2006/10/10(火)「ローズ・イン・タイドランド」
テリー・ギリアム監督の前作「ブラザーズ・グリム」はいつものようにトラブルに見舞われたためか、中途半端な出来だった。トラブルで製作が中断していた間に撮ったのがこの映画。ギリアムが本領を発揮した映画になっているかと思ったが、残念ながら本領は発揮していてもそれほど面白さは感じなかった。
「不思議の国のアリス」をモチーフにした映画なのでファンタジーかと思ってしまうが、悲惨な現実を空想好きの少女の視点から描いた映画なのである。視点はダークファンタジー、物語は現実で、ファンタジー色が薄いのが一番の不満(これを見た後に「レディ・イン・ザ・ウォーター」を見たら、すっきりとしたファンタジーになっていたので、余計に点が甘くなった部分はある)。小品レベルのダークな作品であり、「バンデットQ]「未来世紀ブラジル」「バロン」「12モンキーズ」あたりと比べると、破天荒な描写がない分、物足りない。
原作はミッチ・カリン。カリンはギリアムのファンでオビに推薦文を欲しくて本を送ったそうだ。主人公の10歳の少女ジェライザ=ローズ(ジョデル・フェルランド)の両親は2人ともドラッグ中毒。母親(ジェニファー・ティリー)はドラッグの打ちすぎで死に、ローズは父親(ジェフ・ブリッジス)とともに祖母の家へ向かう。草原の真ん中にある家はボロボロで、既に祖母の姿はなかった。近所には家にたくさんの剥製があるデル(ジャネット・マクティア)とディキンズ(ブレンダン・フレッチャー)姉弟が住んでいた。ある日、父親もドラッグを打って椅子に座ったまま目をさまさなくなった。徐々に腐敗し、悪臭を発するようになるが、ローズは父親が眠っていると思っている。ローズは4体の人形の首と一緒に空想の世界に遊び、ディキンズと親しくなる。ディキンズはてんかんの発作の手術を受けており、10歳ぐらいの知能しかない。デルはローズの家に来て、死んでいる父親を見て剥製にする。父親とは以前からの知り合いだったようだ。
姉弟のキャラクターはまるでサイコで、密かに連続殺人を犯していてもおかしくない雰囲気。そういう描写がギリアムらしいところか。ただし、ブラックな味わいが以前の作品ではユーモアに転化した部分があったが、この映画、ブラックはブラックなままでグロテスクな感じがつきまとう。後半にあるセクシャルな雰囲気などもそうで、ここはもっと強調すれば、映画は別の意味で特異な作品になったのかもしれないが、ロリコン描写に規制が厳しい欧米ではこれぐらいが限界だろう。人間関係が今ひとつすっきりしないのも難点で、父親とデルの関係など明確にしたいところ。原作もこういう話のようだ。ギリアム、この話のどこに惹かれたのだろう。
主人公を演じるジョデル・フェルランドは出ずっぱりで好演と思う。それにしてもこのローズ、少しも自分を不幸とは思っていない。現実が不幸すぎるから空想の世界に遊ぶようになったのだろうが、そうした精神分析的な視点が加わると、映画はもっと面白くなったのかもしれない。ギリアムのイメージ自体は楽しめるけれども、もっと文学的な味わいがあればと思えてくる作品だった。
2006/10/10(火)「レディ・イン・ザ・ウォーター」
アパートのプールに現れた水の精ナーフをめぐるファンタジー。ナーフを悪の獣スクラントから守り、元いた世界に帰すためアパートの住人たちが力を合わせる。水の精と人間はかつて一緒に暮らしていたが、離れて暮らすようになって人間界には争いごとが生まれた。水の精たちは人間に接触しようとしてきたが、スクラントによって阻まれてきた。ナーフを無事に帰らせることは、世界に平和を取り戻すことにつながる、という設定。アパートの住人たちにはそれぞれにナーフを助ける能力が備わっているが、だれがどんな能力を持ち、どういう役割を果たすのか分からない、というのがM・ナイト・シャマランらしい仕掛けで面白かった。この役割が分からないという仕掛けは「アンブレイカブル」(2000年)に通じるもので、丁寧な語り直しという感じである。そしてこの1点でこの映画は寓意性が深く、広がりのある物語になったと思う。主人公はかつて医師だったが、留守中に強盗から妻子を殺され、アパートの管理人の仕事をするようになった。失意の人物がある出来事を通して再生を果たす物語であり、平凡な住人たちが自己実現を果たす物語でもある。不評が多いようだけれど、個人的には好きな映画だ。
