12日に一部劇場で公開され、Netflixで配信中の「tick, tick...BOOM!:チック、チック…ブーン!」はアンドリュー・ガーフィールドのアカデミー主演男優賞ノミネートが有力視されているそうです。ミュージカル「RENT」を作ったジョナサン・ラーソンによる同名の自伝ミュージカルをもとにした映画で1990年のニューヨークが舞台。
主人公のラーソンは30歳の誕生日を目前に控え、週末にダイナーで働きながら、ミュージカルの音楽作りに打ち込んでいます。タイトルは時限爆弾が時を刻む「チクタク、チクタク、バーン」という意味で、30歳になるのに自分がまだ何も成し遂げていないことを焦るラーソンの心情を表したもの。
1990年と言えば、ゲイの間でHIVが猛威を振るっていた時代。ラーソンの知人もHIVに倒れます。ラーソンは恋人スーザン(アレクサンドラ・シップ)との関係に悩み、料金滞納でアパートの電気を止められながらも、新作ミュージカル「スーパービア」の試聴会(ワークショップ)にこぎ着けます。
ここで披露される歌「Come to Your Senses」(ヴァネッサ・ハッジェンズ、アレクサンドラ・シップ)のパフォーマンスが素晴らしく、さらにその後にドラマティックな展開があって、終盤の大きな感動を生んでいます。
ジョナサン・ラーソンはミュージカル「tick, tick...BOOM!」の後、大成功を収めて映画化もされた「RENT」を作りますが、その成功を目にすることはできませんでした。公演初日の未明に35歳の若さで急死したからです。
30歳なんてまだ若い、時間は十分にあると、思ってしまいますが、ラーソンには自分が短命であることの予感があったのかもしれません。
監督は作曲家・作詞家・劇作家・歌手・俳優で「ハミルトン」「イン・ザ・ハイツ」などのリン=マニュエル・ミランダ。ミランダほどこの映画を撮るのにふさわしい監督はいないでしょう。主演男優賞だけではなく、作品賞ノミネートも有力じゃないかと思えました。
IMDb7.8、ロッテントマト88%(ユーザーは95%)。
綿矢りさの同名原作を商業映画デビューの首藤凜監督が映画化。サンデー毎日は「邦画の青春映画では今年NO.1の出来栄え」と絶賛、週刊文春は星2個から4個まで評価が割れていました。
高校生の三角関係を描いた映画で、なかなか予測不能の展開をします。
プラトニックな純愛の男女に悪魔的な少女が強引に割り込んでいくというプロット。その悪魔的な少女・木村愛が主人公で、演じるのは山田杏奈。純愛男女の西村たとえと新藤美雪を演じるのはHiHi Jetsの作間龍斗と「ソワレ」「ある用務員」の芋生悠。
3人それぞれに好演していて、特に目力のある山田杏奈が良いです。
木村愛は一見、成績優秀で明るくて人気者というキャラですが、心に闇を持っていることが徐々に分かってきます。たとえは強権的で横暴な父親(萩原聖人)から離れるため大学に合格し、東京に行く計画を持っています。美雪はI型糖尿病の持病があり、体が弱いんですが、たとえに毎日手紙を書き、一緒に東京に行くことを夢見ています。
たとえを好きになった愛は手紙の存在を知り、2人の中を裂くために美雪に接近。友人のいない美雪は愛にされるがままレズ行為を許してしまう、という展開。
高校3年の時に原作を読んで映画化を夢見ていたという首藤監督は3人のキャラを明確に描き分け、官能的・印象的なシーンとともに、愛のヒリヒリした狂おしい感情を織り込みながら3人の物語を語っています。
今泉力哉監督が窪美澄の短編を映画化。同名短編と「ノーチェ・ブエナのポインセチア」(いずれも短編集「水やりはいつも深夜だけど」に収録)を組み合わせて脚本化してあります。
