2022/08/21(日)「サバカン SABAKAN」ほか(8月第3週のレビュー)

「サバカン SABAKAN」は1986年の長崎を舞台にした少年のひと夏の冒険と友情の物語。「スタンド・バイ・ミー」や「泥の河」に比肩する、とまでは言いませんが、それらに連なるタイプの良質の作品であることは確かです。

長崎県長与町に住む小学5年生の久田孝明(番家一路)は両親、弟と暮らしている。同じクラスの竹本健次(原田琥之佑、原田芳雄の孫だそうです!)は家が貧しく、クラスメートから避けられている。夏休みのある日、そのタケちゃんが「イルカを見にブーメラン島へ行こう」と久ちゃんを誘う。ブーメラン島は遠いので久ちゃんの自転車で2人乗りして行こうという計画だった。2人は島へ渡る海で溺れかけたり、ヤンキーに絡まれたり、散々な目に遭うが、この冒険をきっかけに友情を深める。しかし、夏休み最後の日、ある悲劇がタケちゃんの家を襲う。

この作品で長編映画監督デビューの金沢知樹は長崎県出身の48歳。芸人、構成作家、脚本家とキャリアを積み、故郷の長与町を舞台にした物語を作りたいという思いから、映画の元になる話をmixiやラジオドラマに書いてきたことが映画化につながったそうです。

監督はパンフレットで、1986年当時の自分と周囲の貧しさについて語っています。漁師だった父親が死んでスーパーで働く母親(貫地谷しほり)が5人の子供を育てるタケちゃんの家はボロボロで確かに貧しいんですが、1980年代の日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のむちゃくちゃ豊かな時代でしたから、今のシングルマザーの経済状況よりは良かったのかもしれません。この映画のちょうど30年前を舞台にした「泥の河」の1956年よりもはるかにましではないかと思います。

何よりも田舎の町なので例えば、ミカン畑のおじさん(長崎出身の岩松了が絶妙)や、タケちゃんに「おい、負けんなよ」と声をかける青年(八村倫太郎)のように地域で子供を見守り育てる意識が出来上がっているのが良いところですし、久ちゃんの両親(竹原ピストル、尾野真千子が絶妙)もよく喧嘩してますが、基本的に温かく、善良な人たちです。

スーパーで子供が欲しがっていたカップケーキ数個入りのビニール袋を手に取った貫地谷しほりが価格を見て「300円かぁ」とためらっていると、同僚の店員が半額セールのシールを貼ってくれるのも良いシーンでした。

脚本の芸が細かいのは久ちゃんがタケちゃんから誘われる前に、宿題しながらアニメ「海のトリトン」を見ていること。シロイルカのルカーが活躍するこの名作アニメを見ていなかったら、タケちゃんがイルカを見に行こうと提案することも、久ちゃんが賛同することもなかったかもしれません。

同じような先行作品を思い起こさせるドラマであるにもかかわらず、この映画が優れているのはそうした細部のエピソードと登場人物のキャラをしっかり描きこんでいるからでしょう。長崎弁も耳に心地良く響き、エヴァーグリーンな作品になっていると思います。現在の久ちゃん(草彅剛)の回想で始まる映画ですが、同じ構成で個人的にはベタベタなノスタルジー気分に嫌気がさした「スタンド・バイ・ミー」のようなことにはなっていません。

こんなに良い映画なのに、公開初日1回目の上映で観客は3人だけ。タイトルから内容が分かりにくいのが難で、僕はコメディーかと思ってました。口コミ、ネットのレビューなどで良さが広まり、観客が増えてくれることを祈ります。

パンフレット(28ページ、880円)は劇場では販売されず、「スシロー」で販売(6600冊予定)。映画に出てくるサバ缶ずしも販売とのこと。完売次第終了だそうですが、おとり商法が問題となったスシローだけに今回は各店舗での販売状況の一覧がホームページに掲載されています。パンフレットの電子版(40ページ、1000円)は各電子書店で販売中。パンフの電子版は初めてだったのでamazonで購入しました。

