2011/05/14(土)「ラブファイト」

 「八日目の蝉」の成島出監督作品のうち、見ていないのはデビュー作「油断大敵」と、この映画だった。BSジャパンの不完全放送とはいえ、面白く見た。2008年の作品だが、公開された劇場は全国で30館足らずだったらしい。当然、宮崎でも公開されていない。

 原作はまきの・えり の「聖母少女」。いじめられっ子だった稔(林遣都)は幼いころから男勝りでけんかが強い亜紀(北乃きい)に守られてきた。高校生になった稔はふとしたことで知り合った大木(大沢たかお)のボクシングジムに通うことになる。亜紀も稔のジム通いを知り、ボクシングを始める。

 ボクシングが出てきてもスポ根映画ではない。男と女の立場が逆転していた男女がお互いに惹かれ合っていることに気づく物語。「愛のむきだし」の満島ひかりのようにパンチラも気にせず、得意の回し蹴りを披露する北乃きいがはつらつとしていて良い。ボクシングのフォームにも無理がなく、トレーニングの縄跳びもうまい。北乃きい、運動神経が意外にあるなと思った。林遣都は「バッテリー」「ダイブ!!」「風が強く吹いている」とスポーツ選手の役が多いが、この映画でも違和感がなかった。体を鍛えているのだろう。

 ネットの感想を読むと、大木とかつての恋人だった女優の順子(桜井幸子)が絡む部分の評判があまり良くないようだ。僕はここも良いと思った。将来有望だった時にスキャンダルに巻き込まれ、夢を断たれた男女の今を描き、主演の2人と対比した成島出の演出には無理がない。青春映画の佳作。DVDで完全版を見直したい。

2011/05/11(水)「大怪獣ガメラ」

 1965年のガメラ第1作。WOWOWでは今、大映特撮スペクタクル映画の特集をやっている。ラインナップはこの映画のほか、「秦・始皇帝」「釈迦」「大魔神」の4本。ふむ、そんなものか。旧ガメラシリーズは何本か見ているが、これは初めてだった。平成ガメラ3部作とは比べるべくもないけれど、ガメラの鳴き声だけは平成ガメラも踏襲している。

 ガメラはエネルギーを吸収するので、普通の兵器は役に立たない。そこで取られた方法は冷凍爆弾で10分間、ガメラを動けなくし、その間に爆弾をしかけて崖からガメラを落とし、裏返しにする方法。亀は自力で起き上がることはできないので、気長に待っていれば、やがてガメラは飢え死にする、というほとんど冗談みたいな方法である。ところが、ガメラは手足を引っ込め、炎を噴き出して空中に浮かぶ。それを見ていた科学者が驚いて言う。「亀が空を飛ぶとはのう…」。もちろん、”亀も空を飛ぶ”のである。

 クライマックスに出てくるZ計画というガメラの撃退法にはちょっと感心。ウルトラマンのエピソードに似たものがあったが、こちらの方が先だ。SFに詳しい人よりもそうじゃない人の方が思いつきそうなアイデアである。

2011/05/11(水)「踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!」

 好きなシリーズだが、あまりの評判の悪さに昨年見逃した。冒頭、湾岸署の新庁舎への引っ越しの場面がいきなり間延びした展開でがっかり。黒澤明「野良犬」を引用したような拳銃を盗まれる事件(ただし、引っ越しのどさくさ紛れ)から湾岸署占拠、青島(織田裕二)が過去に逮捕した犯人たちの釈放要求(これがヤツら、というわけ)と続く。

 話のスケール感に乏しいのが難で、占拠されるのは湾岸署ではない方が緊迫感が増しただろう。警察内部の事件と思えてしまうのである。事件の首謀者である小泉今日子と織田裕二の対決にもっと深い理由付けも欲しい。

 良かったのは映画版では初登場の内田有紀。もっと映画に出てはどうか。

2011/05/08(日)「浮雲」

 デジタル・リマスター版。確かにフィルムに雨が降ることもなくきれいだった。成瀬巳喜男の代表作で1955年のキネ旬ベストテン1位。昨年12月に亡くなった高峰秀子の代表作でもある。見るのは30年ぶりぐらいか。戦争中に仏印(ベトナム)で知り合った妻のある男と女が戦後、日本でもずるずると関係を続ける。ほかにも女(岡田茉莉子=22歳のころで、かなりきれい)を作り、煮え切らない男の森雅之と腐れ縁とも言える関係を続ける女の話、とまとめてしまえるだろう。これ、20代にはまず分からない。だから30年前の僕にも分からなかった。