高校生の陽(志田紗良)は父親(井浦新)と2人暮らしだったが、父親が再婚することになり、その相手美子(菊池亜希子)と4歳の娘ひなた(鈴木咲)がやってくる、というのが「かそけきサンカヨウ」。陽と同級生の陸(鈴鹿央士)との関係を描くのが「ノーチェ・ブエナのポインセチア」。
大きなドラマがあるわけではありませんが、描写の繊細さ、優雅さ、情感の豊かさに惚れ惚れしてしまう映画でした。
例えば、陽が幼い頃に出て行った実の母親の三島佐千代(石田ひかり)に会ってきた陽が美子に対して「美子さん、これからは美子さんのことをお母さんって呼んでいい?」と聞くシーン。菊池亜希子はパンフレットで「脚本を読むたびに気持が溢れてしまいました」と語っていますが、胸が熱くなる素晴らしいシーンになっています。
今泉監督の言葉によると、志田彩良は監督の指示に対して「それはできないかもしれません」「多分こうなると思います」と自分の意見を言うことができる女優だそうで、演技の確かさはそういうところに起因しているんだなと思います。
だから「パンとバスと2度目のハツコイ」「mellow」に続く3本目にして今泉作品の主演を務めることになったのでしょう。
デンマークの元料理人が北朝鮮の武器輸出の中核に潜入するドキュメンタリー。10年間にわたって命の危険を伴うスパイ行為をしたというのが驚きで、まるでフィクションのようなドラマがあります。
彼らは北朝鮮関係者から命を狙われているはずで、危害が及ばないことを祈ります。
映画に出てきた北朝鮮高官も何らかの処分を受けているかもしれません。
監督は「誰がハマーショルドを殺したか」のマッツ・ブリュガー。
瀬尾まいこの本屋大賞を受賞した原作にはあまり心を動かされませんでしたが、映画は永野芽郁主演なので「お、原作よりいい」というのが序盤の感想。
見ていくうちに「まあ、普通かな」に落ち着き、終盤で少し盛り返した感じでした。
大衆的な泣かせる映画としての作りは悪くなく、こういうジャンルの需要は確かにあるのでしょう。
劇中で石原さとみ演じる人物によるある行為は原作読んだ時に「そりゃダメだろう」と思いました。映画はそのあたり少し緩和しています。
前田哲監督は以前より随分うまくなったと思います。
監督デビューは1998年で、これが18本目の監督作ですから、当然でしょうけど。
1975年にカンボジアを制圧した共産主義勢力クメール・ルージュ(ポル・ポト政権)支配下の苦難を描くアニメーション。アヌシー国際アニメーション映画祭でグランプリを受賞しました。
ポル・ポト政権下では300万人が死んだと以前は言われていましたが、現在では諸説あり、この映画は170万人から200万人が虐殺と飢えと病気で亡くなったとしています。
農村に移住させられ、粗末で不十分な食事で強制的に農作業をさせられる人々を描き、ミニ・アウシュヴィッツと言われた強制収容所での虐殺の様子は描かれていません。、
タイトルの「フナン」は1世紀から7世紀にかけ、現在のカンボジアやベトナム南部周辺にあった古代国家「扶南(フナン)」のことだそうです。
女優のアンジェリーナ・ジョリーはこの時期のカンボジアを描いた映画「最初に父が殺された」(2017年)をNetflixオリジナル作品として監督しています。
配信開始時からマイリストに入れっぱなしだったので、この機会に見ました。
当時の様子は実写だけあって詳しく、エキストラもかなり使って予算をかけた映画です。
原作は生きのびた少女によるノンフィクションで、アンジーの視点も子供に寄り添ったものになっています。ただ、ベトナム軍の侵攻によって解放された後の描写が30分もあるのが余計に感じました。
カンボジアの虐殺は共産主義勢力によるものでしたが、インドネシアでは共産主義者が虐殺の標的になりました。それを描く「ルック・オブ・サイレンス」は「アクト・オブ・キリング」とセットになる作品で、犠牲者100万人と言われる1965年からの大虐殺を描くノンフィクション。
