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2011年10月09日の記事

2011/10/09(日)「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」

 クライマックス、騎馬警官隊がゴールデンゲート・ブリッジの猿の群れを襲うシーンは「猿の惑星」第1作の序盤、馬に乗った猿による人間狩りのシーンの恐怖を容易に思い起こさせる。これ以外にも行方不明になった宇宙船を報じる新聞が出てきたり、最初に猿がしゃべる言葉が「No!(いやだ!)」であったり、コーネリアという名前の猿が出てきたり等々、旧作につながるシーンが至るところにあり、旧作を見てきた映画ファンはニヤリとするだろう。しかし、まったく見ていなくても問題はない。監督のルパート・ワイアットは一部のファンに対して映画を作るような狭い了見で映画を作ってはいない。というよりも、映画興行的にもこれは当然だろう。ワイアットはアルツハイマー治療薬を投与されたメス猿がジェネシス社で暴れる序盤を迫力たっぷりに描き、観客の度肝を抜く。そこから一気呵成にラストまで突っ走る。映像に力があふれており、これはシリーズ第1作に匹敵する出来栄えと言って良い。

 旧シリーズは第5作まで作られた。第2作「続・猿の惑星」のラストで地球は核兵器によって壊滅し、シリーズも終わりかと思われたが、ここから旧シリーズのスタッフは驚天動地の続きを考える。ドル箱シリーズを続けるためには不可能を可能にするアイデアだって思いつくのだ。すなわち3作目の「新・猿の惑星」は第2作のラスト、宇宙船で逃げたコーネリアスとジーラが地球の大爆発の影響で過去にタイムスリップするという設定。未来が猿によって支配されることを知った人間たちによってコーネリアスとジーラは殺されてしまうが、その子供マイロ(後のシーザー)は生き残る。ラスト、サーカスの檻の中で「ママ…」とつぶやく幼いマイロは第4作「猿の惑星 征服」で反乱を起こす猿たちのリーダー、シーザーとなるわけだ。ついでに書いておけば、第5作「最後の猿の惑星」(併映は配給会社が意図したのかどうか知らないが、チャールトン・ヘストン主演のSF「ソイレント・グリーン」だったと思う)とティム・バートンによる2001年のリメイク(本人はリ・イマジネーション=再創造と言っていた)「Planet of The Apes 猿の惑星」はなくても全然かまわない出来だった。

 というわけで今回の新作は第3作と第4作をなかったことにした語り直しという位置づけとなる。旧作では猿の進化の理由が説明されなかったが、今回はウィルス進化論を適用している。主人公のウィル(ジェームズ・フランコ)が開発したアルツハイマー治療薬は遺伝子操作を行うウィルスなのである。このあたりはキネ旬10月下旬号の「『ウィルス進化論』を裏付ける映画のリアリティ」が詳しく、これを書いた医学博士の中原英臣は「この40年間の科学の進歩が、SF映画でしかなかった『猿の惑星』の起源という大きな謎を解明しつつある」とまで書いている。

 そういうSF的設定に隙がないところも良いのだけれど、ここはやはり1時間46分という賢明な上映時間に猿たちの蜂起に至る過程を圧倒的な迫力で、しかも情感をこめてまとめ上げたルパート・ワイアットの手腕を評価すべきだろう。加えてWETAデジタルが担当した猿のCG(パフォーマンス・キャプチャー)は本物の猿と見分けがつかない見事な出来だ。シーザーを演じたアンディ・サーキスは「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのゴラムとピーター・ジャクソン版「キング・コング」を演じた俳優なのだそうだ。

 作品への評価が高い上に、ヒットもしているので間違いなく続編が作られるだろう。尻すぼみになった旧シリーズの轍を踏まず、充実したシリーズになることを祈りたい。