「スープとイデオロギー」

この映画も観客3人でした。こちらはドキュメンタリーなのでそんなに多くの観客は望めないかもしれません。「かぞくのくに」のヤン・ヨンヒ監督が1948年、韓国・済州島で起きた虐殺事件(済州4・3事件)を体験した母親を描いた作品。

パンフレットによると、済州4・3事件は1948年4月、島民の武装蜂起に端を発し、3万人近くが犠牲になった事件。武装蜂起の理由は南の単独選挙、南北分断につながるこの選挙に対する抗議で、主体となったのは山部隊と呼ばれた共産主義政党の若手党員たちだったそうです。

母親は当時18歳。婚約者の医師も山部隊に参加し、その後、亡くなったことが分かっています。虐殺から逃れるため、母親は弟妹を連れて30キロを歩いて逃げました。

この記憶を母親は長く封印していましたが、大動脈瘤で入院した病院のベッドで娘である監督に語り始めます。済州島は韓国の領土内にありますが、この悲惨な体験から母親は韓国政府を信用せず、北朝鮮国籍を選択し、「帰国事業」で息子3人を北朝鮮に送り、借金してでも仕送りを続けることになりました。

母を連れて済州島の「済州4・3研究所」を訪ねた監督は研究員に対して「私は心の中で母を責めてきました。なぜ3人の兄を行かせるほど“北”を信じたのかと。でも4・3を知ったら母を責められなくて……」と涙を流して語ります。母親は事件について語り始めたころから認知症が進行し、映画では触れていませんが、今年1月に亡くなったそうです。

「ぼけますから、よろしくお願いします。」と同様に家族にカメラを向け、普遍性を持ち得た傑作だと思います。

「息子の面影」

メキシコのアメリカ国境付近の暴力を描いたメキシコ=スペイン合作映画。貧しい村で暮らすマグダレーナ(メルセデス・エルナンデス)の息子ヘスス(ファン・ヘスス・バレラ)は夢を求めて友人とアメリカを目指すが、2カ月たっても連絡がない。マグダレーナは息子を探して国境近くを探し始め、息子と友人の乗ったバスが何者かに襲撃されて、友人は殺されたことを知る。しかし息子の遺体はない。マグダレーナは息子を求めて1人で探し始める。

1時間39分の上映時間のうち1時間20分ぐらいは音楽も少なく、展開に起伏もなく、寝落ちしそうになりましたが、終盤に衝撃的な展開が待ってました。このエピソード、テーマの悲劇性をより強調し、極めて効果的なものになっています。

邦題はマグダレーナが途中で会う青年ミゲル(ダビッド・イジェスカス)が息子のヘススに似ていたことを指します。見つからない息子の代わりにこの青年と暮らすことになるのだな、というこちらの予想を軽く覆す展開でした。

サンダンス映画祭ワールドシネマドラマティックコンペティション部門審査員特別賞および観客賞、ロカルノ国際映画祭観客賞など受賞。IMDb7.3、メタスコア85点、ロッテントマト99%。

「蟻の兵隊」

旧日本軍の中国山西省残留問題の真相解明を追求するドキュメンタリーで2006年度キネマ旬報ベストテン15位。終戦75年の2020年から全国の劇場での再公開が始まりました。

主人公となる奥村和一さんは2011年に死去したそうです。池谷薫監督による「蟻の兵隊―日本兵2600人山西省残留の真相」(新潮文庫)は既に絶版。こういう本こそ電子書籍化してほしいものです。それと再公開にあたって、パンフレットも新しくしてくれると、良かったと思います。

2022/08/14(日)「13人の命」ほか(8月第2週のレビュー)

町山智浩さんがTBSラジオ「たまむすび」で紹介していた「13人の命」をamazonプライムビデオで見ました。2018年、豪雨で水没したタイのタムルアン洞窟に閉じ込められたサッカーチームのコーチと少年たち計13人の救出を描いています。amazonオリジナルの作品で監督はなんとロン・ハワード。ヴィゴ・モーテンセン、コリン・ファレル、ジョエル・エドガートンらが出演の2時間29分の大作です。



