2005/04/20(水) IMDBの画像
インターネット・ムービーデータベースの画像は普通に右クリックしても保存できない。お目当ての画像の変わりに小さな(1ピクセル四方の)gif画像が保存される。どういう仕組みかと思ってソースを見たら、お目当ての画像は背景でその上に透明gifを引き延ばして表示しているのだった。単なる右クリック禁止のJavaScriptよりも手が込んでおり、担当者はよく考えたなと思う。
例えば、Studio Stills Photoの画像などがそういう表示方法になっている。これはもちろん著作権保護のためなのだが、ソースを見て直接、画像にアクセスすれば、右クリックから保存できてしまう。それにページ自体を保存してしまえば、画像も手に入るのだから、これは手間をかけさせるだけの意味合いしかない。それでも一定の効果はあるだろうし、画像をまとめてダウンロードするようなソフトの被害を防ぐことはできるだろう。
ネット上で画像の著作権を守るのは難しい。最終的には画像自体に再利用できないような仕組みを取り入れるしかないが、そうすると、ネットで表示できなくなる恐れもある。電子すかしの技術もあるけれど、ネットに氾濫する同じような画像をチェックするには著作権管理者にそれなりの手間が必要になるだろう。
VMware5をインストール
インストールはできたんだが、無料体験版のシリアル番号は「24時間以内に送る」とあった。あれえ、すぐに送ってくるんじゃないのか。うーん、日本のサイトでレジストしたのが間違いか。シリアルがないとLinuxのインストールができない。
仮想マシンを作る段階でTurbolinuxも対応していることを知ったが、とりあえずはVine3.1をインストールしてみようと思う。明日にはシリアル送ってくるんだろうな。
2005/04/19(火)「サハラ 死の砂漠を脱出せよ」予告編
クライブ・カッスラーのダーク・ピットシリーズ「死のサハラを脱出せよ」の映画化。ダーク・ピットが映画になるのは「レイズ・ザ・タイタニック」(「タイタニックを引き揚げろ」)以来25年ぶり。ピットを演じるのはマシュー・マコノヒー。イメージ的には悪くないか。ただ、予告編見てもあまり目新しい映像はないようだ。面白そうな感じはしませんね。共演はペネロペ・クルス。監督はテレビシリーズ「テイクン」などのブレック・アイズナー。うーむ。
先週末の全米1位は「The Amityville Horror」でこちらは「悪魔の棲む家」の26年ぶりのリメイク(予告編はこちら)。前作は面白くなかったが、今回はどうだろう。監督はアンドリュー・ダグラス。
窓の杜のランキング。VMwareのダウンロード数は30,230。使っている人、けっこう多いんだな。僕もダウンロードしておこう。一応試してみないと、購入するわけにはいきませんからね。
2005/04/18(月)小説「きみに読む物語」
映画を見たとき、原作は薄っぺらな話ではないのかと思ったが、予想は当たった。帯にあるのは「全米450万部 奇跡の恋愛小説」という言葉。ほんとにこんな簡単な小説が450万部も売れるとは奇跡以外のなにものでもない。250ページほどの短い小説で、最初の40ぺージ余りがノアとアリーの若いころの話、続いて再会した2日間が130ページほど、最後の年老いてからの話が70ページ余りである。これを読むと、映画の脚本はかなりうまく脚色しているなと思う。小説よりも映画の方が優れている数少ない例と言える。
若い頃の話などは、小説ではほとんどプロットそのままと言ってもいいぐらいの描写だが、映画はここに重点をおいてじっくり描いていた。原作にないエピソードも入れており、描写が細かい。そうしないと、再会後の2人の気持ちの高まりに説得力がないのである。原作にはアリーの母親が若い頃の恋を話すエピソードもない。
アメリカのベストセラーは分厚くて詳細な描写があるのが普通だが、この小説、描写に関しては本当に薄いし、構成も簡単だ。ただ、よく分かったのはアリーがロンをどう思っているのかという部分。ロンはただの仕事人間であり、アリーとの出会いも映画とは異なる。原作ではこう書かれている。
あとでアリーは、ロンと最後に話をしたときのことを思い出そうとした。ロンはじっくり聴いてくれたが、言葉のやりとりはあまりなかった。彼は会話を楽しむタイプではなく、アリーの父のように、考えや感情を人とわかちあうのが苦手だった。彼にもっと近づきたいと説明しても、手ごたえのある返事はなかった。
