、収容所行きの列車から危うく難を逃れた主人公がさまざまな人たちの力を借りて生きのびていく姿を描く。隠れ家を転々とし、物音も立てずにひっそりと生きる主人公の姿は、戦争が終わったことも知らずにジャングルの中で暮らした日本兵を思わせる。主人公は飢えに苦しみ、死にそうになりながらも生き抜いて終戦を迎えることになる。この後半も優れた描写ではあるのだが、主人公が生きるか死ぬかだけに絞られてくるので物足りない思いも残る。実話だから仕方がないし、過酷な生活を送った主人公の生き方にケチを付けるつもりも毛頭ないが、この主人公からは絶対に生き抜くという信念は感じられないし、レジスタンスに参加するわけでもないし、状況を少しでも変えようと努力するわけでもない。単に運が良かっただけのように見えてしまう。
収容所で殺され、レジスタンスで倒れた多数の人々に比べれば、主人公は生き抜いただけでも恵まれていたと言える。話を運の良い男に収斂させてしまうと、映画としてはちょっと弱い。ユダヤ人迫害を十分に描いているじゃないか、と言われれば、確かにその通りだが、そういう映画はほかにもたくさんあるのだ。良い映画であることを否定はしないけれど、物語を締め括る視点にもう一つ何かのメッセージを込めてもよかったような気がする。
ポーランド出身で、ゲットーでの生活も体験したロマン・ポランスキーは「シンドラーのリスト」の監督候補に挙がったこともあるそうだ。それを蹴ったのは自分に近すぎる題材だったためとのこと。この映画の後半を主人公の生きのびる姿に絞ったのはポランスキーにとって、まだあの時代が重くのしかかっているからなのかもしれない。
常に哀しい目をした主演のエイドリアン・ブロディは好演している。昨年のカンヌ映画祭パルムドール。アカデミー賞にもノミネートされている。脚本はチェコのレジスタンスの若者たちを描いた鮮烈な傑作「暁の7人」(1976年、原題はOperation Daybreak)のロナルド・ハーウッド。
2003/02/10(月)「レッド・ドラゴン」
原作を読んだのは単行本が出た直後だから18年前。細部はすっかり忘れている。覚えているのは“噛みつき魔”ダラハイドと盲目のリーバの描写ぐらいか。小説は面白かったが、その後に読んだ「羊たちの沈黙」で、脇役だったレクター博士に安楽椅子探偵の役目を振ったことの方が驚いた。寝ころんで読んでいて、起きあがりました。やはり、「ブラック・サンデー」のトマス・ハリス作品だけのことはある…。
「レッド・ドラゴン」はマイケル・マン監督「刑事グラハム 凍りついた欲望」(1986年)に続く2度目の映画化となる。ブレット・ラトナーは「ラッシュアワー」とかの監督だから不安があったが、まずまずの出来に仕上がっている。相変わらずのアンソニー・ホプキンスもエドワード・ノートンもうまく、それ以上にダラハイド役のレイフ・ファインズがうまい。ダラハイドは原作ではもっと醜い顔のはずで、ファインズではハンサムすぎると思うが、中盤の新聞記者(フィリップ・シーモア・ホフマン)をいたぶる場面など狂気の演技がなかなかである。リーバ役のエミリー・ワトソンもいい。
原作ではレクター博士の登場シーンは少なかった。映画でも多くはないが、もはやレクター博士はスター並みの存在だから、それなりの扱いをしてある。冒頭のエピソードは「ハンニバル」の雰囲気を取り入れたもので、そこに続く逮捕場面も悪くない(ここまでがちょっと長い気はする)。ラトナーの演出は大味なところがあって決して優れているわけではないけれど、そつなくまとめてある。
残念なのは「羊たちの沈黙」へのリスペクトが大きすぎること。ラトナーはレクターの入った精神病院のセットを「羊たち…」と同じにすることにこだわったという。脚本は「羊たち…」で名を挙げたテッド・タリーだから、映画の雰囲気も「羊たち…」によく似たものになった。ダラハイド捜査のヒントをレクターがグラハムに与える場面などそのままである。要するにオリジナルなものに乏しいのだ。「羊」がなければ、映画の評価は高まったかもしれない。しかし所詮、「羊」がなければ生まれなかった映画なのである。
2003/02/06(木)「ボーン・アイデンティティー」
