「マイスモールランド」は埼玉県川口市在住のクルド人一家の苦境を描く物語。
17歳のサーリャ(嵐莉菜)は幼い頃、クルド人の家族と共に生活していた地を逃れて来日。父マズルム(アラシ・カーフィザデー)、妹アーリン(リリ・カーフィザデー)、弟ロビン(リオン・カーフィザデー)と4人で暮らし、埼玉の高校に通っている。クルド人の誇りを失わない父と違い、サーリャたちは日本の同世代の少年少女と同様に育っている。サーリャは進学のため東京のコンビニでアルバイトを始め、東京の高校に通う聡太(奥平大兼)と出会う。ある日、サーリャの家族全員に難民申請不認定の知らせが入った。在留資格を失い、「仮放免」の身分になると、居住区から出られず、働くこともできない。働いていたマズルムは警察の職質を受け、出入国在留管理局(入管)の施設に収容されてしまう。
昨年公開されたドキュメンタリー「東京クルド」(日向史有監督、キネマ旬報文化映画ベストテン7位)はクルド人の青年2人を5年間にわたって取材し、サーリャの一家と同じ苦境を描いていました。川和田恵真監督は日本国内に2000人以上のクルド人がいることを知り、2017年頃から取材を進めたそうです。映画で描かれたことは事実に基づいていて、本来ならクルド人をキャスティングしたいところですが、映画に出れば、入管に知られ、不利益を被る恐れがあることから出来なかったとのこと。
在留資格がないと働けませんし、大学や専門学校に進学したくても門前払いされます。働かなければ生きていけませんが、入管は関知しません。在住クルド人の多くは、身に危険が及ぶ恐れがあるため故郷には帰れません。日本のシステムは難民を受け入れず、追い返すという非人道的政策(敵対的措置)を取っているわけです。
映画はサーリャの青春映画としての側面を入れつつ、在住クルド人の現状を描いています。人を苦しめる制度は間違っていますし、それを放置しておくことも間違っています。「東京クルド」同様にそうしたことを痛感させる映画でした。日本が世界第5位の移民大国であることを知らず、単一民族国家だと時代遅れの勘違いをしている人こそ必見の作品です。
なお、川和田監督の両親は日本人とイギリス人。主演の嵐莉菜は母親が日本人とドイツ人のハーフ、父親はイラン、イラク、ロシアのミックス(パンフレットの表現)。この父親を含め映画に出てきた4人の家族はそろってオーディションに合格した本当の家族だそうです(父親は日本国籍取得済み)。
韓国製のサスペンス・アクションで、スペイン映画「暴走車 ランナウェイ・カー」(2015年)のリメイク。
銀行支店長のソンギュ(チョ・ウジン)の車に爆弾を仕掛けたと、犯人から電話がかかってくる。爆弾は車から降りると、爆発する仕掛けで地雷の上に座っているようなもの。後部座席には学校へ行くために長男と長女が乗っていた。同じ爆弾が仕掛けられた同僚の車が目の前で爆発し、飛んできた破片で長男は足に大けがをしてしまう。病院に行くには犯人の要求をのみ、大金を支払わなくてはならない。ソンギュは必至に金を工面するが、というストーリー。
途中まで快調だったんですが、終盤、犯人とその動機が分かったところで急速にダメになってしまった印象。ベタベタの情緒的雰囲気が起きてくるためで、個人的にはドライでクールな犯人との知恵比べ的展開の方が好みです。犯行理由は納得できるもので、これで同僚の車が爆発さえしなければ、犯人の方に分があったんですけどね。
IMDb6.1、ロッテントマト100%(ただし評価は6人だけ。ユーザーは70%)、メタスコアなし。元になった「暴走車 ランナウェイ・カー」はIMDb6.6、ロッテントマト100%(ユーザー57%)。
バングラデシュの実話に基づくドラマ。縫製工場で働く主人公シム(リキタ・ナンディニ・シム)は労働者権利団体のナシマ・アパ(シャハナ・ゴスワミ)と出会ったことから労働組合の結成に動き始める。仲間たちと労働法を学び、署名を集め、組合結成に向けて奔走するが、工場幹部から脅しを受け、夫や同僚からは反対されるなど、さまざまな困難が待ち受けていた、という展開。