事故当時は伏せられたことが多かったそうで、僕は初めて知ることばかりで興味深かったです。子供たちが閉じ込められたのは入口から2.5キロも先で、ダイビングのベテランでも6時間以上かかるところ。見つけるのにも9日かかりましたが、そこに行くまで狭く危険な場所がいくつもあり、タイ海軍のレスキュー隊員が1人事故死します。

そんな危険な所からダイビング経験のない子供たちをどう救出するのかが問題となります。途中でパニックになれば事故死は必至、やらなければ酸素がなくなって窒息死。本格的な雨季が迫っており、タイムリミット間近という危機的状況の中で決死の救出劇が描かれていきます。ロン・ハワード監督なのでクライマックスの演出はさすがのレベルでした。救出には国の内外の多数の人たちが洞窟の内外で協力しており、これがなければ無理だったと痛感させられます。IMDb7.8、メタスコア66点、ロッテントマト89%。

同じ事故を扱ったドキュメンタリー「The Rescue 奇跡を起こした者たち」が今年2月に公開されましたが、僕は見逃しました。配信で探したらディズニープラスにありました。ディズニー、侮れません。というか、元々は21世紀フォックスとナショジオの合弁企業だったナショナルジオグラフィック・パートナーズがフォックスを買収したディズニーに引き継がれた結果、ディズニープラスにはナショジオのドキュメンタリーがそろっているわけです。
配信タイトルは「ザ・レスキュー タイ洞窟救出の奇跡」となってます。IMDb8.3、メタスコア84点、ロッテントマト96%。

「THE CAVE サッカー少年救出までの18日間」(2019年)も同じ事故を扱った映画(タイ、アメリカ合作)。これはamazonプライムビデオが配信してますが、タイトルは「THE CAVE ザ・ケイブ レスキューダイバー決死の18日」となってます。IMDb5.8で、投稿は998件のみ。アメリカで公開されていないのか、メタスコアはなし、ロッテントマトは褒めのレビュー0%。

「プレデター:ザ・プレイ」

ディズニープラスのオリジナル。18世紀のアメリカを舞台にしたプレデター・シリーズ最新作で、コマンチ族の女性戦士ナル(アンバー・ミッドサンダー)とプレデターの戦いを描いてタイトな作品になっています。話を必要以上に大きくしなかったのが成功の一因で、緊密なサスペンスにあふれたアクションには見応えがあり、劇場公開しても問題ないレベルの出来だと思います。キャストが地味なので興行的に不利という判断なのでしょうかね。

監督は「10クローバーフィールド・レーン」のダン・トラクテンバーグ。映画.comによると、物語の発想の基になったのは「プレデター2」(1991年)のラストのエピソード、プレデターが「1715年」と刻まれた年代物の銃を手渡すシーンなのだそうです。IMDb7.2、メタスコア71点、ロッテントマト93%。

「アルピニスト」

天才クライマー、マーク・アンドレ・ルクレールに密着したドキュメンタリー。アカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した「フリーソロ」(2018年)の主人公で、この映画にも登場するアレックス・オノルドは雪の岩山には登りませんでしたが、ルクレールはアイスアックス(ピッケル)とアイゼンを使って1人で登ります。しかも事前調査や練習はなく、現場に行ってすぐに登る主義。

命綱もなく、高所恐怖症の人には耐えられないような迫力のある映像になってます。ルクレールは恐怖を感じないサイコパスなのではないかと思い始めたところで、子供の頃にADHD(注意欠如・多動症)の診断が下されたことが紹介されます。なるほど。恐怖心が普通の人より少ないと思えるのはこのためなのかもしれません。

監督のピーター・モーティマーとニック・ローゼンが撮影を始めた時、ルクレールは23歳。アレックス・オノルドと競うぐらいの業績を上げながら、ほとんど無名だったのはSNSなどに投稿せず、名声を求めない性格のためだそうです。スタッフは2年間密着して撮影し、編集にかかったところで、ある事故が起こります。IMDb8.0、メタスコア67点、ロッテントマト93%。

