2011/05/05(木)「彼女を見ればわかること」

 ロドリゴ・ガルシアの1999年の作品。5つの物語からなるオムニバスで、それぞれの話が少しずつ関連し、最後の物語で収斂していく。この手法は「愛する人」につながるものだし、出てくるエピソードも老いた母親と同居する女とか、30代後半でアフリカ系アメリカ人の子供を妊娠する女とか、同じ設定が出てくる。それを考慮しても、うまい脚本だと思う。ホリー・ハンター、キャメロン・ディアスが良い。ハンサムでもない銀行の副支店長役マット・クレイヴンがもてすぎなのはちょっとリアリティーに欠けるか。2000年のカンヌ映画祭「ある視点」部門グランプリ。キネ旬ベストテン16位。

2011/05/05(木)「愛する人」

 原題はMother & Child。女性監督の作品かと思ったら、脚本・監督はロドリゴ・ガルシア。よくこういう女性映画のような作品を撮れるものだと思う。14歳で出産した子供をすぐに養子に出し、37年間会っていない母親カレン(アネット・ベニング)とその子供であるエリザベス(ナオミ・ワッツ)を軸にした複数の母と子の物語。かつてあった日本映画の母ものなら、最後は親子の涙、涙の再会で終わるだろうが、そこをひとひねりしているのがうまい。ガルシア監督は登場人物の心情を丹念に描き、情感豊かで充実した作品に仕上げている。

 老いた母親と2人暮らしのカレンは気むずかしく、家政婦が勝手に子供を連れてくることにもいい顔をしない。エリザベスは弁護士になっており、自立したクールな生き方をしている。その2人が徐々に変わっていく。娘のことを思わない日はなかったというカレンは「後悔は心を蝕む」と新しい夫に諭され、養子あっせん所のシスターに手紙を託す。エリザベスも自分がするはずのなかった妊娠をしたことで母親に会いたいと思うようになる。この2人を交互に描きながら、ガルシア監督はもう一つ、子供ができずに養子を取ろうとしているルーシー(ケリー・ワシントン)のエピソードを描き、それがラストに向かって絡み合っていく。

 ナオミ・ワッツは実際に妊娠している時に大きなおなかを撮影している。こういう、はかなげな役をやらせると、とても似合う。ちょっと老けたアネット・ベニングも好演している。

2011/05/05(木)「マイレージ、マイライフ」

 ジェイソン・ライトマンは父親のアイバン・ライトマンより才能あるなと思う。冒頭、短いショットを重ねて出張の準備をする場面で乗せられてしまう。後は一気呵成の展開。主人公のライアン(ジョージ・クルーニー)は家庭を持たず、出張で全国を飛び回る解雇請負人。会社に代わって、不要な社員に解雇を通告するのが仕事だ。同じような生き方をしているアレックス(ヴェラ・ファーミガ)との出会い、教育を担当させられた新入社員ナタリー(アナ・ケンドリック)との交流を通じてライアンは自分の生き方を見つめ直す。大人の女性を演じるファーミガがいい。

 知り合いがFacebookでこの映画のラストについて議論になっていると書いていた。果たして主人公は出張を続けるのか、辞めるのか。キャリーバッグの取っ手から手を離す場面があるからだ。主人公がどうするかは最後のナレーションから明らかではないかと思う。

 「今夜、人々は家族の待つ家に帰り、1日の話をして眠りにつく。昼間隠れていた星が輝く中、ひときわ輝く光がある。僕を乗せた翼だ」。

2011/05/02(月)「コララインとボタンの魔女」

 3DCGかと思ったら、人形を使ったストップモーション・アニメーションだった。ニール・ゲイマンの児童文学を「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のヘンリー・セリックが映画化したダークなファンタジー。

 コララインは引っ越してきた山間の家、ピンク・パレスで小さなドアを見つける。入っていくと、そこには現実世界より優しいママとパパがいた。ただ、ママとパパの目はボタンだった。何度もこの世界に入っていくうちにボタンのママはずっとここにいるようにコララインを誘う。それには簡単な処置が必要だった。コララインの目をボタンにすることだ。実はボタンのママは邪悪なボタンの魔女で、現実世界のママとパパも魔女に消されてしまう。コララインはママとパパ、そして魔女に封じ込められた子供たちを助けるため、魔女と対決する。

 小さな子供には怖い場面もあるだろうが、それだけに少しだけ不満がある現実世界の素晴らしさを強く再認識することになるだろう。こういう映画を見て育った子供は幸せだと思う。大人が見ても面白い作品。僕は「ナイトメア…」よりこちらの方が好きだ。

2011/05/02(月)「運命のボタン」

 リチャード・マシスンの原作を映画化。といっても、原作に基づいているのは最初の30分で、あとは映画のオリジナルである。そしてこの部分が三流SFといった感じにしかなっていない。この話なら1時間のドラマで十分じゃないかと思えてくる。結局、途中に描いてあることが消化不十分なまま終わっているのである。キャメロン・ディアス主演。監督は「ドニー・ダーコ」のリチャード・ケリー。