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2003年05月24日の記事

2003/05/24(土)「マトリックス リローデッド」

 あの素晴らしすぎる予告編を見たら、先々行公開に駆けつけずにはいられない。しかし、見終わった映画の印象は予告編にすっかり負けていた。アクションの撮り方、見せ方は大変良いのに物語の語り方がまったく駄目である。最初に延々とあるザイオンの描写はまだるっこしくて仕方なく、まるでかつての東宝怪獣映画や「マッドマックス」を思わせるような南洋の原住民みたいなありきたりの人類の描き方には失望せざるを得ない。新たなビジョンのかけらもありゃしない。その後の本筋の話も分かりにくく、面白い話を思いついたのに話を構築していく際に失敗したなという感じがありあり。時間が足りなかったのだろうか。これは単にネオ(キアヌ・リーブス)とトリニティー(キャリー=アン・モス)の愛を中心に据えて、なんだかよく分からないマトリックスの話を(分からなくてもなってもいいから)ばっさり省略して簡単にまとめてしまえば何とかなったのではないか。アクションを生かす話に再編集してはどうか。

 一番の問題はエモーションに欠けていることにある。ネオが見る夢の中でトリニティーの死が冒頭に描かれる。これは当然、クライマックスにリピートされるのだが、それだけのことで、物語と有機的につながっていかない。マトリックスの秘密をこれにどう組み合わせるかが、脚本の腕の見せ所なのに、どうもうまくない。トリニティーの運命を暗示するようなエピソードが中盤にほしいところだった。最初の10分とラストの30分だけで十分なのである。

 人類を支配するA.Iが地下深くにある都市ザイオンを攻めてくると知ったモーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)やネオたちが、マトリックスの世界に入り、それを阻止しようとするのが基本プロット(「ドリームキャッチャー」に併映された「アニマトリックス」の「ファイナル・フライト・オブ・オシリス」に絡むセリフがある)。これに前作ではエージェント・スミス、今回はエージェントではなくなったスミス(ヒューゴ・ウィービング)とネオの確執が絡む。スミスはネオへの復讐心に燃え、システムに叛逆して存在し、無数に自己増殖をさせる技術を身につけている。今回はつまり、ネオに対してA.Iとスミスがそれぞれに攻撃を仕掛けてくるのである。話の構図としては悪くないのだが、どうもすっきりしない。スミスに時間を割きすぎたのも一因なのではないかと思う。スミスのキャラクターが前作と変わっているのは完結編への伏線だろうが、基本的にネオの行動を邪魔するだけの役柄なので、前作同様、A.Iの手先にしか見えてこない。

 アクションシーンは中盤にある多数のスミスとネオの戦いと、クライマックスの高速道路でのツインズとの戦いがCGを駆使して良くできている。良くできてはいるが、エモーションに欠けるので、単なる見せ物である。前作では新鮮だったカンフー・アクションが今となってはハリウッドでも普通になってしまったのもデメリットだろう。

 ラスト近く、現実世界のネオに新たな変化が訪れる。完結編ではこれをどう活用するのか。今回のようなことがないようにしてほしいものだ。