「伝説の登山家 亡き父を追って」

「アルピニスト」が面白かったので、「フリーソロ」を再見しようかとディズニープラスを探して目に留まったのが「伝説の登山家 亡き父を追って」(原題Torn、2021年)。「アルピニスト」の中で「有名な登山家の半数は山で死んでいる」との言葉がありましたが、この映画は1999年、ヒマラヤのシシャパンマで雪崩に巻き込まれて亡くなった高名な登山家アレックス・ロウとその家族を描いたドキュメンタリーです。監督はアレックスの長男マックス。

これは登山家の話である以上に家族の話でした。アレックスの話は40分余りで終わり、これからどうするのかと思ったら、残された家族の話になっていきます。

シシャパンマでアレックスの遺体は回収できませんでした。アレックスとは別方向に逃げたコンラッド・アンカーは雪崩から生還しますが、「アレックスではなく、僕が死ねば良かった」と自責の念にかられ、一時は自殺を意識します。その年のクリスマス、泣きはらして真っ赤な目をしたコンラッドがロウ家を訪れ、「僕がアレックスの代わりに君たちをディズニーランドに連れて行く」と宣言。生前、アレックスはマックスを含む3人の子供たちにディズニーランド行きを約束していました。

アレックスの妻ジェニファーは親身になって世話をするコンラッドに惹かれるようになり、やがて2人は結婚します。幼かった弟2人はすぐにコンラッドを父親として受け入れましたが、マックスには父の死後あまり間をおかずに結婚した母親とコンラッドに対してわだかまりが残り、「ロウ」の名字のままになっています。そしてアレックスの死の17年後、驚くべき事が起こります。

その出来事の後の家族のドラマも秀逸。実際にドラマのような演出もあるのでしょう。アメリカのノンフィクション本は小説のような書き方が主流ですから、映画がこうであってもおかしくありません。もっともドラマのような材料がないとドラマのような演出もできないわけです。

原題「Torn」は「引き裂かれた」の意味。「アルピニスト」よりも強く感情を突き動かす傑作で、IMDb7.5、メタスコア79点、ロッテントマト100%と高い評価を得ています。

ちなみにシシャパンマはネパール語でゴサインタン。篠田節子の小説「ゴサインタン 神の座」はここを舞台にしているわけですね。

「ブラック・フォン」

ジョー・ヒルの短編「黒電話」の映画化。原作は「20世紀の幽霊たち」所収で、カバーとタイトルを「ブラック・フォン」に変えた文庫本が出ています。中身は同じなのでご注意です。僕は2009年に読みましたが、この短編の内容はすっかり忘れていました。ジョー・ヒルは、もはや父スティーブン・キングの威光を借りなくても良いほど優れた作品を発表しています。最近の写真を見ると、キングそっくりになっていて、わざわざ言わなくても分かります。

コロラド州のある町で少年が失踪する事件が続発。主人公フィニー(メイソン・テムズ)の親友も不明になる。ある日、学校帰りのフィニーはマジシャンと名乗る男(イーサン・ホーク)に黒いバンに押し込まれ、気づくと、地下室に閉じ込められていた。部屋には鉄格子の窓と断線した黒電話があった。突然、鳴るはずのないその電話のベルが鳴り響いた。犠牲になった少年からの電話だった。

フィニーの妹グウェン(マデリーン・マックグロウ)には予知夢を見る能力がありますが、これは自殺した母親から受け継いだもの。フィニーにも何らかの能力があり、死者からの電話を受けることができるのでしょう。

原作が短編だけに地下室に閉じ込められた後、動きが少なくなり、単調さを感じるのがマイナス。犯人がすぐにフィニーを殺さないのも、一応の理由はありますが、不自然さを感じます。ただし、スコット・デリクソン監督(「ドクター・ストレンジ」など)の演出に破綻はありません。ラストに向かうタッチは心地良く、気持ち悪いだけのサイコホラーにはなっていませんでした。