マーティン・リット監督「ノーマ・レイ」(1979年)を思わせる内容ですが、主人公の困難は、ノーマ・レイよりはるかに大きく、貧困や男尊女卑、行政の腐敗など解決すべき問題が多々あります。監督はバングラデシュ出身のルバイヤット・ホセインで、これが日本初公開作。労働問題を過不足なく描き、佳作に仕上げています。IMDb7.0、ロッテントマト100%(ユーザー88%)。
「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」は入場料割引など一切なしの1900円均一料金。昨年の「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」(村瀬修功監督)もそうでした。それでも「ガンダム」好きな人は見に行くわけで、公開初日の初回上映は6、7割の入りでした。
1979年に放送された「機動戦士ガンダム」第15話の同名エピソードの映画化。ククルス・ドアンは元ジオン軍の兵士で、ある島に戦争孤児たちと暮らしています。そこに残置諜者掃討の任務を受けたアムロたちがやって来る、という話。
テレビ版でドアンが操るモビルスーツの「ドアン専用ザク」は「頭部が通常のザクとはバランスが異なり、ガンダムファンの中で“作画崩壊”として語り継がれているのは有名」なのだそうです。ファーストガンダムでキャラクターデザインと作画監督を務めた安彦良和が今回の映画化を意図したのはそれが大きな理由とのこと。
テレビ版の20分余りの話を109分にするためにテレビでは4人だった子供を20人に増やし、島での生活を描いていますが、間延びして不要と思える部分が少なからずありました。他のエピソードを組み合わせて話を立体的に膨らませた方が良かったのでしょうが、元々がガンダムの本筋からは独立した話なので難しいところです。
テレビ版とは43年の開きがありますから、声優はアムロ・レイ役の古谷徹など一部を除いて旧作とは異なる声になっています(当時と同じ声を演じているのは凄いことです)。戦闘シーンはさすがにテレビ版よりはるかに良い出来ですが、映画全体の作りは新しくはなく、むしろ古さを感じるのが残念なところ。そのあたり、斬新な傑作「閃光のハサウェイ」とは大いに異なります。
「閃光のハサウェイ」は昨年6月の劇場公開後4カ月で配信(しかも見放題)が始まりましたから、これも早そうです。ガンダムの熱烈なファンではない人は配信を待っても良いかもしれません。
なお、ガンダムを製作してきたサンライズ(ファーストガンダムの頃は日本サンライズ)は今年4月1日にバンダイナムコフィルムワークスに商号変更し、「サンライズ」は同社のブランドとなっています。
「夜は短し歩けよ乙女」「きみと、波にのれたら」の湯浅政明監督作品で、古川日出男の原作「平家物語 犬王の巻」を“狂騒のミュージカル”としてアニメ化。脚本を野木亜紀子、キャラクター原案を松本大洋、音楽は大友良英というスタッフで、犬王の声を人気バンド「女王蜂」ボーカルのアヴちゃん、相棒となる琵琶法師・友魚(ともな)を森山未來が演じています。
室町時代、猿楽能の一派、比叡座に生まれた犬王は生まれつき全身に障害を持ち、異形の容貌を隠すため、ひょうたんの面を身につけている。友魚は壇ノ浦で三種の神器の剣を見つけて引き揚げたことから、剣の呪いで父親は死亡、友魚は失明する。都に出た友魚は琵琶法師となって犬王と出会い、友魚の奏でる琵琶に合わせて犬王は歌う。歌うたびに犬王の障害は一つ一つ消え、本来の体を取り戻していく。
この犬王の設定は手塚治虫「どろろ」の百鬼丸とよく似ています。犬王の体が異形となった原因は父親が猿楽の道を究めるため、母親の胎内にいた犬王の体をいけにえとしたためで、百鬼丸と同じです。
湯浅監督独特のグリグリ動く絵と歌のシーンに躍動感があり、はまる人は徹底的にはまるようですが、僕はそれほどでもありませんでした。
