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2006年11月14日の記事

2006/11/14(火)「デスノート The Last Name」

 「デスノート The Last Name」パンフレット先に見た子どもから結末部分をネタバレで聞かされてしまった。最後のトリックを知って見たのだから、僕の感想はそれ以外の部分しかあてにならないことをおことわりしておきます。

 主要登場人物は美男美女ばかり。ライトとLの頭脳戦を描きつつ、これは由緒正しくアイドル映画なのではないかと思う。男性は戸田恵梨香、片瀬那奈、上原さくら、満島ひかりに目を奪われ、女性は正統的な二枚目である藤原竜也と癖のある松山ケンイチに満足するのだろう。金子修介監督、ロマンポルノの時代から女優の趣味が良かった(というかカワイイ系に偏っていた。ガメラシリーズの中山忍もそうだ)が、当然のことながら女性客も意識してサービス精神旺盛だ。前作の瀬戸朝香、香椎由宇も見栄えが良かったけれど、今回もビジュアル面では抜かりがないのである。演技力云々よりも絵として映える女優を選んでいるとしか思えない。だから「デスノート」は前編も後編も結局のところ、気楽に楽しめるアイドル映画なのだろう。アイドル映画としてはストーリーも凝っていて良くできているので、恐らくアイドルを見るために再見する人もいるのではないか。という消極的な評価しか僕にはできない。そんな中、美男の範疇には入らない鹿賀丈史が原作とは違って重要な役回りになっているあたりが面白い。他の若い俳優たちはゲームの駒だが、鹿賀丈史はドラマを背負う役割。ここをもっと強調すると、映画はさらに面白くなっていたのではないかと思う。ドラマが軽く、切実な部分がないのはこうしたゲーム感覚映画の宿命か。

 前編は原作の4巻目あたりまでを映画化したものだが、後編はその後の12巻までをグシャッと縮めて結末を映画独自のトリックに変えてある。原作で最も感心したのは、というか、そこにしか感心しなかったのだが、第7巻の驚愕的な展開。大きなトリックがぴたりと決まって着地する快感があった。ここは重要な部分なのでちゃんと映画でも描かれているが、短いので、衝撃は原作に到底及ばない。最初からライトの策略の一部として描かれるため、原作のように物語をひっくり返す驚きがないのだ。もっとも原作を読んでいる観客には原作通りに描いたにしても、もはや衝撃でもなんでもない。原作を読んだ観客に対するサービスが結末部分の変更で、残念ながら、先に書いたような事情があるので、僕には全然面白くなかった。ただ、小さく感じた原作のトリックよりはよく考えてあると思う。裏の裏の裏をかくだけの原作のトリックを映画でやると、分かりにくく、見ていてバカバカしくなっていただろう。

 というわけで原作を全然知らず、白紙の状態で見た1作目の方が僕には面白かったが、それは当たり前のことなのだろう。それでも言えるのは、今回のラストのトリックはやはり映画独自だった前作のラストのトリックほどうまくできてはいないということ。前作のラストに感心したのはそれが単なるトリックではなく、夜神月という男が悪の主人公であることをはっきりと宣言する場面になっていたからだ。考えてみれば、あれも観客が思いこんでいる物語をひっくり返すトリックだった。今回はよく考えたトリック以上のものではないのである。トリックのためのトリックというレベルでは面白くない。ただ、金子修介の主要キャラを立たせる演出はそれなりに評価されていいと思う。死に神のCGや川井憲次の音楽も相変わらず良かった。

 この日記ではなく、mixiの方の日記を読み返してみたら、原作を9巻まで読み終えた7月1日の日記に僕はこう書いていた。「気になるのは映画の後編がどこまで描くかということ。とても12巻までは無理だろう。第3のキラを出さずに第1、第2のキラ対Lの対決で終わるのではないか。映画の後味を考えれば、キラもLも両方死ぬ結末を僕なら考える」。まあまあの線ではないか。