2014/10/04(土)「ビューティフル・ダイ」
サイコな殺人鬼が刑務所を脱走して元恋人に会いに来ようとする。ああ、そういうサイコなサスペンスだなと油断していると、終盤に背負い投げが待っていた。しかし、そこに至るまでの描き方は決してうまいとは言えず、グラグラ揺れるカメラ(を効果的と思っているであろう勘違い)を含めて習作の域を出ない。
サイモン・バレットの脚本の志は悪くない。こういう仕掛けは観客サービスの一環だと思う。
サイコな殺人鬼が刑務所を脱走して元恋人に会いに来ようとする。ああ、そういうサイコなサスペンスだなと油断していると、終盤に背負い投げが待っていた。しかし、そこに至るまでの描き方は決してうまいとは言えず、グラグラ揺れるカメラ(を効果的と思っているであろう勘違い)を含めて習作の域を出ない。
サイモン・バレットの脚本の志は悪くない。こういう仕掛けは観客サービスの一環だと思う。
日経夕刊のレビューで文芸評論家の縄田一男さんが五つ星を付けて絶賛していた。「この書評コーナーの最高点は星5つだが、この一巻に限り、私は10でも20でも差しあげたい。……(中略)本書を読んでいる間、私の心は泣き濡(ぬ)れていた。いや、時に号泣していた。春日よ、死ぬ時は一緒だぞ――。」。著者のあとがきに縄田さんの批評が引用されているのを読んで、このレビューの真意が分かった。著者が2011年に出した「時代劇の作り方」の縄田さんの批評に対する返歌がこの本であり、それに対して縄田さんが再び、日経のレビューで答えたということになる。
映画・テレビで盛んだった時代劇はなぜ衰退したのか。著者はかつて視聴率30%以上を誇った「水戸黄門」終了の理由から説き起こして、さまざまな要因を挙げていく。製作費がかかる割に時代劇は視聴率が取れなくなった。その理由は内容のマンネリ化だ。テレビのレギュラー番組は徐々になくなり、次第に時代劇が分かる役者も監督も脚本家もプロデューサーもいなくなった。レギュラーがないから時代劇のスタッフは時代劇だけでは食べていけない。人材を育てる場もなくなる。こうした負のスパイラルが進み、今や時代劇は風前の灯火なのだそうだ。
今年2014年は映画「るろうに剣心」2部作や「柘榴坂の仇討」「蜩ノ記」という良質な時代劇が公開されたのでそんなに衰退している感じは受けないのだけれど、時代劇を巡る状況は相当に深刻らしい。時代劇の分からないプロデューサーが作ったNHK大河ドラマ「江」や時代劇の演技を拒否した岸谷五朗主演の仕事人シリーズを著者は強く批判する。時代劇を愛する著者の危機感は大きいのだ。
ただ、時代劇衰退の理由と現状はよく分かるが、ではどうすればいいのか、という提言がこの本にはない。テレビでレギュラー枠を復活させるのがいいのだろうが、視聴率が取れない以上、いきなりは難しいだろう。単発で質の高い面白い時代劇を作り、視聴率の実績を挙げ、レギュラー化を勝ち取っていくしかないと思う。これは相当に困難な道だ。
最後の一撃にやられた。これは予想していなかった。
心臓をえぐり取られた被害者という設定はサイコスリラーの様相だが、実際には警察小説。スウェーデンの殺人捜査特別班の面々の捜査を描いていく。主人公のセバスチャン・ベリマンは自信過剰でセックス依存症の迷惑男。ユーモラスな半面、スマトラ島沖地震による津波で妻子をなくした過去にとらわれている。他のメンバーも個性豊かに描き分けられ、入り組んだ人間関係も読みどころだ。
最後の一撃が効果的なのは終盤に立ち上がってくる家族のテーマと密接に絡んでいるから。これはうまい。訳者あとがきによれば、シリーズは現在、第4作まで続いているとのこと。続きが読みたくなる。
「京都大火編」と合わせた前後編についてはアクション時代劇に革新をもたらすものとして高く評価する。個別に見れば、「伝説の最期編」は「京都大火編」より少し落ちる仕上がりと言わざるを得ない。なぜか。大きな要因はクライマックスのアクション構成の違いにある。
「京都大火編」のクライマックスでは京都のあちこちでさまざまなアクションが繰り広げられたのに対して、今回は軍艦の中だけに限られる。谷垣健治が演出したスピード感あふれるアクション自体の出来は良いのだが、それが映画のダイナミズムに結びついていかないのだ。例えば、「七人の侍」を思い起こせば、よく分かる。クライマックスを支えるアクションに空間的な広がりを加えると、ダイナミックな映画になり得る。それがなかったのは構成上の惜しい計算ミスと言うべきか。
もう一つ、アクションにエモーションが裏付けされていないのも弱い。激しいアクションに説得力を持たせるには主人公の激しい感情が必要だ。「京都大火編」にあったさまざまな登場人物のエモーションのほとばしりがないのは、前作で描いたことを繰り返さず、決着を付ける話に絞ったためだろうが、残念でならない。観客は前作のエモーションを携えて劇場に来るわけではない。主人公の怒りの爆発のアクションとして観客に共感を持ってもらうには、もう一度エモーションを高めるシーンを入れておいた方が良かった。
そういう残念な点があるにしても、「るろうに剣心」の3作が邦画アクションの新たな地平を切り開いたのは間違いない。これが単発の作品とならないことをアクション映画ファンの多くのは望んでいると思う。単発では意味が薄れる。これに続けて谷垣健治のアクション演出の切れ味を生かす映画を誰かまた撮ってほしい。
タイトルが出ないな、と思ったら、窓に書かれた血文字の「You're Next」がタイトルだった。両親の結婚記念日を祝うために別荘に集まった家族とその恋人など10人が正体不明の殺人者に1人ずつ惨殺れていく。というよくあるスラッシャーものに、ひねりを加えたのが脚本の工夫。しかし、邦題に「サプライズ」と付けるほどの驚きはない。あとふたひねりぐらい欲しい。
サバイバル・キャンプで訓練を受けたという設定の強いヒロイン(シャーニ・ヴィンソン)がいいが、一番のスラッシャーは犯人たちではなく、計7人を殺したこのヒロインだったりする。
監督のアダム・ウィンガードと脚本のサイモン・バレットのコンビによる新作で評価の高い「ザ・ゲスト」は11月公開。それへの助走作品として見ておいて損はない。