クリーブランド・ヒープ(ポール・ジアマッティ)が管理人として働くアパートのプールで夜中に水音がする。誰かが泳いでいるらしい。クリーブランドはある夜、水の中に女を発見するが、プールに落ちて気を失ってしまう。気づくと、自分の部屋の中。女(ブライス・ダラス・ハワード)はストーリーと名乗る。アパートに住む韓国人女子大生(シンディー・チャン)が母親から聞いた伝説でストーリーは水の精(ナーフ)と符合することが多いと分かる。水の精は人間界の“うつわ”と会うことで、人間界に平和をもたらす存在だった。アパートの住人の中にそのうつわはいた。そしてアパートの住人たちも水の精を助ける役割を持っていることが分かった。記号論者(シンボリスト)、守護者(ガーディアン)、職人(ギルド)、治癒者(ヒーラー)の役割。ストーリーは自分のいた青い世界に帰ろうとするが、スクラントに襲われて失敗。ストーリーにはあと一度だけ、帰るチャンスがあった。住人たちはそれぞれの能力を発揮して、ストーリーをスクラントから守ろうとする。
いったん、それぞれの役割が分かった後でそれをひっくり返し、クライマックスで本当の役割が分かるという展開がいい。主人公は当初、守護者と思われたが、アパートに最近引っ越してきた映画評論家(ボブ・バラバン)がそれではないかと思わせる描写があり、さらにクライマックスで別の人物が守護者とようやく分かる。大きなどんでん返しはないものの、こうした小技を盛り込んだ脚本は悪くない出来だと思う。元々はシャマランが子供を寝かせるために考えたベッド・サイド・ストーリーという。そうしたおとぎ話の雰囲気と寓意性がこの映画にはある。
ストーリーを演じるブライス・ダラス・ハワードはほとんど化粧っけなし。人間離れしたとさえ感じる清楚な容貌が水の精役にぴったりだ。ストーリーはクリーブランドの日記を読んで、クリーブランドの過去を知る。クリーブランド役のポール・ジアマッティがそのあたりの過去を背負ったキャラクターに深みを与えていて相変わらずうまい。
2006/10/03(火)「スーパーサイズ・ミー」
この映画の上映の後、マクドナルドはスーパーサイズの販売をやめたというのがいい。マクドナルドは否定しているそうだが、映画の立派な効果。しかし、この映画が面白いのはマクドナルド批判ではなく、アメリカの食生活そのものの批判になっているところだろう。
学校の給食でジャンクフードを食べさせているというのが驚く。フライドポテトや炭酸飲料が給食で出るというのは信じられない。アメリカの政府も教育委員会も食品団体から圧力を受けているのだろう。そういう給食に対して手作りのナチュラルな給食を出すようになった公立高校で荒れていた生徒の行動が落ち着いたというエピソードを入れているのがうまいところ。食生活はやはり健康の基本なのだと痛感させられる。
うらやましいのは主演で監督のモーガン・スパーロックには食生活に気を遣ってくれる美人の恋人がいること。これが一番健康に良いのかもしれない。スパーロックは来年公開予定の「The Republican War on Science」という映画を製作するとアナウンスされている。
2006/09/12(火)「さらば青春の光」
ザ・フーのアルバム「四重人格」(原題のQuadrophenia)を基に1960年代のイギリスの怒れる若者を描く。ジャケットのストーリーを引用すると、「1965年、ロンドン。広告代理店でメッセンジャーをしているジミー(フィル・ダニエルス)は、仕事そっちのけで、モッズの仲間たちとドラッグやダンスに明け暮れる毎日を過ごしている。街では皮ジャンにリーゼントスタイルのロッカーズも群をなしており、モッズたちとの対立は深まるばかり。ジミーが週末に仲間と訪れた海岸の街・ブライトンでも、モッズたちとロッカーズの衝突から暴動が起こり、彼自身もケンカに巻き込まれてしまう」。