ロバート・ラドラム「暗殺者」の映画化。記憶をなくした主人公ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)がCIAから命を狙われながら、自分のアイデンティティーを探し求める。何が起こっているのか、なぜ狙われるのかが分からない前半の展開は快調で、デイモンもアクションシーンを難なくこなし、凄腕の男役がピッタリな感じ。ボーンの逃走を助け、事件に巻き込まれるマリー役フランカ・ポテンテも少し疲れた感じがいい。ただ、謎の設定がちょっと浅い。頭を打ったわけでもないのに主人公が記憶をなくすというのも都合がよすぎるのではないか。原作は未読だが、映画化に際してかなり単純化してあるようだ。あと2つぐらいヒネリを加えると良かったと思う。
地中海で重傷を負って浮かんでいた男が漁船に救出される。男は背中を撃たれており、体内にはチューリヒの銀行の口座番号が埋め込まれていた。しかも記憶がなくなっている。傷をいやした男が銀行に行くと、金庫には大金とジェイソン・ボーンなどと名乗った6枚のパスポート、拳銃があった。銀行を出たところで、ボーンは警官から追われ、アメリカの領事館に逃げ込む。しかし、そこでも警官たちがボーンを狙ってくる。ボーンは金に困っていた女マリー(フランカ・ポテンテ)に謝礼2万ドルの約束で、手がかりを捜すため車で一緒にパリに行く。
と、ストーリーを書けるのはここまで。ダグ・リーマン監督の演出はスピーディーで次々にアクション場面とサスペンス場面をつないでいく。記憶はなくしていても格闘技の腕は体が覚えており、公園で詰問を受けた主人公が一瞬にして2人の警官を倒す場面など鮮やか。デイモンは映画に備えて体作りをしたようだ。アクションが格闘中心なのもいい。
やや単調になる中盤で、ボーンとマリーのロマンスを取り入れているのは効果的で、マリーはボーンの要請で容姿を変え、徐々にスパイ映画の女優らしくなってくる。この2人の関係をもっと描いても良かったと思う。
問題は事件の真相がやや魅力を欠くこと。CIAが主人公を狙うことにどうも切実な理由が見当たらない。ゲームみたいな話なのである。主演の2人の魅力で救われてはいるけれど、もう少し時代に即した脚本にしたいところだった。とはいっても、冷戦時代とは違い、スパイ映画は成立にしくい時代なのだろう。
2003/01/17(金)「アイリス」
イギリスの作家ジョン・ベイリーが妻のアイリスについて書いた原作をリチャード・エア監督が映画化。現在の(というか年老いた)ベイリーを演じたジム・ブロードベントはアカデミー助演男優賞を受賞した。現在のアイリス役のジュディ・デンチは主演女優賞ノミネート、若い頃のアイリスを演じたケイト・ウィンスレットは助演女優賞にノミネートされた。
アルツハイマーが進行するアイリスを絶妙に演じるデンチには感心したし、それを温かく見守るブロードベントもうまいのだが、それ以上にウィンスレットが良い。この女優、決してスタイルが良いわけではないが、豊満な感じが奔放なアイリス役にぴったりだ。ウィンスレットが出ていなかったら、映画は輝きを失っていただろう。デンチを見ているよりもウィンスレットを見ている方がもちろん楽しく、若い頃のパートをもっと多くしてほしかったと思う。
リチャード・エアの母親もアルツハイマーだそうで、映画は43年間に及ぶ夫婦愛とともにアルツハイマーの描写が大きな部分を占める。言葉にこだわりを持っていたアイリスが言葉を失っていく過程は残酷で哀しい。
この映画が日本初公開作となるエアの演出は輝く過去(それは若さの輝きでもある)と悲惨さを増す現在を描き分けているのだが、話の進め方としてはやや単調になってしまった。役者たちが3人もアカデミー賞にノミネートされながら、作品賞にノミネートされなかったのはそのためだろう。もう少しメリハリを付ける必要があった。
ウィンスレットが素晴らしすぎたために老年の夫婦の描写と若い頃のラブストーリーが乖離してしまった印象もある。あんな風にして結ばれた夫婦がアルツハイマーに冒されるという風になるはずが、別々の映画を見ているような感じを受ける。ウィンスレットとデンチに落差がありすぎるのである。アルツハイマーはこの映画の重要な主題であり、難しいところなのだが、もっと明確に夫婦愛とアルツハイマーのどちらに重点を置くかを決めた方が良かったのではないか。