2006/02/22(水)「魚と寝る女」

 キム・ギドクの2000年の作品。「悪い男」(2001年)や「春夏秋冬そして春」(2003年)の原型のような作品だ。ヒロインにまったくセリフがないのは「悪い男」だし、湖に浮かんだ小屋船が舞台なのは「春夏秋冬そして春」。三枚におろされ、湖に放された鯉が再び釣り針にかかる場面などは「春夏秋冬…」の石を結ばれたカエルや蛇が生き返るシーンそのままで、内容的にも人の生と性と死を描いて共通している。人間の営み、男女の営みを直接的・間接的表現を織り交ぜて描き、面白いイメージがたくさんある。

 ギドクは直感的な描写の人なのだと思う。ストーリーを語っても何も面白くないのに、所々にあるイメージの鮮烈さで映画をもたせている。そのイメージにどんな意味があるかというと、どうとでも取れる感じがする。それが逆にこの作品の長所でもあるのだろう。

 僕はヒロインの存在の仕方を見て、何となく勅使河原宏の「砂の女」を思い出したが、ギドクの手法は独自のもので、だからこそ価値があると思う。

2006/02/21(火) キネ旬3月上旬号

 「Review 2006」のメンバー8人が一新している。たしか、このコーナーは始まって5年ほどたつはず。変わってもおかしくはないが、全員変わるとは思わなかった。新しく渡辺武信、今野雄二の2氏が入ったのが個人的にはうれしい。しかし、渡辺武信、「PROMISE」に★4つを付けているのはどうもなあ。2つで十分じゃないのか。

 日本映画製作情報で驚いたのは「犬神家の一族」の30年ぶりのリメイク。90歳の市川崑監督が自分でリメイクするという。主演は旧作と同じ石坂浩二(今年65歳)。僕は市川崑のファンだが、90歳で大丈夫かと心配になる。

2006/02/19(日)「ブラック・セプテンバー 五輪テロの真実」

 2000年のアカデミー長編ドキュメンタリー賞受賞作(原題はOne Day in September)。スピルバーグの「ミュンヘン」公開劇場ではDVDが先行販売されているそうだ。DVDのタイトルは「ブラック・セプテンバー ミュンヘン・テロ事件の真実」。

 事件の始まりから終わりまでを当時のニュース映像と関係者、遺族、そして8人の犯行グループのただ一人の生き残りジャマール・アル・ガーシーのインタビューで構成している。犯行グループは3人生き残ったが、2人はイスラエルの暗殺団に殺され、ガーシーはアフリカに隠れ住んでいるという。

 ドイツ政府は空港で犯人を捕らえるか射殺する計画を立てたが、用意した狙撃兵は5人だけ。犯行グループの数を4、5人と思っていたためだ。飛行機の中に隠れ、犯人を捕らえる予定だった警官たちは「これは自殺行為だ」として犯行グループの到着直前に逃げてしまう。人質全員が死亡するという最悪の結末となったのはドイツ政府のこの対応がまずかったからというのがはっきり分かる。当時はテロへの準備も態勢もなく、ずさん極まりない計画を立てたのが最大の原因だろう。

 驚いたのは犯行グループの3人が釈放されたハイジャック事件の真相。事件から7カ月後に起きたルフトハンザ機のハイジャックで、飛行機に乗っていた乗客は12人。それも男ばかりだった。ドイツ政府とテロリスト側が裏取引して事件を演出したらしい。背景には3人を釈放することで、テロを防ぎたいというドイツ政府の意図があったという。そこまでやるか、という感じ。ドイツの対応にイスラエル政府が怒ったのも当然だなという気になる。

2006/02/18(土)「シャークボーイ&マグマガール 3-D」

 「シャークボーイ&マグマガール 3-D」子供にせがまれて見に行く。ロバート・ロドリゲスが「スパイキッズ3-D:ゲームオーバー」(2003年)に続いて撮った3D映画。「シン・シティ」の次の作品としては情けなくなるようなレベルの映画で、ロドリゲスは自分の7歳の息子のアイデアを基に撮ったらしい(ちゃんとレーサー・マックス・ロドリゲスという名前が原案にクレジットされている)。「スパイキッズ」よりは少しましなレベルと思ったが、IMDBでは3.7という目を疑うような低い点数が付いている。いや、それも普通の映画と比べれば、仕方がないだろう。僕はある程度覚悟して見たので、そこまで酷評はしない。

 3D映画は見せ物としてはとても面白く、この映画でも水泡が目の前にプカプカ浮く場面などは良くできていると思う(長くメガネを掛けていると、目は疲れる)。パンフレットにはちゃんと赤と青のプラスティックを張ったメガネが付いていて、表紙が立体的に見える(中にも立体的なページがある)。問題はストーリーで、ロドリゲス、子供向けとなると、途端に手を抜くようだ。夢見ることの重要さを訴えるのはいいのだが、それを何度も繰り返されると、鼻についてくる。こういうことは最後にそっと言えばいいこと。必要以上に強調するのは野暮である。内容も「スパイキッズ」と同工異曲のストーリーをやっても面白くならないのは自明のことだろう。想像力が幼稚すぎる。子供向けでもいいから、大人が居眠りしないような作品を撮ってほしいと思う。