パーキンソン病で引退した歌手ロンシュタットの生い立ちから綴るドキュメンタリー。僕は「悪いあなた」「イッツ・ソー・イージー」「ブルー・バイユー」などの有名曲を知っているぐらいで特にロンシュタットのファンではありませんでした。なので、何でも歌えた歌手だったことが驚きでした。後年にはスペイン語で歌ってメキシコで活躍し、オペラまで歌ってます。
映画はそうしたロンシュタットの半生をジャクソン・ブラウン、エミルー・ハリス、ドリー・パートン、ボニー・レイット、ライ・クーダー、ドン・ヘンリーなどのミュージシャンと音楽通の映画監督キャメロン・クロウのインタビューで浮き彫りにしていきます。
ラストには2019年現在のロンシュタットが姿を見せますが、親族2人と座って歌いながら、手が小刻みに震えていて病気の影響をうかがわせます(この時、72歳ぐらい)。監督は「ラヴレース」などのロブ・エプスタインとジェフリー・フリードマン。IMDb8.0、メタスコア77点、ロッテントマト89%。
36年ぶりの続編となった「トップガン マーヴェリック」。トップガンの意味を説明した字幕に続いてタイトルが出るのは前作と同じ。それに続く空母上での戦闘機の離発着が描かれる冒頭シーンも音楽がケニー・ロギンス「デンジャー・ゾーン」であることも手伝って前作をそのまま使っているのではないかと思えるぐらいよく似ています。
もうここで、年配の映画ファンは36年前を思い出してノスタルジックな思いに駆られるはず。何しろ、36年前というのはまだ昭和ですからね。しかし、この映画、そんな甘っちょろいノスタルジーを吹き飛ばすようなスピード感、臨場感、没入感にあふれていました。これは大きなスクリーンで見ないと、面白さが100分の1ぐらいになるタイプの映画であり、「スター・ウォーズ」第1作のデス・スター上でのドッグファイトを思い出しました(攻撃目標も似ています)が、体感的にはあの数十倍の迫力でした。
このリアルな迫力は実際に俳優たちを戦闘機(F/A-18)の後席に乗せて撮影したことから生まれています。同様のシーンはCGを使ってある程度描けるかもしれませんが、搭乗員の緊張感や機体の突然の揺れや強いGによる変化など細部まで描くのはとても無理でしょう。
結果、類を見ない映像としっかりした脚本が組み合わさった傑作となっています。前作の頃はアイドル的位置にいたクルーズが今やアクションスターとしての地位をも確立したことで、映画での活躍が嘘に見えない説得力をもたらしています。
前作「トップガン」は傑作でもなんでもなく、トニー・スコット監督の優れた映像感覚とハロルド・フォルターメイヤーの音楽は素晴らしかったものの(サントラ買って繰り返し聴いてました)、ミグを撃墜するシーンにあきれ果てた僕は「タカ派のバカ映画」と公開当時思いました。あのバカ映画からどう続編を作るのか。トム・クルーズが絶対の信頼を置いている(らしい)脚本のクリストファー・マッカリー(「ミッション:インポッシブル ローグ・ネーション」ほか)は前作の数少ないドラマ、つまりマーヴェリックの親友グースが訓練中に死んだエピソードを受けて物語を組み立てました。
新型機のテストパイロットをしていたピート・“マーヴェリック”・ミッチェル(トム・クルーズ)はマッハ10を達成した後、機体に異常が発生して墜落。飛行禁止の処分を受けそうになるが、なぜかトップガンの教官を命じられる(前作の最後の方でマーヴェリックは教官を目指すと話していました)。それにはかつてのライバルで今は海軍大将となったアイスマン(ヴァル・キルマー)の指示があった。トップガン候補生の中には死んだグースの息子ルースター(マイルズ・テラー)がいた。ルースターは以前、出願書をマーヴェリックに破棄されたことを恨んでいた。この2人の関係をドラマの軸に置きながら、映画はトップガンの訓練とミッションを描いていきます。
マッカリーのこれまでの作品を見ると、冒険小説やサスペンス映画に精通していることがよく分かりますが、今回もクルーズが敵の戦闘機を盗んで飛び立つシーンなどクリント・イーストウッド「ファイヤーフォックス」(1982年)を思わせました。