 情けない男を演じる森雅之よりも高峰秀子のきれいさと演技に驚くほかない。これは高峰秀子だから傑作になった映画だ。テレビで見る高峰秀子は男っぽい、さっぱりした性格の人だったと思う。それが良い面でこの映画に生きている。必要以上に暗くならないのである。

 浮雲のように流れていく男女は最後は雨が降り続く屋久島へ行くことになる。高峰秀子は肺を病み、床に伏せっているが、それでも男についていく。山に仕事に行く男に「私は山に行けないの?」と聞く姿が切ない。医者もいず、電気もない国境の島・屋久島は当時の感覚で言えば、地の果てだろう。映画で分からないのはなぜ、女が地の果てまで付いていくほど男にこだわるのか、ということである。

 一つは若い頃、幸せだった仏印での恋に幻想を持っているから、ということがあるだろう。戦後の暗い日本とは違う、光り輝く青春時代を断ち切れないでいるわけだ。

 Wikipediaには、「成瀬はその別れられない理由については『身体の相性が良かったから』といった類の発言をしている」とある。身もふたもない発言だが、そういう部分は昭和30年の映画では描けない。温泉に混浴する場面を描くぐらいだ(どうでもいいが、後年の国鉄のCMであった高峰三枝子と上原謙の温泉シーンはこの映画がヒントだったのではないか。担当者が、同じ高峰だから、と連想したのかも)。それにこれは男の感覚ではないかと思う。原作の林芙美子はどう書いているのだろう。

 ここまで書いたところで、NHKの「邦画を彩った女優たち『高峰秀子と昭和の涙』」を見た。「二十四の瞳」と「浮雲」を中心に高峰秀子の女優としての道のりを描く。高峰秀子は20歳以上年上のプロデューサーと関係を続けた体験があったのだそうだ。なるほど。Wikipediaに「結婚を想定して交際していた会社の重役が後援会費を使い込み、しかも他の女性と交際していた事が発覚したことから疲れ果てて1950年11月新東宝を退社」とある。ついでに「『馬』で助監督を務めた黒澤明と撮影中に恋に落ちたが、母親の反対で強引に別れさせられた」こともあるそうだ。

 最後の映画はテレビに仕事の場を移していた木下恵介が久しぶりに撮った「衝動殺人 息子よ」(1979年)。僕はこの映画、大学時代に見たが、高峰秀子の印象は薄かった。良かったのは主演の若山富三郎とゲスト出演的な藤田まことだった。

 キネ旬4月下旬号には高峰秀子の追悼特集が掲載されていた。かなりボリュームのある特集で、50年間にわたる300本以上のフィルモグラフィーやインタビューも収録されている。インタビューの中で高峰秀子は「『浮雲』が良かったのは、森さんが上手だったからですよ。森さんがきちっとしてたから名作になったと思いますね」と語っている。

2011/05/05(木)「地獄門」

 これもBSプレミアムで放送。デジタル・リマスター版。菊池寛の原作「袈裟と盛遠」を衣笠貞之助監督で映画化。長谷川一夫が人妻(京マチ子)に横恋慕する迷惑な男を演じる。カンヌ映画祭グランプリとアカデミー衣装デザイン賞、名誉賞(今の外国語映画賞)を受賞したのは有名。主にカラーの美しさの評価なのだろう。昭和28年当時は驚異的な技術であっても、今見ると、なんてことはない。というより、カラーが人工的に感じる。今の映画のナチュラルさに比べて、作った色合いに見えるのだ。

 映像の技術よりも物語とそれを語る技術の方が普遍的なのではないかと思う。今のCG多用映画も50年後には陳腐なものになっているかもしれない。いや、今でも陳腐な映画は多いんですけどね。BSプレミアムではデジタル・リマスターの放送が相次いでいる。映画がきれいになることは歓迎すべきことではある。