こういう部分をもっと強調してくれれば、映画に対する印象も変わったと思う。原作者のニコラス・スパークスは「メッセージ・イン・ア・ボトル」の作家で、これがデビュー作とのこと。続編が出たそうだが、もう読むことはないだろう。
2005/04/17(日)「コンスタンティン」
肺ガンのくせにヘビースモーカー。若い頃、自殺を図ったために天国への門は閉ざされている。虚無的で偽悪的な主人公のジョン・コンスタンティンのキャラクターは魅力的だ。コンスタンティンは(映画では)死んで地獄に行きたくないために人間界に侵略してくる悪魔たちを追い返している。幼い頃から悪魔が見える能力を持っていたために長じてエクソシストになり、悪魔退治屋になった。それとて、正義のためではなく自分のためというのがいい。そのコンスタンティンをキアヌ・リーブスが颯爽と演じる。血を吐きながら、たばこを吸い、機関銃に似た武器で悪魔と戦う。DCコミックスの人気キャラクターを、ミュージックビデオ出身で監督デビューのフランシス・ローレンスはスタイリッシュにビジュアルに映像化している。まるで核戦争後のような地獄のビジュアルなど映像面では水準を保っているのだが、惜しいことにキャラクターに血肉が通っていない。だから物語にはそれなりのひねりがあるのに、エモーションが高まっていかない。ビジュアルがビジュアルにとどまっているのはそのためだろう。ニヒルな主人公を突き動かすエモーションをもっと描く必要があったと思う。ミュージックビデオ出身の監督が陥りやすい欠陥にすっぽりはまっている。
冒頭、メキシコでキリストを殺した“運命の槍”が地中から掘り出され、見つけた男が憑かれたように歩き始める。車がぶつかっても男は傷ひとつ負わない。槍を持った男が通ると、周囲にいた牛たちがバタバタ倒れていく。変わって、主人公コンスタンティンが少女に取り憑いた悪魔を払う場面。自分の手には負えないとヘネシー神父(ブルイット・テイラー・ビンス)がコンスタンティンに悪魔払いを依頼したのだ。その悪魔払いの中でコンスタンティンは今までとは違う何かを感じる。神と悪魔は中立を保っているはずなのに、悪魔が少女の体を借りて人間界に進出しようとしていた。女性刑事アンジェラ(レイチェル・ワイズ)は妹の自殺の謎に迫るため、偶然会ったコンスタンティンに協力を求める。いったんは断ったコンスタンティンだが、アンジェラの背後に悪魔がつきまとっているのを知り、妹の死の真相を探り始める。
映画は大天使ガブリエル(ティルダ・スウィントン)、サタンの死者バルサザール(ギャビン・ロズデイル)、神と悪魔の間で中立を保つミッドナイト(ジャイモン・フンスー)、天使でも悪魔でもないハーフ・ブリードたちを巻き込んで進行する。それぞれにいい役者をそろえ、物語も悪くないのに、どうも深みに欠けるのはやはり演出に力が足りないためか。破綻のない映画には仕上がったが、一通りそろえれば、映画は面白くなるわけでもないらしい。「ブレイド」と「マトリックス」を合わせたような展開で、全般的に目新しさに欠けるのも一因だが、何よりも破綻を恐れて小さな完成度にとどまった印象がある。まとめることだけに力を注いだ感じなのである。
アンジェラと妹の2役を演じるレイチェル・ワイズは色っぽくてよろしい。クライマックスに登場するピーター・ストーメアは飄々としながら一筋縄ではいかない雰囲気を漂わせるサタンを好演していると思う。
2005/04/16(土)「オアシス」
キネ旬ベストテン4位。東京では昨年2月に公開された。軽度の知的障害のある男ジョンドゥ(ソル・ギョング)と脳性マヒで体が不自由なコンジュ(ムン・ソリ)のラブストーリー。まず、ムン・ソリのリアルな演技に驚き、こうした2人を主人公にして映画を成立させてしまうイ・チャンドン監督の力量に驚く。2人はそれぞれ周囲から理解されていない。だからこそお互いがお互いを切実に必要としている。それが周囲にまったく通じない。いや障害を持つ2人は自分たちの真実を周囲に伝える術を持たないのだ。圧倒的に孤立した絶望的状況の中で、映画は悲劇的展開に走りそうになるけれど、そうはならず、2人の純粋さを強烈に浮かび上がらせる。希望を持たせるラストが素晴らしい。
一方で、ぎりぎりのところで成立している映画だとも思う。ムン・ソリの演技は一歩間違えれば、障害者差別と受け取られる恐れもある。脳性マヒの患者はこういう姿形をしていると表現すること自体が差別を含むものだからだ。物まねと演技は紙一重なのだ。そうならなかったのはイ・チャンドンの確かな視点と真摯な演出があるからだろう。安易な泣かせにすることなど、イ・チャンドンの頭には最初からなかったに違いない。