2021/06/06(日)細やかな描写が欲しい「るろうに剣心 最終章 The Beginning」
毎回、「アクションは良い、ドラマが弱い」と言われてきたシリーズだが、今回はドラマがメインになる。それではドラマは良くなったのかというと、やっぱり弱い。心の動きを表現する細やかな描写とエピソードが必要な内容なのに、それがないのだ。例えば、山田洋次「たそがれ清兵衛」のような在り方が望ましいが、大友啓史監督、そういう部分は得意ではないのだろう。
京都所司代・見廻組の清里明良(窪田正孝)を斬った際に左頬に切り傷を負った剣心はある夜、酒場で一人の女を酔っ払いから助ける。店の外の暗がりで襲ってきた何者かを剣心は斬り捨てるが、礼を言おうと追ってきた女がそれ見ていた。「あなたは本当に血の雨を降らすのですね」。斬られた男の血を浴びた女はそう言い、気を失う。剣心は長州藩士たちが泊まる宿に女を連れ帰る。女の名前は雪代巴(有村架純)。「帰りを待つ家族はいない」と言う巴は翌日から、その宿で働く。京都では新選組が長州藩の謀反の動きを知り、藩士が集まった池田屋を襲撃する。続く「禁門の変」でも敗北した長州藩の桂小五郎(高橋一生)や高杉晋作(安藤政信)らはしばらく身を隠し、反撃の時を待つことを決めた。剣心は巴と一緒に農村に行き、畑を耕して暮らすことになる。穏やかな暮らしの中、2人の間には徐々に愛が芽生え始める。
この農村での描写が映画のキモになるはずが、そうなっていない。巴は剣心に殺された清里明良のいいなづけで、復讐のため剣心の弱みを握るために幕府直属の暗殺集団「闇乃武」に命じられて剣心に接近した。その巴が復讐心を捨て、剣心に惹かれるようになった直接的なきっかけを描かないと、説得力に欠けるのだ。剣心は終盤まで巴の正体を知らなかったという設定だが、これも最初から知っていた設定にした方がドラマに深みが出たのではないかと思う。剣心の十字傷の理由もその方がしっくり来る。
ただし、巴を演じる有村架純は抜群の良さだ。薄幸で不運な巴の悲しさを漂わせ、この映画を強く批判する人でも有村架純のたたずまいの素晴らしさには矛を収めるだろう。「花束みたいな恋をした」でも感じたが、有村架純、絶好調と言うほかない。
映画はラスト、シリーズ第1作(2012年)の「鳥羽・伏見の戦い」の場面につながっていく(この映画より後の時代の話なのに、斎藤一を演じる江口洋介が今より若いのは仕方がない)。シリーズは9年かけて円環を閉じた。アクション映画好きとしてはこのシリーズ、少しぐらいドラマが弱くても、時代劇アクションに新たな地平を切り開いた功績を積極的に評価したい。かつての日本映画なら「新」とか「続」とか付けてシリーズを続けただろうが、もうそんな時代ではない。大友啓史、佐藤健には別のアクション映画での復活を期待したいところだ。
2021/05/30(日)出来のいいプリクエル「クルエラ」
映画「クルエラ」は少女エステラがどうやってクルエラ・ド・ヴィル(デ・ビル)になったのかを描く。出来の悪かった実写版の「101」(1996年)および続編の「102」(2000年)ではなく、オリジナルのアニメのプリクエル(前日談)になっている。だから「クルエラ・デ・ビル」の歌も最後に流れる。「101匹わんちゃん」を見ていなくても十分に面白い作りだが、見ていれば、もっと面白い。そしてオリジナルを超えた作品になっている。
ディズニー映画としては「マレフィセント」(2014年、続編は2019年)に続くヴィラン(悪役)の映画化。監督のクレイグ・ギレスピーの前作は「アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」(2017年)だったから、ヴィランの映画化には最適な人選と言えるだろう。少女時代のクルエラのエピソードをポンポンポンとスピーディーに描いていく語り口は「アイ、トーニャ」と同じタッチだ。
左右に分かれて白と黒の髪の毛を持つエステラは母親と2人暮らし。名門の私立学校に通うが、たびたび問題を起こし、校長先生から母親とともに叱られる。あまりに問題行動が多くて退学させれらそうになったため、エステラは学校をやめ、母親とロンドンに向かう。途中、ある屋敷に立ち寄り、パーティーで騒動を起こしたエステラは3匹のダルメシアンに追いかけられる。庭へ逃げて身をかがめると、ダルメシアンはエステラを跳び越えて屋敷の女主人と話していた母親に飛びかかる。母親は崖から落ちて死亡。エステラは自分のせいで母親を死なせてしまったことにショックを受け、1人でロンドンに行く。そこで2人の孤児、ジャスパーとホーレスに出会い、一緒に盗みを働いて暮らす。
