2013/06/09(日)「はじまりのみち」
疎開のために病気の母親(田中裕子)を乗せたリヤカーを17時間も引いて山道を歩き、旅館に着いた木下恵介こと正吉(加瀬亮)は旅館に入る前に手ぬぐいをしめらせ、母親の顔を拭き、髪に櫛を通す。雨に降られた道中、母親の顔には泥が跳ねていたのだ。身だしなみを整えさせる正吉の仕草とキリッとした母親の姿を見て強烈に心を動かされた。親子の情愛とか思いやりとか、そういうことを頭で理解する前にそうした行為自体に心を動かされるのだ。これが実写映画初めてとは思えない原恵一監督の描写の力をまざまざと見せつけるシーンだ。
結論から言ってしまえば、再び監督になることを決意して浜松に帰る正吉が暗いトンネルの中に入っていくシーンまでは今年のベストテン上位間違いなしの傑作、と確信していた。しかし、その後に木下恵介の戦後のフィルムが流れる場面で感動がすっかり冷めてしまった。映画の中で描かれたさまざまなエピソードが木下恵介の映画にどれほど生かされているのかはよく分かるし、ああなるほどと納得するのだけれど、これ、全部なくてもかまわないと思う。納得と感動とは違うのだ。
もちろん、「木下恵介生誕100周年」というパッケージのもとに作られた映画なので、こうしたシーンがあるのは仕方がないのだが、僕には余りにも余計と思えるシーンだった。この映画を見て、木下恵介に興味を持った観客が自分でDVDなりブルーレイなりで過去の作品を見ればいいだけのことで、このシーンはお節介にしか思えないのである。
映画の中で教師に扮した宮崎あおいに子どもたちが駆け寄るところを遠くから見る正吉のシーンは言うまでもなく、「二十四の瞳」だ。僕は「破れ太鼓」を見ていないのでカレーライスから連想することはできなかったし、「楢山節考」を見ていても母親を背負うシーンで連想することもできなかった。そんな観客はたぶん多いのだろうが、だからと言って、説明過多になる必要はまったくなかった。
急いで付け加えておけば、このシーン以外は素晴らしいとしか言いようがないのだ。正吉の兄(ユースケ・サンタマリア)は「自分の両親ほど正直な人を見たことがない」と旅館で便利屋の濱田岳に話す。働きづめに働いて大きな商店を構えるようになったが、それでも両親は使用人より早起きして仕事をしていたという。あるいは、正吉たちが着いた時、夫婦げんかをしていた旅館「沢田屋」の夫婦(光石研、濱田マリ)は正吉たちが17時間も歩いてきたことを知ると、「それはえらいことで」と、病人が一緒であっても温かく正吉たちを迎え入れる。そんな一つひとつの描写がことごとく良いのだ。
だからパッケージングに収斂されていくのがもったいないし、残念でならない。こうした細部の描写と魅力的なエピソードを作れるのであれば、実写映画監督としての原恵一はかなり期待できる。次回作では余計なパッケージングのない原恵一独自の映画を撮ってほしいものだと切に思う。