2002/02/19(火)「ジェヴォーダンの獣」

 18世紀のフランス・ジェヴォーダン地方に残る野獣の伝説を基にした自由な映画化。印象に残るのはアメリカ先住民のマニを演じるマーク・ダカスコスの素晴らしいアクションと相変わらず美しく、イザベル・アジャーニに似ているモニカ・ベルッチ。この2つに関しては大いに満足。映画自体もさまざまな要素を詰め込んで、クリストフ・ガンズの演出、サービスたっぷりである。

 1765年のフランス。国王がジェヴォーダン地方で殺戮を繰り返す野獣の正体を突き止めるため、自然科学者のフロンサック(サミュエル・ル・ビアン)を派遣する。フロンサックには武力の達人で兄弟の誓いを立てているマニが同行。地元の若い貴族マルキ・トマ・ダプシェ(ジェレミー・レニエ)は2人に協力し、野獣を捕まえようとする。フロンサックは野獣の存在など信じていない合理的な考え方の持ち主。という設定はティム・バートン「スリーピー・ホロウ」を思わせる。この映画の場合、その合理的な考え方通りに野獣

の正体が明かされる。この正体と物語を回想するマルキのその後の運命が見事な対比となっているのがうまいところ。フロンサックが終盤、急に強くなるのが唐突であるなど、細かい傷は目に付くし、クリストフ・ガンズの演出はややシャープさには欠けるが、美しい自然と神秘的な雰囲気を漂わせた演出は及第点。野獣の見せ方もうまい。

 しかし最大の収穫はマーク・ダカスコスで、最初の登場場面、一人で悪人たちをバタバタとやっつけるアクションは感心するほど鮮やか。カンフーアクションに似ているなと思ったら、香港のスタッフが参加していた。自然と交信し、不思議な力を持つダカスコスの存在は際だっており、ほとんど主役を食っている。

 モニカ・ベルッチは娼婦で実は、という役柄。もう少し見せ場を作った方が良かった。実生活での夫であるヴァンサン・カッセルも共演している。

2002/02/12(火)「オーシャンズ11」

 「オーシャンと11人の仲間」(1960年、ルイス・マイルストン監督)のリメイク。ラスベガスの豪華ホテルの金庫に眠る1億5000万ドルを刑務所から出所したばかりのダニエル・オーシャン(ジョージ・クルーニー)と11人の仲間が盗もうとする。スティーブン・ソダーバーグの前作「トラフィック」とは全く異なる軽い仕上がり。

 ホテル王ベネディクト(アンディ・ガルシア)を騙すコンゲーム的要素があるので観客にも罠を仕掛けてくる。ただ、これも軽い仕掛け。盗みの作戦自体は「スパイ大作戦」を思わせる。ソダーバーグはソフィスティケートな映画を目指したという。盗みだけではドラマティックにならないので、オーシャンと別れた妻(ジュリア・ロバーツ)との関係を味付けにしているのがポイント。これがよく効いている。メンバーを紹介する序盤は単調だけれど、盗みの作戦が始まる中盤から面白く、長い描写を持たせる工夫を懲らしている。過不足なく楽しめる水準作というところか。

 マット・デイモンやブラッド・ピットは相変わらずうまい。オーシャンたちに協力する元ホテル経営者役でエリオット・グールドが出演。老けましたねえ。一目ではだれか分からなかった。

2002/02/12(火)「蝶の舌」

 「地獄はあの世にあるんじゃない。人の憎しみと残酷さが作るものだ」。小学校のドン・グレゴリオ先生(フェルナンド・フェルナン・ゴメス)が8歳の少年モンチョ(マヌエル・ロサノ)に話す。ラストを予告するようなセリフである。

 映画は1936年、スペイン内戦が始まろうとする時代を背景に、モンチョの目から見た村の様子が描かれていく。現政権の共和派と国王派(軍部)の間で既に不穏な空気は流れているが、田舎の村の風情はのどかだ。モンチョは喘息持ちのため学校に入学するのが遅れ、学校の先生から叩かれるのを怖がっていた。そんな心配をよそにグレゴリオ先生はモンチョを優しく包み込む。自由と自然を愛するグレゴリオ先生がじっくりと描かれると同時に、中国娘に憧れ、バンドの旅先で口のきけない娘にほのかな恋心を抱くモンチョの兄や村人たちの日常が描かれていく。

 平和な日常の描写が十分なので、それが一変するラストは強烈な印象となる。モンチョの父(ゴンサロ・ウリアルテ)が同志であるグレゴリオに向かって顔をくしゃくしゃにしながら「アカ、裏切り者、アテオ(不信心者)」と罵声を浴びせる描写には胸を打たれる。叫ばなければ、自分が殺されるのである。

 ファシズムと民主主義(共産主義)の戦い。国民を引き裂く戦いやイデオロギーに支配される時代は不幸だ。監督はホセ・ルイス・クエルダ、音楽は「オープン・ユア・アイズ」のアレハンドロ・アメナバル。マヌエル・リバスの原作は97年のスペイン文学賞最優秀賞受賞という。キネ旬7位。