妹役のマデリーン・マックグロウが達者な演技だなと思って、フィルモグラフィーを見たら、「アメリカン・スナイパー」「パシフィック・リム アップライジング」「アントマン&ワスプ」など27本の映画・テレビに出演していました。まだ13歳ですが、現場慣れしているのでしょう。IMDb7.0、メタスコア65点、ロッテントマト83%。

「TANG タング」

デボラ・インストールの原作「ロボット・イン・ザ・ガーデン」を三木孝浩監督、二宮和也主演で映画化。記憶をなくした迷子のロボットのタングと医師になることへの迷いがあり、妻に捨てられかけている男の交流と冒険の物語。

ロボットのVFXはよく出来ていますが、過去に何度も見たような話で新鮮味がありません。妻役で満島ひかり、中国在住のロボット学者役で奈緒、謎の組織の2人組にかまいたちの山内健司・濱家隆一が扮しています。出演者は悪くなかったんですけどね。

2022/08/07(日)「ナワリヌイ」ほか(8月第1週のレビュー)

「ナワリヌイ」はロシアの弁護士で反体制指導者のアレクセイ・ナワリヌイの毒殺未遂事件を巡るドキュメンタリー。調査チームがハッカー技術を駆使して犯人グループを突き止め、ナワリヌイ自身が本人に電話をかけ、犯行の詳細を明らかにしていくという驚嘆の展開で、同時にプーチン政権の愚かしさも強烈に感じさせる映画です。ロシアはスパイ映画もどきのことを本気でやってるんですね。ウクライナでやってることを見ても勘違い政権と言うほかありません。

ナワリヌイと妻ユリヤは美男美女の夫婦で映画のビジュアルとして満点。ロシアで人気があるのは、2人の容姿も影響してるんじゃないかと思えました。プーチン側は明らかに悪役の人相ですからね。

社会派の内容というよりエンタメ方向に振った映画ですが、内容と出演者のビジュアルからそうならざるを得なかったのかもしれません。危険を覚悟の上でロシアに帰国するナワリヌイを描く終盤は感動的で、収監されたナワリヌイの無事を祈らずにはいられません。監督は「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」(2019年)のダニエル・ロアー。IMDb7.4、メタスコア82点、ロッテントマト99%。

「私のはなし 部落のはなし」

「部落差別」の歴史と現状に迫るドキュメンタリーで3時間25分の作品。監督の満若勇咲は大阪芸大時代、兵庫県内の食肉センターを題材にしたドキュメンタリー「にくのひと」(2007年)を撮り、都内のミニシアターでの公開が決まりましたが、部落解放同盟からの中止要請で上映を断念した経験があります。それがこの映画を作る動機にもなっています。

被差別部落とされた地区は全国に約5400カ所あり、全人口の1.5%が部落民とされるそうです。映画は被差別の当事者に「私のはなし」として部落差別の現状を話してもらい、静岡大の黒川みどり教授に部落問題の歴史を解説してもらう構成を取っています。もう少し短くした方がより多くの人に見てもらえそうですが、部落問題を正しく知る映画としては十分に機能しています。

映画の中で「寝た子を起こすな」という議論が取り上げられます。何も知らなければ、差別意識は生まれず、知ったことで差別が生まれるとの恐れからです。かつて、水道もゴミ収集も汲み取りもないバラックが立ち並んだ被差別地区は同和対策事業によって外観は他の地区と変わらなくなり、境界線もあいまいになりました。それでも差別が残るのは以前の姿を知っていたり、親などから教えられたからでしょう。

その意味でこの映画にも「寝た子を起こす」副作用があることは避けられません。一方で全国の被差別部落の地名を記載し、就職差別の要因となった「部落地名総鑑」は1975年に回収・焼却処分され、その復刻版をめぐっても裁判でプライバシーの侵害に当たるとして出版差し止めとネット上での公開禁止処分が下されました。これは憲法が明記する「知る権利」との絡みでどうなのかとも思います。