ヴァル・キルマーは病気で声が出せない設定ですが、実際にキルマーは喉頭がんで声を出すのが難しくなり、声のクローンを作成する英国のソフトウェア会社と研究、開発を進めた結果、再び自身の声で会話ができるようになったそうです。ヴァル・キルマーというと、「ウィロー」(1988年)を思い出すんですが、なんとこれも映画から34年ぶりにテレビシリーズが作られるそうです。
エンドクレジットでトニー・スコットへの弔意が示されました。パンフレットによると、続編の製作に取りかかった2010年、トム・クルーズはスコットとプロデューサーのジェリー・ブラッカイマーとともに前作を見直したそうです。その時点では今回の監督にスコットが想定されていたのでしょう。
前作を見ていなくても回想シーン(グースの妻役でキュートさが注目を集めたメグ・ライアンも登場します)があるので意味は分かりますが、見ていた方がはるかに楽しめます。前作はamazonプライムビデオ、Hulu、U-NEXTなどで配信されています。
「トップガン マーヴェリック」のジョセフ・コシンスキー監督による2018年公開の作品。コシンスキーはトム・クルーズと「オブリビオン」(2013年)で組んでいますから、その縁もあっての起用でしょうが、この作品の出来の良さも評価されたのかもしれません。僕は見ていなかったのでこれを機会に見ました。
山火事に挑む森林消防隊の映画ということは知っていましたが、アメリカ史上最悪の山火事「ヤーネルヒル火災」(2013年6月)を基にした実話ベースの映画化であるとは知らず、ラストで呆然としました。いや、これは言葉を失う事態です。
ケン・ノーランとエリック・ウォーレン・シンガーの脚本はドラッグ中毒の若者(マイルズ・テラー)が、子どもが生まれたのを機に再起を図るため消防隊に入るなど隊員のドラマを描きながらクライマックスのヤーネルヒル火災に至る手堅い構成となっています。
映画の中で山火事の火から逃れる手段として1人用防火テントの訓練が行われます。主人公で隊長のジョシュ・ブローリンは「テントの中は500度以上になる。水を持って耐えるんだ」と話しますが、500度もあったら死んでしまいます。Wikipediaによると、実際には500度どころか1000度以上あったと推測されているそうです。このテント、火は防いでも熱は防げず、気休めぐらいの効果しかなかったわけです。
「トップガン…」でトム・クルーズの恋人役を演じたジェニファー・コネリーも出演しています。
今年84歳のアンドレイ・コンチャロフスキー監督作品で、ヴェネツィア映画祭審査員特別賞を受賞。1960年6月、ソ連南部のノボチェルカッスクで実際に起こった政府による市民虐殺事件をシングルマザーで共産党員の主人公リューダ(ユリア・ビソツカヤ)の視点から描いています。暴動鎮圧に出た軍隊による虐殺と思われたが実は、という展開。事件の真相は1992年まで隠ぺいされていたそうです。
映画の作りは緊密で、コンチャロフスキー作品の中では上位に位置する出来だと思います。主人公が「これからは良くなる。良くならなきゃ」とつぶやくシーンも皮肉が効いています。しかし、ウクライナを侵攻中のロシアの現状を見ると、評価する気になれません。映画の舞台は60年前のフルシチョフ首相時代。今のプーチン政権にとって痛くもかゆくもない過去の事件だからロシアで普通に上映できたのでしょう。映画が作られたのは2年前ですが、過去よりも現在に目を向けた方が良いと思います。
IMDb7.4、メタスコア82点、ロッテントマト95%。
「20センチュリー・ウーマン」(2017年)のマイク・ミルズ監督作品。ラジオジャーナリストのジョニー(ホアキン・フェニックス)がLAに住む妹(ギャビー・ホフマン)に頼まれ、9歳の甥ジェシー(ウディ・ノーマン)の面倒を数日、見ることになる。それは子どものいないジョニーにとって驚きに満ちた体験となっていく。ミルズはこのストーリーを美しい白黒映像で描いています。