成人したエステラ(エマ・ストーン)は髪を染め、高級デパートのリバティで清掃員として働くようになる。ショーウィンドウのディスプレイを勝手に変えたエステラはその才能を一流デザイナーのバロネス(エマ・トンプソン)に認められ、バロネスの下でファッションデザイナーとして働く。エステラはある日、バロネスの首に母親が持っていた赤い宝石付きのネックレスを見つける。母の死は事故ではなく、バロネスの仕業だったのだ。エステラは復讐を誓い、母のネックレスを取り戻すため、髪を白と黒に戻してクルエラと名乗り、仮面をしてバロネスのパーティーに乗り込む。
ニーナ・シモン「フィーリング・グッド」など70年代の音楽を散りばめて、クレイグ・ギレスピーはテンポ良く、物語を語っていく。エモーションをやや置き去りにした感はあるが、エマ・ストーンの魅力がそれを補っている。この映画の段階でのクルエラはヴィランではないので、続編もあるかもしれない。ファッション業界が舞台で、さまざまに魅力的な衣装が登場し、アカデミー衣装デザイン賞へのノミネートは確実ではないか。
2021/05/06(木)「アメリカン・マーダー」と嘘発見器
「一家殺害」というと、全員殺されたのかと思ってしまうが、被害者は妊娠中の母親と2人の幼い娘だ。そもそも事件の発端は失踪であり、3人が殺されたのかどうかも分かっていなかった。通報を受けた警察官が被害者の自宅に入る場面から撮影されている。アメリカの警官は常にボディカメラを身につけているから、こういう映像が撮れる。応対した夫はどこかおどおどしている。この夫がすぐに容疑者として浮上する。
夫は結婚した時は110キロほどの体重があったが、今は減量して80キロ台の筋肉質の体型(逆に妻の方は結婚当初よりかなり太ったように見える)。「減量した男は浮気している可能性が高い」と、映画の中でナレーションがあるが、その通り、夫には不倫相手がいた。その不倫相手の女性まで実名、顔出しで登場するのだから恐れ入る。当然、本人の了承を得ているのだろう。
圧巻なのは取り調べの映像。夫は当初、犯行を否定するが、嘘発見器にかけられて窮地に陥る。追及に耐えられず、父親との面会を要望。取調室に入った父親に対して妻殺害を話すのだ。死体が発見されていない以上、状況証拠しかない段階で嘘発見器の使用は自供を引き出すのに大きな効果があった。しかし、嘘発見器の結果自体が裁判所に証拠採用されることは少ないそうだ。犯人しか知り得ない事実を引き出すことが目的で、この事件の場合、3人の死体がある場所を自供したこと、つまり誰も知り得ない事実を知っていたことが決定的な証拠になった。
たいていの容疑者は嘘発見器の結果が証拠採用されないなんて知らないだろうから、嘘を見抜かれたら、そこで観念してしまうだろう。動機と状況証拠しかない段階であれば、嘘発見器でどんな結果が出ようが、徹底的に否認を貫けば、罪を逃れることも可能かもしれない。かなり激しく追及されることは覚悟しなくちゃいけませんけどね。それでもアメリカのように取り調べ中の様子がきちんと撮影されているのであれば、暴力を使ったひどい追及の仕方はないのではないか。日本では取り調べの可視化はまだまだの段階らしいので、否認を貫くのは容易ではないと思う。
この事件をまったく知らなかった僕は面白く見たが、IMDbの評価は7.2、メタスコア67点、ロッテントマト85%。ほとんどを既存の映像で構成するという作りは面白いが、事件を再構成しただけだから、際立った高評価にはなっていない。監督は女性のジェニー・ポップルウェル。
2021/05/02(日)人を幸福にする傑作「街の上で」
いや、もちろん城定監督はコアな日本映画ファンの間では以前から有名な監督ではあったのだけれど、「アルプススタンド…」以前だったら、名字の例として一般には通用しなかっただろう。主人公の若葉竜也とそれに絡む4人の女優が公開延期の1年の間に大きく成長して、公開延期が結果的に映画に客を呼ぶ力になったと今泉監督は公開初日の舞台あいさつで話したが、それは城定という名字にも言えることなのだった。何が言いたいかと言えば、この映画、公開延期が少しもマイナスにはならず、プラスになったということだ。本当に優れた映画は1年や2年、5年や10年寝かされても腐ることはない。