アメリカの黒人差別とは違って、民族的な差異が要因ではないので同和地区が同質化していけば、差別も解消されていくのではないかと思いますが、部落差別を身近に感じてこなかった人間の浅い考えなのかもしれません。

「あなたの顔の前に」

ホン・サンス監督の長編26作目。アメリカで暮らしていた元女優のサンオク(イ・ヘヨン)が韓国に帰国する。母親が亡くなって以来、久しぶりに妹と再会を果たすが、帰国の理由を明らかにしようとしない。映画への出演を依頼した映画監督との会話で その理由が明らかになっていく、という展開。

登場人物の会話をフィックスの長回しで撮影するのは前作「逃げた女」も同じでしたが、今回はイ・ヘヨンの名演に加えて脚本が良く、ホン・サンス作品の中でも高い評価を得ています。理由が明らかになった後の監督の申し出も、会話の中で徐々にそうなんじゃないかと思えるもので、納得できました。その後の展開もうまいです。IMDb7.0、メタスコア87点、ロッテントマト92%。

2022/07/31(日)「今夜、世界からこの恋が消えても」ほか(7月第5週のレビュー)

「今夜、世界からこの恋が消えても」は一条岬の原作小説を三木孝浩監督が映画化した秀作。交通事故の後遺症で眠ると記憶を失ってしまう前向性健忘にかかった日野真織(福本莉子)と、嘘の告白で真織と付き合うことになった神谷透(道枝駿佑)を巡る物語です。

主演2人の無垢さ・純粋さに加えて、真織の親友・綿矢泉を演じる古川琴音の卓越した演技、そして何よりも原作を再構成した月川翔(「君の膵臓をたべたい」監督)と松本花奈(「明け方の若者たち」監督)の優れた脚色、三木孝浩の安定した演出によって、こうした青春ラブロマンス映画の枠を超える作品になっています。

僕が見た時には、なにわ男子・道枝駿佑の人気のためか場内の9割ぐらいが女子高生(土日は女性やカップルが多いだろうと思って金曜日に見たんですが、うかつにも学校が既に夏休みに入ったのを忘れてました!)、残りもすべて女性でした。おっさん一人の場違い感ありありの中での観賞でしたが、古川琴音の視点でことの真相が明らかになるクライマックスには場内のあちこちでグスングスンのすすり泣きが起こり、若い観客の反応がビビッドに感じられて良かったです。

脚本は主に月川翔が書いたようです。見ていて、「あれっ」とか「おやっ」と思える場面があり、物語の流れの中で忘れていると、終盤にすべては伏線だったと分かる作りになっています。パンフレットによると、元々、月川翔が自分で監督する予定でしたが、スケジュールの都合で三木孝浩が担当することに。高次安定の青春映画を撮り続けている三木監督は期待を裏切らない手腕を発揮しています。

同じような記憶障害を持つ女性を描いたラブストーリーには「50回目のファースト・キス」(2004年、ピーター・シーガル監督。日本版リメイクは2018年、福田雄一監督)があり、序盤は「どうせ同じようなものだろう」と高をくくっていましたが、展開・構成の工夫で先行作品を軽く超えていました。

三木監督の「思い、思われ、ふり、ふられ」(2020年)の出演時、福本莉子は同じ東宝シンデレラガールで共演の「浜辺美波より良い」と評価する声がありました(僕は「確かに良い素材だけど、浜辺美波の方が断然良い」と思いました)。今回は自分の病気を知らされることで毎日が絶望から始まる真織の哀しみと、透との恋の喜びを福本莉子はしっかりと演じています。

監督が「影の主役的部分を担って」いるという役柄の古川琴音は毎回うまいんですが、今回も感心させられ、個人的には今のところ助演女優賞候補の筆頭です。

軽く見られがちなジャンル映画をスタッフ・キャストが技術と演技の限りを尽くして作っていて、先入観から見逃すには惜しい作品だと思いました。三木監督の作品は8月に「TANG タング」「アキラとあきら」の2本が公開予定です。短期間に公開作品が集中したことはコロナ禍の影響もあったとはいえ、監督依頼が途切れないほど実力を認められた証左でもあるのでしょう。

