2008/04/13(日)「うた魂♪」
序盤のオーバー演技の漫画チックな描写にがっくりし、これはダメかなあと思ったら、中盤から良くなり、終わってみたら、まあ満足できる出来栄え。前半がダメダメなのは意図的だったんじゃないかと思えるほど後半がよろしい。クライマックスでじっくり合唱を聞かせるのがいいし、夏帆もだんだん本来の魅力を見せる。好きな男子にふられた(と思った)悲しい顔が歩いているうちに明るさを取り戻す短いシーンとか、ガレッジセールのゴリに啖呵を切るシーンとかうまい。
北海道の七浜高校合唱部の荻野かすみ(夏帆)は自分のルックスと歌声に異常な自信を持ち、自意識過剰かつナルシスト気味。ある日、思いを寄せる生徒会長の牧村(石黒英雄)から合唱中の写真を撮ってもらい、口を開けた姿が「産卵中のシャケみたい」と言われた上にその写真を生徒会新聞に掲載されてしまう。大ショックで意気消沈のかすみは合唱部をやめることを決意。ラストステージでのかすみの気のない歌い方を見た湯の川学院高校合唱部の権藤洋(ゴリ)から「あんな歌い方、歌への冒涜だ」と罵倒されてしまう。権藤は3年前、町で尾崎豊の歌を歌う女性に会い、歌の魅力にとりつかれてヤンキーな格好のまま合唱部を作ったのだった。権藤たちの「15の夜」の合唱に感激したかすみは再び、歌への情熱を取り戻す。
脚本の栗原裕光はこれが初の劇場用映画。監督の田中誠もメジャーな作品は初めてらしい。だから完璧な出来には遠いし、もう少し洗練された演出がほしいところなのだが、少女の人間的な成長を描くというオースドックスな構成は外していない。コンクールの審査員役でゴスペラーズが出演、合唱場面で流れる主題歌の「青い鳥」も担当している。夏帆のほか、部長役の亜希子も毅然とした感じが良かった。
2008/04/05(土)「ポストマン」
長嶋一茂製作総指揮&主演。かなり意外なことにこの映画は評判が良く、映画生活でも2ちゃんねるでも「泣いた」「感動した」という声が多い。日本郵政が協力していることから見て、郵便局PR映画であるのは間違いないし、確かにそういう風な場面で幕を開けるのだけれど、単なるPR映画で切り捨てられない、人を引きつける部分を持っているのだ。それは何なのだろうと映画を見ながら思っていた。映画の技術も脚本も演技も物語もステレオタイプの域を出ていない。今時、回想シーンに紗をかけるなどという時代遅れの演出をする映画デビューの今井和久監督にも特に優れた部分は見あたらない。
それでは映画のどこに感動するのか。愚直さ真っ当さ朴訥さ誠実さのある部分なのである。そういうものに価値を見いだすことができる人ならば、この映画は幸福になれる映画だ。一茂が一生懸命に猛スピードで自転車をこぐシーンはそれだけで感動ものだ。一生懸命な姿勢の底にあるのは人の幸福を願う愚直なまでに誠実な信念なのである。そういうものを真正直に見せられたら、僕らはつい冷笑してしまいがちなのだけれど、冷笑したくない雰囲気がこの映画にはある。この映画はアナログで懐かしい雰囲気に包まれた一種のファンタジーなのである。
長嶋一茂が演じるのはオートバイを使わずに自転車で郵便配達をする海江田龍兵。病弱だった妻が死んで間もなく三回忌を迎える。家族は高校受験を控えるあゆみ(北乃きい)と小学生の鉄兵(小川光樹)。あゆみは寮のある私立高校への進学を望んでいるが、龍兵には「家族は一緒に暮らして食卓を囲むのが一番」という信念があり、反対している。
この設定の下、龍兵の生き方が触媒となって周囲の人間が変化していく姿を描く。あゆみの副担任で教師の仕事は腰掛けと思っている臨時教師(原沙知絵)や元はエリート郵政官僚の上司も考え方を改めることになるのだ。郵便を誤配して「300通の中で1通間違えたってそれがなんだ」という開き直る新人に対して龍兵は「受け取る人にとっては1対1だ」と答える。その真摯な考え方と生き方が周囲の人々と同様に観客の心をも動かすのだろう。
