2008/07/16(水)「仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか」
昨年11月ごろからスロートレーニングを始めて3カ月ほど続けた。体重が目標値まで落ちたので、その後はあまり熱心にやらなくなった。この本を読んで、またちょっと熱心にやろうかという気になった。著者はトレーナーとしてプロのアスリートや外資系エグゼクティブ、経営者などを指導した経歴を持つ。その体験から仕事のできる人は自分の体の管理もできていることを知ったという。
「アメリカのエグゼクティブの間では、肥満は問題外、たんに痩せているだけでなく、トレーニングによって体を鍛えるのがもはや常識になっている」のだそうだ。
体を鍛えるためには徐々に筋肉への負荷を強めていく必要がある。この当たり前のことを僕は実践してなくて、腕立て伏せやレッグレイズの回数を増やしていなかった。骨格筋率がなかなか上がらなかったのは負荷を強めなかったためだろう。体重は8キロ余り落ちて体は軽くなっているのだから、同じ回数やっていては始めた頃よりも負荷は弱まっていることになる。これでは筋肉が付くわけがない。
タイトルが魅力的なためもあって、この本、売れているらしい。ただし、タイトルとは裏腹に筋トレをする人が必ずしも仕事ができるとはかぎらないのが悩ましいところではある。それにこの本を読んでもトレーニングの仕方は分からない。体を鍛えなくては、という動機付けにはなるだろう。
筋トレの実践的な方法は石井直方さんの本(「体脂肪が落ちるトレーニング」とか)を読んだ方がいい。石井さんの本はトレーニングの実践法だけでなく、理論的にも優れていて、これまた大いに筋トレのモチベーションを高めてくれる。
2008/05/28(水)「本と映画と『70年』を語ろう」
連合赤軍関係の本が読みたくなって書店を探したが、なかった。代わりに目に付いたのがこの新書。「70年」に反応したのである。映画・文芸評論家の川本三郎と新右翼の一水会顧問・鈴木邦男の対談集で、奥付は5月30日第1刷発行とあるが、13日に出た本らしい。
鈴木邦男は以前から川本三郎と会いたかったという。2人ともかつて新聞社に勤め、逮捕されたことで解雇されたという共通の過去があるからだ。川本三郎は朝日ジャーナルの記者時代の1971年、赤衛軍事件の犯人と接触、シンパシーを感じて証拠隠滅に手を貸した。それで逮捕されたそうだ。これは全然知らなかった。この事件について書いた「マイ・バック・ページ」は映画化されるという。
鈴木邦男は産経新聞時代に政治的事件を起こし、やはり逮捕されて解雇された。これはありそうだなと思えるのは右翼のイメージがあるからだ。しかし、鈴木邦男は一般的な右翼とはほど遠いのがこの本を読むとよく分かる。テレビに出始めたころから「変わった右翼だな」と思っていたが、今は右翼から「あいつは左翼だ」と言われるらしい。「実録・連合赤軍」について鈴木邦男はこう語っている。
「若松孝二監督の『実録・連合赤軍』という映画が公開されています。非常にいい映画なんです」 「『光の雨』も良かったけど、若松さんの映画は学生運動の歴史を忠実にずっと追っかけているんです。三時間以上ありますが、すごい映画です」
面白かったのは右翼の美学に関する説明。右翼はテロを肯定するが、やったことに対しては責任を取る。行ったことに対して決して逃げないのが右翼の美学なのだそうだ。だから朝日新聞阪神支局襲撃事件は右翼から評価がないという。川本三郎よりも鈴木邦男の考え方が面白い本で、他の本も読んでみようかという気になる。映画「靖国 YASUKUNI」の推薦文を書いたり、街宣車で押しかけるより対話の必要性を説いたりと、もはや右も左も超えた人なのである。
この本は2007年10月から2008年3月までに行った語りおろしの対談をまとめたもの。本来なら雑誌連載がぴったりだと思うが、掲載できる雑誌が朝日新聞社にはなかったのだろうか。
2008/05/20(火)「捨てる!」ほど快適になるパソコンのカラクリ