「ニューオーダー」

メキシコのミシェル・フランコ監督によるスリラーでヴェネツィア国際映画祭審査員大賞受賞作。貧富の格差拡大で抗議デモが暴徒化し、金持ちの家に押し入って略奪と殺戮を繰り返す。それを鎮圧するため軍隊が出動し、戒厳令が敷かれるが、軍の一部は混乱に乗じて金持ちを誘拐、身代金を要求する、という展開。

「モガディシュ 脱出までの14日間」でも暴動から政権奪取への動きが描かれ、銃を持った人間たちの横暴・凶暴な描写に恐怖しましたが、この映画でも日常が簡単にひっくり返る恐怖が描かれています。日常が崩れた途端、人の命は限りなく軽くなります。結局は金の力よりも武器の力の方が上回っていて、日本が銃刀法違反を厳しく取り締まっているのはこうした事態を生まないためもあるのではと思えました。

映画は暴動の詳細が描かれないなどの不満はありますが、監督の狙いは状況描写の方にあったのでしょう。IMDb6.5、メタスコア62点、ロッテントマト68%。

「ジュラシック・ワールド 新たなる支配者」

1993年の「ジュラシック・パーク」に始まるシリーズ6作目にして完結編で、監督は「彼女はパートタイムトラベラー」(2012年)、「ジュラシック・ワールド」(2015年)のコリン・トレヴォロウ。

シリーズ1作目のサム・ニール、ローラ・ダーン、ジェフ・ゴールドブラムが出てきたことは懐かしくて良かったです。前半のスパイアクション的展開の中で繰り広げられるマルタ島市街地でのヴェロキラプトルとのチェイスシーンもスピード感と迫力を堪能しましたが、後半、巨大企業バイオシン社の施設内で襲い来る肉食恐竜からのサバイバルになると、過去に何度も見たような描写が多く新鮮味に欠けています。

もはや29年も前のスティーブン・スピルバーグ監督による1作目が革新的に面白かったのはCG技術の飛躍的な発展を映画制作の過程で果たし得たことが大きかったです。そういう革新性がないと、1作目を超える作品は無理でしょう。

アメリカではIMDb5.7、メタスコア38点、ロッテントマト30%(ユーザー77%)とさんざんな評価ですが、僕はそこまでひどいとは思いませんでした。

2022/07/24(日)「わたしは最悪。」ほか(7月第4週のレビュー)

「わたしは最悪。」はアカデミー国際長編映画賞と脚本賞にノミネートされたヨアキム・トリアー監督作品。「リプライズ」(2006年)「オスロ、8月31日」(2011年)に続くオスロ・トリロジー3作目だそうです。

その「オスロ、8月31日」に1行だけのセリフで出演したレナーテ・レインスヴェを主演に想定してトリアー監督とエスキル・フォクトが共同で脚本を書いたのがこの物語。

ユリヤ(レインスヴェ)は医大で外科医を目指したものの、「自分が好きなものは人の体ではなく魂だ」と気づき、心理学に変更。しかし、詰め込み教育に戸惑って諦め、写真家を目指して書店でアルバイトを始める。パーティーで15歳年上の漫画家アクセル(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)に出会ったユリヤは恋に落ち、同棲を始めるが、アクセルの家族・親族に会い、うんざり。やがて、子供を欲しがるアクセルにも興ざめし始めたところで、同年代のアイヴィン(ハーバート・ノードラム)に出会う。

興味と関心の対象が次々に変わっていく女性を描いていますが、全体としてはロマンティックコメディにまとめられる題材です。ただ、普通のロマコメのように男女の思いが通じ合ってのハッピーエンドにはなりません。パンフレットにレビューを寄せている大九明子監督の「勝手にふるえてろ」「私をくいとめて」に通じる作品だと思いました。