アネット・ベニング、グレタ・ガーウィグ、エル・ファニングの3女優がそれぞれに好演した「20センチュリー・ウーマン」を僕はとても面白く見ましたが、これは少し落ちる感じに思えました。これは僕の好みの問題のようでIMDbやメタスコアを見ると、「カモン カモン」の方が評価は高いです。
立川志の輔の原作「大河への道 伊能忠敬物語」を「花のあと」(2009年)の中西健二が監督。「ちゅうけいさん」と親しまれる伊能忠敬を観光に生かすため大河ドラマ化を目指す千葉県香取市役所の職員たちを描いています。
伊能忠敬について調べているうちに、全国を測量して作った地図「大日本沿海輿地全図」は伊能の死んだ3年後に完成していることが分かるという展開。中井貴一、松山ケンイチ、北川景子、岸井ゆきのらが市役所職員と江戸時代の伊能忠敬の関係者を演じています。
脚本は「義母と娘のブルース」「天国と地獄 サイコな2人」などテレビドラマが多い森下佳子。つまらなかったわけではありませんが、映画的な映像も展開もなく、テレビドラマでも十分じゃないかと思えました。
「流浪の月」は李相日(リ・サンイル)監督作品としては「悪人」(2010年)と同じタイプの話で、世間から理解されず、思い込みと偏見から敵視される男女2人の強い結びつきを描いています。
大学生の佐伯文(松坂桃李)は公園で雨に濡れていた10歳の更紗(白鳥玉季)を部屋に誘い、そのまま一緒に暮らすようになる。更紗は父の死後、母が家を出たため、叔母に引き取られており、家に帰りたくない理由があった。文のアパートでの生活に安らぎを得るが、文は少女誘拐の罪で逮捕され、世間からは小児性愛者、ロリコンのレッテルを貼られてしまう。15年後、更紗(広瀬すず)はバイト仲間と入ったカフェで店主となっていた文と偶然再会する。
広瀬すずはベストの演技。元々、「海街diary」(2015年)の頃から陰のある役が似合いましたが、今回のヒロイン更紗はまさに適役と言えるでしょう。ホン・ギョンピョ(「パラサイト 半地下の家族」「ただ悪より救いたまえ」)の撮影をはじめ、映画の作りは隅々まで上質です。
しかし最終盤にある説明が理に落ちすぎていて、「なんだこれは」と強い違和感を持ちました。これがあるからと言って、言い訳にしかなりませんし、この病気の人に対する偏見を生む恐れもあります。
凪良ゆうの原作もこうなのかと思い、読みました。映画では詳しく描かれなかった部分が分かったのは収穫で、原作では15年前の事件当時、文は19歳の大学生で、更紗は9歳の小学生。更紗が文のアパートにいたのは2カ月間。事件の後、叔母の家に帰った更紗は夜中に部屋に入ってきた中学2年のいとこの頭を酒瓶で殴り、養護施設に行くことになった、更紗は成長した今でも性行為を積極的に望んではいない、などなど。あと、文の現在の恋人(?)である女性(多部未華子)は病気で片方の胸を失い、そのために心療内科に通っていた頃に文と知り合った、という設定もあります。文が送られた少年院は医療少年院だそうです。
原作も映画と同じ結末に至ります。大きく違うのは文はロリコンでないどころか、大人の女性はもちろん、少女さえ愛せない存在であることです。僕は原作にはそれなりに納得しつつ、引っかかりも感じました。小説にも映画にも共通することですが、文の病気を種明かし的に描いていることに強い抵抗があります。この題材はLGBTQX的観点から組み立てた方が良かった話で、ミステリ的趣向は不要でした。
作者の凪良ゆうはBL小説を40作以上書いているベテランで、筆力は申し分ないんですが、この組み立てを考えると、本屋大賞受賞には疑問があります。逆に言えば、本屋大賞はその程度の賞ということなのでしょう。
原作では「トゥルー・ロマンス」(1993年)が更紗の好きな映画として、たびたび登場します。これは僕が映画をあまり見られなかった頃に公開され、ずーっと見逃したままになってました。探したら、5年前にWOWOWから録画したのがあったので見ました。傑作ですねえ。いかにもクエンティン・タランティーノ脚本らしい映画で、パトリシア・アークエットがボロボロになりながらモーテルで悪人を撃退するシーンなど最高以外の何ものでもありません。