実は長嶋一茂主演の映画は「ミスター・ルーキー」も僕は好きだった。あの映画でもまた一茂はプロ野球選手になる夢をあきらめない男に説得力を持たせていた。その一茂のキャラクターは今回もプラスに作用している。まだ人情がある田舎の小さな町が舞台なのもこうしたオーソドックスな物語に説得力を持たせることになったのだろう。
蛇足的に付け加えておくならば、こういう諸々の要素があったにしても、必ずしも映画が成功するわけではない。この映画の成功は危ういバランスの上に成り立っている。同じことやって次も成功するかというと、この演出力ではかなり疑わしいのも事実なのである。また同じパターンで見せられたら、僕は冷笑するかもしれない。
2008/04/04(金)「マイ・ブルーベリー・ナイツ」
タイトルからして甘っちょろい映画にほとんど興味はなかったのだが、上映前にパンフレットを読んで「おおおっ」と思った。共同脚本ローレンス・ブロック…。マット・スカダーシリーズ(「800万の死にざま」とか)のブロックが脚本を書いている。そこで座り直して真剣に見ることにした。
出だしは「ふーん」と思うぐらいの出来だったが、中の2つの話が良かった。最初のアル中警官の話がいかにもブロックが加わった感じを漂わせる。次のギャンブル依存症のようなナタリー・ポートマンも良かった。この2つがいい出来なのにプロローグとエピローグがやはり甘っちょろい。もっと中の話と関連づけてはどうかと思う。スローモーション(というか、コマ落としのような感じ)を多用しているのも目障りだ。アクセントとして用いるならともかく、こんなに多いと見にくいだけである。カーウァイ、自分に酔っているのではないか。
中の話が良いのでそんなに悪い印象は持たなかったけれど、どうしても話のまとめ方に弱さを感じた。帰宅してIMDBで調べると、ブロックが映画の脚本を書いたのはこれが初めてらしい。なぜ書いたのか。パンフレットをざっと読んでみたが、どこにもその理由は書いてないようだ。
パンフレットによれば、元々、この話は「花様年華」に入れるはずのものだったという。それがプロローグとエピローグの部分なのだろう。傷心を抱えて旅に出るっという設定までがカーウァイ独自のもので、中のエピソードをブロックが担当したのではないか。それにしてもミステリ風味はないし(、ニューヨークとアル中警官という2つの点だけがブロックらしいというのはもったいない。
レイモンド・チャンドラーもヒッチコック映画の脚本は書いているので、ミステリ作家が映画の脚本を手がけるのはそんなに珍しいことでもない。それに映画は脚本通りに撮られるわけでもない。中の2つの話の厳しさをカーウァイが勘違いして甘くまとめてしまったのか。ブロックらしさのあった脚本をカーウァイが封じたのかもしれない。
ちなみにこの映画のノベライズの翻訳はスカダーシリーズを訳している田口俊樹が担当している。ノベライズの方にはブロックらしい部分が残されているのか、気になるところだ。
2008/03/29(土)「魔法にかけられて」
日本語吹き替え版だったが、それでも面白かった。レベルの低いパロディではなく、おとぎ話のキャラクターの純粋さ、ストレートさを肯定する形の映画なので、見ていて楽しく気持ちがいい。ディズニーらしい作品だ。
