2011/05/11(水)「ザ・ウォーカー」

 バカにして見始めたら、面白かった。文明崩壊後の世界を舞台にしたアクション。序盤、デンゼル・ワシントンが大きな山刀で数人の敵を一瞬にして倒す場面でおおお、と思う。ワシントンは西を目指して30年間歩いている。1冊の本を届けるためだ。そういう貴重な本ということであれば、容易に想像がつくが、映画はモノクロームに近い単色系の色あせた画面で説得力のあるストーリーを展開する。ゲイリー・オールドマンが支配する街でのアクションを見ると、基本は西部劇だなと思う。オールドマンもその本を求めていて、ワシントンとの争いが始まることになる。

 ちょっと引っかかったのは東海岸から西海岸までいくら歩いてであっても30年もはかからないだろう、ということぐらいか。「マッドマックス2」のような世界を舞台にした佳作。監督はアルバート&アレン・ヒューズ兄弟。クレジットはThe Hughes brothersと出た。

 見ていて思ったのは本は強いなということ。電気のない世界では電子ブックなんて役に立たない。本は電気がなくても読むことが出来るし、紙が傷まない限りは数百年でも保存できる。iPadの発売以降、電子出版が注目を集めているけれど、本当の本好きは本から離れることはないだろう。ま、出張などで持って行くと、何冊でも入れられる電子ブックは便利ではありますけどね。

2011/05/08(日)「浮雲」

 デジタル・リマスター版。確かにフィルムに雨が降ることもなくきれいだった。成瀬巳喜男の代表作で1955年のキネ旬ベストテン1位。昨年12月に亡くなった高峰秀子の代表作でもある。見るのは30年ぶりぐらいか。戦争中に仏印(ベトナム)で知り合った妻のある男と女が戦後、日本でもずるずると関係を続ける。ほかにも女(岡田茉莉子=22歳のころで、かなりきれい)を作り、煮え切らない男の森雅之と腐れ縁とも言える関係を続ける女の話、とまとめてしまえるだろう。これ、20代にはまず分からない。だから30年前の僕にも分からなかった。

 情けない男を演じる森雅之よりも高峰秀子のきれいさと演技に驚くほかない。これは高峰秀子だから傑作になった映画だ。テレビで見る高峰秀子は男っぽい、さっぱりした性格の人だったと思う。それが良い面でこの映画に生きている。必要以上に暗くならないのである。

 浮雲のように流れていく男女は最後は雨が降り続く屋久島へ行くことになる。高峰秀子は肺を病み、床に伏せっているが、それでも男についていく。山に仕事に行く男に「私は山に行けないの?」と聞く姿が切ない。医者もいず、電気もない国境の島・屋久島は当時の感覚で言えば、地の果てだろう。映画で分からないのはなぜ、女が地の果てまで付いていくほど男にこだわるのか、ということである。

 一つは若い頃、幸せだった仏印での恋に幻想を持っているから、ということがあるだろう。戦後の暗い日本とは違う、光り輝く青春時代を断ち切れないでいるわけだ。

 Wikipediaには、「成瀬はその別れられない理由については『身体の相性が良かったから』といった類の発言をしている」とある。身もふたもない発言だが、そういう部分は昭和30年の映画では描けない。温泉に混浴する場面を描くぐらいだ(どうでもいいが、後年の国鉄のCMであった高峰三枝子と上原謙の温泉シーンはこの映画がヒントだったのではないか。担当者が、同じ高峰だから、と連想したのかも)。それにこれは男の感覚ではないかと思う。原作の林芙美子はどう書いているのだろう。

 ここまで書いたところで、NHKの「邦画を彩った女優たち『高峰秀子と昭和の涙』」を見た。「二十四の瞳」と「浮雲」を中心に高峰秀子の女優としての道のりを描く。高峰秀子は20歳以上年上のプロデューサーと関係を続けた体験があったのだそうだ。なるほど。Wikipediaに「結婚を想定して交際していた会社の重役が後援会費を使い込み、しかも他の女性と交際していた事が発覚したことから疲れ果てて1950年11月新東宝を退社」とある。ついでに「『馬』で助監督を務めた黒澤明と撮影中に恋に落ちたが、母親の反対で強引に別れさせられた」こともあるそうだ。

