2000/12/20(水)「シックス・デイ」
SF的なアイデアはクローンのみで、そこから少しも発展しない。つまりこういう映画はSF的設定映画であって、SFそのものではないのね。監督がロジャー・スポティスウッドなので、それなりに凝った映像(ワイプがいいです)で見せてくれるが、ストーリーの先が読めるため途中で飽きた。昨年の「エンド・オブ・デイズ」よりはまし、といったレベル。
ハリウッドの娯楽映画には一種の方式があり、それを踏襲している。すなわち、簡単なプロットをアクションでつなぐという方式。シュワルツェネッガーを僕は嫌いではないけれど、いい加減、別のパターンの映画に出た方がいいのではないか。
「ゴジラ×メガギラス」と比べてうらやましいのは、SF的な小道具がしっかりしていること。ホログラフィーの女性やかっこいいヘリ(これホントにあるのかな)、クローン人間の製造工場(?)とか、良くできている。基本的に日本映画とは金のかけ方が違うんですね。
2000/12/19(火)「オーロラの彼方へ」
この映画にはタイムトラベルは登場しないが、過去を操作したことによる現在への影響が描かれ、時間テーマSFの一種と言える。ニューヨークにオーロラが現れた日、主人公は30年前の父親と無線通信を果たす。父は翌日、消火活動の途中で死ぬところだったが、息子の忠告によって死を免れる。ところが父を救った代わりに母親が連続殺人犯の犠牲になってしまう。それ助けるため、現代の息子と30年前の父親が無線通信で協力し、犯人を捕まえようとする。後半はこの犯人探しのサスペンスになってしまうのが、SFファンとしてはちょっと残念。
前半の息子と父親の交流が泣かせる。大林宣彦「異人たちとの夏」を思わせる描写なのである。ここをもっとふくらませていたら、文句なしに傑作の太鼓判を押すところだ。
過去を変えると、当然のことながら主人公の現在の環境も変わる。本当であれば、記憶もすっかり変わってしまうはずだが、両方の記憶を保持したままというのがポイント。これをご都合主義と言ってしまってはこの映画は成立しない。監督は「真実の行方」「悪魔を憐れむ歌」のグレゴリー・ホブリット。
過去への通信を扱ったSFとしてはグレゴリー・ベンフォード「タイムスケープ」が有名。これは超高速微粒子タキオンを使って未来から現在へ通信を行い、未来の危機を回避する話だった。「オーロラの彼方へ」は通信の設定をオーロラの影響とだけ説明している。このアイデアだけでストーリーにSF的な発展はない。あまりマニアックにすると、一般受けはしないかもしれない。
2000/12/13(水)「ホワット・ライズ・ビニース」
ミシェル・ファイファーがこれを最後に長期休暇に入ると聞かされたら、ファンとしては一番に見に行かなくてはならない。それにネタをバラされるおそれもありますからね。予告編では心霊ホラーのような感じだったが、それだけでなく、前半の「裏窓」的描写がなかなか怖い。あまり夫婦仲の良くない隣の家の夫が妻を殺したのではないかという疑問を持つファイファーのサスペンスが見どころ。ロバート・ゼメキス監督はヒッチコックを目指したそうで、じりじりとサスペンスを盛り上げていく。
しかし、その一方で単なるショッカー的描写が入り、これはドキっとさせられるのだけれど、暗闇で後ろから「ワッ」と言うようなあまり上等ではない演出。後半もこういう描写が多く、心臓の弱い僕には向かなかった。延々と続くクライマックスはもっと潔く終わった方が良かったような気がする。ヒッチコックだけでなく、「悪魔のような女」的シチュエーションもある。ゼメキスはこういうスリラーが好きなのだろう。純粋にサスペンスに徹してくれたら良かったのにね。
ファイファーは頬骨が目立つようになって魅力が薄れたが、しっかり休暇を取って復帰してほしい。キャット・ウーマンのような役がまたできるといいと思う。
2000/12/10(日)「ダイナソー」
CGの技術には感心するが、物語は明らかに子供向け。主人公はキツネザルに育てられたイグアノドンのアラダー。「ターザン」のような設定だ。ある日、大きな隕石が落下し、大地は荒れ果てる。このため恐竜たちは新天地を求めて移動を始める。道のりは長く険しい。しかも後から肉食のカルノタウルスやヴェロキラプトルが追いかけてくる。過酷なサバイバルの様子が描かれるわけだ。
言葉をしゃべる恐竜にはなんだかがっかりする。上映時間も1時間22分と子どもがあきない程度の時間に設定してある。この技術があるのにこんなストーリーではもったいない。これなら普通のアニメでも十分だもの。「トイ・ストーリー」シリーズを見習って欲しいところだ。長男(5歳)は怖いらしく所々で目を伏せていた。長女(7歳)は平気だった様子。個人的には昨年の「ターザン」の方がはるかに面白かった。
2000/12/07(木)「遠い空の向こうに」
NASAの技術者が書いた原作「ロケットボーイズ」をSF映画のみ発表し続けているジョー・ジョンストンが監督した。実にウエルメイドな作りで、ラストのどこまでもどこまでも空高く上っていくロケットを見て、胸が強く揺さぶられた。原作よりも話は単純化してあるようだが、父と子の相克、決して夢を捨てない主人公の生き方、古い時代(炭坑)と新しい時代(ロケット)を対比させた構成が素晴らしい青春映画と言える。主人公が選んだのはロケットだったが、子どもが父親とは別の道を選び、自分の夢を実現していく話として普遍性がある。
主人公を理解し、支援する女性教師役で久しぶりのローラ・ダーン、主人公の父親は「アメリカン・ビューティー」の隣人クリス・クーパーが演じている。
ジョンストンは「スター・ウォーズ」「ハワード・ザ・ダック」などのスタッフを経て「ミクロキッズ」で監督デビュー。その後「ロケッティア」「ジュマンジ」ときて、「遠い空の向こうに」は劇場映画では監督4作目に当たる(来年、「ジュラシック・パーク3」の公開が控えている)。だから主人公が映画の中で「縮みゆく人間」(「ミクロキッズ」の元ネタ)を見るのも当然なのだった。紛れもないSF人間なのですね。