「アクト…」が加害者側に虐殺行為を演じさせたのに対して、「ルック…」は被害者の遺族の視点で組み立ててあり、かつての加害者とその家族のインタビューで構成されています。
インドネシアの虐殺でやり切れないのは指示者も実行者も誰1人として処罰されていないこと。
「アクト…」同様、この映画でもどう殺したかを詳細に語る実行者が出てきて、気分が悪くなります。
虐殺は軍が直接行ったのではなく、民間組織に指示して行わせたのが悪質で、劇中の説明によると、国際批判を警戒したためとのことです。
ヴェネツィア国際映画祭で審査員大賞、国際映画批評家連盟賞など5部門を受賞しています。
函館出身の作家・佐藤泰志原作の映画化第5弾。
体調を崩した和雄(東出昌大)は妻の純子(奈緒)と函館に戻る。和雄は自律神経失調症と診断され、医師の勧めで毎日街を走ることになる。やがて路上で出会った若者たちと交流を持ち始める。
斎藤久志監督の演出に不備はないものの、特に褒めるべき部分も見当たりませんでした。
医師が走ることを進めるのは精神を安定させるセロトニンが分泌されるからでしょう。
セロトニンが不足すると、不安や鬱、パニック障害を引き起こすそうです。
興行的に苦戦しているようで金曜日の初回に見た時、観客は僕1人でした。内容が全然、浸透していないためもあるのでしょう。
劇団イキウメの舞台をオール韓国ロケで映画化した入江悠監督のホラー。
予告編は確かにホラーのイメージでしたが、本編は少しも怖くなく、怖がらせようという演出もありません。
聖地Xが生み出すある物体を巡る騒動を描いていて、いかにも元が演劇という作りになっています。それも含めて僕は割と好意的に見ました。
前川知大の原作戯曲は韓国とは関係なく、韓国になじみのあるプロデューサーの意向とのこと。
主演の川口春奈に入江監督の前作「シュシュシュの娘」の福田沙紀と同様のダンスシーンがあっておかしかったです。
宮崎映画祭で上映された溝口健二監督の「残菊物語」(1939年)を見ていなかったので、U-NEXTで見ました。
デジタル修復版といっても画質的につらいものがあるんですが、内容の素晴らしさですぐに引き込まれます。
五代目尾上菊五郎の養子で若手人気歌舞伎役者・菊之助はある日、弟の若い乳母・お徳に自分の芸を批判されるが、次第に彼女に愛情を抱き始める。しかし、養父母はお徳との仲を許さず、菊之助は地方回りの劇団に入って落ちぶれていく。お徳はそんな菊之助を必死で支え、ついに復活への道を開く。
身分違いの恋という題材は後の傑作「近松物語」(1954年)でも描かれますが、この物語には普遍的で感情を揺さぶる魅力があり、多数の作品に影響を与えているようです。
同じ泣かせる映画でも「そして、バトンは渡された」とはレベルが違う感じ。
海外でもIMDb7.9、ロッテントマト94%と、高い評価を得ています。
2011年の映画ですが、宮崎市での公開は初めて。
山梨県甲府市を舞台に土木作業員や移民労働者の姿を通して文化摩擦や差別、経済格差の問題を描き、同年のキネ旬ベストテン6位に入ってます。
無名の役者と素人を使い、現実に密着した作りが評価された理由でしょう。
タイやブラジル人の出稼ぎ労働者が出てきますが、映画が公開された10年前と決定的に違っているのはこの間に日本がどんどん貧しくなったこと。
アベノミクスで円安が進んだことと、賃金がさっぱり上がらないのが原因で、今やバンコクの最低賃金は東京より高くなっていて、タイの人が渡航費用を払ってまで日本に出稼ぎに来る理由はなくなっています。
逆に日本人が海外に出稼ぎに行く時代が来る、と先日、週刊誌が書いてました。
今の眼でこの映画を見ると、「まだこの頃は良かったんだなあ」と思わざるを得ません。
当時はリーマンショック後の円高の時代で1ドル80円を割ってましたからね。