基本は「白雪姫」のいかにもおとぎ話といったアニメのキャラクターが現代のニューヨークに現れたらどうなるかというのを描いたロマンティック・コメディ。冒頭はアニメ。アンダレーシアという国の女王が王位を奪われるのを心配してエドワード王子と恋に落ちたジゼルを井戸に突き落とし、「いつまでも幸せに暮らしましたなんてことがない世界」の現代に追いやってしまう。ここから実写になり、ジゼル(エイミー・アダムス)はウエディングドレスを着たままニューヨークを右往左往する。
雨の中、6歳の娘と暮らすロバート(パトリック・デンプシー)に助けられ、娘に気に入られてアパートに同居するようになる。エドワード王子(ジェームズ・マースデン)と女王の使いのナサニエル(ティモシー・スポール)もジゼルを追って現代へ。エドワード王子との結婚を夢見ていたジゼルは徐々にロバートに惹かれていく。
ロバートの散らかったアパートをジゼルが動物を呼んで掃除させるのは「白雪姫」だが、ニューヨークなので呼ばれて出てくる動物はドブネズミと鳩とハエとゴキブリ、というのがおかしい(それでもネズミたちはちゃんと部屋を掃除する)。ナサニエルがジゼルを殺そうとして使うのは毒リンゴだし、クライマックスの「真実の愛のキス」も「白雪姫」を引用している。
そうした設定を借りながら、映画はおとぎ話のキャラから見た現代の歪みをちょっと皮肉りながら浮き彫りにする。この視点を基本にした物語の作りはディズニーへの敬意が見て取れる。同時にもっとここを強調すれば、「パパラギ」のような文明批判になったかもしれないが、エンタテインメントなのでそこまではない。このほどほど感が映画を心地よいものにしているのだろう。セントラルパークがディズニーランドのようになるミュージカル的シーンが楽しい。CGのリスも出色。
冒頭のアニメのタッチが「ターザン」に似ているなと思ったら、監督は「ターザン」のケヴィン・リマだった。実写でも大した演出力があるのだなと思う。エイミー・アダムスは今年34歳だけれど、純粋なキャラクターを演じても無理がない。「プリティ・プリンセス」のころのアン・ハサウェイにぴったりの役柄のように思えるが、歌が歌えるかどうかが問題だったのだろう。魔法使いの女王の役はスーザン・サランドン。ティモシー・スポールはどこかで見た顔だと思ったら、マイク・リー「人生は、時々晴れ」の父親役だった。
ナレーションは原版ではジュリー・アンドリュースで吹き替え版は松坂慶子。吹き替え版も頑張っているが、ディズニーの日本語化は相変わらず徹底的で歌も日本語にしてしまうので、原版の歌が聴きたくなる。帰りにタワーレコードでサントラ盤を買った。
2008/03/22(土)「潜水服は蝶の夢を見る」
脳出血で脳幹を破壊され、ロックト・イン(閉じ込め)シンドロームにかかったファッション雑誌Elle編集長の実話。動くのが左目だけというのは絶望的で、首から下が麻痺した「海を飛ぶ夢」や「ミリオンダラー・ベイビー」のシチュエーションよりも救いがない。体がまったく動かせないので自殺の自由さえないのだ。
主人公も最初は死を望むが、周囲の援助によってまばたき1回がイエス、2回がノーという決まりで本を書き始める。アルファベットをイエス、ノーで選びながらの気の遠くなるような作業。主人公はその過程で父親(マックス・フォン・シドーが好演)や家族との思い出を回想する。悪くない出来なのだが、「海を…」や「ミリオン…」には及ばない。本を書くことが中心になって生と死の重たい命題を突き詰めていないからか。映画が実話に負けた感じなのだ。
監督のジュリアン・シュナーベルはフランス人かと思ったら、アメリカ生まれ。この映画も言葉はフランス語だが、フランスとアメリカとの合作だった。原題はLe Scaphandre et le Papillon(潜水服と蝶)。
ロックト・インシンドロームは珍しい症状だが、生活習慣病が原因になるとのこと。確かに脳出血は生活習慣病が引き起こす場合が多い。