2011/09/09(金)「未来を生きる君たちへ」

 アカデミー外国語映画賞を受賞したデンマーク映画。内容を伝えない邦題だが、原題は「報復」「復讐」を意味しているそうだ。英語のタイトルは「In a Better World」。「憎しみの連鎖を断ちきる」という今はやりとも言えるテーマを描きながら、監督のスサンネ・ビアは緊張感あふれるドラマを展開させ、見応えのある作品に仕上げた。

 アフリカの難民キャンプとデンマーク郊外の学校でドラマが繰り広げられる。特にデンマークの描写が良く、いじめられる少年クリスチャンを演じるヴィリアム・ユンク・ニールセンは「オーメン」のダミアン役にも似合う冷たさを漂わせている。

2011/09/04(日)「ゴッドファーザー」

 午前10時の映画祭。テレビやビデオでは見ているが、劇場で見たのは初めて。記憶ではシシリー島の場面はもっと黄色っぽく明るかった印象がある。劇中で「愛のテーマ」が初めて流れるこのシーン、暗いニューヨークの色調(音楽も)と鮮烈な対比をなしている、と思っていたが、今回はそうでもなかった。一部、褪色と思われるシーンもある。リストアされているのだけれど、完全ではないのだろう。

 見たのは20数年ぶりぐらいだったが、記憶と違うところはその1点のみ。それほど初見の印象が強かったのだ。高校生の時でしたからね。だいたい、僕は同じ映画を繰り返し見る習慣はない。再見しても「あれ、こんな映画だったのか」と思うことがほとんどないのだ。だから、この映画祭も今までスルーしていた。

 シシリー島で愛する妻を爆殺されたマイケル(アル・パチーノ)の場面から、映画は1年後に飛ぶ。堅気だったマイケルはすっかりマフィアの世界の人間になっている。映画では省略してあるが、その契機が妻を殺されたことにあるのは明確だ。マフィアのドンに成長していくマイケルを描く後半は再び暗い色調に戻るが、だからこそシシリー島での明るさは必要だった。幸福を象徴する明るさなのである。

 裏切りとバイオレンスが渦巻くマフィアの世界は翌年から始まる「仁義なき戦い」シリーズにも影響を与えたのかなと今回、再見して思った。

2011/09/03(土)「トランスフォーマー ダークサイド・ムーン」

 予算の無駄遣いとしか思えない。かかった製作費に対してどれだけ観客の心を動かせるのかを考えると、費用対効果は相当に悪いのではないか。このシリーズ、いつも思うのだが、シャイア・ラブーフ演じるサムの私生活のドラマがさっぱり面白くない。本筋はもちろん、ロボット(というか、機械生命体)の方にあるのだけれど、それにしてももう少し何とかならないものか。

 ミーガン・フォックスは降板して(させられて?)、恋人役はロージー・ハンティントン=ホワイトリーに代わった(サムが振られたという設定)。こういう華を添えるだけの役なら、ミーガン・フォックスの方がよろしい(ホワイトリーはスタイル抜群で顔はキャメロン・ディアスにちょっと似ている)。

 機械生命体のCGは良くできているが、重量感がないのが物足りない。質感がぺらぺらで、すぐに壊れそうな感じなのだ。ここらあたりは宮崎駿のアニメのように重量感を持たせる描写の仕方が必要なのだろう。CGの技術にも描写力はいるのである。

2011/08/23(火)「ツリー・オブ・ライフ」

 テレンス・マリック監督の「ニュー・ワールド」以来6年ぶりの作品で、カンヌ映画祭パルムドールを受賞した。隕石が地球に落ち、生命が生まれ、生物に進化して恐竜が出現するという序盤の長いシークエンスを見て、ああ、「ツリー・オブ・ライフ」のライフとは人生ではなく、生命のことかと、やっと分かったのだが、実はこのタイトル、エデンの園にある生命の木から取ったのだそうだ。そういうことも知らない聖書の門外漢にはちょっとつらい映画ではある。

 もっとも、テレンス・マリック、普通のドラマとしてこの映画を撮ってはいない。特に物語がよく見えてこない序盤はそうで、30分ぐらいで劇場を出て行く人がいる(僕が見た時に1人いた。ネットの感想を読むと、けっこう多いらしい)のはドラマが盛り上がっていかないからだ。マリックは物語ではなく、自分のビジョンを見せている。エモーションが持続しにくいのはビジョンとドラマの融合が技術的にうまくいっていないのが要因で、それ以上の意味はないように思える。ナショナル・ジオグラフィックのカメラマンを世界中に派遣して撮らせたというさまざまな映像は美しく、思索をこめた作品ではあるが、端的にドラマの構築に失敗している。

 映画を見ながら思い浮かべたのはケン・ラッセル「アルタード・ステーツ 未知への挑戦」やイングマール・ベルイマンの「沈黙」「夜の儀式」といった初期の作品だった。キリスト教のモチーフが至る所にあるからで、苦悩する人間に対して神は沈黙している。分かりにくいのはブラッド・ピットの強権的な父親が支配する家族の姿と、進化のシークエンスや地球の表情が並列に描かれることで、これをミクロとマクロという凡庸な視点で論じるのはどうかと思う。マリックは宇宙や地球のスケールに対して人間の営みはあまりにも小さいという極めて当たり前のことを言いたかったのか。そうであれば、こちらとしては冷笑的な気分にならざるを得ないのだ。

 一つの明確な解を持たない映画だが、そういう映画であるがゆえの利点はあって、観客の脳内補完の余地が大きくなり、好きな解釈ができる。観客は映画を見ながら、シーンとシーンの間に自分で「しかし」とか「そして」とか「または」とかの接続詞を入れながら見ているわけだが、この映画のシーンとシーンの間にあるのはほとんどがandだ。だから観客の頭の中にはそれぞれに別の映画が出来上がることになる。ある人の感想が他の人にまったく説得力を持たないのは、脳内に出来上がった映画が違うからにほかならない。

 映画の構成は成長した長男(ショーン・ペン)の回想であり、その意識の流れを映像化したためにシーンを並べたドラマの断片が多くなったのだろう。もちろん、マリックはそれを意識的に行っているのだが、それを積極的に行う意味が僕には見えてこなかった。

2011/08/15(月)「ハングオーバー―!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」

 脚本がとてもよくできている。ラスベガスにバチェラー・パーティーに行った4人の男たちが強烈な二日酔いで前夜の記憶をなくして目が覚める。ホテルの部屋はメチャメチャに散らかり、虎や鶏がいて、赤ん坊までいた。花婿になるはずだったダグは行方不明になっている。消えた友人を探すため、ホテルに預けたベンツで出かけようとすると、ホテルマンはパトカーを持ってくる。いったい昨夜、何が起こったのか、自分たちは何をしてしまったのか。3人は必死で昨夜の足取りをたどっていく。

 酒飲みなら一度ぐらいは体験があるであろう悪夢のようなシチュエーションで繰り広げられるスラップスティック。近年のアメリカのコメディで大笑いした記憶はあまりないが、これはおかしかった。だいたいアメリカのコメディ映画は日本ではヒットしないので、これも危うくDVDスルーになるところだったのだそうだ。

 2009年のゴールデングローブ賞でコメディ・ミュージカル部門の作品賞を受賞した。IMDBの評価は7.9。監督は「スタスキー&ハッチ」のトッド・フィリップス、脚本はジョン・ルーカスとスコット・ムーア。続編「ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える」もそこそこ評判良いようだ。