今年のアカデミー賞で作品賞など6部門にノミネートされ、編集賞と音響賞を受賞した作品。
突発性難聴に陥ったヘヴィメタルバンドのドラマーの苦悩と再生を描き、主人公を演じたリズ・アーメッドは主演男優賞ノミネート。
タイトルは主人公が付ける人工内耳(インプラント)が発する金属的な音とヘヴィメタルのダブルミーニングでしょう。
amazonオリジナルなので昨年12月からプライムビデオで配信中で、映画館でまた見るかというと、個人的にはそこまで思い入れはありません。
映画館のロビーで手に取ったパンフレットは副読本レベルの分厚さ(340ページ、脚本も収録)。価格が1800円もするので、ま、買わないなと思いましたが、映画を見始めて必ず買おうと思い直しました。傑作です。
原作は津村記久子のデビュー作。大学卒業間近で児童福祉司として就職が決まっている主人公ホリガイのモノローグでほとんど進行します。
脚色は吉野竜平監督自身で、かなりうまい脚色だと思いました。
原作のホリガイは身長175センチ、演じる佐久間由衣は172センチ。背の高さも起用された理由でしょうが、佐久間由衣は本当に役にぴったりの好演を見せています。
おおらかで朗らかでさっぱりしたホリガイの人柄にまず引きつけられますが、映画は暴力や児童虐待、自殺、同性愛、コンプレックスと、てんこ盛りの題材を織り込んで進行します。
タイトルは13年前に起き、ホリガイが児童福祉司を目指すきっかけとなった4歳男児の行方不明事件に関するホリガイの胸を打つセリフに由来。
「君のことを攫って、君の心と存在を弄んで、侵害するそいつらは、どんどん年をとって弱っていくから。だから絶対に諦めないで。…君は、永遠にそいつらより若いんだよ」
佐久間由衣の出演作は追っかけて全部見ようと思いました。
今年6本の映画に出演し、絶好調と言うほかない奈緒はふとしたことからホリガイと交流を深めていく1学年下のイノギ役。
不倫してもあっけらかんとしていた「先生、私の隣に座っていただけませんか?」とはガラリと変わった役柄ながら、やっぱり好演してました。
夏休みに田舎に引っ越したのを機に自分を男の子だと周囲に信じ込ませたボーイッシュな女の子ロール(ゾエ・エラン)を巡る騒動を描くセリーヌ・シアマ監督作品。
10年前の作品ですが、昨年、シアマ監督の「燃ゆる女の肖像」が話題を呼んだことで公開されたのでしょう。
主人公のロールはミカエルと名乗って同年代の子供たちと遊び、水遊びの時は自分で女子用水着を切って水泳パンツにし、粘土で股間の膨らみを偽装します。
仲良くなったリザとキスもするようになります。
明らかに心と体の性の不一致の傾向があるんですが、両親はまったく気づいていません(そんなことってある?)。
夏休みが終わりを迎える頃、ロールは男の子とけんかしたことがきっかけで、男子に扮していることを母親に知られてしまうことになります。
トランスジェンダーに限らず、子供が嘘をつかなくちゃいけない状況というのはかわいそうな状況であり、ありのままの姿を受け入れたいところ。
根本的な部分は解決されないままなので、映画はハッピーエンドとは言えないですね。
ソウルの女王アレサ・フランクリンを描く伝記ドラマ。
「ドリームガールズ」のジェニファー・ハドソンがアレサを演じ、圧倒的な歌を披露しています。
ハドソンの歌はいいんですけど、ドラマが型通り、演出も型通り。
IMDb6.6、メタスコア61点、ロッテントマト67%の低評価に納得するんですが、なぜか日本では評価が高いです。
が、よく見たら、KINENOTEは3人とも5点満点ですが、週刊新潮3.5、日経電子版3と、そうでもないですね。映画のクライマックスは7月に公開された「アメイジング・グレイス アレサ・フランクリン」で描いた教会コンサートの場面になってます。
