2000/09/27(水)「マルコヴィッチの穴」

 ビルの7と1/2階に15分間だけ俳優ジョン・マルコヴィッチになれる穴がある、という設定がもう奇想そのもの。監督のスパイク・ジョーンズの手腕というよりも脚本を書いたチャーリー・カウフマンの発想を褒めるべきだろう。主人公のクレイグ(ジョン・キューザック)は売れない人形使いで、生活のために就職する。オフィスは7階と8階の間の天井の低いフロアにある。天井が低い代わりに家賃も低く、入っているテナントは零細企業ばかり。勤務者はみんな背をかがめて歩かざるを得ないというこの設定からおかしい。

 クレイグはふとしたことからロッカーの裏に小さなドアがあるのを見つける。中に入ると、そこはジョン・マルコヴィッチの頭の中だった。そこではマルコヴィッチの目で外を見て、感じることができる。クレイグは思いを寄せるマキシン(キャスリーン・キーナー)とともにこれで商売を始める。1回200ドルでマルコヴィッチを体験させるわけである。妻のロッテ(キャメロン・ディアス)もこれを一度体験し、病みつきになる。ロッテは実は性倒錯者(と本人は言うが、性転換を望んでいるから性同一性障害だろう)で、マルコヴィッチの穴の中にいる時、マキシンと愛し合ったことから複雑な三角(四角?)関係が始まる。

 SFオンラインはウディ・アレンと絡めて評していた。確かにアレンの短編小説のおかしな味わいに通じるものがある。小説ではこうした奇想、珍しくはないが、映画ではなかなかない。それこそアレンの「SEXのすべて」(「ウディ・アレンの誰もが知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう」)とかオムニバス映画「ニューヨーク・ストーリー」の第3話とかを思い起こさせる。

 アイデンティティーの話なども出てくるが、基本的にこれは奇想を楽しむユーモア映画。なぜマルコヴィッチになれるかもきちんと説明している点に好感が持てる。そしてその説明からもストーリーが発展するのである。不条理な設定だが、不条理な映画ではなく、SFに近い。クスクス、ゲラゲラ笑って見た。