メッセージ

2011年10月02日の記事

2011/10/02(日)「アンダー・ザ・ドーム」

 スティーブン・キングの上下二巻、二段組みの大作。7月に買って寝る前にだらだら読み、ようやく読み終えた。ドームと呼ばれる謎の物体に閉じ込められたチェスターズミルという小さな町のドラマを描く。

 ドームの中の空気が一気に悪くなる終盤の状況を読むと、これは地球全体の比喩なのかと思えてくる。空気が悪くなった原因は町を牛耳る悪の勢力との戦いの結果、起こった大爆発だ。チェスターズミルのドームはなくなれば、きれいな空気が取り戻せるが、地球の場合はそうはいかない。

 キングは閉じ込められたことを利用した悪の勢力の台頭と、それに抵抗する人々のドラマを微に入り細にわたって描き出す。長さも内容も感染症によってほとんどの人間が死滅した世界を舞台にした「ザ・スタンド」と共通するシチュエーションだが、今回の超常現象はドームの存在だけであり、SF的な展開は少ない。悪の勢力も小粒な印象だ。大量の登場人物を多彩に描き分け、起こってくるさまざまなドラマを楽しむべき作品だろう。

2011/10/02(日)「僕たちは世界を変えることができない。」

 実際にカンボジアに学校を作った人に話を聞いたことがある。その学校は無料ではなく、有料。少額といえども、なぜ有料なのかと尋ねたら、「すべて無料で手に入ると、人はダメになるから」という答えだった。なるほど。働かなくても援助で生きていけるなら、人は働かなくなる。無料の学校だったら、行かなくなる子供も多いのかもしれない。金を払っているからこそ、無駄にしてはいけないという思いが起きるのだろう。

 映画は郵便局にあったポスターとリーフレットを見て、カンボジアに学校を作ろうと立ち上がった大学生の実話に基づく。満たされない日常を送り、何か打ち込みたいものを探していた大学生にとって、カンボジアはそれを打破してくれる存在だった。最初は軽い気持ちだったが、実際にカンボジアを訪れて大学生たちは衝撃を受ける。

 中盤のこのシーンが映画の白眉だ。ポル・ポト政権時代の虐殺の様子をドキュメントタッチで見せるこのシーンでは物語がフィクションからノンフィクションへと逸脱していく。子供の頭を打ち付けて殺した木、雨が降ると土が流れて姿を現す骨や衣服、収容者がはめられていた足かせ、大量の頭蓋骨、今も犠牲者を出している大量の地雷。観光ガイドのコー・ブティさんの両親は収容所で強制労働をさせられた。涙を流しながら、当時の父親の様子を日本語でたどたどしく語るブティさんには胸を締め付けられる思いがする。主人公の田中甲太(向井理)はそんなブティさんを抱きしめる。ブティさんは「ムカイ…」とつぶやく。このシーンには演技を超えた役者の真の感情が焼き付けられている。

 映画にはタイトルのほかに英語のサブタイトルがある。というよりも、ここまでがタイトルだ。But, We wanna build a school in Cambodia.世界を変えることはできないけれど、カンボジアに学校を建てたい。学校を一つ作ったところで、世界が変わるわけはない。その議論は映画の中にもこれまたドキュメントタッチで出てくる。しかし、その気持ちがなければ、世界は変えようがないのも事実だ。

 「バトル・ロワイアルII 鎮魂歌」で最低のデビューを果たし、「XX(エクスクロス) 魔境伝説」で実力を発揮した深作健太監督はこの作品で大きくジャンプアップした。深作健太はキネ旬9月下旬号のインタビューをこう締めくくっている。

 「つらい現実に直面した時に、ありたい自分とそうでない自分とのギャップに悩んだり、無力感に苛まれて自信を持てなくなってしまっている若い人たちがこの映画を観てくれて、ちょっとだけでもいいから、前を向いてくれたら、それは素晴らしいことだと思います」。

 深作欣二の「バトル・ロワイアル」が若者への応援歌であったのと同じ意味合いをこの映画も持っているのだ。