2011/07/10(日)「ランナウェイズ」

 1970年代のガールズロックバンド、ザ・ランナウェイズの盛衰を描く。ランナウェイズは日本で人気が出てアメリカに波及した。映画は予算がなかったためか、日本でのロケは行っていないようだ。日本で人気が出た理由も描かれない。僕はリアルタイムで当時のランナウェイズの人気を知っているし、僕自身、テレビで見て興味を持ったのだが、なぜ人気が出たのかは知らない。きっと売り方のうまいプロデューサーが日本のレコード会社にいたのだろう。アメリカで色物バンド的な評価しかないことは日本にも伝わっていた。

 映画はボーカルのシェリー・カーリー(当時はチェリー・カリーと言っていた)をダコタ・ファニング、リーダー的存在のギタリスト、ジョーン・ジェットをクリステン・スチュワートが演じる。ビリングでは「トワイライト」シリーズで人気を確立したスチュワートがトップに来る。映画の基になったのはカーリーの自叙伝「NEON ANGEL」で、ジェットはエグゼクティブ・プロデューサーを務めている。

 とりあえずカーリーの自叙伝に沿って作られているので、カーリーのアルコール中毒の父親とか、離婚した母親(なんと、テイタム・オニール)とか、姉マリーとの確執とか、ドラッグに手を出す姿とか、実力よりも人気が先行することに悩む姿とかが多く描かれる。しかし、映画を支えているのはファニングよりもやっぱりスチュワートの方だ。スチュワート、さらに伸びる要素がいっぱいのように思える。将来的にはハリウッドを支える女優になってもおかしくない魅力を放っている。

 監督はこれが長編デビューのフローリア・シジスモンディ。映画のまとめ方は可もなく不可もなしのレベルだった。

2011/07/10(日)「ジョナ・ヘックス 傷を持つ復讐者」

 原作はDCコミックスのグラフィック・ノベルの西部劇。妻子を殺され、顔にやけどを負わされたジョナ・ヘックス(ジョシュ・ブローリン)は賞金稼ぎとして暮らしていたが、軍隊に捕らえられ、テロリストのターンブル(ジョン・マルコヴィッチ)を殺すよう依頼を受ける。ターンブルはヘックスの妻子を殺した男だった。

 ヘックスには死者と話せる能力があるが、それ以外に派手な見せ場がないのがつらいところ。ミーガン・フォックスも出ているが、なんで出たんだろうというぐらいの役柄。監督はアニメーション「ホートン ふしぎな世界のダレダーレ」のジミー・ヘイワード。監督の人選を誤ったのが失敗の原因か。IMDBの評価は4.6。日本では劇場公開されなかった。

2011/07/10(日)「二十四の瞳」

 1954年の木下恵介監督作品。同年のキネ旬ベストテン1位。なんとこの年は黒澤明「七人の侍」が公開された年だが、「七人の侍」は3位に終わっている。それだけ黒澤作品に対する反発があったのだろう。「七人の侍」が再軍備映画などという見当外れの批判を受けたのに対して、「二十四の瞳」は静かに反戦を訴える。昭和29年という時代にはそこが評価されたのか。

 小豆島の小学校の分教場に赴任してきた大石先生(高峰秀子)と12人の子供たちとの交流を描く。前半のほのぼのとした描写が後半、戦争と貧困によって悲しい運命をたどる子供たちの姿に涙涙の展開となる。残念ながら市民プラザでの上映はセリフが聞き取りにくかった。

2011/07/07(木)ゲキ×シネ「薔薇とサムライ」

 DLPのためか発色が今ひとつ。それを除けば、劇団新感線の舞台をうまく撮影・編集していると思う。カット割りも悪くない。ただし、どうも見ていてフラストレーションがたまるのは舞台と観客の一体感みたいなものがこの作品の観賞体験からは抜け落ちてしまうことだ。やっぱり生の舞台を見たいという気持ちがむくむくとわき起こってくる。だからこれは舞台を見られない人のためのものというだけでなく、長いPRフィルムとしての側面を持っている(3時間16分で、途中休憩が15分入る)。

 17世紀のイベリア半島が舞台。女海賊のアンヌ・ザ・トルネード(天海祐希)は他の海賊しか狙わない。その用心棒が石川五右衛門(古田新太)。ある日、アンヌは小国の王位継承者であることが分かる。宰相による腐敗政治をただすため、アンヌは女王になることを承諾するが、それは仲間の海賊との戦いの始まりを意味していた。

 これは天海祐希を見るための作品で、天海祐希が出てくると、画面が一気に華やかになる。すらりとした長身の天海祐希はさすがに宝塚出身だけに舞台でひときわ映えるのだ。後半にはベルばらのオスカルを思わせる衣装があったりする。天海祐希は未だに映画での代表作がない人で、彼女のこの作品のような魅力を引き出す映画の企画をしてほしいものだ。

2011/07/07(木)「お引越し」

 1993年の相米慎二監督作品。@宮崎映画祭。田畑智子が今と同じ顔なのに驚く。桜田淳子が出ているのにも驚く。桜田淳子はこの前年に合同結婚式に参加しており、これが芸能活動最後の作品らしい。という感慨はあるにしても、映画としては田畑智子のうまさと、桜田淳子、惜しいという印象しか残らない。桜田淳子は20歳過ぎてからの方が良くなって、僕は女優として密かに期待していたのだが、惜しい。

 両親の離婚を11歳の少女の目から見た作品。終盤にある田畑智子がさまよう場面は普通の映画なら不要としか思えず、もっとテーマを突き詰めた方が良いのにと思うところだが、これはこれで魅力がある。作家の刻印みたいなものか。キネ旬ベストテン2位。

 とはいっても、この年のキネ旬ベストテン(http://cinema1987.org/kinejun/kinejun1993.html)はたいした作品はありませんね。この作品が去年の16位だった「春との旅」より素晴らしいかと言えば、全然そんなことはなく、むしろ「春との旅」の方が映画の出来は上だろう。年単位のベストテンは相対的な評価でしかないものなのだ。