トニー・スコット監督が生きていれば、「トップガン マーヴェリック」も監督したんじゃないでしょうかね。
辻村深月の原作を「水曜日が消えた」の吉野耕平監督が映画化。ハケンは「派遣」ではなく「覇権」で、土曜日の夕方5時放送の2つのアニメが覇権を争う物語。新人監督を吉岡里帆、デビュー作で天才と言われ、その後作品を発表していない伝説の監督を中村倫也が演じています。
アニメの制作現場が詳しく描かれますが、監督(いわば中間管理職ですね)が多数のスタッフの不平不満をなだめ、仕事を集約し、諸々の課題を解決して一つの作品を作り上げていく過程は他の分野の仕事にも共通することでしょう。そうした「お仕事映画」として優れた作品になっています。
吉岡里帆側のプロデューサーに柄本佑、中村倫也側に尾野真千子、アニメーターに小野花梨、六角精児、このほか実際の声優も多数出演。吉岡里帆はコーダを演じて好評を集めたNHK-BSプレミアム「しずかちゃんとパパ」とはがらりと変わった役柄を的確にこなしています。
柄本佑が弾むように歩いていく後ろ姿を捉えたラストショットは「ドクターX」の岸部一徳を思わせ、クスッと笑えました。
ジャック・オディアール監督が現代パリの13区に暮らす人々の恋愛模様を白黒で綴った作品。コールセンターで働く台湾系フランス人、アフリカ系の高校教師、法律を学ぶ大学生、ポルノ女優の4人が物語を紡いでいきます。なんてことはない話ですが、僕は面白く見ましたし、好きな作品です。
魅力の一つは台湾系フランス人エミリー役のルーシー・チャン。そんなに美人ではないし、特別にかわいいわけでもありませんが、将来性を感じさせる独特の魅力を放っています。セザール賞有望若手女優賞候補になったそうです。
脚本に「燃ゆる女の肖像」のセリーヌ・シアマが協力していて、それを納得できる展開があります。主な舞台となる13区のレ・ゾランピアード周辺はフランス最大規模のアジア人街とのこと。
昨年好評だったテレビアニメの総集編プラスα。それは分かっていたので期待はしていなかったんですが、登場人物(動物)の証言でストーリーを構成していて、初見の人には分かりにくいんじゃないでしょうかね。
終盤面白くなるのはテレビシリーズの面白さそのまま(当たり前)。テレビシリーズでは殺人犯は明らかになりましたが、警察には捕まっていませんでした。映画はその後を描き、それがプラスαの部分になります。ただ、逮捕に至る過程は途中でぶっつり切れて、逮捕されたカットを見せるだけになっています。こういう総集編じゃなく、テレビシリーズの完全版を作ってほしいところです。
テレビ同様に微笑ましかったのはアルパカの白川さんのカポエラのシーン。白川さんのカポエラ、ダイエットだけじゃなく実戦でも役に立つのが良いです。
「シン・ウルトラマン」は傑作「シン・ゴジラ」のスタッフなので期待値マックスで観賞。序盤ワクワク、中盤停滞、終盤で少し盛り返した感じの出来で、金を掛けたファンムービーのような作品でした。
絵の具を流したような画面がぐるぐる回って「シン・ゴジラ」の文字になり、それが弾けて赤い背景に白い文字で「シン・ウルトラマン」のタイトルが現れるという「ウルトラQ」→「ウルトラマン」のかつてと同じ趣向のオープニング。「ウルトラQ」のメインテーマなど音楽と効果音は昔のものを踏襲していて、リアルタイムで毎週夢中になってテレビシリーズを見ていたオールドファン(ほぼ60歳以上でしょう)は懐かしさに見舞われるはずです。
ゴメス、マンモスフラワー、ペギラと「ウルトラQ」の怪獣ならぬ禍威獣を出しながら、科特隊ならぬ禍特対(カトクタイ)設立を説明する場面でさらに気分は上がります。ネロンガ、ガボラ撃退シーンまではまず文句はない(ゆっくりと両手を交差させてスペシウム光線の構えをするシーンは最高のかっこよさ)ですが、その後の展開がどうもピリッとしません。