評判が良いのでドラマ版を事前に2話まで見ました。
ゲイカップルの日常を描いていますが、特徴的なのは料理が大きな部分を占めていること。
よしながふみ原作、安達奈緒子脚色なので、おかしくて、おいしそうで、楽しいドラマになってます。
劇場版は中江和仁監督らドラマ版のスタッフ・キャストがそのまま担当しているため印象はドラマ版と変わりません。
主演の西島秀俊、内野聖陽とも慣れたもので、演技が安定しています。
30分ドラマの映画化でよくある失敗は、30分なら成立したことが2時間では成立しにくいこと。
「映画 みんな!エスパーだよ! 」とか「映画賭ケグルイ」およびその続編などの失敗はそういう理由でしょう。
この映画は失敗こそしていませんが、間延びしていると感じる部分はやはりありました。
それでも合格点の出来ですし、女性客を中心にヒットしているのも納得できるものにはなってます。
米同時多発テロの首謀者の一人として、キューバのグアンタナモ米軍基地に裁判もないまま何年も拘禁された男モハメドゥ・ウルド・スラヒが弁護士と共にアメリカを訴えた実話の映画化。
弁護士をジョディ・フォスター、スラヒをタハール・ラヒム、スラヒの起訴を担当するスチュアート中佐をベネディクト・カンバーバッチが演じています。
アメリカは必ずしも正義の国ではありませんが、間違いを正し、公正さを貫き、法律を遵守する真正直な人たちがいるのは確か。
弁護側と検察側の違いはあっても、フォスターとカンバーバッチが演じるのはこうしたタイプです。
グアンタナモ基地で行われる拷問には胸が悪くなりますし、ケヴィン・マクドナルドの演出もまずまずですが、IMDb7.5、メタスコア53点、ロッテントマト75%と高くはない評価に留まっています。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争末期の1995年7月に起きた「スレブレニツァの虐殺」を描いたヤスミラ・ジュバニッチ監督作品で今年のアカデミー国際長編映画賞にノミネートされました。
セルビア人勢力に追われ、スレブレニツァの2万5000人の住民(ボシュニャク人=イスラム教徒)が国連基地に集まってくる。
国連の通訳アイダ(ヤスナ・ジュリチッチ)は逃げてきた同胞とその中にいる夫と息子たちを守ろうと奔走する。
しかし、国連軍の兵士の数は少なく、セルビア人勢力に言われるまま、住民を他の地区に移すことに同意する。
その過程で男性を中心に住民たちは虐殺されていく。
最後に出る字幕によると、虐殺されたのは8,373人。
映画は緊迫する状況を克明に描いていきますが、虐殺の様子を描くのは1カ所だけ。
実際にはこの場面のほかに逃走途中の約1万5000人がセルビア人勢力の攻撃を受け、7000人以上が殺されたそうです。
捕虜にしなかった理由は、あまりに数が多く、収容に困ったためと言われています。
国連がセルビア人勢力に対して空爆を行わないなど何の役にも立っていないことが腹立たしくなりますが、パンフレットやWikipediaなどによると、フランス人兵士と国連軍が人間の盾になっていたことが空爆できなかった理由のようです。
アメリカでのプロの評価はネガティブなものが多く、メタスコアは53点、ロッテントマトでは肯定的評価51%(ユーザー評価は86%と良いです)。
ある程度、ダメなことを覚悟して見ましたが、全然OKのレベル。
少し長い(2時間36分)のが玉に瑕なのを除けば、ストーリー展開に意外性があり、SF的にも何ら問題はありません。
アメリカ人にとっては広島原爆投下を人類の愚行として否定的に描いた部分や、マーベル映画として「シャン・チー テン・リングスの伝説」に続いて中国系俳優が主人公なのが気に入らない人がいるのかもしれません。
宇宙的スケールの超大作を初めて監督したクロエ・ジャオはよくコントロールしていると思います。