主人公にとってはブライトンだけが完全燃焼した場所だったのだろう。そこから現実に帰ると、仕事も好きな女との仲もうまくいかなくなり、母親から家を追い出されてしまう。終盤は悪くないが、全体的にはあまりピンと来なかった。怒れる若者とはいっても、主人公が甘く感じられるのはこっちが年くったせいか。今の怒れる若者が見れば、それなりに共感できるところはあるのかもしれない。
キネ旬ベストテンに入っていたと思っていたら、入ってなかった。スティングがモッズのリーダー役で映画デビューを飾っている。監督はフランク・ロッダム。
2006/09/09(土)「X-MEN ファイナル ディシジョン」
監督がブライアン・シンガーからブレット・ラトナーに替わった第3作。ジェームズ・マーズデンはシンガーの「スーパーマン リターンズ」にも出ているためか、本来ならX-MENの中心メンバーであるはずのサイクロップスがあっさり退場。それとは関係ないが、ひいきのミスティーク(レベッカ・ローミン)も早々に姿を消すのにがっかり。今回の中心は前作のラストで死んだと思われたジーン・グレイ(ファムケ・ヤンセン)で、エグゼビア教授(パトリック・スチュワート)教授もマグニートー(イアン・マッケラン)をも上回る超能力の暴走がX-MENにとって大きな脅威となる。ラトナーの演出はこの悲劇的な話を少しもエモーショナルには描かず、VFXだけの映画という印象となっている。映画を盛り上げるポイントがないのである。シンガーならもう少し情感たっぷりに描いたはずだ。個人的にはストーム(ハル・ベリー)とヤンセンを見ているだけで満足なのだが、ヤンセンのあの怪物のような形相はいただけない。抑えきれない超能力の暴走という点で「キャリー」や「フューリー」を思い起こさせる映画である。
ミュータントの能力をなくす治療薬キュアが開発される。ミュータント省の長官を務めるビースト(ケルシー・グラマー)は「恵まれし子供たちの学園」を訪れ、エグゼビア教授にそれを告げる。政府はミュータント政策としてキュアの投与を呼びかけるが、マグニートー率いるブラザーフッドは反発。キュアを開発したのはワージントン(マイケル・マーフィー)。ワージントンの息子エンジェルは背中に翼を持つミュータントだった。一方、ジーン・グレイを失って失意のサイクロップスはグレイの声に導かれるようにジーンが死んだ湖に行く。そこへ死んだはずのジーンが現れる。ウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)とストームも湖に駆けつけ、ジーンを学園に連れ帰るが、サイクロップスの姿はなかった。エグゼビア教授はウルヴァリンに、ジーンは邪悪なフェニックスとの二重人格者だと教える。そしてジーンはウルヴァリンの目の前で学園を脱走、接触してきたマグニートーの仲間に加わる。
キュアの元になったのはミュータントの能力を無力化する能力を持つミュータントのリーチ(キャメロン・ブライト)。保護された研究所の中にいるリーチの在り方は大友克洋「アキラ」を思わせる。クライマックスはこのリーチを抹殺しようと図るミュータント軍団に立ち向かうウルヴァリンたちが描かれる。この場面は映画の最初の方にある戦闘シミュレーションと呼応しているのだが、撮り方もVFXもそれほど際だったものではない。復讐の女神と化したジーン・グレイをどう助けるかでリーチの能力を生かすのかと思ったら、普通の決着の付け方なので少しがっかり。というか、本来ならこの決着の付け方の方が悲劇的ではあるのだが、ラトナーの演出がそれを生かせていないのである。パンフレットのみのわあつおの文章によると、「X-MEN」はキャラクターのスピンオフを含めて計10作が作られる予定という。せめてこの第3作まではシンガーに撮って欲しかったところではある。
ファムケ・ヤンセンは今年41歳、ハル・ベリーも40歳だが、年を感じさせない魅力はさすが、というべきか。前作までレベッカ・ローミンはレベッカ・ローミン=ステイモスという名前だったが、ジョン・ステイモスとは昨年、離婚したのだそうだ。