トリアー監督はアイヴィンへの思いに気づいたユリヤがアイヴィンの元へ走る場面で、オスロの街の動きが止まった不思議な空間を作り上げています。VFXを使わずに、映っている人や車の動きを実際に止めて撮影したそうで、幻想的な映像のアクセントになっています。

何よりもレナーテ・レインスヴェの魅力に尽きる映画で、監督があて書きしただけのことはある女優だと思いました。34歳ですが、ハリウッドでも十分通用する容姿と演技力、と思ったら、既にセバスチャン・スタン(アベンジャーズのウインター・ソルジャー役)主演のスリラー「A Different Man」を撮影中だそうです。

IMDb7.8、メタスコア90点、ロッテントマト96%。

「冬薔薇(ふゆそうび)」

阪本順治監督がキノフィルムズの依頼を受けて、伊藤健太郎主演で脚本をあて書きした作品。

主人公の渡口淳は不良仲間とつるみ、他人から金を借りてだらだらと暮らしている。父親(小林薫)はガット船の船長で、淳とは何年もまともに話していない。事務所を切り盛りするのは母親(余貴美子)。横須賀の不良グループ同士の乱闘で淳は足に大けがをする。淳が退院する頃、叔父(眞木蔵人)が息子・貴史(坂東龍汰)とともに現れる。中学教師をしていた貴史は生徒に手を上げて退職し、塾講師となっていた。ある夜、不良グループリーダーの美崎(永山絢斗)の妹(河合優実)が何者かに襲われる。

コロナ禍の苦境を入れながら、映画はこうした物語を語っていきますが、将来の展望がない主人公よりもその親の世代の描写が切実な作品になっています。阪本映画の常連である余貴美子、石橋蓮司のほか、小林薫が絶妙のうまさ。阪本監督の年齢が親世代に近いためもあるのでしょうが、伊藤健太郎の出番を少なくしてでも親世代の物語にしてしまった方が良かったのではないかと思えました。

阪本監督はラストショットについて、長谷川和彦監督の言葉である「ラストは主役で終われ」に従ったそうです。親世代の描写に心惹かれた者からすれば、やや残念なラストではあります。

「薔薇」を音読みで「そうび・しょうび」と読むことは知りませんでした。「バラ」という読みの方が当て字なんだとか。「冬薔薇」は文字通り、冬に咲くバラのことで映画の中では小林薫と余貴美子が事務所の前で育てています。冬に咲くバラは厳しい環境の中での一片の希望のメタファーなのでしょう。

「キャメラを止めるな!」

上田慎一郎監督作のフランス版リメイクで、監督はアカデミー作品賞、監督賞など5部門を制した「アーティスト」(2011年)のミシェル・アザナヴィシウス。「アーティスト」に出ていた妻のベレニス・ベジョが「カメラを止めるな!」のしゅはまはるみに相当する役(監督の妻役)を演じています。

製作費300万円だった「カメ止め」に対してこちらは400万ユーロ(約5億7000万円)。にもかかわらず、面白さでは大きく負けています。ネタを知っているということも、その理由ではありますが、笑いが決定的に足りません。例えば、爆笑させられたしゅはまはるみの「ポンッ!」に対して、ベレニス・ベジョは単なる武術の達人で暴走しても笑えません。ほかのギャグも不発なものが多いです。

「カメ止め」で強烈な印象を残したどんぐり(竹原芳子)は同じプロデューサー役で出演していますが、二度目なのでインパクトは薄れました。

アザナヴィシウス監督はインタビューで「これはお金でというより熱意で作った、いわゆるDIY映画へのトリビュートだ。何よりも映画を作っている人々、俳優や監督だけでなく技術スタッフから見習いまで、全員に捧げられた賛辞なんだよ。たとえリメイクであっても、僕にとっては個人的な思い入れのある大切な映画になった」(キネマ旬報7月下旬号)と話しています。それは分かるんですが、もう少し笑いの方に注力してほしかったところです。

IMDb7.1、メタスコア51点、ロッテントマト63%。「カメ止め」はIMDb7.6、メタスコア86点、ロッテントマト100%。