2025/03/23(日)「教皇選挙」ほか(3月第3週のレビュー)

 「教皇選挙」が面白かったのでロバート・ハリスの原作を読みたくなったんですが、邦訳が出ていません。近年、こういうことが多くなりました。かつては映画公開に合わせて翻訳本が書店に並ぶのは当たり前のことでした。最近それがないのは出版不況に加えて翻訳小説が売れなくなったからでしょう。翻訳ミステリファンの多くが読んでいるであろう「ミステリマガジン」は10年前に月刊から隔月刊となり、さらに今年から季刊に変わりました。

 翻訳出版の現状に多くを期待できないとなると、英語の原書が読めるように辞書を引きながら勉強するしかないなと思うんですが、それができるようになったとしても、中国や韓国、フランス、スペイン語などまで学ぶのは極めて困難です(他言語から英語への翻訳は多いようですけど)。だから翻訳文化は大事なのです。ちなみに「教皇選挙」の原書「Conclave」はKindle版が1600円。翻訳して出版した場合、3000円ぐらい(以上?)に価格設定しないとペイしないんじゃないですかね。

「教皇選挙」

「教皇選挙」パンフレット
「教皇選挙」パンフレット
 ラストの衝撃はトランプ大統領とその岩盤支持層には絶対に受け入れられないものでしょう。映画は前半、地味な展開ですが、後半は次から次へと畳みかけるようなことが起こり、エンタメ度抜群の作りでした。ロバート・ハリスの原作によるものでしょうが、カトリック教会の古さを浮き彫りにする現代的なテーマを盛り込んだストーリーがまず良いです。ネタバレを目にしないうちに早めに劇場で見ることをお勧めします。

 14億人以上の信徒を有するカトリック教会の最高指導者でバチカン市国の元首であるローマ教皇が心臓発作で急死した。イギリス出身の首席枢機卿トマス・ローレンス(レイフ・ファインズ)は新教皇を決める教皇選挙(コンクラーベ)を執り仕切ることになる。各国から100人を超える強力な候補者が集まり、外部から遮断されたシスティーナ礼拝堂の中で投票が始まった。票が割れるなか、水面下の陰謀、差別、スキャンダルが次々に発覚、ローレンスの苦悩は深まっていく。

 レイフ・ファインズ62歳、スタンリー・トゥッチ64歳、ジョン・リスゴー79歳、セルジオ・カステリット71歳、イザベラ・ロッセリーニ72歳と主要キャストは高齢の俳優ばかり。これが前半のとっつきにくさの一因になっていることは否めません。しかし、権力=教皇の座をめぐって繰り広げられる争いはとても崇高な方々がやることとは思えず、実社会を反映したものになっています。差別偏見意識を露わにする枢機卿もいて、こんな人が教皇になったら大変だと思ってしまいます。

 パンフレットによると、保守派と改革派の対立は実際のコンクラーベでもあるそうです。トランプのようにLGBTQの存在を認めない人が教皇の地位に就いたら影響は大きいでしょう。

 アカデミー賞では8部門にノミネートされ、脚色賞(ピーター・ストローハン)を受賞しました。監督は「西部戦線異状なし」(2022年、国際長編映画賞などアカデミー4部門受賞)のエドワード・ベルガー。
IMDb7.4、メタスコア79点、ロッテントマト93%。
▼観客10人ぐらい(公開初日の午前)2時間。

「悪い夏」

「悪い夏」パンフレット
「悪い夏」パンフレット
 「正体」の染井為人の原作を城定秀夫監督が映画化。主人公が公務員で、暑い夏の話で、シングルマザーの貧困家庭が出てくるなど「渇水」(2022年、高橋正弥監督)との共通点を感じましたが、社会派だった「渇水」に対してこちらはクズとワルしか出てこないエンタメ志向。それでもしっかり現実を反映していて、登場人物たちのキャラもことごとく立っているのが良いです。

 市役所の生活福祉課でケースワーカーとして働く佐々木守(北村匠海)は同僚の宮田有子(伊藤万理華)から先輩の高野(毎熊克哉)が生活保護受給者のシングルマザー林野愛美(河合優実)に肉体関係を迫っているというウワサがあることを知る。真相究明を頼まれた守は愛美のアパートを訪ねる。愛美は娘の美空と二人暮らしだった。同じ頃、それを知った裏社会の金本(窪田正孝)は高野を脅迫し、貧困ビジネスの手先にしようとする。愛美はある目的で守を誘惑。守は金本に脅迫され、闇堕ちしていくことになる。

