2011/05/05(木)「マイレージ、マイライフ」
ジェイソン・ライトマンは父親のアイバン・ライトマンより才能あるなと思う。冒頭、短いショットを重ねて出張の準備をする場面で乗せられてしまう。後は一気呵成の展開。主人公のライアン(ジョージ・クルーニー)は家庭を持たず、出張で全国を飛び回る解雇請負人。会社に代わって、不要な社員に解雇を通告するのが仕事だ。同じような生き方をしているアレックス(ヴェラ・ファーミガ)との出会い、教育を担当させられた新入社員ナタリー(アナ・ケンドリック)との交流を通じてライアンは自分の生き方を見つめ直す。大人の女性を演じるファーミガがいい。
知り合いがFacebookでこの映画のラストについて議論になっていると書いていた。果たして主人公は出張を続けるのか、辞めるのか。キャリーバッグの取っ手から手を離す場面があるからだ。主人公がどうするかは最後のナレーションから明らかではないかと思う。
「今夜、人々は家族の待つ家に帰り、1日の話をして眠りにつく。昼間隠れていた星が輝く中、ひときわ輝く光がある。僕を乗せた翼だ」。
2011/05/02(月)「コララインとボタンの魔女」
3DCGかと思ったら、人形を使ったストップモーション・アニメーションだった。ニール・ゲイマンの児童文学を「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のヘンリー・セリックが映画化したダークなファンタジー。
コララインは引っ越してきた山間の家、ピンク・パレスで小さなドアを見つける。入っていくと、そこには現実世界より優しいママとパパがいた。ただ、ママとパパの目はボタンだった。何度もこの世界に入っていくうちにボタンのママはずっとここにいるようにコララインを誘う。それには簡単な処置が必要だった。コララインの目をボタンにすることだ。実はボタンのママは邪悪なボタンの魔女で、現実世界のママとパパも魔女に消されてしまう。コララインはママとパパ、そして魔女に封じ込められた子供たちを助けるため、魔女と対決する。
小さな子供には怖い場面もあるだろうが、それだけに少しだけ不満がある現実世界の素晴らしさを強く再認識することになるだろう。こういう映画を見て育った子供は幸せだと思う。大人が見ても面白い作品。僕は「ナイトメア…」よりこちらの方が好きだ。
2011/05/02(月)「運命のボタン」
リチャード・マシスンの原作を映画化。といっても、原作に基づいているのは最初の30分で、あとは映画のオリジナルである。そしてこの部分が三流SFといった感じにしかなっていない。この話なら1時間のドラマで十分じゃないかと思えてくる。結局、途中に描いてあることが消化不十分なまま終わっているのである。キャメロン・ディアス主演。監督は「ドニー・ダーコ」のリチャード・ケリー。
2011/05/02(月)「誰がため」
2008年のデンマーク映画(チェコ、ドイツ合作)。ナチス・ドイツ占領下のデンマークで、 レジスタンスの闘士フラメンとシトロンは 上司のヴィンターから指令を受け、対独協力者を暗殺していた。だが次第に2人には自分たちの行動は誰のためになっているのか、との疑念が芽生え始める。
実話の映画化には珍しく、陰謀と裏切りが渦巻くギャング映画のような作りになっている。それがとても魅力的だ。社会派というよりエンタテインメントの要素が大きい。原題はFlammen & Citronen(フラメンとシトロン)。フラメン役のトゥーレ・リントハートは初めて見る役者だが、クールな雰囲気が良い。シトロンを演じるのは「007 カジノ・ロワイヤル」などのマッツ・ミケルセン。監督はオーレ・クリスチャン・マセン。2008年度のデンマーク・アカデミー賞で5部門を受賞したそうだ。
2011/04/30(土)「カティンの森」
第2次大戦中、ポーランド軍将校ら1万2000人が虐殺されたと言われるカティンの森事件をアンジェイ・ワイダ監督が映画化。ワイダ監督の父親も事件の犠牲者であるという。この映画を撮った時、ワイダ監督は80歳を超えていたが、硬質で緊張感あふれる画面構成は老いを感じさせない。機械的に淡々と行われるラストの処刑シーンには背筋が凍り付く。
戦後、ソ連に支配されたポーランドで事件が封印されたことも怖い。ソ連は事件をドイツ軍の犯行として喧伝し、異を唱える者を迫害する。それでも自分に嘘をつくことを拒否する人々の姿が胸に迫る。ワイダ監督らしい人物像だ。ドイツ軍とソ連軍に支配され続けたポーランドの悲劇を描き、被支配者の怒りに満ちた傑作。