知っていることばかりだろうなあと思いつつ買う。こういう新書はさらっと読めるので最近よく買うが、内容の方もさらっとしていることが多い。ぱらっと読んでいたら、パソコン高速化ソフトとしてWin高速化PC+が紹介してあった。名前だけは知っていたが、使ったことはない。検索したらベクターにあった。ただし、検索すると出てくるが、既に開発が終わっている。ちょっとしたゴタゴタがあったらしい。そのあたりはスラッシュドット・ジャパン | AttosoftのWin高速化 PC+が乗っ取られて開発休止に書いてあった。
ゴタゴタとソフトの機能は別に関係ないけれど、2年以上前のソフトを紹介するのはいかがなものか。本書はXP向けに書かれた本だからXPで動くこのソフトを紹介しているのだろうが、この本の読者層は恐らく初心者なので、Vistaで使ってしまう人もいるかもしれない。重複してもいいからソフトの説明のところに動作環境はしつこく書いておいてほしいところだ。だいたい、今年4月に出た本なのにXPだけを対象にしているというのもおかしいのだけれど。
こういう高速化ソフト、パソコンの機能が貧弱なころは驚速というのを使っていた。XP用は今もあるようだ(SOURCENEXT eSHOP:ソースネクスト 驚速 for Windows XP キャンペーン)が、これはプログラムの起動を速くするソフトなので、ちょっと意味合いが違う。レジストリの不要項目を削除したり、スタートアップからプログラムを外したりするようなレジストリを最適化するソフトはなかなかない。Win高速化PC+が未だにベクターの環境変更・表示ツールで人気のトップなのはそのためか。初心者でも手軽にレジストリを調整できるソフトだが、初心者が手を出すと危ないソフトでもある。
スレッド表示不可
au oneメールに携帯メールを自動転送する設定では転送したメールのスレッド表示ができないらしい。これまで自分で設定していた転送メールではできていたのに、できなくなったのはメールのサブジェクトの先頭にこの画像→ を入れているためか? 余計なお世話というか、機能後退というか。スレッド表示はメーリングリストのメールを見る場合に重宝していたんですけどね。
今日アクセスしてみたら、携帯からのメール閲覧はできるようになっていた。元がGmail(というか、機能省略版のGmail)だから検索も速いので、過去のメールを探す時には便利だ。
2008/03/08(土)小説「君のためなら千回でも」
同名映画の原作。2006年に出たカーレド・ホッセイニ「カイト・ランナー」を改題してハヤカワepi文庫から出ている。読み終わった印象としては上巻100点満点、下巻70点といったところ。下巻、タリバンが支配するアフガニスタンに入るくだりの展開が冒険小説的なのが惜しい。いや、冒険小説は好きなのだが、文芸作品として読んでいたので、通俗小説のような展開に違和感があった。それに話のつじつまが合いすぎるのも難に思えてくる。エピソードに符合するエピソードが余計に感じるのである。これは処女小説であるがゆえの瑕疵と言うべきか。ただし、普遍性のある話である。罪と贖罪、父と息子、家族の物語。主人公を取り巻く人物たちが圧倒的に素晴らしく、胸を揺さぶる。
まだ平和だったころのアフガニスタン。主人公のアミールは裕福な家庭に生まれる。母親は出産時に死亡。父親のババは男気のある実業家で周囲の尊敬を集めている。アミールは父親と正反対の物静かな性格で、父親の愛を得ようとして得られない「エデンの東」のジェームズ・ディーンのような親子関係にある。アミールの家にはハザラ人で召使いのアリとその子どもハッサンが土の小屋で暮らしている。ババとアリは幼いころから一緒に育った。アリは3歳のころに小児麻痺にかかり右足が不自由だが、2人の結びつきは強い。ハッサンは口唇裂で、身持ちの悪かった母親はハッサンを生んだ後、家を出てしまう。母親がいない同じ境遇の下、アミールとハッサンもまたババとアリのような絆に結ばれている。しかし、アミールの心の中にはハッサンを見下した部分があった。