コロナ禍の2020年から1995年まで時代を遡りながら、主人公佐藤誠(森山未來)の生き方を描いています。
主人公が関わっていく女性たち、特にSUMIREと伊藤沙莉が大変良いです。
「あたしブスだから、会ったらきっと後悔しますよ」。
会う前、手紙にそう書いてきた伊藤沙莉が主人公にとってはかけがえのない女性だったはず。
その彼女のSNSで幸福な結婚をして子供もいる現在の状況を主人公が知り、過去を回想していくきっかけになっています。
前半はどうかなと思いましたが、刺さる人には刺さる映画だろうと思いますし、SUMIREと伊藤沙莉の部分に関しては僕も賛辞を送りたいです。
原作は燃え殻(作家名)のデビュー作の自伝的ベストセラー小説。
監督はこれがデビューの森義仁(よしひろ)。
脚本は「オーバーフェンス」「まともじゃないのは君も一緒」の高田亮。
原作未読ですが、時代を遡っていく構成は高田亮の工夫なんでしょうかね。
1969年にニューヨークのハーレムの公園で行われた「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」のドキュメンタリー。
フェスティバルは6月から8月にかけて日曜日に6回開かれ、計30万人の観客を集めた。
4台のビデオカメラで撮影された映像は当時、「ウッドストック」とは対照的に「売れない」と言われ、撮影者の自宅の地下室に眠ることに。
プロデューサーのロバート・フィヴォレントはこの映像素材のことを2016年に知り、撮影者と契約を交わして映画の制作を始めた。
テープは40時間分あり、製作総指揮と監督を務めたアミール・“クエストラヴ”・トンプソンはそれを編集して3時間25分にし、さらに短くして2時間弱の映画に仕上げた。
映画はジョン・F・ケネディ、マルコムX、キング牧師、ロバート・ケネディの暗殺をはじめベトナム戦争やアポロ11号の月着陸など激動の60年代の世相を織り込みながら、フェスティバルの熱気を伝えています。
黒人指導者や理解のある政治家の暗殺が続いたことから当時のハーレムは暴動の一歩手前。
フェスティバルにはそれを沈静化する狙いもあったようですが、参加アーティストたちの現状に対する抗議の姿勢をしっかり見せています。
19歳のスティーヴィー・ワンダーや「To Be Young, Gifted and Black」を歌うニーナ・シモンも良かったのですが、個人的にはフィフス・ディメンションの「輝く星座(アクエリアス)/レット・ザ・サンシャイン・イン」のパフォーマンスが一番響きました。
52年前のコンサートなので懐メロ気分も湧いてくるんですが、黒人差別に関して52年前と今の状況がほとんど変わっていないことを強調した作りが評価の高さにつながっているのだと思います。
アメリカでの評価を見ると、IMDb8.2、メタスコア96点、ロッテントマト99%と絶賛となってます。
「TSUTAYA CREATOR'S PROGRAM」で準グランプリを受賞した企画・脚本を堀江貴大監督自身で映画化。
人気漫画家の早川佐和子(黒木華)は結婚5年目。夫の俊夫(柄本佑)も漫画家だが、新作を4年も発表していず、今は佐和子のアシスタントをしている。佐和子の母親(風吹ジュン)が事故に遭い、2人は実家に帰った。
俊夫は佐和子が書いた新作漫画のネームで、自分と編集担当者の千佳(奈緒)の不倫を描いていることに衝撃を受ける。
さらにその話は自動車教習所の先生(金子大地)と佐和子の不倫に発展していく。果たして佐和子は俊夫の不倫を知っているのか、教習所の話は本当なのか。
話が二転三転するのは面白いのですが、どうも狭いところをぐるぐる回っている観があります。
演出のメリハリも欲しいところ。
とはいえ、黒木華と柄本佑なので最後までそれなりに見せます。
奈緒も良かったです。