 最後の映画はテレビに仕事の場を移していた木下恵介が久しぶりに撮った「衝動殺人 息子よ」(1979年)。僕はこの映画、大学時代に見たが、高峰秀子の印象は薄かった。良かったのは主演の若山富三郎とゲスト出演的な藤田まことだった。

 キネ旬4月下旬号には高峰秀子の追悼特集が掲載されていた。かなりボリュームのある特集で、50年間にわたる300本以上のフィルモグラフィーやインタビューも収録されている。インタビューの中で高峰秀子は「『浮雲』が良かったのは、森さんが上手だったからですよ。森さんがきちっとしてたから名作になったと思いますね」と語っている。

2011/05/05(木)「彼女を見ればわかること」

 ロドリゴ・ガルシアの1999年の作品。5つの物語からなるオムニバスで、それぞれの話が少しずつ関連し、最後の物語で収斂していく。この手法は「愛する人」につながるものだし、出てくるエピソードも老いた母親と同居する女とか、30代後半でアフリカ系アメリカ人の子供を妊娠する女とか、同じ設定が出てくる。それを考慮しても、うまい脚本だと思う。ホリー・ハンター、キャメロン・ディアスが良い。ハンサムでもない銀行の副支店長役マット・クレイヴンがもてすぎなのはちょっとリアリティーに欠けるか。2000年のカンヌ映画祭「ある視点」部門グランプリ。キネ旬ベストテン16位。

2011/05/05(木)「愛する人」

 原題はMother & Child。女性監督の作品かと思ったら、脚本・監督はロドリゴ・ガルシア。よくこういう女性映画のような作品を撮れるものだと思う。14歳で出産した子供をすぐに養子に出し、37年間会っていない母親カレン(アネット・ベニング)とその子供であるエリザベス(ナオミ・ワッツ)を軸にした複数の母と子の物語。かつてあった日本映画の母ものなら、最後は親子の涙、涙の再会で終わるだろうが、そこをひとひねりしているのがうまい。ガルシア監督は登場人物の心情を丹念に描き、情感豊かで充実した作品に仕上げている。

 老いた母親と2人暮らしのカレンは気むずかしく、家政婦が勝手に子供を連れてくることにもいい顔をしない。エリザベスは弁護士になっており、自立したクールな生き方をしている。その2人が徐々に変わっていく。娘のことを思わない日はなかったというカレンは「後悔は心を蝕む」と新しい夫に諭され、養子あっせん所のシスターに手紙を託す。エリザベスも自分がするはずのなかった妊娠をしたことで母親に会いたいと思うようになる。この2人を交互に描きながら、ガルシア監督はもう一つ、子供ができずに養子を取ろうとしているルーシー(ケリー・ワシントン)のエピソードを描き、それがラストに向かって絡み合っていく。

 ナオミ・ワッツは実際に妊娠している時に大きなおなかを撮影している。こういう、はかなげな役をやらせると、とても似合う。ちょっと老けたアネット・ベニングも好演している。

2011/05/05(木)「マイレージ、マイライフ」

 ジェイソン・ライトマンは父親のアイバン・ライトマンより才能あるなと思う。冒頭、短いショットを重ねて出張の準備をする場面で乗せられてしまう。後は一気呵成の展開。主人公のライアン(ジョージ・クルーニー)は家庭を持たず、出張で全国を飛び回る解雇請負人。会社に代わって、不要な社員に解雇を通告するのが仕事だ。同じような生き方をしているアレックス(ヴェラ・ファーミガ)との出会い、教育を担当させられた新入社員ナタリー(アナ・ケンドリック)との交流を通じてライアンは自分の生き方を見つめ直す。大人の女性を演じるファーミガがいい。

 知り合いがFacebookでこの映画のラストについて議論になっていると書いていた。果たして主人公は出張を続けるのか、辞めるのか。キャリーバッグの取っ手から手を離す場面があるからだ。主人公がどうするかは最後のナレーションから明らかではないかと思う。

 「今夜、人々は家族の待つ家に帰り、1日の話をして眠りにつく。昼間隠れていた星が輝く中、ひときわ輝く光がある。僕を乗せた翼だ」。