テレビシリーズ第18話「遊星から来た兄弟」のにせウルトラマンや第33話「禁じられた言葉」でフジ・アキコ隊員(桜井浩子)が巨大化したシーンなどを引用した総集編のような作りは別に悪くありません。ウルトラマンへの変身に使うベータカプセルのテクニカルな側面を使ったクライマックスへの話の組み立てもまあ良いでしょう。例によって、使徒のようなデザインの怪獣などエヴァンゲリオンを思わせるのは予想の範囲内です。しかし、各エピソードが緊密に繋がっていかないことが最大の欠点で、もどかしく感じました。
「そんなに人間のことが好きになったのか、ウルトラマン」。終盤、あるキャラクターからこう言われるウルトラマンの思いこそが、(ベータカプセルではなく)作品を貫く1本の太い芯になるべきだったのだと思います。
既にさまざまなバリエーションがあり、ある程度自由な作りが許された「ゴジラ」と違って、初代「ウルトラマン」全39話はウルトラマンの出現から退場まで物語世界がかっちり完成しています。総集編のような、ファンムービーのような作りになったのは脚本・総監修の庵野秀明がそれほどウルトラマン世界を好きだからだと思いますが、総花的作品の陥穽に嵌まってしまったようです。
ファンにはあまり評価されていない(と思える)小中和哉監督「ULTRAMAN」(2004年)を僕は好きなんですが、第1話だけを現代に置き換えて作り直したあの映画のようにドラマを集中させて話を構築した方が良かったのかもしれません。
金を掛けたといっても、日本映画総力戦の様相さえあった「シン・ゴジラ」ほどの予算ではないはずで、登場人物の数だけ比較しても見劣りがしました。CGの出来は合格点ですが、作品のスケールは意外に小さくまとまっています。
期待が大きかっただけにこのレベルで満足するわけにはいかず、かえすがえすも残念な出来と言わざるを得ません。悔しいです。
古屋兎丸の原作コミックを城定秀夫監督が映画化。東山春人(田中圭)は、女子高生に殺されたいがために教師になった男。理想の殺され方を実現させるために、9年もの間緻密な自分殺害計画を練ってきた、というストーリー。
脚本も書いた城定監督は映画化にあたって、中心となる女子高生2人(南沙良、河合優実)に加え、原作には登場しない女子高生2人(莉子、茅島みずき)を登場させて話を膨らませたほか、クライマックスも映画向きに変更しています。原作は全14話(2巻)の短い話ですから、これは当然の措置なのでしょう。ただ、原作を読んだ観客としては傑作となるには少し足りなかった印象です。
南沙良はテレビドラマ「ドラゴン桜」でアイドル的人気が出ましたが、蒔田彩珠と共演の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(2018年)の吃音症の少女役で新人賞を総なめにした実力があり、本来は演技を評価してほしいはず。今回の役柄はそれを少し意識させるものでした。
フィンランド製のホラー。4人家族の家に黒い鳥が飛び込んでくる。鳥は部屋の中を飛び回り、花瓶やガラス食器、シャンデリアが落ちて次々に割れる。ようやく捕まえた鳥を母親(ソフィア・ヘイッキラ)はバキッとひねり、生ゴミとして捨てさせる。しかし、鳥は死んでいなかった。その夜、森の中で12歳の娘ティンヤ(シーラ・ソラリンナ)は瀕死の鳥を見つけて叩き潰す。そばにあった卵を持ち帰り、ベッドで温めると、卵は毎日大きくなる。そして巨大化した卵が割れ、中から醜い生物が生まれてくる。
生まれた巨大な生き物は孵化したばかりの鳥のヒナのようなヌメヌメした外観ですが、これが徐々にあるものに変化していきます。一方で、母親は浮気しており、ティンヤは体操競技でライバルに負けそうな状況にあり、これが本筋に絡んできます。惜しいのはこうした話のまとめ方が今ひとつうまくないこと。モンスター映画にしてくれると、個人的には好みだったんですけどね。
IMDb6.8、メタスコア74点、ロッテントマト91%(一般ユーザーは61%)。