 空想好きの少年マックス(ケイデン・ボイド)は夏休みの思い出として学校で、サメに育てられたシャークボーイ(テイラー・ロートナー)と炎とマグマを自在に操るマグマガール(テイラー・ドゥーリー)の話を発表する。クラスの仲間からもエレクトリシダッド先生(ジョージ・ロペス)からも信用されず、いじめられる始末。しかし、シャークボーイとマグマガールはマックスに助けを求めて本当に学校にやってくる。彼らの暮らす「よだれ惑星」が闇の勢力によって危機にさらされているという。その惑星はマックスの夢見る力で作られたのだった。マックスは2人とともに惑星に行き、危機を救おうと奔走する。

 敵が学校の先生だったり、いじめっ子だったりするのはこうした映画のお約束か。「よだれ惑星」というネーミングもひどいが、そこで描かれるものも何ら新鮮なものがない。1時間33分の上映時間だが、1時間で語れる話である。7歳の子供のアイデアをそのまま描いては面白くなるはずがない。子供はもっと複雑な話でも理解するものだし、そういう奥行きのある話の方が何度も見たくなるはず。ロドリゲスにはそういうことをよく考えて、子供向け作品を作って欲しい。

 日本語吹き替え版は山寺宏一が何役もやっている。達者な人だなと思う。

2006/02/16(木)「PROMISE」

 「PROMISE」パンフレットチェン・カイコー監督が日中韓のスターを共演させて撮ったファンタジー。タイトルも内容もチャン・イーモウ監督の「HERO」「LOVERS」を彷彿させるが、イーモウ作品がアクションとドラマのエモーションを切れ目なく融合させていたのに対し、この映画、アクション場面のCGがダメだし、エモーションの高まりも少ない。それぞれの場面の演出に繊細さが感じられない上に、場面の組み立ても雑に感じた。ディズニーの「ライオン・キング」を参考にしたと思われる水牛の大群の暴走シーンなどはCGの質感があまりにも安っぽくて情けなくなる。パンフレットのインタビューを読むと、カイコーは実写と明らかに異なるようにCGを演出したと語っているが、疑わしいものである。失笑を買うようなCGにどんな意味があるというのか。これが意図的だとしたら、大きな勘違いと言うほかない。ワイヤーアクションの撮り方もオリジナルなものはなく、この映画、スペクタクルな部分に関しては見るべきものはない。チェン・カイコー、ファンタジーやスペクタクルには向いていないのだと思う。

 見るべきなのは真田広之、チャン・ドンゴン、ニコラス・ツェー、セシリア・チャンという俳優たちであり、この4人の演技がなんとか映画を水準に維持する要因になった。真田広之は立派に北京語をしゃべり、善悪入り交じったキャラクターを好演している。アクションが普通にできるのが強みだ。ニコラス・ツェーは「香港国際警察 New Police Story」とは違い、悪役めいた役柄を颯爽と演じている。チャン・ドンゴンとセシリア・チャンに関してはそれほど感心する部分はなかったのだけれど、スターとしての華やかさはある。日中韓のスターの共演という点では成功しているだろう。そのスターたちが着る衣装をデザインした正子公也も良い仕事をしている。

 まだ、神が人間の前に普通に現れた時代の中国。貧しい身なりをした少女が運命を司る神「満神」(チェン・ホン)から、一生本当の愛を得ることができないことを条件に「すべての男から望まれる姫」にすると言われる。それでもいい、と少女は答える。20年後、少女は美しい王妃・傾城(チンション=セシリア・チャン)になっていた。赤い華の甲冑を着た大将軍・光明(クァンミン=真田広之)は3000の兵で2万の敵に勝利し、気分を良くしていた。光明は奴隷の崑崙(クンルン=チャン・ドンゴン)が戦いの中で見せた足の速さに目を付け、家来にする。光明は王の城へ行く途中、満神から自分が王妃を救うために王を殺す場面を見せられる。光明は謎の男・鬼狼(リウ・イエ)に襲われ負傷。光明の代わりに崑崙が赤い甲冑と仮面を身につけて、王の元へ行くが、そこでは北の侯爵・無歓(ウーホァン=ニコラス・ツェー)の軍勢が詰めかけ、王に傾城を差し出すよう要求していた。王妃に剣を向けた王を駆けつけた崑崙が殺してしまう。自分を助けてくれたと誤解した傾城は光明を愛するようになるが、光明は王殺しの罪をかぶることになる。事実を話せば、傾城の愛は得られないという立場。これに秘かに傾城に思いを寄せる崑崙とあからさまに傾城を要求する無歓、崑崙と無歓の過去の因縁が重なっていく。

 ラブロマンスとしてはあまり魅力を感じない。話のスケールは大きいのに「LOVERS」に負けているのは4人の心の動きを丹念に描いていないからだろう。愛のドラマではなく、女を巡る争奪戦にしか見えない。チェン・カイコーはそうした恋愛ドラマにはあまり興味がないのかもしれない。「星願 あなたにもういちど」(1999年)では初々しかったセシリア・チャンは大人の女の魅力を見せるようになっているが、ニコラス・ツェーとならバランスが取れるものの、真田広之、チャン・ドンゴンとは年齢的に少し無理があるように思う。原題の「無極」は極まりのないこと、果てしないことを意味するそうだ。