こうした設定の下、物語は「わたしが今のわたしになった」1975年12月の出来事を描く。臆病なアミールはある事件でハッサンを見捨てて逃げてしまう。しかもすべてを知られたと思ったアミールはハッサンにつらく当たり、決定的に卑劣なことをしてアリとハッサンを家から追い出す。ソ連のアフガニスタン侵攻でアメリカに渡ったアミールのもとへ、20数年後、ババの仕事上のパートナーでアミールのよき理解者だったラヒムから電話がかかってくる。「来るんだ。もう一度やり直す道がある」。ラヒムもまたすべてを知っていたのだ。そしてアミールは封じ込めていた過去と向き合うことになる。
原題の「The Kite Runner」(凧追い)は凧揚げ競争で糸の切れた凧を手に入れようと追いかける子供のこと。言うまでもなく凧追いが抜群にうまかったハッサンを指している。不幸な境遇にあるアリとハッサンのまっすぐに生きる姿、曲がったことが嫌いなババの描写が胸を打つ。それに比べれば、主人公のアミールは全然立派ではないのだが、一般的な人はこういう存在だろう。それでもアミールは命がけでアフガニスタンに帰り、過去の罪を清算するためにある任務を果たすことになる。
上巻のアミールは単なる語り手にすぎないが、後半は本当の主人公になるわけだ。本の帯にある「全世界を感動で包み込み800万人が涙に濡れた」という言葉に全面的に賛成はしないけれども、読んで損はない小説だと思う。全体の構成に難は感じるが、少なくとも、僕も涙に濡れた描写があったのは間違いない。
2007/08/25(土)「総員玉砕せよ!」
NHKで放送した「鬼太郎が見た玉砕 水木しげるの戦争」の基になったコミック。1973年に書き下ろしで出版され、今は講談社文庫に入っている。これは水木しげるの軍隊に対する恨み辛み、激しい憎しみと怒りがあふれた本である。読み終わって、その恨みと怒りが伝染してくる。実際に戦場を体験した人だから説得力があるのだ。描かれるのはパプアニューギニアのニューブリテン島バイエンの小隊の日常と玉砕。理不尽な命令と卑劣な上官、バタバタと死んでいく初年兵たちの姿をこれでもかと描き出す。
玉砕から生き残った81人の命乞いをしようとする軍医の言葉が端的に軍への怒りを表している。
「虫けらでもなんでも生きとし生けるものが生きるのは宇宙の意志です。人為的にそれをさえぎるのは悪です」
「だってここは軍隊じゃあありませんか」
「軍隊? 軍隊というものがそもそも人間にとって最も病的な存在なのです。本来のあるべき人類の姿じゃないのです」
しかし、上官は軍医の言葉を聞こうとしない。
「参謀どの、とうてい勝目のない大部隊にどうして小部隊を突入させ、果ては玉砕させるのですか」
「時をかせぐためだ」
「なんですか、時って」
「後方を固め戦力を充実させるのだ」
「後方を固めるのに、なにもなにも玉砕する必要はないでしょう。玉砕させずにそれを考えるのが作戦というものじゃないですか。玉砕で前途有能な人材を失ってなにが戦力ですか」
「バカ者ーッ。貴様も軍人のはしくれなら言うべき言葉も知ってるだろ?」
そして部隊はもう一度、玉砕を命じられることになる。「軍隊で兵隊と靴下は消耗品」と水木しげるは後書きに書いている。勇敢な兵隊など一人も登場しない。死に場所を求める職業軍人と上官の姿はバカな教育と命令に洗脳された人間の末路を表しているにすぎない。こういう軍隊の現実を書ける人はもう少なくなった。戦後62年たって、戦場に行った人たちは70代後半から80歳以上。水木しげるも85歳だ。こういう戦争の現実を忘れた時から危ない状況に入っていくのだろう。
「僕は戦記物を書くとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う」と水木しげるは後書きを結んでいる。戦死者の死を悼むと同時に戦死者たちの無念の思いと、人命を軽視し、理不尽な命令を繰り返した国に対して怒りを持つのが当然なのだ。