 監督と原作者、脚本の向井康介の鼎談によると、今村昌平の重喜劇を指針にしたのだとか。イマヘイだったら、ドロドロ度がさらに高かったでしょうが、いい線行ってると思います。

 気怠い色気を感じさせる河合優実のほか、顔つきがほっそりした伊藤万理華、逆にやや野呂佳代化した箭内夢菜ら女優陣も頑張ってます。本筋とは関係ないシングルマザーで生活保護の申請を断られる木南晴夏は普段のコメディ演技とは正反対の役柄ながら、目の下に隈を作って貧困の過酷な状況を表現し、現実社会を反映したリアルな部分を担当していて良かったです。
▼観客3人(公開2日目の午前)1時間55分。

「早乙女カナコの場合は」

「早乙女カナコの場合は」パンフレット
パンフレットの表紙
 柚木麻子の原作「早稲女、女、男」を矢崎仁司監督が映画化。大学で知り合った男女の10年間の恋愛模様を描いています。

 早乙女カナコ(橋本愛)は大学の入学式で演劇サークル「チャリングクロス」で脚本家を目指す長津田(中川大志)と出会い、付き合いを始める。就職活動を終え、カナコは大手出版社に就職が決まる。長津田とも3年の付き合いになるが、口げんかが絶えない。長津田は脚本を最後まで書かず、卒業もする気はなさそうだ。サークルに入ってきた女子大の1年生・麻衣子(山田杏奈)と浮気疑惑さえある。そんなとき、カナコは内定先の先輩・吉沢(中村蒼)から告白される。編集者になる夢を追うカナコは長津田の生き方とすれ違っていく。

 橋本愛は週刊文春に読書日記を連載しているので、編集者の役にはぴったり。矢崎仁司監督は自立した女性の恋愛青春映画として手堅くまとめています。

 「私にふさわしいホテル」(2024年、堤幸彦監督)で主役の作家を演じたのんが同じ作家役でゲスト出演しています。最近、NHK朝ドラ「あまちゃん」(2013年)を全話見たので、のんが出るなら、中川大志の代わりに福士蒼汰のキャスティングなら橋本愛と合わせて「あまちゃん」トリオ復活でうれしかったんですけどね。いや、中川大志は好演しているので、それはないですけど。

 クライマックスに「アパートの鍵貸します」(1960年、ビリー・ワイルダー監督)のシャンパンのシーンの引用がありました。
▼観客2人(公開5日目の午後)1時間59分。

「ニッケル・ボーイズ」

 少年院を舞台に黒人少年への暴力や虐待を描いたコルソン・ホワイトヘッドの小説の映画化で、アカデミー作品賞・脚色賞ノミネートされました。amazonプライムビデオが配信しています。

 1960年代のアメリカ。アフリカ系アメリカ人の真面目な少年エルウッド(イーサン・ヘリス)は、無実の罪で少年院ニッケル校に送られる。校内には信じがたい暴力や虐待が蔓延していた。

 主人公エルウッドの一人称カメラで始まり、これがずっと続くのかと思ったら、ニッケル校での友人ターナー(ブランドン・ウィルソン)の視点に切り替わります。基本的にこの2人の視点で物語が描かれていくんですが、予備知識ゼロで見ると、とにかく導入部が分かりにくくなっています。その要因はこんな作りにしたためでしょう。

 書店に1冊だけあった原作(2020年11月発売の初版本でした。翻訳小説はやっぱり売れていないのです)を買って読んでるところですが、原作は極めて読みやすい書き方です。フロリダ州の少年院アーサー・G・ドジアー男子校で実際に起きた教官による多数の黒人少年の虐待・殺害事件を基にした小説で、コルソン・ホワイトヘッドは「地下鉄道」に続いて2度目のピュリッツァー賞を受賞しました。映画も小説のように素直に作っていれば、さらに支持が広がったのではないかと思います。監督のラメル・ロスはこれまで主にドキュメンタリーを手がけてきた人だそうです。
IMDb7.0、メタスコア91点、ロッテントマト91%。2時間20分。

 アカデミー作品賞候補の10本のうち、「ニッケル・ボーイズ」を含めて7本が公開済みとなりました。残る3本のうち、ゾーイ・サルダナが助演女優賞を受賞した「エミリア・ペレス」は28日公開、デミ・ムーアが主演女優賞を逃した「サブスタンス」は5月、国際長編映画賞受賞の「アイム・スティル・ヒア」は8月公開予定となっています。