2011/06/07(火)「レポゼッション・メン」

 エリック・ガルシアの原作「レポメン」の映画化。近未来を舞台に人工臓器の費用の支払いを滞納している人間から臓器を回収するレポメンたちを描く。レポメンはテーザー銃で相手を気絶させ、腹を切り裂いて臓器を取り出す。生きている人間から臓器を取れば、当然死んでしまう。レポメンの仕事は殺し屋みたいなものだ。主人公のレミー(ジュード・ロウ)は優秀なレポメンだったが、ある日、回収の途中で重傷を負い、人工心臓を移植される。それ以来、レミーは回収の仕事ができなくなってしまう。やがてレミーにもレポメンたちが迫ってくる。

 未来都市の夜景が「ブレードランナー」の安手のコピーみたいなのはご愛敬。所々にブラックなユーモアがある。終盤の展開はまったく予想していなかったので、ほーと感心した。原作にあるのだろうが、こういうのは観客サービスとして非常に良いと思う。脚色には原作者も加わっている。監督はミゲル・サポチニク。出演はほかにフォレスト・ウィテカー、リーヴ・シュライバー、アリシー・ブラガ。2010年のアメリカ映画。

2011/06/07(火)「パリ20区、僕たちのクラス」

 パリの20区にある中学校のあるクラスを描き、カンヌ映画祭パルム・ドールを受賞した。アフリカ系やアジア系などさまざまな移民の子供がいるクラスは社会の縮図のようなもので、そこで起きるさまざまな問題も社会を反映している。解決する問題もあれば、解決しない問題もあるのが普通のドラマとは違うところ。

 フランソワ・ベゴドーの「教室へ」をローラン・カンテ監督が映画化。ベゴドー自身が主演している。驚くのはベゴドーをはじめ出てくる生徒たちも演技経験がいっさいないこと。それなのに、いやそれだからこそ、リアルな教室の雰囲気を再現できたのだろう。カンヌ映画祭の審査委員長だったショーン・ペンが「演技、脚本、挑発、寛大さすべてが魔法だ」と評したのはそこから来ているのかもしれない。

2011/06/07(火)「ソラニン」

 映画が動くのは主人公・井上芽衣子(宮崎あおい)の同棲相手である種田成男(高良健吾)が交通事故で死んでから。ここに至るまで1時間かかる。ここを30分以内に納めれば、それなりの映画になっただろう。

 いや、評判はそこそこいい映画なのだけれど、この内容に2時間以上かけるのはいただけない。「若者たち」のような映画を見た後ではこういう社会的な問題意識皆無の青春映画は物足りないことこの上ない。原作は浅野いにおの同名コミック。監督はこれが長編映画デビューの三木孝浩。

2011/05/29(日)「冷たい熱帯魚」

 埼玉の愛犬家連続殺人事件をモチーフにした園子温監督作品。愛犬家連続殺人? ああ、犯人が逮捕前からテレビでよく流されていたあの事件か、と思ったが、内容は全然覚えていない。1995年に発覚した事件で阪神大震災とオウム真理教事件のために目立った報道がされなかったかららしい。中身はとんでもない事件である。

 犯人は毒物で殺した後、遺体を切断し、骨と肉にさばいて骨は焼却、肉は数センチ四方に切り刻んだ上で川に捨てる。なぜ、肉と骨を切り離すかと言えば、肉は焼くと臭いが発生するからだそうだ。僕は刃物で刺されたり、切断されたりする場面を見るのは苦手なのだが、この映画の場合、切り刻むのは遺体だし、手慣れた作業として描かれるので不快感はあまりなかった。

 熱帯魚店を経営する村田(でんでん)は主人公の社本(吹越満)の前で最初の殺人を犯した後、「これまでに58人やってる」と豪語する。映画で描かれる殺人(3人)は実際の事件(立件されたのは4人の殺人)をほぼなぞった展開だ。映画は事件に巻き込まれる社本の視点で描かれる。この社本も実際の事件で共犯者となった男がモデル。園子温の関心は気弱な男だった主人公の変化にあるようだが、ここはやはり犯人像に迫って欲しいところだ。事件の経過は分かるが、なぜこういう人物ができあがったのかの部分が詳細ではないのでもどかしい思いが残る。映画は共犯者が書いた著書を元にしているようだ。こういう映画には追加取材が不可欠なのだが、やっていないのだろう。だからジャーナリスティックな視点が皆無の映画になってしまっている。

 でんでんは実際の犯人とよくにた風貌のためのキャスティングだろう。やや一本調子の演技なのが惜しい。その妻役黒沢あすかと主人公の妻役神楽坂恵が色っぽくて良い。こういう映画だと、エロスとタナトスを持ち出しての批評があるだろうが、当たり前すぎて面白くないな。

2011/05/29(日)「釈迦」

 気が進まなかったが、少し見てみたら、画面のきれいさに驚いた。これもブルーレイが出ているらしい。日本人がインド人を演じるというのは無茶で、無国籍映画と言いたくなる。もっとも、考えてみれば、アメリカの俳優がロシア人やエジプト人を演じることもあるわけで、西洋から見れば、同じアジアなのだから違和感はないかもしれない。

 1961年の三隅研次監督作品。セットやエキストラの数を見ると、予算はかかってるなあと感じさせる。日本初の70ミリ映画で、そういう資料的価値だけはあるだろう。山本富士子や叶順子、驚いたことに月岡夢路や中村玉緒まで、僕らの世代ではおばさんとの認識しかない女優陣はきれいだった。