2014/07/05(土)ルートビア
去年、スティーブン・キングの「11/22/63」(amazon)を読んで以来、飲んでみたかったルートビアが市内のスーパーの沖縄食品展で販売されていたので家内に買ってきてもらった。ネットで買おうとすると、24本入りしか販売していないのだ。なにしろサロンパスのような風味といわれる飲み物だから、24本も買うわけにはいかない。沖縄に行かないと飲めないか、とあきらめていたところだった。
買ってきたのはA&W Root Beerで1本が税込み70円。安い。冷やして飲んでみた。サロンパスのような風味ってどういうものだと思ったら、僕には極めて普通の炭酸飲料の味だった。これならいくらでも飲める(飲まないけど)。ただ、次女に飲ませたら、「うへぇ」という顔をした。まあ、コカ・コーラも最初はそんな感じだったのでしょう。
作り方はいろいろあるらしいが、Wikipediaによると、A&Wルートビアの成分はタチアオイ、カンゾウ、サッサフラス油、サルサの根のエキス、ブドウ糖、カバの木のエキス、桜の木のエキスなどらしい。砂糖が45グラムも入っていてカロリーは170Kcalもある。元々、炭酸飲料は飲まないので、これも積極的に飲もうとは思わない。沖縄に行った時ぐらいは飲んでもいいかな。
2014/06/28(土)「ブルージャスミン」
全財産を失って妹のアパートに転がり込むというシチュエーションは確かに「欲望という名の電車」。金持ち時代を引きずっているジャスミン(ケイト・ブランシェット)の姿と行く末もブランチ(ヴィヴィアン・リー)に似ているが、痛ましさ一直線だった「欲望…」とは違って、クスクス笑いながら見られるのがウディ・アレンらしいところだろう。
考えてみると、「マッチポイント」も「太陽がいっぱい」を想起させたし、アレンは過去の名作を咀嚼して自分なりの映画に作り替えることに興味があるのかもしれない。
アカデミー脚本賞と主演女優賞を受賞し、助演女優賞に妹ジンジャー役のサリー・ホーキンスがノミネートされた。しかし、これは脚本よりも助演よりもブランシェットの演技が光る映画になっている。
ジャスミンに迫る歯医者はウディ・アレンを投影しているのではないかと感じた。
2014/06/22(日)「チョコレートドーナツ」
「正義なんてないんだな」
「法科学校で習わなかったのか。それでも闘うんだ」
ダウン症のマルコ(アイザック・レイヴァ)の監護権を麻薬中毒の母親に奪われた裁判の後、アフリカ系弁護士のロニー(ドン・フランクリン)がポール(ギャレット・ディラハント)に言う。裁判で常に正義が勝つとは限らないけれども、現状を打破するには闘うしかない、という訴えにはとても共感できる。しかし、映画を見ていてどうもすっきりしないのは「ほら見ろ、ゲイへの偏見を持つからこういう悲劇が起きるんじゃないか」という展開になってしまっているからだ。
ゲイへの偏見と差別は十分に描かれていて、それはそれで納得できる。しかし、このストーリーではダウン症のマルコの存在が利用されているだけのように思えてきてしまう。脚本家の狙いはゲイへの偏見と差別を糾弾するだけで、ダウン症への偏見と差別にはあまり関心がなかったのではないか。映画に奥行きが感じられないのはそのためもあるようだ。お涙ちょうだいの域を出ない展開がとても歯がゆい。
2014/06/14(土)2段階認証の機種変更
auオンラインショップで購入したAQUOS SERIE SHL25が今日あたり自宅近くのauショップに届く予定(auショップ受け取りにすると、au WALLETポイントが1500ポイントもらえる)。おサイフケータイ関連のSuica、nanaco、楽天Edyは機種変更に伴う設定があるので既にすませた。スマホにGoogleの2段階認証アプリをインストールしている場合はどうするんだろう。Googleアカウントのセキュリティページを見てみたら、ちゃんと「別の携帯端末に移動」という項目があった。
なーんだ、これを実行すればいいのかと思ったが、考えてみると、移動もなにもスマホにGoogleのアカウントを設定できなければ、移動しようがないのだった。こういう場合に予備の確認コード10個があるわけだが、これを使うより、機種変更の前に一時的に2段階認証をオフにしておいた方が良さそうだ。新しいスマホにGoogleアカウントを設定した後、認証アプリをインストールした上で2段階認証をオンにすればいい。
このほか、マイクロソフトアカウントとDrop Boxのアカウントにも2段階認証を設定していて同じ認証アプリを利用している。これはこのままで大丈夫かなとも思うが、念のために事前にオフにしておいた方が良いかもしれない。
というわけで、auショップに行って、SHL25を受け取ってきた。2段階認証は結局、マイクロソフトもDrop Boxもいったん設定を削除しないと、新しい携帯の認証アプリに登録できなかった。削除した後、新たに設定するにはそれぞれの設定ページにあるQRコードを読み取る必要がある。これで無事、認証コードを生成できるようになった。
認証アプリを新しくすると、タブレットのGoogleアカウントも再設定しなくてはいけない。スマホに入れたOneドライブとかOutlook.comとかも、いちいち設定。うーん、2段階認証を設定すると、スマホの機種変更には手間がかかるなあ。
2014/06/08(日)「ある過去の行方」
過去といってもそんなに過去じゃない。過去と銘打つからには10年、20年は過去であってほしい。脚本の作りとして面白いのは主人公が誰だか判然としないことで、最初に出てくるアーマド(アリ・モッサファ)とマリー=アンヌ(ベレニス・ベジョ)がメインの話かと思ったら、エンディングではサミール(タハール・ラヒム)とその妻の場面に落ち着く。アーマドはこの物語においてはほぼ部外者の域を出ない。
話の中心にあるのはサミールの妻が起こした自殺未遂の謎だ。妻はこれによって植物状態になった。なぜ妻は自殺を図ったのか。これがマリー=アンヌの家族にさまざまな軋みを生むことになっている。アスガー・ファルハディの映画の特徴はミステリーを絡めていることだが、見ながら思い浮かべたのはアンドリュー・ガーヴ「ヒルダよ眠れ」で、この小説のように妻がどんな人間だったかに迫っていく場面があっても良かったと思う。
と、ここまで書いてよくよく考えたら、この映画で描かれる家族と男女関係の不幸の原因はすべてマリー=アンヌにあると思えてきた。最初の夫とは2人の娘がいるのに別れ、次の夫(つまりアーマド)とも別れる(別れの原因は明らかにされない)。再々婚を予定しているサミールの妻は夫の浮気に気づいて自殺未遂する。ここでファルハディは皮肉な設定を用意していて、二転三転する真相がいかにもミステリーっぽい。マリー=アンヌはヒステリックに叫んだり喚いたり、被害者のような振る舞いをするが、過去から連なる不幸の原因の多くは自分自身にあることを少しも分かっていないのだ。
だから、この物語はマリー=アンヌの人間性を鋭く浮き彫りにする方向で組み立てるべきだった。この映画でヒルダに相当するのは自殺未遂の妻ではなく、マリー=アンヌにほかならない。それなのに、こういう構成になったのはきっと、ファルハディが女性に優しいためだろう。
「さむけ」や「ウィチャリー家の女」のロス・マクドナルドだったら、もっと厳しい展開にしてこう書いたに違いない。「マリー=アンヌ、おまえにはもう何も残されていないんだよ」。