下北沢に住み、古着屋で働く主人公・荒川青(若葉竜也)とその周辺の人たちの日常をユーモラスに描くという映画の作りはジム・ジャームッシュを思わせる。ジャームッシュと違うのは女優が極めて魅力的に撮られていることだ。映画撮影の打ち上げの飲み会で知り合ったその夜に、イハのアパートでイハと青はそれぞれの恋愛経験を話し込む。映画というのはカットを割るものだから、僕は長回しや長いカットをあまり評価しない。だが、この場面の固定カメラによる長いワンカット撮影はとても効果を上げていると思う。2人の話は微笑ましくておかしくて楽しい。話している本人たちの感情が観客に伝わってくるようだ。
青は初めての恋人の川瀬雪(穂志もえか)に浮気された上に「別れたい」と言われて一方的にふられたばかりだったし、笑顔がキュートで関西弁のイハは過去に3人の男と付き合ったが、今はフリー。2人の間に恋が芽生えるのかと思わせるいい雰囲気で、この雰囲気を断ち切りたくないと思わせるのだ。
古着屋にTシャツを買いに来たカップルのシーンなど、映画にはクスっと笑えるシーンが散りばめられているが、このアパートのシーンと登場人物の多くがそろい、男女関係の誤解と思いやりが爆笑を生むクライマックスはとても良く、映画の好感度を大いに高めている。脚本は今泉監督と漫画家の大橋裕之の共同。監督はこのクライマックスの削除も考えたが、大橋裕之が止めたそうだ。残して大正解で、こんなに笑ったシーンは最近ない。
青に卒業制作の映画への出演を依頼する大学生で監督の高橋町子を演じるのは昨年7本の映画に出演し、成長著しい萩原みのり。古書店の店員・田辺冬子役に古川琴音。今泉監督は4人の女優にそれぞれの見せ場を作り、魅力を引き出している。「パンとバスと2度目のハツコイ」の深川麻衣や「mellow」の岡崎紗絵や「his」の松本若菜など監督の過去の映画にもこれは言えることで、女優はみんな今泉監督の映画に出たくなるのではないか。今泉力哉の映画は今、出演者と観客の双方を幸福にする映画になっている。
2021/04/24(土)構成が疑問の「るろうに剣心 最終章 The Final」
京都所司代・見廻組の清里明良(窪田正孝)は、“人斬り抜刀斎”の異名を持つ緋村剣心(佐藤健)に斬られた後、必死の抵抗をする。雪代巴との祝言が控えていたからだ。清里は剣心の頬に切り傷を与えるが、とどめを刺されて絶命する。その壮絶な死に方と翌日、巴が清里の亡骸に泣き崩れる姿を見て、剣心は人斬りの仕事に疑問を覚える。「るろうに剣心」シリーズ第1作(2012年)で、剣心の回想として描かれたのが以上のエピソードだ。剣心がこの時受けた傷は縦1本。これがなぜ十字傷になったのかを描くのが今回の最終章2部作、「The Final」と「The Beginning」になる。
アクションはいいけれども、ドラマが弱いというレビューが散見するのはそのためだ。話の時系列からすれば、「The Beginning」を先に見ておいた方がいいのだが、公開をあえて逆の順番にしたことに奇をてらう以上の理由があるとは思えない。撮影は時系列に沿って行ったそうだ。役者の演技を考えれば、過去を演じた上で現在を演じた方が感情を込めやすいから当然の措置と言えるだろう。だからこそこの2部作の構成には疑問を持たざるを得ない。脚本は監督の大友啓史が書いている。だれか、うまい脚本家の協力を得て、構成を練った方が良かったと思う。
第1作の公開から9年だが、映画の中では1年後の明治12年(1879年)の東京が舞台。剣心たちがよく行く牛鍋屋「赤べこ」を何者かが砲撃し、町が炎上する。犯人は剣心に復讐心を燃やし、今は上海マフィアの頭目になった雪代縁の一味だった。薫(武井咲)のいる神谷道場や警察署長の自宅など剣心の仲間たちは次々に襲われる。そして気球を使った東京への総攻撃が始まる。
アクション監督は今回も谷垣健治。佐藤健の走る、跳ぶ、斬るのアクションはスピードとダイナミズムにあふれる。新田真剣佑の筋肉質の体と動きの速さは見事だし、土屋太鳳に思う存分アクションをやらせているのもいい。日本のアクション映画として最高峰の位置をキープしているのは間違いないだろう。
青木崇高や蒼井優、江口洋介らおなじみの俳優が集結したのも良かった。四乃森蒼紫役で伊勢谷友介が登場したのは意外だったが、撮影は2018年から始まったそうなので昨年秋の逮捕時点で撮影済みだったのだろうし、何も問題はないと思う。「The Beginning」ではこうしたキャストは出てこないだろう。ドラマ性を重視したという内容を楽しみに待ちたい。